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第29幕

 灰色の空と乾いた大地がどこまでも広がるモノトーンの風景の中で、私は敵と対峙する。吹き抜ける冷たい風が、私の白い髪をふわりと揺らした。

 今。

 眼前に立ち塞がるのは3体の黒い鎧。

 そのいずれもが、竜の形を模している。

 竜の鎧たちの双眸が、爛々と赤く輝く。

 私は意識してゆっくりと呼吸しながらその鎧たちに意識を集中させるが、中の者の息遣いは聞こえて来ない。その代わりに、金属の軋む微かな音が聞こえるだけだった。

 両手に白く輝く刃の長剣を手にした私は、即座に反応出来るように全身の力を抜きながら、しかし目の前の敵たちを射抜く様に強く睨み付ける。

『くくっ、あはははっ、嬉しいわ! 私はこの時を待ち望んでいたのよ!』

 3体の鎧の先頭に立つアンリエッタ・クローチェが、厳つい鎧に似合わない高い声を上げた。

『再会したお祝いに、今度は間違いなく貫いてあげるからっ! この私の手で! じっくりとねっ!』

 アンリエッタは興奮した様にそうまくし立てると、魔素で編まれた黒い槍をぶんっと振った。そして、楽しみでしょうがないという風に喉を鳴らして笑った。

『あなたたちは手出し無用よ。そこで私と竜騎士さんの戦いを良く見ていなさい!』

 私を見据えたままアンリエッタがそう告げると、その背後には控えた2体の新手の黒鎧たちは、武器を下げた。

 アンリエッタが、自身の肩当をトントンと叩いた。

 そこは完全に修復されてはいたが、以前の戦いで私の白の矢が貫いた箇所だった。

『さぁ、殺してあげる!』

 高らかに宣言したアンリエッタが、僅かに身を屈めた。

 私もさっと剣を構えた。

 嗤うアンリエッタの姿が、ゆらりと揺れた。

 そう思った次の瞬間。

 黒の鎧が踏み込んで来る。

 一瞬にして間合いを詰められる。

 稲妻の様な突きが繰り出される。

 アーフィリルと融合した私の目でも、黒の槍の矛先が霞んだ様にしか見えなかった。

 私は鋭く息を吐きながら、すっと身を沈ませる。

 右の剣で黒の槍を弾いてその軌道をそらそうとする。

 しかしその時には、突き出されていた筈の矛先は既にそこには無かった。

 黒光の残像が走る。

 フェイントか。

『あはははっ!』

 目の前でアンリエッタが身をひるがえした。

 微かに空気が震える。

 ぐるりと回転した槍が、私の側面から襲い来る。

 正確に私の頭を狙う横薙ぎの一撃。

 しかしそれは、私の読み通り一撃。

 私は薄く笑い、勢いよく左の剣を振り上げる。

 槍を弾く。

 城でも斬ったかの様な重い衝撃が手に伝わる。

 魔素と魔素がぶつかる激しい衝撃波が、閃光となって弾けた。

 アンリエッタの態勢が僅かに崩れた。

 私は大地を蹴って、低い姿勢のままその懐へと踏み込んだ。

 態勢の流れた黒の鎧の側面に、突撃の勢いを乗せた左の剣を振り下ろす。

 しかしその刃は、瞬時に跳ね上がって来た黒の槍の石突きに激しく殴打され、軌道がずれてしまった。

 空を斬る刃。

 くっ。

 さすがに簡単にはいかないか。

 ドレスの裾を広げて踏ん張り、流れる体を踏みとどまらせる。

 そこから数合、私の白い長剣とアンリエッタの黒の槍がぶつかるが、お互い有効打は与えられず、激しい閃光を走らせるだけだった。

 私が時間差で打ち込んだ左右の長剣を、器用に傾けた黒の槍の穂と柄で受け止めるアンリエッタ。

 私と竜を模したアンリエッタの兜が、至近距離で睨み合う。

 怪しく光る赤い目。

 私はその光をキッと睨みつけながら、両腕に力を込めた。

『ああ、やっぱりあなたとやり合うのは楽しいわっ!』

 至近距離で、アンリエッタがけたたましい笑い声を上げた。

 私はそれには答えず、僅かに目を細める。

 そして、不意に剣を引いた。

 そのまま身を引きながら、くるりと回転する。

 白のドレスが、ふわりと丸く広がった。

 私はその勢いを利用して、魔素で形成した編み上げブーツをアンリエッタの側頭部に向かって振り上げた。

『おおっ』

 空気が漏れ出る様な声を上げたアンリエッタは、僅かに身を引いて私の回し蹴りを回避すると、伸び上がる力を利用して後方へと跳び退いた。

 一旦間合いを取ると、肩に槍を担ぐアンリエッタ。

 私はすっと足を戻しながら、軽く息を吐いた。

 剣で戦うからといって剣にこだわる必要はない。全身を使って相手を倒せ。

 何時ぞやの鍛錬でそう言っていたフェルトの教えが役に立った。

 やはり、日々の鍛錬は重要だという事だ。

 私は両手の剣を握り直し、アンリエッタを睨み付けた。

「アンリエッタ・クローチェ。エーレスタから連れ去ったローデント大公はどうした」

 黒い竜の鎧の一挙手一投足に注意を払いながら、私は低い声をぶつけた。

 私の質問に、アンリエッタは片手で槍を弄びながらくくっと喉を鳴らして嗤った。

『知らないわ』

 アンリエッタは、楽しそうに声を弾ませた。

『最初は威勢が良かったんだけどね、あのオジサン。拷問官に引き渡した後は、はてさて、今も元気でやっているのかしら。まぁ、私には興味ないけどね』

 私の顔を凝視しながら、アンリエッタがひょいっと肩をすくませた。

『そんな事よりもさ、今は思う存分殺し合いましょうよ!』

 アンリエッタはギロリと赤い双眸を輝かせると、黒の槍の矛先を私に向けた。

「ローデント大公をさらったお前の目的は何だ? 帝国は何を狙っている?」

 私はジリジリと足を開き、剣を構える。

『ふふ、そんな事教えると思う?』

 アンリエッタがぐらりと首を傾げた。

『でも、私が今こんな場所にやって来た理由なら教えてあげる。それは、あなたたち小煩いサン・ラブールの軍隊を残らず殺してあげるためよ! あはははっ、私に貫かれて死ぬの! 光栄に思いなさい!』

