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第2幕

 書類をタンタンと揃えて、私はふっと息を吐いた。髪を掻き上げて、うんっと伸びをする。

 今日の仕事はここまで、と。

 周囲を見回すと、既に魔晶石の明かりが灯っている管理課の執務室には、まだまばらに同僚達が残っていた。

 退庁時間はとっくに過ぎてしまっている。今はもう残業の時間だった。

 私はカタリと椅子を鳴らして立ち上がった。昼間の喧騒とは打って変わってしんと静まり返った執務室に、その音はやけに大きく響いた気がした。

 私は長剣を取り上げて、まだ残っている老騎士の上司のもとへと挨拶に向かった。

「失礼します。セナ・カーライル、お先に失礼します」

 私が声を掛けると、目をしょぼしょぼさせた上司が顔を上げた。

「はいはい、お疲れ様。でも良かったのかい。アメルちゃん、泣きながら帰ってったけど」

 私は眉をひそめて小さくため息を吐いた。

「……後で埋め合わせはしておきます」

 一応そう言い訳をしてから、私はさっと頭を下げた。お気に入りの黒のリボンで結んだ髪が、背後でぴょこんと揺れる。

 私はそのまま踵を返すと、管理課の執務室を後にした。

 魔晶石のランプが一定の間隔で並ぶ夜のお城の廊下は、少し不気味だった。人気もなく、しんと静まり返っている。聞こえてくるのは、カツカツと響く私の足音と、風を通すために開け放たれた窓から忍び込んでくる夏の虫の音だけだった。

 私はそんな夜のファレス・ライト城内を、女子寮の方向ではなく城の裏手にある練兵場に向かっていた。

 夕刻。今日もいつもの通りアメルが私を迎えに来た。

 アメルは第3大隊の第4中隊所属。つまり、城や街の警備を任とする部隊に属していている。その日勤の勤務が終わると、必ず私の所にやって来るのだ。

 しかし今日は、精一杯抵抗して、アメルには何とか先に帰ってもらった。

 今日は実際に仕事が残っていたし、それに仕事の後、とても大事な用事があったのだ。

 ついに。

 とうとう!

 初めてお願いしてからどれくらいの時間が経ったのか、やっとの事でオレットさんが私のお願いを聞き届けてくれたのだ。

 剣の稽古をつけて欲しいという、私のお願いを。

「あー、セナには負けたよ。今夜なら時間がある。どうだ?」

 今日の昼休み。執拗にお願いする私に、オレットさんはそう答えてくれたのだ。少し面倒そうではあったけれど。

 もちろん私に異論がある筈がない。

 即コクコクと頷いて安堵と共に微笑んだ私を、オレットさんは駄々をこねる子供を見るような表情で見ていた気もするが……。

 まぁ、そのあたりの事は、この際深く考えないようにした。

 私は、これからオレットさんに剣の稽古をつけてもらう。

 ……ふっ。

 そう考えると、自然と不敵な笑みを浮かべてしまう。

 これで私も、とうとう強く凛々しい騎士様への第一歩を実際に踏み出せる筈なのだから。

 足取りも軽く、私は夜の城の廊下を進んで行く。各大隊の幹部室が並ぶ一角を通り過ぎ、部隊の集結場所に指定される大広間も足早に通過した。

 ふふっ。

 剣の腕が上がれば、私も実戦に出られるかもしれない。そうすれば、騎士として弱き者を守るために頑張って戦うんだ。誰かを守って、誰かを笑顔にできれば、私の目標へもぐっと近づける筈。

 ぐっと拳に力を込めてそんな決意を新たにした私は、鋲の打たれた厚い扉を押し開き、城の外へ出た。

 初夏の夜は、濃い緑の匂いで満ちていた。

 満天の星空の下、さあっと爽やか夜風がさっと吹き抜ける。髪をまとめたリボンが、そんな風にひらひらと揺れた。

 警備のみなさんに挨拶しながら、私は篝火が焚かれた小さな門をくぐり抜ける。ガーデンパーティーが開かれる城の庭園を左手に見ながら、私は目的地である練兵場を目指した。

 虫たちが賑やかに鳴いている小径を進むと、やがて目の前に広い空き地が見えて来た。

 芝生が青く茂ったその場所は、エーレスタ騎士団の練兵場だった。個人の鍛錬から部隊行動、大規模なものになると中隊同士の模擬戦など様々な訓練が行われる場所だ。その周囲には軍馬を扱う厩舎や、武具の整備を行う鍛冶場なども併設されていた。

