第28幕
ウェリスタ王国軍を加えて3万を越える大軍となった私たちは、いよいよカルザ王国の王都フォルクスを目指して進軍する事になった。
ラーナブルクからフォルクスを目指して行軍する間、私たちはウェリスタの方々と一緒にカルザ王都攻略の為に、何度も軍議を繰り返していた。
軍議用の大天幕の中。
各軍の幹部の皆さんが沢山居並ぶ中、オレットさんとグレイさんの間に挟まる様にして、私はテーブルの上に広げられたフォルクスの図面を見つめていた。
フォルクスは、ナーヘ川が注ぎ込むナレス湖近くの高台に作られた城塞都市だ。
高台の最頂部に王城を構え、そこから麓に向かって市街地が続いている。
私たちの部隊に合流してくれたカルザ王国軍の生き残りの方々の話によると、正面門がある街の入り口付近は堅固な城壁を備えているが、側面や背面は比較的簡素な壁になっているとの事だった。
しかしその城塞の脆弱な部分に回り込むには、急な斜面を登らなくてはならない。
時間をかければ可能かもしれないが、騎兵での迅速な行軍は難しそうだった。同様に、歩兵でも重装備の大軍でもって攻め寄せるのは厳しいかもしれない。
……今回は私も、アンリエッタに備えておかなければならないし。
私の配置として理想なのは戦場が一望出来る場所に陣取り、アーフィリルがアンリエッタの魔素を感知し次第そちらに急行するという形だけど、それでは味方の援護が出来なくなってしまう。
うーん……。
今回の戦い、私自身がどう動くべきかなかなか悩みどころなのだ。
軍議が一旦お開きになると、ウェリスタの幹部さんたちもオレットさんやグレイさんたちも、それぞれの陣へと戻って行く。
今日はもうここで野営することになっていた。フォルクスに到着するのは、このまま行けば3日後となる予定だった。
私もアーフィリルと雑談しながら、自分の天幕へと戻る。
我が家ともいえる竜騎士専用天幕に帰って来ると、私は天幕の脇で真っ赤な馬型の機獣が伏せているのを見つけてしまった。
思わず、はぁっと大きくため息を吐いてしまう。
……まただ。
ラーナブルクを発って以来毎日の事で、少し慣れそうになっている自分が怖い。
天幕の警備に立っていたアーフィリル隊の女性騎士さんが、にこやかにお帰りと挨拶してくれる。そして、「お客さまがお待ちですよ」と教えてくれた。
私は少し疲れた様に苦笑を浮かべ、ありがとうございますと返事しながら、天幕に足を踏み入れた。
ふわりと甘い匂いが漂ってくる。
しかしそれは、お菓子や果物の匂いではない。
上流階級の淑女の皆さんが身に付けている様な香水の香りだった。
頭上でアーフィリルが、頭を振ってクチュンとくしゃみをした。私の鼻先に、何か冷たいものが降って来る。
うー。
「はーい、セナちゃん。待っていたわ」
明るい声が響く。
果たして天幕の中では、リラックスした様に足を組み、椅子に腰掛ける真紅の魔女さんが、私に向かってひらひらと手を振っていた。
「あ、レティシアさん。お疲れ様です……」
私は小さくため息を吐いてから、そっと頭を下げた。
私を待ち受けていた魔術士レティシア・フォン・エーレルトさんは、初めて会った時と同じ様に真っ赤なローブを羽織った派手な格好をしていた。
レティシアさんは、今は魔女然としたあの尖がり帽子は被っていなかったけど、ローブの下にはいつもと同じ胸元が大胆に開いた大人な服を覗かせていた。天幕内に漂う香水の香りも、レティシアさんのものだ。
私をじっと見つめて来るレティシアさんは、ふふっと艶やかに笑った。
短いスカートから伸びた長い足が、優雅に組み変えられる。
ぬぬぬ……。
レティシアさんの大人な雰囲気に気圧された私は、思わず一歩後退ってしまった。
私を待ち構えていたのは、レティシアさんだけではなかった。天幕の片隅では、マリアちゃんとアメルが2人で固まって立っていた。
マリアちゃんは少し困惑した様な、アメルは露骨に嫌そうな顔をしていた。
レティシアさんとの間に何があったのかは尋ねてみたけれど、アメルは何だかんだとはぐらかして教えてくれなかった。
アメル、昔から実家の事とか小さい頃の話なんかはあまりしてくれないのだ。
そしてそのアメルたちから少し離れたところで、フェルトくんが腕組みをして立っていた。
一応私の警護役という事らしいけど……。
フェルトくんは天幕に戻って来た私を一瞥しただけで、後はじっとレティシアさんを凝視していた。
……やっぱり大きい人の方がいいのだ、フェルトくんは。
不潔。
私は、むうっと力を込めてフェルトくんを睨み付けておく事にする。
「セナちゃん、何怖い顔をしているの? さぁこちらにどうぞ」
レティシアさんが優雅に笑いながら、自分の対面の席を勧めて来る。
……これではどちらがこの天幕の主人かわからない。
でも、相手は一応ウェリスタ側の代表なのだ。邪険にする訳にもいかないので、わたしは素直に指定された椅子にぽすっと腰掛けた。
「ウェリスタで流行っている人気のお菓子を焼かせてみたわ。さぁ、どうぞ食べてみて。エーレスタみたいな田舎だと、こんな品なんて見たことないでしょ?」
レティシアさんが脇の机を引き寄せると、その上のカラフルで可愛らしい焼き菓子が乗山盛りになった皿を私の方へと差し出してくれた。
……おお。
「でもレティシアさんは、軍議に出なくていいんですか? 王都は目の前ですから、互いの部隊の動きとかを確認しておいた方がいいと思うんですけど……」
私は何とかお菓子の山から視線を引き剥がすと、おずおずとレティシアさんにそう尋ねてみた。
レティシアさんの役職である宮廷魔術士は、その魔術スキルを生かして国王陛下の政務を補佐する役目があり、さらには戦時においては騎士団を指揮したり参謀役を務める役割があるらしい。
レティシアさんは、ウェリスタ王国においても欠く事の出来ない重要な立場の人なのだ。
アメルの話によると、若そうに見えてもレティシアさんは、ウェリスタ国王の信任厚い能吏にして一個軍団相当の力を持つウェリスタの最大戦力と称されているらしい。
もちろん、実戦経験も豊富なのだろう。今回の様な大部隊の指揮経験なんかも……。
そんなレティシアさんの行動には、指揮官に抜擢されてまだ日の浅い私には考えも及ばない理由があるのかもしれないが……。
「軍議なんて会議好きの老人に任せておけばいいわ。それよりもエーレスタの指揮官であるセナちゃんとウェリスタの指揮を執る私が仲良くする事の方が重要ではなくて?」
揃えた膝の上にちょこんと手を乗せて座る私に、怪しく微笑むレティシアさんがぐいっと身を乗り出して顔を近付けて来た。
同時にじりじりとお菓子の皿を私の方に押し出して来るレティシアさん。
アーフィリルがぴょんっと私の頭から飛び降りると、くんくんと匂いを嗅いでからレティシアさんのお菓子をパクリと食べた。
あっ。
アーフィリル……!