 アンリエッタがそう叫んだ次の瞬間。

 砲弾が炸裂したかの様に大地が爆ぜた。

 猛烈な勢いで大地を踏み切ったアンリエッタが、突撃を仕掛けて来る。

 遥か間合いの外にいた筈の黒の竜の鎧が、次の瞬間には既にその槍の間合いに私を捉えていた。

 今度は、フェイントなどの小細工などない。

 純粋に槍の間合いを生かした強烈な突きが、私を襲う。

 連続する黒く光る矛先。

 くっ。

 暴風雨の様に荒れ狂う無数の突きが、私を襲う。

『おらああああ!』

「やああっ!」

 アンリエッタの声を吹き飛ばす様に裂帛の気合いを上げた私は、その猛烈な突きを捌きながら、一歩前へと進んだ。

 ドレスをひるがえし、白く輝く髪を振り乱しながら、白の剣で黒の槍を弾き、歩みを進める。

 刃と刃がぶつかる閃光が、激しく周囲に飛び散った。

 押し負ける訳には、いかないっ!

『ははっ、やるっ!』

 声を弾ませたアンリエッタが、一旦深く槍を引く。

 次の瞬間には、渾身の力を込めた一撃が来る。

 そう思ったけれど。

 しかし私は、その一瞬の隙にさらに深く踏み込んだ。

 アンリエッタの必殺の一撃を受け流し、さらに斬り込む。そうすれば、そこはもう私の間合いだ。

 そう考えた刹那。

 私は、アンリエッタの黒く輝く槍の矛先がさらに光を増すのを見た。

 それは、周囲の全てを呑み込んでしまいそうな暗い光だった。

 背筋がぞわりとする。

 胸がドキリと震えた。

『セナ!』

 胸の中で、アーフィリルが鋭い声を上げた。

 いけない!

 あれは受けきれない!

 咄嗟にそう悟った私は、片方の白の剣を消した。そして残りの剣を両手で構え、ぐっと力を込める。

 体中の魔素を剣に注ぎ込む。

 さらに力を振り絞る。

 全身が、カッと熱くなった。

 皮膚がピリピリと粟立つ。

 それでも私は、さらに魔素を振り絞って剣に込めた。

『はっ!』

 アンリエッタの鋭い声。

 黒の光がほとばしる。

 最速を持って繰り出される禍々しい刺突。

「くっ!」

 私は、ギリっと歯を食いしばる。

「ああああっ!」

 そしてこちらも、ありったけの魔素を乗せた渾身の斬撃を繰り出した。

 光と光が激突する。

 白と黒が全てを塗りつぶす。

 雷鳴の様な轟音が響き渡った。

 互いの力がぶつかる衝撃波が、私とアンリエッタを包み込む。

 その余波を受けた周囲の大地が、根こそぎ激しく吹き飛ばされてしまった。

 閃光と同時に巻き上げられた土煙が、視界を閉ざしてしまう。私の白い髪にも、パラパラと土が降ってきた。

 さっと後ろに飛んで、私は間合いを取る。

 視界を閉ざされ、爆音のせいで耳も一時的に聞こえない。さらに全身の魔素を振り絞ったせいか、全身がぼうっと熱くなってしまっていた。

 それでも私は、ざっと足を開いて白の剣を正眼に構え直した。

 今の攻防でアンリエッタも衝撃波の直撃を受けている筈だけど、あれがこの程度で動きを止めるとは思えない。

 軽く浅い息を繰り返し、体の感覚を取り戻すのに努めながら、私は周囲に気配を探った。

 その瞬間。

 首筋がピリッとする。

 私の周囲の空気がざわりと揺れた。

 私はとっさに振り返り、剣を掲げる。

 うくっ!

 白の刃が、振り下ろされた黒の戦斧の強烈な一撃を受け止めた。

 閃光が走る。

 受け止めた斧の向こうで、爛々と赤の目が輝いていた。

 こいつ、アンリエッタではない。

『グガガア、ガアアアアアアアアッ!』

 斧の鎧が、野太い咆哮を上げる。

 こいつは、アンリエッタの背後に控えていた黒鎧だ。

 アンリエッタが控えている様に言っていたが、やはりあれは奇襲を狙っての事だったか。

 私は、キッと斧の鎧を睨み付けた。

 掲げた剣に力を込めて敵の刃の黒く輝く斧を押し返してから、私は不意に剣を傾けて戦斧を受け流した。

 ぐらりと斧の鎧の態勢が崩れる。

 私はくるりと体を回転させて斧鎧の側面に回り込むと、その無防備な首筋に白の剣の柄頭を叩き込んだ。

『グボッ!』

 斧の黒鎧が、顔面から盛大に地面にめり込んだ。

『ギギギギギギ』

 奇怪な叫び声を上げて、今度は剣を携えた黒の竜の鎧が突進して来る。

 私は姿勢を低くして腰に剣を構えると、大上段から袈裟懸けに振り下ろされる黒の剣を迎撃した。

 魔素の刃と刃が激突する。

 力を込めた私の剣は、黒鎧の剣を容易く弾き返した。

 弾いた方の私が、軽く目を大きくする。

 攻撃が軽い?