 鍛冶場や厩舎からは、まだ働いている人もいるのだろう人の気配が感じられたが、広大な練兵場は真っ暗で、人気はなかった。魔晶石の街灯と、より安価な松明の灯があちらこちらに設置されてはいるが、練兵場全体を照らし出すには十分とはいえなかった。

 私は髪を揺らしてきょろきょろ周囲を見回す。

 オレットさんは……いた。

 練兵場の脇にある小さな花壇の近くで、紙タバコをくわえながらレンガの壁にもたれかかっているオレットさんを発見する。

 オレットさんの隣には、彼愛用の長剣が立て掛けてあった。

 私は大きく息を吸い込み、むんっと気合いを入れると、オレットさんに駆け寄った。

「お待たせしました!」

 私はオレットさんの前に立つと、ペコリと頭を下げた。

「よう、来たな」

 制服のズボンに上は薄いシャツと革のグローブだけといった軽装姿のオレットさんは、壁から背を離し、タバコをくわえたままニヤリと笑った。

「お忙しいところ、本当にすみません。私、頑張ります!」

 私はキッと力を込めてオレットさんを見上げた。

「あー、まぁいいさ。俺は仕事熱心なセナを買ってるつもりなんだ。そのセナの実力、拝見させてもらおうか」

 オレットさんはそういうと、ぽんと私の頭の上に革手袋に包まれた大きな手を置いた。

「では、さっそく訓練用の剣を取ってきます」

 私はコクリと頷いて、練兵場の隣に建つ倉庫を一瞥した。あそこには、訓練で使用する様々な練習用器材が納められていた。

 もちろん、事前の使用許可は取ってある。

「いや」

 オレットさんは、ズボンのポケットから取り出した携帯灰皿に咥えていた紙タバコを落とすと、おもむろに壁に立て掛けてあった剣を手に取った。

「まずは、セナの実力を知りたい。実戦形式でいこうじゃないか」

 私は思わず眉をひそめた。

 何を……。

 オレットさんは、そのまま何んの躊躇いもなくすらりと長剣を抜き放った。

 磨き上げられた美しい剣身が、魔晶石の灯の光を受けてキラリと輝いた。夜闇の中に浮き上がるその容赦のない輝きに、私は思わず息を呑む。

「その腰の剣は飾りじゃないだろ?」

 だらりと抜き身の剣を下げたオレットさんが、腰から下げた私の長剣を指差した。

「大丈夫、全力で打ち掛かって来るといい。もちろん、スキルの使用もありだ」

 実戦形式。

 真剣での打ち合い、という訳か。

 ……なるほど。

 私がいつも素振りをしているのは、この腰に下げた剣だ。確かに手に馴染んだ剣の方が扱い易い。

 私はむぎゅっと唇を引き結び、コクリと頷いた。そして、ゆっくりと愛用の長剣の柄に手を掛けた。

「ご指導、よろしくお願いします!」

 キッとオレットさんを睨み付け、私は気合いの声を上げた。

「ああ。その力を見せてみろ、セナ・カーライル3尉騎士殿」

 オレットさんは、何の気負いもなくいつものニヤリとした不敵な笑みを浮かべた。

 私はすうっと大きく息を吸い込み、すらりと剣を抜きはなった。

「行きます!」



 訓練開始だ。

 両手で握った長剣を正眼に構えた私は、タッと地面を蹴った。

 低い姿勢のまま、オレットさんとの間合いを一気に詰める。

 制服の裾がふわりと広がり、髪がすっと流れた。

 剣先を僅かに下に。

 キッとオレットさんを睨み、柄を握る手に力を込める。

 私を迎え撃つオレットさんは、薄い笑みを浮かべたままだらりと大きな剣を下げ、動く気配はない。

 ……もちろん、剣技はあちらが上だ。

 ここは、思い切って打ち込むのみ!