「セナを餌付けしようだなんて、卑怯だぞ!」
アメルがマリアちゃんと肩を組みながらぶーぶー声を上げる。マリアちゃんは少し迷惑そうな顔をしていた。
「ふふふっ、これが竜! 幼体かもしれないけど、この魔素はすごいわっ! この力を流用すれば、魔晶石なんか必要なくなるわね! ぐふふっ、ぐふふふふ」
レティシアさんは、しかしアメルたちの事など眼中に無い様にその美貌に似合わない笑みを浮かべながら、そろりとアーフィリルに手を伸ばして来る。
私はレティシアさんよりも素早くさっとアーフィリルを抱き上げると、ぎゅっと抱き締めた。
『竜の力は世界の力だ。竜が認めた者にしかそれは扱えぬ。その者にしても、完全に竜の力を制御する事は難しいのだがな』
なおもお菓子の皿の方をくんくんと嗅ぎながら、アーフィリルがギロリとレティシアさんを見た。
「竜の力は凄いから、普通の人には扱えないって言ってます」
放っておくといつかアーフィリルが捕まりそうなので、私はむうっと眉をひそめながら一応そう説明しておく事にする。
すると何故か、レティシアさんは益々目を爛々と輝かせ始めてしまった。
うう、いったい何なんだろう……。
初めて出会った後、やはり興奮したレティシアさんに強引にせがまれた私は、アーフィリルと融合した竜騎士の姿を見せる事になった。
大人状態の私や白の刃の剣に大興奮したレティシアさんは、見境なく私に抱き付いて来たり体を調べようと白のドレスを脱がしに掛かって来たり、大変だったのだ。
その時もフェルトくんは、やはり顔を赤くして私とレティシアさんを凝視しているだけだった。
……やっぱり不潔だ、フェルトくん。
大人な私はレティシアさんを斬ってしまいそうになるのを何とか堪えたが、それ以来私はこの赤い魔女さんに少し苦手意識を持っていた。
しかしレティシアさんは、こうして毎日私のところにやって来ると、私やアーフィリルを調べようとするのだ。
「高度な知性と巨大な力。かつて荒ぶる世界を鎮めた神に至る力か。うーん、セナちゃんとアーフィリルちゃんに会えただけで、遠征軍になんか加わった甲斐があったというものよね」
にかりと笑うレティシアさん。
「セナちゃん。一緒にお風呂入ろっか。簡易だけど、湯浴み場を用意させるわ。そこでその竜と契約したその小さな体をためつすがめつ……」
「ダメさよっ! セナの背中を流して頭を洗ってあげるのは、私の役目なんだからっ!」
「お、お風呂……」
即座に興奮した様子のアメルとマリアちゃんが反応するけど、とりあえずはさらに話がややこしくなりそうなので今は無視だ。
私は少しだけ眉をひそめて、上目遣いにレティシアさんを睨んだ。
「レティシアさん。今はカルザ王国を解放出来るかどうかの大切なところだと思うんです。だから、私とかアーフィリルの事よりも、オルギスラ帝国を撃退する事に集中を……」
「そんなの、あなたたちの観察の方が優先に決まっているじゃない!」
私の言葉を遮って、レティシアさんはきっぱりとそう言い切った。
私は目を瞬かせ、一瞬啞然としてしまう。
「私がウェリスタの王宮に仕官しているのもこの戦争に従軍しているのも、魔素の力を研究してその神秘の力を解明する為だもの。帝国の技術よりも、今はあなたたちの方がよっぽど興味深いわ」」
レティシアさんは、そこでくしゃっと笑った。
それは、今まで見たレティシアさんの表情の中で1番の無邪気な笑顔だった。
「オルギスラ帝国の魔晶石技術については、色々と面白い点はあったけど、やはり世界の輪の一部である竜というシステムが目の前にある以上は、これを放置なんて……」
そしてまたぐへへとだらしない顔になったレティシアさんが、私たちに手を伸ばして来る。
……もちろん、人には色々と戦う理由がある。それは承知している。
お金のため。名誉のため。仕事だから。命令だから。
フェルトくんみたいに強くなりたいという理由もあるだろう。
みんな色々な理由で戦場に立っている。
……でも。
目の前で苦しんでいる人がいれば、その人たちを助ける事以上に大事な事なんてないと思う。