 アンリエッタに比べれば、拍子抜けするほどだ。

『ギエッアアッ!』

 まるで獣の様な咆哮を上げて、剣の鎧が再び斬り掛かって来る。

 この剣の鎧や斧の鎧、見た目はアンリエッタの竜の鎧と殆ど同じだ。アンリエッタの鎧の各所にある装飾彫刻が省略されていたり、複雑な装甲形状が簡略化されていてのっぺりとした印象を受ける程度にしか違わない。

 しかし斬撃のスピードも突撃の鋭さも、アンリエッタには及ばない様だ。

 私は無表情のまま相手の手数を遥かに上回る連撃を繰り出して、速さで剣の鎧を圧倒する。

 剣を振るう度に、白のドレスの裾がふわりふわりと揺れる。ひらりひらりと光を発する長い髪が舞う。

 たまらず剣の鎧が後退し始める。

 そのタイミングで、私は鋭く相手の懐に飛び込んだ。

『グガガガ?』

 袈裟懸けに振り下ろした私の剣を、黒の鎧が弾き返す。

 しかし一撃の威力は私の方が優っている。

 剣の鎧が、その反動で態勢を崩した。

 そのがら空きになった胴目掛けて、私は返す刃で剣を振り上げた。

 その瞬間。

『仲間外れにしないでよねっ!』

 不意に横から少女の声が響く。

 私ははっと息を呑む。

 その刹那。

 私が横目で辛うじて捉えたのは、真っ直ぐに私の頭を目指して突き出される黒の槍の光の矛先だった。

『セナ!』

 アーフィリルが叫ぶ。

 咄嗟に体を引く。

 くっ!

 全身の骨が軋みを上げる。

 仰け反る私の眼前を、黒の槍が通過する。

 刺し貫かれた髪が幾本か、はらりと斬り飛ばされた。

『あはっ、さすが!』

 アンリエッタの楽しそうな声が弾けた。

 瞬時に引き戻された黒の槍がぶんっと唸りを上げて回転すると、今度は私の正面から襲い来る。

 私は白の剣を立て防御する。

 閃光。

 衝撃。

 不安定な体勢でアンリエッタの横殴りの一撃を受けた私は、体が浮き上がるのを感じた。

 なんて馬鹿力!

「くっ!」

 私はそこで無理に抵抗する事なく、アンリエッタの攻撃を利用して後方へと飛んだ。

 そしてそのまま、間合いを外す。

 連続で飛び退る途中、先程地面に沈めた斧の黒鎧が起き上がろうとしていたので、その後頭部を踏み付けてもう一度地面にめり込ませておく。

 アンリエッタたちから距離を取った私は、白の剣を構えてふっと短く息を吐いた。

『ごめんね、白の竜騎士さん』

 アンリエッタが槍を小脇に抱え、剣の鎧の肩に手を置きながら、馴れ馴れしく話し掛けて来た。

『この子たち、あなたの天然物の魔素に当てられて、我慢出来なくなっちゃったみたい。待ても出来ないなんて、犬以下ね。出来損ないもいいところだわ。ごめんなさいね』

 アンリエッタは、芝居掛かった動きで大きく肩を落として見せた。

 対して剣の竜の鎧は、グルグルと唸り声を上げているだけだった。

 あれでは、本当にただの獣みたいだ。

『あれらが我の知る人竜兵装ならば、あれが普通なのだ。只の人の身で世界の魔素に直に触れていれば、自我を保つ事など出来ない』

 私の胸な中で響くアーフィリルの声が、淡々と告げる。

『あの女の人竜兵装が只者ではないのだ。我にはそう思えるが……』

 しかしそう付け加えたアーフィリルは、少し訝しげに言葉尻を濁した。

 オルギスラ帝国の黒鎧とアーフィリルがいう人竜兵装については、またレティシアにでも相談すれば何かがわかるかもしれない。

 しかし取り敢えず今は、アンリエッタ並みのスペックの敵が揃っている訳ではないという事は、私にとってはありがたい事だった。

 私は、ふっと軽く笑う。

 大丈夫だ。

 まだ行ける。

 アンリエッタは、『まったく、使えないわね。師団長に報告しなくちゃ』などとぶつぶつ言っていたが、戦斧の鎧が起き上がり、戻って来ると、2体の鎧を従えてギロリと私に赤い目を向けた。

 斧の鎧、土まみれになって少し不気味な様相になっている。

『あなたは私が殺してあげたいけど、この子たちもやる気まんまんなのよねー』

 気軽な雑談をする様に、アンリエッタがうーんと声を上げた。

 私は斬り込むタイミングを窺う。

 先に剣と斧の竜鎧を倒せば、アンリエッタに集中出来るか。

 そんな風に考えていると、アンリエッタが何かを思いついた様に大きく頷いた。

『そうだ! この子たちには、雑魚を殲滅してもらいましょ! エーレスタとウェリスタの雑魚騎士相手なら遅れは取らない筈だし、任務は果たせるからあの根暗には文句言われないし、私は竜騎士さんと楽しく殺し合える。万事解決ね!』