「やああっ!」

 ぐっと地面を踏み締める。

 すくい上げる様に下から上へ。

 私は裂帛の気合いと共に、剣を振り上げた。

 突進の勢いと体の回転を乗せた一撃……!

 かねてよりイメージトレーニングしていた通り、まずは最速の連撃で相手の体勢を崩す。そこに、渾身の突きを放てば……!

 ぶんと空を切る私の剣。

 あ……。

 私は目を見開く。

 確実に間合いに入れた筈なのに、気が付くと私の初撃は、何もない空間を斬り裂いていた。

 回避された……?

 いや、それでも……!

 歯を食いしばり、もう一度オレットさんを狙い、今度は剣を袈裟掛けに振り下ろした。

 次は左からフェイントを交えて、その次はまた一歩踏み込んで……。

 剣を振りながら、そんな次の、またその次の攻撃について考えた瞬間。

 キンっと甲高い音が響いた。

 金属と金属がぶつかる音だ。

 衝撃が走る。

 そして、不意に手の中が軽くなった。

 ……え?

 私の手の中から、唐突に剣が消え失せていた。

 空になった自分の手。

 背後でカランと乾いた音がした。

 ……剣を弾き飛ばされた?

 いつの間にか目の前にオレットさんの剣が持ち上がっていた。

 私の剣は、あれに……?

 突然の出来事に頭が真っ白になる。

 呆然とする。

 そして次の瞬間。

「わっ!」

 次の行動に移ろうとしていた私の体は、その勢いを殺せずにぐらりとバランスを崩してしまった。足を絡ませた私は、そのまま前方に倒れ込んでしまう。

「わわっ!」

「おっと」

 その私を、オレットさんがぼすっと受け止めてくれた。

「大丈夫か、セナ」

 落ち着き払ったオレットさんの声が振って来る。

 むむむ……!

 簡単に剣を手放してしまったという失態と、さらに子供みたいに躓いて転びそうになってしまったという事に、私の顔は瞬間的に真っ赤になってしまった。

「……す、すみません。だ、大丈夫です!」

 私はさっとオレットさんから離れると、髪を振って勢い良く踵を返した。そのまませかせかと歩いて、弾き飛ばされた剣のもとに向かった。

 地面に転がった剣を拾い上げ、私は素早く正眼に構えた。そして、再びキッとオレットさんを睨む。

 ……さすがエーレスタ騎士団の副士長を務める人だ。

 実際手合せして良く分かる。オレットさんは強い。

「はは。まだやる気は十分だな。さぁ、掛かって……」

 オレットさんがニヤリと笑った。

 そのセリフが終わらないうちに、私は再び突撃に入った。

 今度は小細工なんてしない。

 私の全力の突進と全体重を乗せた一撃を叩き込む!

「やあああっ!」

 迫るオレットさんは動かない。

 私の剣の切っ先が、シャツ一枚のオレットさんの胸板に迫る。

 オレットさんは……まだ動かない?

 鈍く輝く剣の切っ先が、オレットさんに吸い込まれていく。

 このままでは……。

 私の躊躇いを表す様に、切っ先が微かにブレた。

 その瞬間。

 私の眼前から、オレットさんの姿が消えた。

「あ……」

 私はさっとオレットさんを探すが、全力突進中の体は急には止まれない。

 後ろ……左?

 死角に回り込んだであろうオレットさんに対応する為に私は体を捻ろうとして……。

「わっ……ぷふっ!」

 私は剣を握り締めたまま、うつ伏せに転んでしまった。

 全身に衝撃が走る。

 濃い芝生の臭いと土の臭いがツンっと鼻を突いた。

 うう……。

 うううう……。

 おでこが、おでこがいたい……。

「おおい、大丈夫か、セナ……」

 背後から声がする。

 少し驚いた様なオレットさんの声だ。

 私は唇を噛み締めながら、もぞもぞと起き上がった。

 ……まだだ。

 まだまだ……!