ましてやアーフィリルに力を借りる事が出来る私や、魔術スキルを操る事が出来るという特別な力を持つレティシアさんみたいな人ならば、特にだ。
「……レティシアさん。戦いが終わったらレティシアさんの研究にも協力しますから、えっと、その、出来る限りですけど……。今は、力を貸してもらえませんか?」
私は眉をひそめ視線を逸らしながら、しかし直ぐにレティシアさんの目を真っ直ぐに見据えて、そう問い掛けてみた。
レティシアさんはすっと身を引くと、僅かに顎を上げて目を細めた。そして微笑を浮かべながら私をじっと見つめた。
「……なるほど。真っ直ぐね。ぽっきり折ってしまいたくなるくらい」
「レティシア・フォン・エーレルト!」
ぼそりと呟いたレティシアさんの言葉に、即座にアメルが反応した。
しかし私は、声を上げてくれたアメルの方は見ずに、じっとレティシアさんを見つめる。
「こんな娘だから契約したのかしらね、アーフィリルちゃんは」
『うむ』
私の腕の中で、こくりと頷くアーフィリル。
言葉は通じない筈なのに、何だかレティシアさんとの間で会話が成立しているみたいだ。
レティシアさんが一瞬目を瞑り、ふうっと息を吐いた。そして再び私を見ると、微かな笑みを浮かべた。
「いいわ。セナちゃんたちが望むなら、私も力を尽くしましょう」
大きく優雅に頷くレティシアさん。
私は、ぱっと顔を輝かせた。
「……一緒に戦場に出た方が、竜騎士の力をこの目で観察出来るかもしれないしね」
レティシアさんは三日月みたいに口を歪めると、ぐふふっと笑った。
その目の怪しい輝きに、私は思わずきゅっと眉をひそめてしまう。
「そうだ、今日はお菓子以外にもセナちゃんにお土産があるの」
そこで不意に、レティシアさんはぱんっと両手を合わせた。
レティシアさんが手を合わせた音に、私は思わずびくりと身をすくませてしまった。
にこにこと笑みを浮かべるレティシアさんは、天幕の端で腕組みをしながらじっとこちらを見つめているフェルトくんの方に顔を向けた。
「そこの騎士くん。悪いけど表の赤ちゃんに箱が2つ積んであるから、取って来てくれない?」
赤ちゃんとはレティシアさんが使用しているあの真紅の馬型機獣の事だ。
あの馬の機獣は、レティシアさんが戦場で回収したオルギスラ帝国軍の機獣の残骸から、自分で作り上げたものらしい。
あれだけのものを作ってしまうなんて、それがどういう事なのか私にはいまいち実感出来なかったけれど、並みの事ではないのはわかった。きっと魔術スキルを駆使すれば、ババッと出来てしまうのだろう。
レティシアさん、やっぱり凄い頭のいい人なのだ。ただの薄着の赤いお姉さんではないのだ。
……ついつい忘れそうになってしまうけど。
指名されたフェルトくんが訝しげに眉をひそめた。その顔には、何で俺がと書いてある。
しかし数瞬の視線での攻防の結果、フェルトくんが鎧と剣がガシャリと鳴らして天幕を出て行った。
ふふんっと満足げにフェルトくんを見送ったレティシアさんは、その背中をが見えなくなった途端、またニヤリと横目で私を見た。
思わず私は、うぐっと身構えてしまう。
レティシアさんは、先ほどと同様に私に身を寄せて来た。
「ところであの男前の騎士くん、セナちゃんのボーイフレンド?」
……はっ?
私は、ぽかんと固まる。
そして時間を掛けてゆっくりと首を傾げた。
「ええええ……!」
「なななな……!」
アメルとマリアちゃんが2人同時に声を上げると、手を取り合いながらガタガタと震える。
「レティシア・フォン・エーレルト! あ、あなたは何て事をっ!」
「セ、セナはまだ子供だから、ダメだよ……」
そしてにわかに騒ぎ始めるアメルとマリアちゃん。
今、マリアちゃんが何な妙な事を言っていた様な気がするけど……。
「うーん、違ったかしら」
はははっと軽薄そうに笑うレティシアさん。
「でも彼、ずっとセナちゃんの事を見てたから、そうだと思ったのだけれど。私がセナちゃんに近付いたら、露骨に警戒心を露わにしてたし」
レティシアさんが、つまらなさそうに肩をすくめた。
……あれ。
フェルトくんは、レティシアさんの胸元ばかり見ていると思ってたけど。
違ったのかな……?