 声を弾ませてクルクルと槍を回してみせるアンリエッタ。

 私は白の長剣を再びもう1振り生み出し、2刀になりながら、わずかに眉をひそめた。

 アンリエッタの劣化番とはいえ、あの魔素量の鎧がフォルクス攻略中の味方の背後から襲い掛かれば、甚大な被害が出てしまうだろう。

「そんな事、させると思うか?」

 私はすっと片手の白の剣をアンリエッタに向けて、低い声でそう告げた。

 アンリエッタが片足に体重を乗せて、ふふっと笑う。

『いいわ、その殺気。さて、休憩は終わりにしましょうか!』

 そのアンリエッタの声を合図にして、剣と斧の2体の竜の鎧が同時に動き出した。



 空中に浮かび上がり剣の鎧と斬り結ぶ私は、高速で飛来するアンリエッタの黒の光球を回避した。

 その私の足元を、斧の竜鎧が通過する。

 奴が目指すのは、すぐそこに迫っているエーレスタの本陣だ。

 本陣の方では、フォルクスとは反対側で始まったこちらの戦いに対して、直掩部隊が急遽迎撃態勢を取り始めていた。

 隊列の展開が早い。背後からの不意打ちにもかかわらず、既に弓隊が斉射態勢を整えている。恐らくは、私のアドバイス通りオレットが備えていたのだろう。

 その隊列に向かって正面から突撃して行く斧の鎧。

「させるか」

 私は再び斬り掛かって来た剣の鎧を弾き飛ばすと、飛行用に背や腰から生やした白の光の翼を畳んで急降下姿勢に入った。

 そのまま空中から、斧の鎧を急襲する。

 迎撃に振り上げられた巨大な戦斧を手足を開いて姿勢を制御し、空中でくるりと宙返りして回避した私は、赤い光の宿る兜に横薙ぎの一撃を放った。

『グガアアアア!』

 斧の鎧は急遽眼前に障壁を張って私の斬撃を防ぐが、しかし振り抜いた私の剣の勢いを殺す事は出来ず吹き飛ぶ。

 手応えもあった。

 僅かにその顔面を斬り裂いたが、さすがに致命傷ではない様だ。

 私はバウンドしながら地面を転がる斧の鎧をさらに追撃しようとするが、そこへすかさずアンリエッタが飛び掛かって来た。

 振り下ろされる黒の槍を、私は頭上に掲げた件で受け止める。

 着地した私の足が、衝撃で僅かに地面にめり込んだ。

 魔素がぶつかる眩い閃光が走り抜ける。

 うくっ!

『はっ、あんまり私の犬っころをいじめないでよ!』

 ぶつかり合う剣と槍の向こうで、アンリエッタが嗤う。

「ここで終わりだ、アンリエッタ・クローチェ! 大人しく投降しろ!」

 私はアンリエッタはキッと睨み返しながら、力と魔素を込めて剣を押し出した。

『まだまだぁ! もっとよ! もっとこの殺し合いを楽しみましょうよ!』

 私とアンリエッタは、極至近距離で激しく刃を交わす。

 この間合いでは長柄のアンリエッタは不利な筈なのに、全くそれを感じさせない。

 場所を変えながら、攻守を激しく入れ替えながら、私は幾度も黒い槍と打ち合った。

 その攻防の合間に、剣の鎧も襲い掛かって来る。体勢を立て直した斧の鎧も襲い来る。

 アンリエッタの攻撃を捌きながら、しかし私は、2体の黒鎧たちの突破も許さない。

 体が熱くなる。

 魔素が溢れる。

 はっ、はっ、はっ。

 一瞬の判断ミスが命取りとなる。

 私自身の命だけではない。

 この剣には、今この場で戦っている全将兵の命が掛かっているのだ。

 黒い竜の鎧たちは、ここで私が止める。

 止めなければならない!