 私はすっと剣を構え直した。

 エーレスタ騎士団の制服の一部である銀の胸当てが、芝生と泥でドロドロに汚れてしまっていた。そして、おでこが痛い……。

 しかしもちろん、弱音なんて吐けない。

 私は再び打ち掛かるべく、オレットさんに対峙した。

「セナ。剣の稽古を始めてどのくらいだ?」

 しかしそんな私の気勢を削ぐように、オレットさんが問い掛けて来た。

「……エーレスタに来てからなので、1年くらいになります」

 オレットさんは片目を瞑りながらガシガシと頭を描いた。

「騎士団に入ってから、か。ああ、そうか。セナは第3大隊だったな」

 溜め息混じりのオレットさんの言葉に、私は思わず眉をひそめてしまう。

 そんな私の表情に気がついたのか、オレットさんは気まずそうに顔をしかめた。

「いや、悪い。そういうつもりじゃないんだ」

「……はい」

 私は申し訳なさそうな声を上げるオレットさんに、コクリと頷いた。

 オレットさんが陰口を叩いたり偏見で物を言う人でない事は十分わかっているつもりだった。しかし、第3大隊所属という事で後ろ指を指されてしまうという事は、このエーレスタにおいては実際にある事なのだ。

 エーレスタ騎士団第3大隊は、裏では貴族部隊やお坊ちゃん騎士団と呼ばれていたりする。

 これは、第3大隊に所属している騎士たちが、エーレスタ騎士公国の宗主国であるサン・ラブール条約同盟国の貴族出身者で構成されているからだ。

 いくら独立国の体裁をとっていても、エーレスタはその後援者たるサン・ラブール条約同盟国を蔑ろには出来ない。そして各国の貴族たちは、大陸中にその名が轟くエーレスタ騎士団に一族を送り込み、騎士団とのコネと騎士団に一族がいるというステータスを欲している。

 その利害関係の結果として、一般の者よりも遥かに簡易な基準で採用された貴族出身の騎士たち。そんな者たちによって構成されているのが、エーレスタ騎士団第3大隊という訳だ。

 厳しい採用テストをクリアし、実力も確かなものがある他の一般騎士からすれば、実力もないのに態度だけは大きい厄介者、という風に見なされているのもある意味仕方がない事なのだ。

 私も、貴族出身ではないけれど、故郷の領主さまの口添えで入団出来たという経緯からすれば、第3大隊の他の貴族騎士たちと同じだ。

 さらに第3大隊所属の少女騎士には、ある目的があって騎士団にやって来る者たちもいる。

 貴族の娘である彼女たちは、エーレスタに来ている他国の騎士や騎士団の有力騎士と血縁を結ぶために送り込まれているのだ。

 アメルは、自分は口減らしに捨てられたと言っていたけれど。

 オレットさんからすれば、私をそんな少女騎士の一員とみなすのもしょうがないかもしれない。騎士に相応しい実力がないと見なされても、しょうがないかもしれない……。

 けれど……。

 私は剣の柄を握る手に、ぎゅっと力を込めた。手が白くなるほど。痛くなるほどに。

「オレットさん! もう一度、もう一度お願いします!」

 オレットさんが真っ直ぐに私の目を見る。

「頑張ります。だから、オレットさんの剣を教えて下さい!」

 剣を構えたまま、私は必死に声を上げた。

「私、強くなりたいんです。強くなって、立派な騎士さまになって、それで、エーレスタの竜騎士になりたいんです!」

 最後の部分は思わず叫ぶように、私はそんな言葉をオレットさんにぶつけてしまっていた。

 はっとする。

 オレットさんが目を丸くしている。

「竜……騎士か」

 ぽつりと呟くオレットさん。その顔がニヤリとした笑みが浮かぶ。

 そんなオレットさんを見て、私はぼふんっと音を立てる勢いで顔を真っ赤にしてしまった。

 わ、私、とんでもなく恥ずかしい事を……!