でも、フェルトくんがそんなに私を見てくれているなんて……。
私は思わずじんっと胸が熱くなるのを感じた。
フェルトくん、私の警護の仕事を一生懸命果たそうとしてくれているのだ。
騎士として、お仕事に励むのは良い事だ。
私の中で、いつも強くなりたい強くなりたいと言っているだけだったフェルトくんのイメージが、ぐぐぐっと上昇していく。
「なぁ、これでいいのか?」
そこにタイミング良くフェルトくんが天幕に戻って来た。
フェルトくんは、重量感のある横長の木箱を2つ抱えていた。
重そうなその箱を軽々とレティシアさんの前に置くフェルトくん。
そんなフェルトくんを見上げると、私はアーフィリルをぎゅっと抱き締めたままにこりと微笑んだ。
「……ありがとうね、フェルトくん」
そして、労いの意味を込めてお礼を伝える。
そんな私を見たフェルトくんは、憮然としたままぷいっと顔を逸らしてしまった。
……うーん、このあたりは今までのフェルトくんと変らないけれど。
再び天幕の端に戻って行ったフェルトくんは、しかし途中でアメルとマリアちゃんに取り囲まれてしまう。
「……ちょっと説明してもらうからね、フェルト」
「見損なったわ……」
「はっ?」
3人で固まってごにょごにょと話し始めるアメルたち。
1人だけ蚊帳の外の私は、少しだけ寂しさを感じてしまう。
「さて、これを私からセナちゃんにプレゼントしましょう。短時間で作った割にはいい出来なんだから」
そんな私の気持ちなど御構い無しにさっさとフェルトくんが持って来てくれた箱を開けたレティシアさんが、その中身を取り出した。
それは、綺麗な長剣だった。
剣身は騎士団が使用している物と同じみたいだ。しかしその刃には、びっしりと何か複雑な紋様が刻まれていた。
そして一番特徴的なのは、その鍔周辺だ。通常の剣よりもやや大きく複雑な形状をしている。金属の部品が層を成して重なり、何かの機械が仕込まれている様だった。それでいて、武骨な印象は受けない。剣身と鍔や柄が一体となって、優美なラインを描いている。
これは……。
「この剣は、セナちゃんたちが捕虜にした帝国軍から接収した剣を利用して作ってみたわ。あとは、セナちゃんに見せてもらった白い剣も参考にしてね。試作品だけど、動作確認はしたから、問題なく使えると思うわ」
はいっとその剣を差し出して来るレティシアさん。
私はアーフィリルを膝の上に置いて、慌てて剣を受け取った。
うぐ。
なかなか重い。
「これは、使用者の魔素で直接刃を形成する事が出来る剣よ。その切れ味は折り紙付き。実際これに対抗出来るのは、同じく魔素の刃を持つ武器だけよ。帝国軍の剣は埋め込んだ魔晶石を動力にしていたけれど、これは使用者の魔素を利用するから、戦技スキルと同じ感覚で使えると思うわ」
……ああ、なるほど!
私は目を大きくして、ふむっと納得する。
これは、私がラーナブルク解放戦で遭遇した帝国騎士が使っていた剣と同じなのだ。私の白い刃の剣と斬り結ぶ事が出来たあの新兵器と同じ機能の剣なのだ。
帝国軍の新兵器を、もう再現してしまったのか……!
私は驚きに目を丸めながら、剣とレティシアさんを交互に見た。
純粋な魔素で形成された刃に斬れないものはない。同じく魔素で形成されたもの以外は。
この武器があれば、確実に味方の戦力は強化される。
……凄い。
凄い!
「赤の魔女謹製魔刃剣といったところかしら。これがあれば、カルザ解放の力になるでしょう?」
目を細めて微笑を湛えながら、私を見つめるレティシアさん。
私はそんなレティシアさんを見つめ返しながら、力を込めてこくりと頷いた。
「お互い頑張りましょう、レティシアさん!」
私は、手にした魔刃剣をぎゅっと握り締めた。
「ふふっ、楽しみにしているわね。あなたの全力での戦いというものを」
レティシアさんは満面の笑みを浮かべながら、囁く様にそんな台詞を口にした。
雨が降りそうな気配はまだなかったけれど、空は薄く広がった灰色の雲に一面覆われてしまっていた。時折そんな雲の合間から日差しが覗く事もあったけれど、少し薄暗くて寒かった。
まるで、これから始まる戦闘を暗示しているかの様な陰鬱なお天気だ。
カルザ王国の王都フォルクス近郊に着陣した私たちは、そんな空模様の下、今まさに戦闘開始のその時を迎えようとしていた。
いよいよカルザ王国を占領するオルギスラ帝国軍との決戦だ。
フォルクスを一望出来る丘に司令部を置いた私たちエーレスタ特務遊撃隊は、幹部や部隊指揮官を集めてその作戦の最終確認を行っていた。
ここに集まっているのは、特務遊撃隊の面々ばかりだ。ウェリスタ王国軍とは途中で別れ、それぞれ別ルートからフォルクスの街に攻め掛かる事になっていた。
もちろん事前に降伏勧告は行っていたけれど、フォルクスを占領している帝国軍がそれに応じる気配はなかった。
大きな簡易机の上にフォルクス近郊の地図を広げたグレイさんが、長い指示棒であちこち指し示しながら作戦の確認を行っていた。
作戦は単純だ。
防備を固めるフォルクスに対して、私たちは街の正面入り口となる東門と南門から攻め掛かる事になる。
東は私たちエーレスタ担当。南はウェリスタ王国軍の担当だ。
2つの大門の突破を図ると同時に、街の側面に対しても少数精鋭の部隊が派遣される。それぞれの門を攻略、もしくは大門に集中するであろう敵の陽動を行うためだ。
またこの別動隊には、同時に多方面から攻める事によって、敵の魔素撹乱幕の消費を促すという狙いもある。こちらの狙いは、あくまでも敵が弾切れになったらいいなぁという程度の付随的なものではあるけれど。
簡易司令部に出入りする伝令役の騎士さんたちの動きがにわかに激しくなり始める。がやがやと聞こえて来るのは、攻撃準備完了や部隊配置完了を告げるものばかりだった。
……いよいよだ。
この一戦でカルザ王国の行く末が決まる。
私はぎゅむっと手を握り締めて、大きく息を吸い込んだ。そして前方に広がるカルザ王国王都フォルクスを睨み付けて、ぐっと気合いを入れた。
その私の視界に、だらりと白くて長いものが垂れ下って来る。
うむ……。
これは、アーフィリルの尻尾……。
私の頭の上のアーフィリルが、器用にぐるりと方向転換してお尻を前に向けたのだ。
もう、せっかく気合いを入れていたのに。
私は手を伸ばしてアーフィリルを前に向かせた。
「オレットさん、先方部隊の配置ですが……」
私はアリサさんと打ち合わせしていたオレットさんに声を掛ける。その瞬間、再びだらりとアーフィリルの尻尾が落ちて来た。
ぬぬ……。
「もう、アーフィリル」
私は頭の上からアーフィリルを下ろしてぎゅっと胸に抱き締めた。
それでもアーフィリルは身を捩り、肩越しに私の後ろに方を見ようとする。
「……どうしたの、アーフィリル?」
私はアーフィリルの様子に違和感を覚えて、声をひそめた。
『うむ。あの竜人兵装の気配を感じた気がしたのだ。大地の魔素とリンクした上での探知ではないので、精度は保証出来ぬが……』
ドキリとしてしまう。
竜人兵装……アンリエッタか……!