「うおおおおおっ!」

 しかし私と黒鎧たちは、激しくぶつかり合いながら、じりじりとエーレスタの本陣に近付いてしまっていた。

 そして遂に、私とアンリエッタはもつれる様に絡まり合いながら陣幕の中へと突っ込んでしまう。

 地図の広げられた机をなぎ倒し、積み上げられた物資を吹き飛ばしながら、私はアンリエッタの槍を弾き返す。

 そのまま一旦下がると見せ掛けて連続突きを繰り出して来るアンリエッタだったが、私はその槍の間合いの外から白の剣を投擲した。

 咄嗟にアンリエッタが槍を引き戻し、私の剣を撃ち落とす。

 その隙に新たに両手に剣を生み出した私は、アンリエッタの懐へと斬り込んだ。

 激突する魔素と魔素に、衝撃波が走る。

 それをまともに受けたエーレスタの軍旗がへし折れ、陣幕が吹き飛び、木箱やその他雑多な物資が飛び散った。

 そんな私たちの攻防を、司令部要員の騎士たちが呆然としながら遠巻きに見つめていた。

 普段は勇猛な騎士たちが顔を青ざめさせ、固まってしまっている。

 私とアンリエッタの魔素に当てられて、身動き出来なくなっている様だ。

「総員、迎撃だ! 竜騎士アーフィリルを援護する! 伝令を出せ! 前線から部隊を……!」

 視界の隅で、グレイが両手に剣を携えながら叫んでいるのが見えた。

 さすがは修羅場をくぐって来た歴戦の騎士といったところだ。その一喝で、固まっていた騎士たちが我に返った様に動き始めた。

 司令部要員の騎士たちが退避を始める。その中には、剣を手にしたアメルやレイランドがいた。

 アメルの抜剣姿は似合わないな。

 アンリエッタの槍を弾きながら、私はふっと笑ってしまった。

「セナ!」

 アメルが声を上げてこちらを見つめるが、厳しい顔をしたレイランドがその手を引っ張って退避させる。

 レイランド、良い判断だ。

 それでいい。

 対してサリアやオレットたちアーフィリル隊の面々は、剣を構えて私とアンリエッタを包囲し始めていた。

 その中には、弓を構えるマリアの姿も見える。

 私は稲妻の様に繰り出されるアンリエッタの変幻自在の槍を捌きながら、ギリっと奥歯を噛み締めた。

 いくら手練れの騎士でも、常人ではアンリエッタの相手は厳しい。さらに、騎士たちの囲みの向こうから剣と斧の竜鎧が迫って来るのを感じる。

「グレイ、オレット! 司令部は総員後退しろ! ウェリスタ側と合流するんだ!」

 私は近距離で押し合うアンリエッタを睨み付けながら、声を上げた。

「攻勢を維持しろ! フォルクスを落とせ! こいつらは私が食い止める!」

『楽しい冗談ね。あははっ、そんなのっ、やらせるわけないでしょう?』

 嗤うアンリエッタがひらりと背後で槍を回すと、剣よろしく袈裟懸けの斬撃を繰り出して来た。

 私はさっと体を開いてその一撃を交わす。

 勢いと魔素をたっぷりと乗せた黒い槍は、その衝撃波だけで大地をぱっくりと斬り裂いた。

 激しい衝撃音が響き渡り、土煙が立ち上る。その先にいた騎士たちの一隊が、衝撃波を受けて激しく吹き飛ばされて地面に転がるのが見えた。

 直撃を受けた訳でもないのに。

 くっ。

「グレイ!」

 私の声に、直ぐには返事が返ってこない。

 しかし少しの間をおいて、グレイが下がるのがちらりと見えた。

「……了解です。全隊後退、ウェリスタ司令部に合流する!」

『行かせないよーとっ!』

「お前をなっ!」

 グレイの命により後退し始める騎士たち。

 そちらに向かって手をかざし、黒く光る魔素の球体を生み出すアンリエッタ。

 私は地を蹴って加速すると、下から掬い上げる斬撃でその光球を斬り裂いた。

 至近距離で大爆破が起こる。

 爆発の衝撃はアーフィリルの自動障壁が防いでくれるが、吹き上がる炎に一瞬視界が閉ざされてしまった。

 その炎の向こうから、黒の竜の鎧が突撃して来る。

『はっ!』

 私は咄嗟に片手の剣を投げて牽制するが、軽く振り上げた槍の柄でその剣を弾いたアンリエッタが勢いを緩めず踏み込んで来た。

 ぐるりと回転し、地面すれすれから跳ね上げられる黒槍。

 私は残った白の長剣を斜めに振り下ろし、その矛先を迎撃する。

 黒と白の光がぶつかる衝撃波が、激しく私の髪とドレスを揺らした。

『もう、仕事の邪魔はしないでよね』

「侮るな。そう容易く私を突破出来るとは思わない事だ」

 感情豊かな声とは対照的に無機質な赤の光を宿す竜の形の兜に向かって、私はふっと笑って見せた。

 視界の隅で、グレイたちが本陣から撤退していくのが見えた。マリアがその隊列の最後尾で弓を手にしたまま、じっとこちらを見つめているのがわかった。

 早く退避を。

 そう叫ぼうと思った瞬間。

「セナ、新手がっ!」

 マリアの声と同時に、頭上に飛び込んで来る黒い影。

『ギガアアアアッ!』

 やっと私たちに追いついた剣の鎧が、獣の様な咆哮を上げて私に刃を向けて降って来た。

 私はアンリエッタと剣を合わせたまま光の球を形成すると、剣の鎧に向かって放つ。

『ギグッ!』

 直撃を受けた黒の剣の鎧は、煙を上げて地面に激突した。

 間を空けず、今度は地を這う低さで迫った斧の鎧が、その巨大な戦斧を振り上げた。

 私とアンリエッタは、揃って後ろに飛んで戦斧を回避する。

 ぶすぶすと煙を上げながら襲い来る黒の剣を弾き、腰だめに大振りの一撃を構えていた斧の鎧のもとに私は踏み込む。

 白く光る髪がふわりと舞う。

 私は、キッと黒の竜の鎧を睨み付けた。

『ギギ?』

 斧の鎧が苦し紛れに横薙ぎに戦斧を振るった。

 私は姿勢を低くしてそれを回避すると、その伸びきった腕に向かって白の剣を振り上げた。

 魔素の刃が金属を断ち切る甲高い音が響き渡る。

『ギガア、グゴアアアアアアアッ!』

 斧の鎧が絶叫し、よろよろと後退した。

 斧の鎧の片腕を斬り落とす。

 しかし戦斧を握るその手は、切断されても未だ斧を握ったままだった。

 はっ!

 息つく暇もなく、私はアンリエッタに向かって踏み込んだ。

「させるかぁぁぁっ!」

 再びアンリエッタが、撤退するエーレスタの部隊に向かって光球を放とうと手をかざしていた。

 私は両手で白の長剣を握り締めると、ぐっと力を込めた。

「はあっ!」

 気合いの声と共に、刃に宿った魔素を斬撃波として放つ。戦技スキル、スラッシュの要領だ。

『くっ、おのれっ!』

 アンリエッタが光球を消して障壁を展開すると、私の斬撃波を防いだ。

 防御態勢から一転。

 槍を引く構えたアンリエッタが、私目掛けて突撃して来る。

 その私の意識がアンリエッタに集中した瞬間。

 こちらの側面、直ぐ傍に飛び込んで来た黒の剣の鎧が、地面を蹴って真っ直ぐに突撃を仕掛けて来た。

 アンリエッタとの挟撃!

 しかし私は、いたって冷静だった。

 迎撃のパターンを想定する。

 剣の竜の鎧の反応は鈍い。アンリエッタにさえ注意していれば、問題なく対処出来る。

 そう考えた次の瞬間。

「うおおおおっ!」

 大きな気合いの声と同時に、魔素反応が膨れ上がるのを感知する。

 戦技スキルだ。

 この声とこの魔素の反応はっ!

「フェルトか!」

 私は叫びながら、突撃してくるアンリエッタの槍を弾いた。

 その私の隣に、縮地の戦技スキルを使用したフェルトが飛び込んで来る。

「おらああああっ!」

 咆哮を上げながら斬撃を繰り出すフェルト。

 その剣の軌跡が、美しい青のラインを描き出した。

 魔刃剣!