 握った剣の切っ先がカクカク揺れる。

 竜騎士は、何万といるエーレスタ騎士団全ての憧れであり、その頂点に君臨する存在だ。

 騎士団、いや、大陸全土においても、竜騎士は現在たった7騎しか存在しないのだ。

 自分がその最精鋭になると宣言しても、普通は笑い話にしかならないだろう。

 あまりの恥ずかしさに逃げ出しそうになってしまうが、それでも私は、ううっと唸りながらオレットさんから目を逸らさなかった。

 立派な騎士に、そして竜騎士になりたいというのは、私の偽らざる本心なのだから。

 剣を構える私とオレットさんの視線がぶつかり合う。

 どれくらいの時間、そうしていただろうか。

 不意に、ふっとオレットさんが笑みを消した。

「セナ・カーライル。お前はどうして騎士になった。どうして竜騎士を目指す」

 オレットさんの低い声が響いた。その声には、先ほどまでの軽い調子は微塵も感じられなかった。

「それは……」

 私が騎士を目指す理由。

 それは、とても簡単な事だ。

 昔。

 私はエーレスタの竜騎士に助けられた。

 私だけではない。お父さんやお母さん、領主さまや町のみんなも、私たちはみんなあの方に、竜騎士であるあの人に助けられたのだ。

「私は、私も竜騎士になって沢山の人を守りたいって思ったんです。あの時の私みたいに、追い詰められた無力な人たちの元へと颯爽と駆け付ける竜騎士さまに……」

 私は剣を下しながら、すっと目を伏せた。そして、あの時の事を思い出す。



 20年前。

 私が生まれるより前、大きな戦争があった。

 後に大陸中央戦争と呼ばれる事になる大陸全土を巻き込んだ悲惨な戦争だ。

 大陸中央部、ベネトラ山脈周辺にあったガラード神聖王国という国が、突如周辺諸国に侵攻した事によりその戦争は始まった。

 ガラード神聖王国は、かつて大陸を統一したイリアス皇帝の血脈に繋がる由緒ある国だった。ただし、大陸統一帝国の滅亡後はその力を失い、歴史が古いだけの小国に成り果てていたらしい。

 ところが近年。急激に武力偏重の軍事国家へと変貌したガラード神聖王国は、とうとう周辺国家に対して宣戦布告。古の大帝国復活を掲げて、侵略戦争を開始したのだった。

 戦火は瞬く間に大陸全土へと広がっていったそうだ。たかが小国と思われていたガラード軍は獅子奮迅の活躍を見せ、エーレスタ騎士団を擁するサン・ラブール条約同盟国やオルギスラ帝国を相手に戦い続けた。

 大陸中央戦争と呼ばれるこの戦争は、最終的にガラード神聖王国の王都陥落をもって終結した。しかし実際は、そんなに簡単に決着はつかなかったのだ。

 ガラードという共通の敵がいたとはいえ、かねてから折り合いの悪かったサン・ラブール条約同盟国とオルギスラ帝国の足並みは揃わず、その隙を突いた多くのガラード残党軍が、戦力を保有したまま各地に逃亡してしまったのだ。

 これが、現在にも至るも世界を脅かす様々な争いの火種になってしまっていた。

 私の故郷も、その争いの一つに巻き込まれてしまった。

 あれは10年前の事だ。

 私の故郷はラシュエンという小さな王国で、サン・ラブール条約同盟国の一員だった。私の実家は、そのラシュエン王国の東の辺境、オルギスラ帝国との国境に近いハロルド伯爵領にあった。