私は一瞬ぎくりと全身を強張らせてから、ばっと振り返った。
私とアーフィリルの背後には、書類や剣を手に慌ただしく行き交っている司令部要員のみなさんがいるだけだった。
……もちろんそこに、あの黒い竜を模した鎧の姿はない。
私はむむっと眉をひそめる。
やっぱりアンリエッタが動いているのだ……。
あの黒い竜の鎧は、どう仕掛けてくるのだろう……?
「セナちゃーん」
そこへ不意に、戦闘開始前のピリピリした空気などものともしない能天気な声が響いた。
背後に視線を残しながらもゆっくりと前を向くと、赤のローブを揺らし、尖り帽子を被ったレティシアさんが、長い杖を手にしながらこちらへ駆けてくるところだった。
ローブの下の露出度の高い服装に、周囲の騎士さんたちがギョッとしている。フェルトくんも、やっぱりレティシアさんを見ていた。
満面の笑みを浮かべたレティシアさんが、私の前で立ち止まった。
「セナちゃん、私頑張るからね」
膝を折って私の顔を覗き込むレティシアさん。
その勢いに私は、アーフィリルを抱き締めたまま思わず一歩後退ってしまった。
「サクッとこの戦いを終わらせたら、アーフィリルちゃんとの融合について詳しく検証させてもらうからね」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべたレティシアさんは、手にした杖をザクリと地面に突き立てながら私からすっと身を離した。
魔術士であるレティシアさんの武器なのだろうその杖は、木ではなく複雑な金属の部品で出来ていた。デザインのラインが、魔刃剣に似ている。
魔刃剣みたいな凄い武器を作ってしまうレティシアさんなのだ。きっとその杖にも、凄い機能があるに違いない。
「……レティシアさんは、ウェリスタの本陣にいなくていいんですか?」
私はおずおずとそう尋ねて見る。
レティシアさんは機械の杖を小脇に抱えながら、ふふんっと笑った。
「大丈夫。軍隊の指揮はお爺さんたちに任せてあるから。私は好きに戦うだけよ」
当然という様にそう言い切るレティシアさんに、私はなるほどと頷いた。
レティシアさんも私と同じで、あくまでも象徴としての指揮官という立場なのかもしれない。正規の部隊編成には加えられていないのだろう。
「セナ、いいか。全隊準備完了だが」
驚くほど違和感なくエーレスタ陣営にいるレティシアさんを怪訝な顔で一瞥しながら、オレットさんが近付いて来た。
「ふーん、あなたがセナちゃんに選ばれた騎士か」
レティシアさんが、オレットさんの腰の剣をじろじろと見た。
レティシアさんからもらった魔素の刃を形成出来る武器、魔刃剣は、2振り。私はそれを、それぞれオレットさんとフェルトくんに持ってもらう事にした。
剣技という面では、この2人は間違いなく特務遊撃隊でもトップクラスだったから。
「その剣、セナちゃんにも伝えたけど、魔素撹乱幕の中での作動確認は出来ていないから注意してね」
「……ああ、了解している」
突然の忠告に、オレットさんが少しびっくりしていた。こちらに訝しげな視線を向けてくるオレットさんに、私はとりあえずこくりと頷いておいた。
……自分でも、どういう意味の首肯かはわからないけれど。
まだ短いお付き合いだけど、このレティシアさんの行動は逐次気にしてもしょうがない気がする。
にこりと私に微笑み掛けたレティシアさんは、真っ赤なローブをひるがえして居並ぶエーレスタ特務遊撃隊の司令部要員のみんなに向き直った。そして腰に手を当てると、仁王立ちになって周囲を見回した。
「さぁさぁ、全軍出撃よ! エーレスタ騎士の勇猛さ、この私に示してみなさい!」
レティシアさんの良く通る声が響き渡る。
突然特務遊撃隊を仕切り始めたレティシアさんに、私とオレットさんは再び顔を見合わせた。
そうだ、今はそんな事より……。
私はオレットさんにとことこっと歩み寄る。
「……オレットさん」
私は背伸びして顔を近づけると、真っ直ぐにオレットさんを見た。
「戦闘が始まったら、後ろに注意してください。もしかしたら、後方から来るかもしれないんです」
何がとは言わなかったけれど、オレットさんもすぐにわかったみたいだ。その顔から、すっと表情が消えた。
私はアーフィリルが見つめていた後方を一瞥してから、レティシアさんとみんなの向こう、草原の先に広がるフォルクスの街を、改めてキッと見つめた。
フォルクス攻略戦が開始される。
ラーナブルクの時と同様に敵が立て篭もる城塞都市を攻める戦いになるが、味方も敵の数も前回とは比べものにならない程大規模になっていた。
さらに、今回の戦いの舞台となるフォルクスの街も、ラーナブルクよりも遥かに巨大だ。
城壁は内外と二重になっているし、壁自体もラーナブルクより堅牢そうだった。さらにその上には、オルギスラ帝国軍の防衛部隊がずらりと銃口を並べている。
エーレスタとウェリスタの連合軍は、今まさにそのフォルクスの防衛ラインに突撃を仕掛けようとしていた。
大地を覆い尽くす味方の軍勢を、私は空の上から見下ろしていた。
大きなアーフィリルに跨って、フォルクスの街と味方部隊の上を旋回しているのだ。
本当なら、ラーナブルクの時と同じ様に先陣を切って私が突撃したい。