 フェルトの作り出した魔素の刃を、咄嗟に障壁と籠手で受ける剣の黒鎧。

『グギッ?』

 しかし魔刃剣の青い魔素の刃は、容易くその守りを引き裂いた。

 フェルトの一撃は、敵鎧の腕を斬り落とすところまではいかなかったが、かなりの深手を負わせた様だ。

「いい攻撃だ、フェルト」

 続いて、笑みを含んだ緊張感のない声が響いた。

 ニヤリと笑いながら、やはり魔刃剣を構えて低い姿勢から踏み込んでくるのはオレットだ。

 バサリとマントがひるがえった。

 鋭い斬撃が走る。

 しかし黒鎧もそう簡単にやられてはくれない。オレットのその一撃をひらりと躱し、反撃を放った。

 頭上に掲げた魔刃剣でその攻撃を受け止めるオレット。

 魔素の刃はフェルトと同じ青。さらに、何らかの戦技スキルを使用したのだろう。オレットの全身は、淡く輝いていた。

「今だ、フェルト!」

 オレットが叫ぶ。

 その背後から、同じく戦技スキルで大跳躍したフェルトが剣の鎧に向かって襲い掛かった。

 しかしその刃が届くすんでのところで、剣の鎧が身を引いた。

 フェルトの刃が空を貫く。

 さらにオレットも追撃を仕掛けるが、そちらの攻撃を軽く弾いた剣の鎧は、一旦後退して間合いを外した。

「はっ、はっ、はっ……」

「よう、援護に来たぞ、セナ」

 鬼気迫る形相のフェルトといつもの調子でニヤニヤとした笑みを浮かべたオレットが、私の隣に並んで魔刃剣を構えた。

 敵方もアンリエッタを中心に、剣の鎧と片腕を失った斧の鎧が集まっていた。

『あれ。あれってうちの帝国の機刃剣じゃ……。敵に鹵獲されてるよ、まったく』

 槍をくるくる回しながら、アンリエッタがぶつぶつと何かを言っている。

「オレット、フェルト。下がるように言った筈だが?」

 私はギロリとオレットたちを一瞥した。

「俺だってセナを援護……!」

「3対1ってのは、さすがにセナでも分が悪いだろう。この剣があれば、俺たちだって一撃入れられるからな」

 顔を真っ赤にして何かを言いかけたフェルトをよそに、オレットが微かに剣を掲げて不敵に笑った。

「危険だ。下がれ。ここは私が抑える」

 私はしかし、前を向いたまま低い声でそう告げた。

「お、俺だってセナを……!」

「前頼んだアンリエッタの件は、今は忘れてくれていい。俺もこの状況で無理出来るとは思っていない」

 オレットが笑みを消して私を見た。

 以前に頼んだ事とは、アンリエッタが出た時には自分も戦わせろというあれの事か。

 今は、目の前の黒い鎧を一体たりとも後ろへ通す訳にはいかない。通してしまえば、決死の覚悟でフォルクス攻略に挑んでいる味方騎士たちは壊滅してしまうだろう。

 敵の侵攻を阻むなら、人数は多い方がいい。

 先ほどの攻防を見る限りは、アンリエッタに対するのは無理だが、あの剣と斧の鎧ならオレットたちでも互角に戦えそうではあった。魔刃剣もあるし。

 しかし、やはり危険ではある。

 もっとも、戦場にいる限り危険は当たり前ではあるのだが。

 私は目を細めて押し黙ると、じっと横目でオレットを睨んだ。

 それを了承のサインと取ったのか、オレットはニヤリと笑みを浮かべて小さく頷いた。そして軽く剣を振ると、一歩前へと進み出た。

「俺はオレット! こっちの少年はフェルトだ! 竜騎士アーフィリルを援護し、お前たちをここで阻ませてもらう!」

 いきなり大声で口上を述べ始めたオレット。

 私はやや目を大きくして、オレットを見てしまった。

 何だ、突然。

 驚いているのはあちらも同じなのか、いつもならふざけた台詞でも返して来そうなアンリエッタは、じっと押し黙ったままこちらを睨み付ける様に見ていた。

 その赤い双眸が、ゆらゆらと揺れている様な気がした。

「オルギスラ帝国軍のアンリエッタ・クローチェに尋ねる! 貴公は、ラーナストラ出身ではないのか? ラーナストラのクローチェではないのか?」

 無残にも戦闘によりずたずたにされた陣地跡地に、オレットの声が朗々と響き渡った。

 私はすっと目を細め、オレットを見た。

 オレットとアンリエッタ・クローチェ。

 この2人の間に、何か関わりがあるのだろうか。ラーナストラとは、どこの事だろうか。少なくとも私は、聞いた事がない。

 フェルトも私と同様に、訝しげに眉をひそめてオレットを見ていた。 

 オレットにふざけている様子はない。いつもに増して真剣な表情で、じっとアンリエッタを睨み付けていた。

 アンリエッタは答えない。槍を動かすこともなく身じろぎ一つせず、真っ直ぐに私たちを、いや、オレットをか、睨み付けていた。

 沈黙が周囲を支配する。ただ冷たい秋風が原野を吹き抜ける。風に乗って物の焼ける臭いが微かに漂って来た。遠くフォルクスでの戦いの音が、微かに聞こえて来る。

 アンリエッタは動かない。

 オレットも動かない。

 ただこの沈黙に耐えられない様に、ガシャリと斧の鎧が一歩踏み出した。

 この件については、戦闘が終結し次第、詳しく聞かなければならないな。

『……雑魚が。不快で目障りだ』

 不意に、アンリエッタがぼそりと呟いた。それは、苦悶に満ちた低く苦々しい響きの籠った声だった。

 微かに頭を振るアンリエッタには、刃を合わせていても感じられなかった焦りが滲んでいる様な気がした。

 しかしそれも一瞬の事。

 直ぐにアンリエッタの魔素と殺気が、膨れ上がった。

 今までにも増して強烈な殺気だ。

『……もういい。殺す』

 私は反射的に白の長剣を構えた。オレットたちも、青く輝く刃の魔刃剣を構えた。

 他の黒鎧たちも、それぞれの得物を構える。両方とも既に深手を負っている割には、それを気にしている様子はない。

 どちらからか、何かの切っ掛けがあれば直ぐにでも戦闘が再開しそうなそのタイミングで、不意にヒュンっと風を切る音が響いた。

 そしてその次の瞬間。

 黒の鎧たちの周囲に、火の矢が降り注いだ。

 爆炎が巻き起こる。

 炎が吹き上がる。