 お父さんはハロルド伯爵さまの補佐役で、私とお母さんも伯爵さまのお屋敷の近くに住んでいた。

 ハロルド伯爵さまは貴族といっても特に裕福でもなく、領民たちと一緒に畑を耕すのを日課にしている様な人だった。私にとっては、お爺ちゃんみたいな人だった。

 そんな長閑さしかない様な田舎の、しかし平和なハロルド伯爵領が、ある日突然見知らぬ軍隊に襲われた。

 戦える者など僅かな伯爵家の警備兵しかいなかったハロルド領は、瞬く間にその軍隊に蹂躙されてしまった。

 燃え上がる畑や家。悲鳴や怒声が飛び交う町。倒れる町のみんな……。

 私の故郷は、平和で退屈だった町は、あっという間に見たこともない様な地獄へと変わってしまった。

 当時の私はもちろん知らなかったけど、突如として現れたその軍隊は、オルギスラ帝国の残党狩りによっていぶり出されたガラード神聖王国軍の生き残りたちだったのだ。

 逃げ出す暇なんてなかった。

 町はあっという間に包囲され、生き残った人々は領主さまのお屋敷に逃げ込むのがやっとだった。

 まだ小さかった私も、お母さんの腕の中で涙をこらえながら身を隠していた。

 しかし何となくわかっていたのだ。

 もう、私たちは終わりなのだと。

 馬の嘶きや馬蹄の音が迫り、お父さんや領主さまが剣を抜いて最後の抵抗に出ようとしたその時。

 お屋敷に、町全体に、まるで世界を揺るがす様な恐ろしい咆哮が響き渡った。

 それは、私たちを救いに来てくれたサン・ラブール条約同盟国の軍。

 エーレスタ騎士団の切り札にして最強の騎士、竜騎士だったのだ。



「あの時の事は一瞬たりとも忘れた事はありません」

 今でも考えるだけで、胸がトクンと高鳴った。

 立ち昇る黒煙を切り裂き、大空からゆっくりと降りてくる空色の鱗の巨体。大きな翼と強靭な四肢。それに棘の生えた長い尾と、爛々と輝く目と恐ろしい牙が並ぶ大きな頭。

 お話の中でしか知らない竜が、私たちの目の前に現れたのだ。

 そしてその首筋には、白銀の鎧をまとった騎士様がいた。

 青のマントがばさりと広がり、漆黒の髪が空に流れる。

 竜に騎乗していたのは、まだ若い少女の騎士様だった。

 剣の様に鋭いその騎士様の視線が私を捉え、一瞬だけ優しくなった。しかし次の瞬間にはキッと敵の兵隊を睨み、その騎士さまはこう告げたのだ。

「薙払いなさい、ルールハウト!」

 その女性竜騎士こそ、私の憧れの人。

 エーレスタ騎士団の7騎いる竜騎士の内の1人、シエラ・アルハイム様だった。

 私は夏の星座が輝く夜空を見上げ、ふうっと息をついた。

「私たちはみんな、アルハイム様とそのパートナー、空色の竜ルールハウトに救われたんです」

 あの時の私は、ただ地べたに座り込んでアルハイム様を見上げる事しか出来なかった。

「あれからずっと、私は考えていました。もし私も、アルハイム様みたいに、なんては言えないけど、私の力で誰かを救える様になれたら、それはとっても凄い事だなって」

 あの時。

 お父さんやお母さんや領主さま。それに町のみんなも、跪き、涙を流して笑いあっていた。先ほどまで絶望に打ちひしがれていたみんなが、一瞬にして笑顔に変わってしまったのだ。