味方の損害を抑えてフォルクスの街や住民の方々の被害を減らす為にはそうすべきなのはわかっていたけれど、ここに来て機竜士アンリエッタの存在が確実になった以上、私が乱戦の渦中に飛び込む訳にはいかなかった。
正面以外からアンリエッタが襲い来る可能性もあるので、私は即座にどんな事態にも対応出来る様に備えておかなければならない。
先ほどの一瞬以外、アーフィリルもアンリエッタの気配を捉えられずにいた。
結局エーレスタの街から逃げるアンリエッタを捕らえる事は出来なかったのだ。アンリエッタは、アーフィリルの探知能力をかいくぐれる可能性がある。そうなると、実際アンリエッタがどこから攻めてくるかはわからないのだ。
個別の戦闘に参加していては、決定的タイミングを逃してしまう可能性があるから……。
私はぐぐっと唇を噛み締めた。
フォルクスから轟音と発砲煙が吹き上がる。
オルギスラ帝国軍が砲撃を開始した……!
上空から見ていると、長大な城壁のあちらこちらから一斉に砲撃が行われているのがわかった。
タイミングの合った見事な一斉攻撃だ。
砲戦の事はよくわからない私でも、敵の練度が決して低くない事はすぐに分かった。
ずらりと並んだ銃歩兵たちが、新式の銃で連続射撃を行なっている。城壁上に設置された大砲が、断続的に砲声を轟かせる。
対するエーレスタ特務遊撃とウェリスタ軍は、全面に障壁の戦技スキルを展開させて、その嵐の様に襲い来る銃弾と砲弾の中を前進していた。
ウェリスタ軍は巨大な盾を構えた重装歩兵が前面に立ち、スキルを発動させているみたいだ。
対してエーレスタは、騎兵隊が攻城兵器を携えた工兵や弓部隊の前面に展開している。さらに騎馬の機動力を生かして敵射撃の矛先を誘引すべく、城壁に肉薄する騎兵部隊の姿もあった。
土塊が吹き飛び、爆炎が広がる。
砲弾の直撃が、巨大なクレーターを大地に穿つ。
味方の喊声が響き渡るが、その中には悲鳴も入り混じっていた。
敵の砲撃は苛烈だったが、味方部隊はそれをものともせずに前進を続ける。
個人の戦技スキルでは防ぐ事が出来ない大砲の砲弾に対しても、騎士たちは数人で力を合わせて強力な障壁を展開させて防ぎきる。
突撃の速度は、決して緩まらない。
もちろん損害は皆無ではないけれど、作戦の推移はここまでは順調な様に見えた。このままいけば、もう間もなく城壁に取つく事が可能だろう。
味方に守られた弓兵部隊が射撃を始めると、火矢を受けた敵方からも火の手が上がり始めた。
フォルクスの街から、その周囲の平原から、幾筋の黒煙が立ち昇る。
上空の私のもとにも、戦場の空気が伝わって来る。
物の焼ける臭いが鼻を突いた。
フォルクスの街中から、私に対しても対空砲撃が開始された。
優雅に翼を広げるアーフィリルの周囲にも、いくつも砲弾が炸裂する。
同時に、キラキラと光る粒子が散らばるのが見えた。
魔素撹乱幕だ。
もちろん、私とアーフィリルにはそんなものは効かない。
しかし。
私たちと同じ様に魔素撹乱幕に包まれた地上の部隊は、突撃の勢いを削がれてしまっていた。
障壁の戦技スキルを展開出来なくなった事により、砲撃による被害が増え始める。
もちろん魔素撹乱幕が展開される事は想定済みなので、味方は即座に回避、または後退行動に移るが、少しフォルクスの街の敵に近付き過ぎていたみたいだ。
即座に砲撃や銃撃の射程距離から逃れられない。
ここまで前進が容易だったのは、帝国軍に誘い込まれていたという事か……。
くっ。
帝国軍は、こちらを十分に引き込んだタイミングで魔素撹乱幕を展開したという事だ。
私は、ぐぐっと歯を噛み締める。
……攻め手であるこちらとしては、それがわかっていても真っ直ぐにフォルクスの城門を目指すしかないのだ。
騎馬で敵を撹乱しつつ縦横無尽に駆け回るエーレスタ側に比べて、歩兵主体のウェリスタ側の方が被害が増えているみたいだ。
それぞれの隊の工兵が、即座に丸太で組み上げた即席の盾を立ち上げる。
その裏に身を隠し、盾自体を前へ押し出しながら、再び突撃が再開された。しかしその進撃速度は遅く、味方の被害はやはりじりじりと増えていった。
大砲の砲弾が丸太の盾を吹き飛ばす。無防備になった味方が銃弾に倒れる。
銃弾にさらされながらも盾の裏から曲射された大量の矢が、射撃を続ける帝国小隊を壊滅させる。
私も、やっぱりみんなの援護に向かうべきなのでは……。
……でも。
胸が痛い。
私は眉をひそめてしゅんと肩を落とし、唇を噛み締める。
『さあって、ここからが私の出番みたいね!』
その時不意に、耳に装着した金色の器具からレティシアさんの声が聞こえた。
このイヤリングみたいな器具は、戦闘開始前にレティシアさんから身に付けておく様にと渡されたものだった。なんでも、遠くにいてもレティシアさんと会話出来る機械らしい。
簡単な魔素技術だそうだが、私にはレティシアさんにもアーフィリル並みの力があるんじゃないかと思えてしまう。竜を介せば、同様に竜騎士同士でも遠距離会話出来るし。
『私の活躍、しっかり見ておきなさいね、セナちゃん!』
笑みを含んだ余裕のレティシアさんの声が響く。
私はアーフィリルから身を乗り出して、キョロキョロと地上を見回した。
……いた!