 轟音と共に大地が激しく吹き飛んで、その炎と土煙が黒の鎧たちを呑み込んでしまう。

 その衝撃波は、私やオレットたちをも包み込む。ひりひりと肌をあぶる熱が、私の方まで感じられた。

「おお……」

 フェルトが唸る。

「これは……」

 オレットが目を見張りながら周囲を見回した。

 砲弾や銃弾ではなく矢の形をした炎の塊はさらに次々と飛来すると、爆発と炎の中に沈んだ竜の黒鎧たちに向かってさらに降り注ぐ。

 私たちの眼前に、一瞬にして火の海が出来上がった。

 もはや黒の鎧たちの姿は、完全に見えなくなっていた。

 先ほどのフォルクス攻略戦を見ていればわかる。

 このでたらめな攻撃を放てるのは、この戦場に1人しかいない。私とアンリエッタらを除けば、だが。

「あーはっはははははっ!」

 火の矢が止むと、今度は甲高い高笑いが響き渡った。その声は、だんだんと私たちの方へと近付いて来た。

 この声、やはり聞き覚えがある。

「みたかっ、私の魔術の一撃をっ! ねっ、ねっセナちゃーん!」

 ちらりと振り向くと、背後から赤の塊が駆け寄って来るところだった。

 半壊した陣地の残骸を器用に避けながらこちらに駆けて来る赤の馬型の機獣。

 その背中に器用に立ち、赤のローブをはためかせている魔女が、私に向かってぶんぶんと手を振っていた。

 やはりレティシア。

 私は短くふっと息を吐いた。

 レティシアまでこちらに来てしまったのか。

「援護に来たわ。状況は理解しているから。セナちゃんには必要ないだろけど、セナちゃんのお気に入りの騎士たちには必要でしょう、私の掩護」

 私たちの隣に並んだレティシアは、ふふんっと顎をあげて機獣の上からオレットたちを見下ろした。

 なるほど。

 さすがレティシアだ。状況把握が早く、的確だ。

「あんたっ!」

 フェルトが何か言おうとするが、オレットがそれをさっと押し留めた。

「悪いな。では援護を頼む」

 飄々とそう告げたオレットにレティシアが頷いた瞬間。

 私は、さっと白の剣を振り抜いた。

 レティシアの眼前に向かって。

 白の光の残像が、弧を描く。

「えっ」

 呆然とするレティシアの目の前で、魔素と魔素がぶつかる激しい閃光が走る。

 私の剣に弾かれた黒い槍が、くるくると円を描いて地面に突き刺さる。アンリエッタの手を離れた槍は、やがてさらさらと溶けて消えてしまった。

 アンリエッタの黒の槍。

 それが爆炎の向こうから、投擲されて来たのだ。

 ガシャリと金属の音がする。それと同時に、炎の向こうからアンリエッタと竜の鎧たちがゆらりと歩み出て来た。

 黒の装甲に炎が映り込んでいる。やや煤けた様子はあるが、どの鎧も炎や熱でダメージを受けた様子はなかった。

 ただ炎よりもなお赤い3対の輝きが、爛々と私たちを睨みつけていた。

「来るぞ。総員備えろ」

 私は剣を握り直し、その黒の鎧たちの前に立った。



『何だか色々と騒がしくなったわね。雑魚がわらわらと増えたし』

 つまらなそうな声で文句を言いうアンリエッタは、数合の激しいぶつかり合いの後、間合いを測る様にゆっくりと私の周りを歩いていた。

 私は何時でも動ける様に剣を構えながら、ふんっと息を吐いた。

「最初から1対1の戦いをするつもりなどないくせに」

 私の指摘に、アンリエッタはひょいっと肩をすくめた。

『……まったく、興ざめもいいところよね』

「ならば引けばいいだろう」

『それじゃあ、あなたを殺してあげられないじゃない?』

 ふざけて嗤うアンリエッタから、私は直ぐ側で行われているもう1つの戦いの方へと注意を向けた。

 隻腕の斧の鎧と手負いの剣の鎧に対して、青い魔素の刃を展開した魔刃剣を手にするオレットとフェルトが挑む。

 オレットたちの背後から、レティシアが魔術スキルを放って援護攻撃を行っていた。

 火炎弾や氷の刃が次々と黒鎧たち目掛けて打ち出される。それらが周囲に着弾し、派手な土煙や爆炎を巻き起こしていた。

 その間を縫う様にして駆け抜けるフェルトとオレット。

 戦技スキルを使用して加速しているのだろう、フェルトたちの速度は黒鎧たちにも負けていない様だった。

 ただし、魔素量ではやはり黒鎧たちの方が圧倒的だ。

 容赦なく繰り出される黒の刃の攻撃は、その一振り一振りがフェルトたちにとっては致命的な威力を秘めている。

 フェルトが複雑な軌道で走り込み、敵を揺さぶりながら鋭い斬撃を放つ。その動きは、まさに電光石火。隻腕の斧鎧は、付いて行けない。

 オレットが巧みな剣技で剣の鎧を攻め立てる。

 剣の鎧の1撃は速くて重いが、剣を操る技術ではオレットの方が圧倒的に上だった。

 フェイントや戦技スキルを生かして、オレットの攻撃は確実に剣の鎧にダメージを刻んでいく。

 ギリギリの状況の厳しい戦闘ではあったけれど、フェルトたちの方が僅かに押している様だ。

 フェルトに押される斧鎧を援護しようと、剣の鎧が突然動きを変えてフェルトへ向かう。

 その剣の鎧に、無数の炎の矢が突き刺さった。

 レティシアの援護だ。

 炎に包まれ、着弾の衝撃に剣の鎧がよろける。

 その背後から、オレットが踏み込む。

 剣の鎧がそれに対応しようと振り返るが、黒の鎧よりもオレットの方が速い。

 左下方から振り上げられた青の刃が、黒の鎧の胸を斜めに斬り裂いた。

『ふんっ』

 その光景に私同様目を向けていたアンリエッタは、不快そうに鼻を鳴らした。

『やっぱり大量生産の粗悪品じゃ、この程度が限界か。まだまだ改善の余地があるわね』

 今度は、私がふんっと息を吐いた。

 あんなもの、大量に来られたらたまったものではない。

『それにしても、雑魚の人間にやられるっていうのも面白くないかな』

 アンリエッタが槍を持ち直すと、フェルトたちの方に向けた。

 私は僅かに重心を落として、いつでも飛び出せるように白の剣を構え直した。

「そのような好き勝手、私が許すと思うか?」

 私の言葉に反応して、アンリエッタが魔素と殺気が膨れ上がらせる。

 来る!