 敵をなぎ倒すだけではない。

 瞬時にしてみんなを笑顔に変えてしまう力。

 これが、騎士様の力なんだ。

 当時の私は、そう感じていた。

 アルハイム様の力。

 騎士様の力。

 何て凄いんだろう、と。

 私は、その力に憧れたんだ。

 両手で握った剣を、私はじっと見つめる。

 あんな風に誰かを守って、さらには笑顔にしてしまえるためには、強くならなければダメだなのだ。みんなが不安に思えるものを、一瞬にして吹き飛ばしてしまう程に。

 しかしチビで子供な自分がそんな風に強くななれる方法が、私には思い浮かばなかった。だから私は、結局アルハイム様の後を追ってエーレスタ騎士団に入ったのだ。

「私のそんなわがままを応援してくれたお爺ちゃ……伯爵さまの為にも、私は強くならなければいけないんです」

 むんと小さく頷いた私は、再び剣を持ち上げて構えた。そして、キッとオレットさんを見た。

 私の長い身の上話を聞いてくれていたオレットさんは、しかしいつもの笑みを浮かべてはいなかった。ただ無精髭の生えた顎を撫でながら、じっと私を見つめている。

 ギラリと光ったオレットさんの目に、私は思わずドキリとしてしまう。

「……あの、オレットさん?」

 鋭い目だった。

 オレットさんの目には、その手にある剣の輝きよりもおっかない光が宿っている様に感じられた。

「ふむ」

「あの……」

 私を見ながら何かを考え込むオレットさん。

 私は小さく首を傾げる。

「ん、ああ。……これは巡り合わせかと思ってな。いや、運命とでも言うのか」

 そこでやっとニヤリとしたオレットさんが、大きく頷いた。

 運命?

 先ほどとは逆に首を傾げた私は、疑問符を浮かべる。

「わかった。セナはちゃんと鍛えてやる。良い方法がある。俺に任せておけ」

 オレットさんが私を見ながら大きく頷いた。

 徐々に目を丸くした私は、次の瞬間には、ぱっと微笑んでいた。

「ありがとうございます!」

「ああ。本格的な特訓計画はこれからおいおい決めて行くとしてだ……」

 オレットさんはそこで、ニヤリと何かを企んでいるような笑みを浮かべた。

「先ほども言ったが、今日のところはセナの力を良く知っておきたい。最後に、お前の使える最大の戦技スキルを見せてみろ」

 戦技スキル……。

 構えた微かに剣が音を立てた。

「……わかりました」

 オレットさんに剣の師匠になってもらうからには、手を抜く事なんて出来ない。

 ……ここは、私の最大の必殺技を使うしかない様だ。

 先程は醜態をさらしてしまったが、今度こそ失敗しない様に。オレットさんに私の実力を示すんだ。

 私は意識を集中して、体の奥底を流れる魔素を感じる。

 この世界に生きる者ならば、どんな生物でも必ず体内に魔素を宿している。

 魔素は生命の根元を成す力だ。

 しかし個人の備える魔素は、あまりにも小さい。それだけで何かしらの現象を起こす事は難しかった。

 そこで人間は、自然界で精製された魔素の結晶体である魔晶石を利用する事により、その魔素の力を様々な力へと転換させる技術を生み出した。

 魔晶石により自らの魔素を増幅。魔晶石の魔素をも引き出し、利用して、様々な現象を具現化させる技術。

 それが、通称スキルと呼ばれている技だった。

 スキルには2種類ある。

 一つは自らの肉体や武具に魔晶石を埋め込み、それらの機能を強化、補助する力を引き出す技術。

 これは戦技スキルと呼ばれていた。

 そしてもう一つは、魔晶石から取り出した純粋な力を利用して、様々な超常の現象を引き起こす技術だ。

 こちらは、魔術スキルと呼ばれていた。

 一般的に前者よりも後者の方が高度な技術が必要とされ、扱える者も少ない。

 一方で戦技スキルは魔晶石の埋め込まれた武具と一定の鍛錬があれば誰にでも使える技であり、身分や場所を問わず広く普及していた。

 戦技スキルの習得は、エーレスタ騎士団の騎士にとっては最低限備えておかなければならない必須技能だ。騎士に登用された後の訓練で厳しく教え込まれ、第3大隊所属の騎士たちだってちゃんと使えるのだ。

 もちろん、私やアメルも使える。

 私は握り締めている剣の鍔に意識を集中させた。

 自らの体の奥に流れる熱い奔流を、鍔に埋め込まれた三つの赤い小石、魔晶石に注ぎ込むイメージを思い描く。

 私は、ふうっと深く長く息を吐いた。

 私の魔素を受け、剣に埋め込まれた魔晶石が淡く輝き始める。同時に掲げた剣の刃が、こちらは激しく白く輝き始めた。

 その輝きこそが、世界の根幹を成す魔素の力。

 私の周囲でも微かに風が巻き起こる。上衣の裾がふわりと揺れ、髪がさらりと流れ始めた。

 魔素を剣身に合わせて収束させる。

 その強大な力で、全てを斬り裂く……!