突撃するエーレスタ部隊の後方、魔素撹乱幕の範囲外と思われる場所に、真っ赤な馬型機獣の上で仁王立ちになる真っ赤なな魔女さんの姿があった。
私の意を汲んでくれたアーフィリルが、大きく翼をはためかせて旋回すると、高度を落としてレティシアさんの上空を飛んでくれた。
『すっごい魔素! さすが小さい時とは大違いね、アーフィリルちゃん! ぐふふっ、じっくり観察するのが楽しみだわぁ!」
レティシアさんが、赤いローブを揺らしてぶんぶんとこちらに手を振っていた。
手を振り返す私の顔が、少し引き攣ってしまう……。
『さて、ではさっさとお仕事しますか』
赤の機獣の上でさっと足を開いたレティシアさんは、くるりと器用に機械の杖を回すと、その先端をオルギスラ帝国軍が陣取るフォルクスの城壁へと向けた。
杖の根元に何かを押し込む動きをするレティシアさん。上空からでは良く見えないけど、スキル発動の媒介となる魔晶石を装填しているのだろう。
『アーフィリルちゃんの何万分の1の魔素でしかないけれど、この厄介な攪乱幕を吹き飛ばす! 吹き散らせ駆け抜けろ、疾風!』
凛としたレティシアさんの声が響いた瞬間。
その機械の杖の先端から、猛烈な突風が噴き出した。
赤のローブが激しくはためく。
エーレスタの軍旗があまりの風の勢いに吹き飛び、倒れる。騎士さんたちのマントが激しくはためき、バランスを崩して倒れてしまう人もいた。
同じくオルギスラ帝国の旗もへし折れ、 火矢による火事が瞬時に吹き消されてしまった。
上空から見れば、その突風が駆け抜けた跡がよく分かる。
『さぁ、あなたたち! これで撹乱幕は崩れたわ! 今よ、全軍吶喊! 行きなさい!」
レティシアさんが杖を振りかざす。
なるほど。
強い風で空中の魔素撹乱幕を吹き散らしたのか!
空中に広く展開される撹乱幕は、拡散しきれば騎士さんたちのスキルを防ぐことが出来なくなる。
丸太の盾から飛び出した弓兵部隊が、一斉に横隊を作ると弓を構えた。
その矢に光が集まる。
同時に放たれた幾本もの矢が、光の筋となって敵部隊に突き刺さった。
弓術の戦技スキル、強射だ。
矢が突き刺さった城壁が土煙を上げて突き崩される。もしかしたら砲弾以上の威力が出ているのかもしれない。
反撃の帝国軍の射撃は、騎兵たちの障壁に簡単に防がれてしまった。
『続けて行くわよ! 焼き貫く業火、火炎槍!』
さらにくるりと杖を回したレティシアさんから、炎の塊が打ち出される。
それは、フォルクスの城門に激突し、周囲に凄まじい炎を撒き散らした。
「凄い……」
私は思わずそう呟いてしまう。
レティシアさんの魔術スキルは、竜騎士さまや竜の力に比べれば劣るものかもしれない。でも竜騎士さまたちが竜の力を借りているのに対して、レティシアさんは自分の才覚と技術だけでこれだけの力を示しているのだ。
レティシアさんは強い。
ちょっと変な人だけど……。
吹き散らされた魔素撹乱幕だったけれど、オルギスラ帝国軍はすぐにまた新しいものを展開し始めた。すると戦線は、再び膠着してしまう。
被害を出しながらも、レティシアさんの的確な援護によって城壁と城門に迫るエーレスタ・ウェリスタ連合軍。
激しい迎撃を行うオルギスラ帝国軍。
開戦からまださほど時間が経っていないのにもかかわらず、私とアーフィリルの足元には地獄の様な激しい戦場が広がっていた。
私は、むぎゅっと唇を引き結んで大きく息を吸い込む。
……ここまでだ。
これ以上見ているだけだなんて、私には耐えられない。
「……行くよ、アーフィリル」
私は小さな声で、白くふわふわのアーフィリルに話し掛けた。
『良いのか? かの人竜兵装が現れるまで、我らの力は温存するのではないのか?』
アーフィリルには、私の意見に反対している様子はなかった。ただ確認しているだけといった感じだった。
「ここから突入を援護するの。それなら、どこからアンリエッタが来ても対応出来るでしょ?」
『承知した。我が力はセナに預けてある。その意のままに』
アーフィリルの低い声が、厳かに私の胸の中で響いた。
私は力を込めてこくりと頷く。
そして次の瞬間。
アーフィリルから溢れた眩い白の光が、私を包み込んだ。
私とアーフィリルが1つになる。
体の中に魔素が満ちると、感じる事が出来る世界が一気に広がっていく。
アンリエッタの気配はまだ感じられないか。
ならば、まずは味方の進むべき道を切り開かなければならない。
私は、ふっと軽く微笑んだ。
白く輝く髪がひるがえる。
白いドレスの裾が、大きく秋風にはためいた。
光が収まると、空中に留まった私はすっと目を細めて眼下のフォルクスの街とその戦場を見下ろした。