 そう思った瞬間。

 主戦場であるフォルクスの上空に、ぱっと光が広がるのが見えた。

 私とアンリエッタは一瞬動きを止めると、同時にそちらを窺った。

 私たちが今戦っているエーレスタの陣は、フォルクスの町が見渡せる場所に設置されていた。ここからだと、街の全景が良く見える。

 その街の上空に、眩い光が広がったのだ。それも、連続して2発。

 何だ?

 新手の攻撃か、何かが爆発したのか。

 薄曇りの灰色の空を背景にして、あちこちから黒煙を立ち上らせているカルザ王都フォルクスの街。

 戦況がどうなっているのかわからないけれど、最初に比べれば帝国軍の砲声がまばらになっている様な気がした。

 さらに、再び光が打ち上げられた。

 それは、フォルクスの街の中心部である王城から打ち上げられている様だった。

 少なくとも攻撃ではない様だ。

 オルギスラ帝国の発光信号か、何かの合図といったところだろうか。

 顔だけをフォルクスに向けてその光をじっと見つめていたアンリエッタが、不機嫌そうにふうっと息を吐いた。

『ちっ。もう持たせられないのか。無能が』

 ぶつぶつとくぐもった声で何かを呟いたアンリエッタは、激しい戦いを続けるフェルトたちの方にぐらりと首を向けた。

『お前たち! そんな人間、さっさと殺してしまえ!』

 苛立った声で叫んだアンリエッタは、再び私に向き直るとさっさと槍を構えた。

『まったく、無能ばかりで困ったものよね! どいつもこいつも、私の足を引っ張ってっ! あなたをゆっくりと貫きたいっていうのに!』

 そう吐き捨てる様に叫ぶと、アンリエッタはどかっと派手に地面を蹴り、私に向かって突撃を仕掛けて来た。

 黒い砲弾になったかの様に、一直線に突進して来るアンリエッタ。

 私との間合いは、瞬時に消失する。

 その穂先が私の胸を突くその刹那。

 私はドレスと髪を揺らして体を開いて回避する。

 突撃の猛烈な風圧が、ばっと私の白の髪を激しく揺らした。

 眼前を通過するアンリエッタの赤い双眸。

 その光が、一層ギラリと輝いた様な気がした。

 私はその禍々しい赤の光を睨み付け、白の剣を振り下ろす。

 土塊を巻き上げ、急制動を掛けて突撃の勢いを殺したアンリエッタか、私の剣を受け止める。

 眩い閃光が広がる。

 アンリエッタは突きを放った槍とは別にもう一本の黒の槍を生み出すと、それで私の剣を受け止めたのだ。

 くっ。

 槍の2本構えとは。

 ギリっと歯をくいしばる私に、アンリエッタは竜の形を模した兜をぐいっと近付けて来た。

『さぁ、付いて来なさいよ、竜騎士アーフィリルさん』

 ふふっと嗤うアンリエッタ。

『でないと、あなたの大事な騎士団はみんな私が殺しちゃうんだから』

 そう告げると、アンリエッタは両手に槍を構えたままざっと後ろに飛んだ。

 その背から飛行用の金属の翼が滑らかに広がったかと思うと、アンリエッタはふわりと灰色の空に向かって舞い上がった。キンッと独特の金属音が響き渡る。アンリエッタが飛翔する時の音だ。

 私は咄嗟に周囲に白の光の球を生み出す。そして同時にもう1振り白の剣を生み出すと、2刀を構えた。

 アンリエッタが大きく槍を振りかぶると、地上の私に向かって投擲する。

 黒の閃光と化した槍が迫る。

 私も白の光球を放つ。

 黒の槍が大地に突き刺さり、打ち出した白の光球が空中で炸裂した。

 耳をつんざく様な轟音が広がる。

 爆炎と土煙が周囲の空間すべてを塗り潰してしまう。

「くっ!」

 こちらも地面を蹴って飛翔しようとしたが、それよりも先にさらに黒の槍が空中から降り注いできた。

 気配と魔素の反応を頼りに、私は両手の剣でその槍を迎撃する。

 槍と剣がぶつかる甲高い音が響き渡る。

 これでは埒が明かないっ!

 私は身を低くして駆け抜けると、槍の着弾ポイントから離れる。そして空中のアンリエッタを追撃すべく魔素の白い翼を展開すると、駆ける勢いそのままに、ふわりと飛翔した。

 ドレスをはためかせ、両手に剣を構えながら土煙を突き抜ける。

 しかし既にそこに、アンリエッタの姿はなかった。

 どこへいった?

 さっと周囲を見回した私は、翼を広げたアンリエッタがフォルクスに向かって飛んでいくのを見つける。

 黒い鎧が、みるみるうちに遠ざかっていく。

 槍の爆撃で時間を稼いでいる間に、随分と距離を空けられてしまった様だ。

 私は、ギリっと奥歯を噛み締めた。

 一瞬、公都エーレスタでの戦いが過る。

 今度こそは。

 行かせる訳にはいかないっ!

「フェルト、オレット!」

 私はだらりと両手に剣を下げたまま、空中からギロリとオレットたちを見下ろした。

「ここは任せる。大丈夫か」

 剣の鎧を押し戻したオレットが、私に向かって拳を突き上げた。その顔は、不敵に笑っていた。

「ま、任せろ! うぉおおおおっ!」

 私を見てこくこくと頷いたフェルトは、今まで以上に気合の咆哮を上げると、斧の鎧に躍り掛かった。

 レティシアが機械の杖を掲げて見せる。その眼には、ふざけている時とは違う鋭い光が宿っていた。

 私は空中でフェルトたちに背を向けると、アンリエッタの背とフォルクスの街をキッと睨んだ。

 目の前に広がる主戦場を。

 そして、倒すべき敵を。

 背や腰に展開させた白く光る魔素の翼に力を込めた私は、黒い竜の鎧の追撃を開始する。

 戦いは、まだ終わらない。

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