 力の奔流がスパークとなって剣身に弾けた。

 目を見開き、私はキッとオレットさんを捉えた。そして、すっと腰を落とした。

「行きます!」

 額から汗が噴き出す。全身から力が引き出され、ふにゃっと座り込んでしまいそうになるのを必死でこらえた。

「よし、来い」

 オレットさんが、ここで初めて剣を構えた。

 その瞬間。

「はああああっ!」

 私は剣を振り上げると、全力の斬撃を放った。

 魔素の力が解放される。

 私の剣から光が放たれる。

 白の光は孤を描き、そのまま猛烈な勢いでオレットさんを襲った。

 私の最大の大技。

 スラッシュ。又は、斬撃波と呼ばれる遠距離攻撃可能な戦技スキルだ。

 はぁ、はぁ、はぁ……。

 これならっ……!

 光の斬撃波が、吸い込まれる様にオレットさんに直撃する。

 うむ!

 イメージ通り!

 荒く乱れた息を何とか落ち着かせようと試みながら、私が小さく頷いたその瞬間。

「なかなかスキルの筋はいいな。丁寧に魔素が編み込まれている」

 オレットさんの声と共に、その白い光の刃は真っ二つに断ち切られてしまった。

 え……。

 唖然とする。

 私の渾身の一撃は、呆気なく霧散してしまった。

 何でもなかった様に片手で剣を構えるオレットさん。

 オレットさんは片目を瞑りながら短く息を吐いた。

「まずまずの攻撃だが、いささか力不足だな。それに基礎体力も足りていない。スラッシュ一発で息が乱れている様では、戦場には立てないぞ」

 しばらくの間硬直した後。

 私はしゅんと肩を落として俯いた。

 そう言われてみれば、最近は管理課の仕事が忙しいのにかまけて剣術や体力トレーニングに力が入っていなかった気がする。日課にしていた夜の剣の素振りも、3日程休んでしまっているし……。

 ……これで竜騎士を目指しているなんて、笑われたってしょうがない。

 私は眉をひそめ、強く奥歯を噛み締めた。

 こんなの、私をエーレスタ騎士団に入れてくれたハロルドお爺ちゃんに申し訳ない。あと、お父さんお母さんに、わざわざ稽古をつけてくれたオレットさんにも……。

「おーい、泣くなよ、これくらいで」

 剣をダラリと下げながら、オレットさんが歩み寄って来た。

「……泣きません」

 私は顔を上げ、オレットさんを見た。そして、ぎゅむっと唇を噛み締める。

 ……そうだ。

 落ち込んでもしょうがない。

 アルハイム様みたいな立派な騎士になりたいと思ったのも、この騎士への道に踏み込んだのも、私が自分で決めた事なのだから。

 私はすっと長剣を鞘に収めた。そして、気持ちを切り替える為にそっと深呼吸する。

「まぁ、今のでセナの課題はわかった。先ほども言った通り、セナがやる気ならまた稽古をつけてやる。どうする?」

 試す様に私を見下ろすオレットさん。

 もちろん、答えは決まっている。

「オレットさん。また次も稽古、よろしくお願いします!」

 私はぺこりと勢い良く頭を下げた。

「私、頑張ります!」

 オレットさんを見上げながら、私はぎゅっと握った手に力を込めた。

「ああ。それでこそセナだ」

 その私の頭を、オレットさんの手がポンポン叩いた。

 ひとしきり私の頭を叩いてから、手を上げて去って行くオレットさん。

 その背中を見送りながら、私は目をグリグリ擦って涙を拭った。そして上衣の裾をひるがえし、勢い良く踵を返した。

 問題は山積みだ。アルハイム様を目指すには、足りないものは山ほどある。

 しかし私には、一つずつ一歩ずつ取り組んで行くしかないのだ。

 ……うん。

 頑張ろう。

 足早に寮を目指しながら、私は1人、決意を新たにするのだった。

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