ふっと軽く息を吐く。
大人状態となった私は、風に弄ばれる髪を軽く片手で掻き上げた。
『こ、この魔素の反応……! ああ、やっぱり!』
耳に装着した器具から、レティシアの声が響いた。
『凄い、あーやっぱり痺れるわぁ! この純度、この量! もう、私……。ぐふ、ぐふふふふっ!』
下方に視線を向けると、赤の魔女が私に向かって大きく杖と手を振っているところだった。
さて私も、レティシアに負けない様に味方を援護するとしようか。
魔素の光球を放っては、一気に敵を殲滅出来るだろうが、街への被害も大きくなってしまう。ここは精密攻撃で敵を狙い撃つ。
私はレティシアからフォルクスの城門へと視線を向けると、手の中に白の弓を生み出した。
滞空状態のまま、私はすっと弓を構えた。そして、弓と同様に手の中に生み出した白の光の矢をつがえる。
矢を引き絞る。
そして放つ。
先ほど見た強射のスキルと同様に白の閃光と化した矢が、帝国軍部隊へと突き刺さった。
素早く3射。
3条の光りが、帝国軍ごと城壁を吹き飛ばした。
雷鳴の様な轟音が響き渡る。
備蓄された弾薬に引火したのか、盛大な爆発が巻き起こる。
巨大な土煙と炎が、3か所から同時に立ち上った。
『純粋魔素の攻撃で、この威力……! くっはっ、なんてでたらめ!』
レティシアがヒステリックに叫ぶのが聞こえて来た。それと同時に、大地を揺るがす様な喊声が湧き上がって来る。
エーレスタの部隊が、私の攻撃に合わせて突撃を仕掛けたのだ。
まだまだ残る帝国部隊の砲撃をものともせず、味方が城門や崩壊した城壁へと殺到する。
完全に敵の間合いの内側に取り付いた様だ。
至近距離で帝国の銃撃をしのぎながら、空中にいるこちらに向かって手を振ったりエーレスタの軍旗を振る味方騎士の姿も見えた。
皆、拳を突き上げて叫んでいた。
私はふっと微笑む。
それでこそエーレスタの騎士だ。
私は、今度はウェリスタ側を援護すべくあちらが担当している南門へと目を向けた。
その時。
『セナ……!』
アーフィリルが珍しく厳しい声を上げる。
私もその警告の意味を理解する。
来たか。
迫る強大な魔素の反応。
この魔素は知っている。
オルギスラ帝国軍の機竜士、アンリエッタ!
これほどの力が、先ほどまでは全く感じられなかった。
唐突に現れたのだ。
何故かとは考えている暇はない。
現に今、確かに禍々しい力の反応がこの戦場に向けて急接近しているのだ。
私はさっと身をひるがえし、フォルクスに背を向けた。そして、弓を構える。
大地の上を舐める様に低空で飛ぶ黒の塊を捕らえる。
やはり後方から急襲して来たか。
黒い影の進行方向は、私たちエーレスタ特務遊撃隊の本陣。
既にかなり肉薄されてしまっている。
そして本陣に迫るその黒い影は、3つあった。
私は僅かに目を細めるが、今はまずアンリエッタの足を止める事が先だ。
光の矢を引き絞る。
放つ。
一条の光となった矢が、黒い影の眼前の乾いた大地を突き刺さった。
着弾と同時に、盛大に土くれが引き飛んだ。周囲一帯に土煙が吹き上がる。
私はその地点目指して、急降下を開始した。
手の中の弓を消して、代わりに両手に白の長剣を生み出す。
ぐんぐんと地上が近付く。
そのまま巻き上げられた土煙に突入しようとした瞬間、その中から突如黒の光球が飛来した。
くっ!
私は咄嗟に身を捻り、その一撃を回避する。
長い白の髪が、体に巻き付く様に激しく揺れる。
さらに初撃から間をおかず、第2射目の黒の光球が眼前に迫る。
私は飛行姿勢を制御しながら、2振りの白の剣ですり抜けざまにその黒の光球を斬り裂いた。
私がふわりと大地に降り立つのと、切り裂かれた魔素の塊が、背後の空中で大爆発が起こすのは同時だった。
私は、着地姿勢からゆっくりと顔を上げる。
爆風に散らされた土煙が、ゆっくりと治まっていく。
その向こうで、1対の赤い光がギラリと輝いた。
「アンリエッタ・クローチェ!」
私は低い声でそう呟きながら、徐々に姿を現す黒の竜の鎧に向けてすっと剣を構えた。
『あははははっ! やっぱり見つかっちゃったか!』
厳しい黒の鎧に似合わない、甲高い少女の笑い声が響く。
土煙の向こうから、黒の槍を構えた機竜士アンリエッタが姿を現した。
私は顎を引いて、僅かに目を細めた。
そのアンリエッタの背後には、さらに2体の黒の竜の鎧がそれぞれ剣と戦斧を携えて立っていた。
アンリエッタが、ガシャリと鎧を鳴らして一歩踏み出した。
『また会えたわね、エーレスタの白の竜騎士さん! いいわ。そんなにお望みならば、遊んであげる! さぁ、あの日の殺し合いの続きを始めましょうか!』




