第27幕
全身に残るどんよりとした疲労感のせいか、柔らかくて暖かなお布団の中が、いつもよりずっとずっと心地よく感じられた。いつまでも眠っていられそうだった。
手足に触れる滑らかなシーツの感触も、頭を包み込み様に受け止めてくれるふかふかのクッションも、いつまでも私をベッドに引き止めようとする。
お仕事が沢山、私を待っているというのに……。
深い眠りの淵から浮かび上がったりまた沈み込んだりしながら、私は無意識にうーっと唸っていた。
夢うつつな私には、その唸り声が私の頭の中で響いているのか、実際声を出してしまっているのかわからない。
ラーナブルク解放戦の疲労が抜け切っていない私は、そうして深い眠りと半覚醒状態を繰り返していた。
あの戦いから既に、まる1日は経過している筈だ。
戦いの後、後始末の諸々はオレットさんたち隊のみんなにお願いして、私は早々に休ませて貰った。
私的にはもう少し頑張れたのだけれど、マリアちゃんやオレットさんに強制的にベッドに放り込まれたのだ。
……確かに戦闘終結後アーフィリルとの融合を解除した私は、報告を受けながらうつらうつらと居眠りしてしまっていたけれど。
それからぐっすり眠って少しだけ起きて状況を確認した私は、また直ぐに寝てしまったので、エーレスタ特務遊撃隊の隊長としてのお仕事はほとんど出来ていなかった。
……そろそろ起きなければ。
起きてお仕事をしなければ。
そう思うのだけれど……。
微睡む私を、何か甘い香りが包み込む。加えてお布団ではない柔らかな感触とぽかぽかした温かさが私の全身を覆った。
私はその柔らかで温かなものにぎゅっと抱き着いて、再び眠り込んでしまったのだ。
そうしてどれくらい意識を失なっていただろう。
私は、ハッとして目を開けた。
目の前にあったのは、はだけたシャツと白い肌の綺麗な胸元だっだ。
「うー」
今度は確かに声を出して唸りながら、私は自分の体に掛かる腕をどかして、ゆっくりと体を起こした。
しょぼしょぼする目を擦って周囲を見渡す。
広く豪華な室内には、カーテンの間から柔らかな光が射し込んでいた。
私が眠っていたのは、野営地の天幕のものより遥かに巨大でふかふかのベッドだった。天蓋付きで、余裕で私が5人くらいは眠れそうな代物だった。
私がふらふらと揺れながらちょこんと座るその傍らには、アメルが眠っていた。
乱れたパジャマの胸元が、だらしなく大きく広がっていた。どうやら私は、先ほどまでアメルに抱き締められていたみたいだ。
……まぁ、いつもの事だけど。
立派な絨毯が敷き詰められ、大きな暖炉が設えられた室内は、エーレスタの私の部屋よりもずっと豪華だった。
ベッドから少し離れた場所には、猫足の可愛い椅子と小型の丸テーブルが置かれていた。そしてそこには、長い足を軽く組んだ赤髪の少女が、机の上の書類に視線を落として優雅に腰掛けていた。
大人の女の人みたいだな、マリアちゃん……。
私はしばらくぼんやりとそんなマリアちゃんを見つめていたが、やがて意を決してベッドから足を下ろした。
取り敢えず、未だ眠っているアメルは放置だ。
「あ、おはよう、セナ。もう体の調子は大丈夫?」
こちらに気が付いたマリアちゃんが、席を立って私に駆け寄って来た。
「おはよう、マリアちゃん。私は大丈夫だよ」
私はふわりと微笑みながら、マリアちゃんを見た。
「それよりマリアちゃん、状況はどうなってるの? 何か変わった事はあった?」
私が片目を瞑りながら見上げると、マリアちゃんはふっと柔らかく笑った。
「大丈夫、何も問題ないよ。でもセナに会いたいっていう人が沢山いるから、体が問題ないなら面会して欲しいってオレットさんが言ってた」
なんだかマリアちゃんが優しげだ。
「うん、わかった……」
私がごしごしと目を擦っていると、やはり目を覚ましたアーフィリルが、未だ眠っているアメルを踏んづけて私の膝に登って来た。
私に面会したい人……。
アーフィリルの頭を撫でていると、だんだんと頭の中が覚醒してくる。
そうだ。
まずは、私がベッドを借りているこのお屋敷の持ち主の方に挨拶しなければ。
私が休ませてもらっていたこの豪華な部屋は、ラーナブルクの領主さまの城館の1室だった。
ラーナブルク駐屯のオルギスラ帝国軍の降伏を受け入れた私たちは、帝国軍に代わってラーナブルク領主さまの城館に入った。
そこで幽閉されていた領主さまを解放したという報告は受けていたけど、まだお会いはしていなかった。お会いする前に、私が眠ってしまったのだ……。
特務遊撃隊の隊長として、領主さまにはご挨拶しなければ。それと、お部屋を借りたお礼をしなければ……。
「セナ、朝ご飯にする?」
マリアちゃんが私の服を用意しながら、こちらを見る。
私は背中に流したままの髪をパタパタと揺らして、首を振った。
「着替える。それと、オレットさんとグレイさんに連絡をお願い出来る?」
私は立ち上がると、うんしょとパジャマを脱ぎ始めた。
呑気な声を上げてアメルが寝返りを打つ。
私は自分の起伏のない胸と寝ていてもスタイルのいいアメルを見比べる。
ぬ。
マリアちゃんの用意してくれたパリっとした騎士服を身につけ、綺麗に折り目の入った短いスカートを穿いてから、私はベッドでゴロゴロしているアーフィリルを摘み上げた。そしてその白い毛の塊を、アメルの顔面にむぎゅと落としておいた。
私はマリアちゃんの用意してくれたお湯で顔を洗うと、歯磨きもしてから先ほどマリアちゃんが座っていた椅子にちょこんと腰掛けた。
素早く後ろに立ったマリアちゃんが、私の髪を梳いてくれる。手際のいい事に、私の前に鏡まで用意してくれた。
最近随分伸びた感じのする私のライトブラウンの髪を、マリアちゃんが手早くポニーテールにまとめてくれた。
マリアちゃんが髪をまとめてくれている間、私は鏡の中の緑の瞳の少女を見つめていた。このアーフィリルと同じ色の目にも、随分慣れてしまった気がする。
お父さんとお母さんは、私の変わり様に驚くだろうか。それとも少しは大人っぽくなったと思ってくれるだろうか。
私は小さくため息を吐いた。
……今は、考えなければならない事が沢山ある。
このラーナブルクの今後の事もだけど、次に目指す事になるカルザ王国王都フォルクスの奪還作戦の事とか帝国軍の反撃に対する備えとか……。
鏡の中の少女が、難しい顔をして眉をひそめていた。
「朝ご飯用意してあるから。それと、朝食の後はラーナブルクの領主さまと面会して欲しいってオレットさんが言ってた」
三つ編みにした赤髪を揺らしながらテキパキと鏡や櫛などを片付けるマリアちゃん。先ほど私が顔を洗っている間に、既にオレットさんとは連絡を取っていたみたいだ。
マリアちゃん、仕事の早いいい子だ。
「わかった」
私はこくりと頷きながらベッドに向かうと、ふがふがともがくアメルの顔面に乗ったままのアーフィリルを回収した。
「ああ、それとさっき参謀さんに言われたんだけど、領主さまと面会が終わったら、捕虜の尋問にも立ち会って欲しいんだって」
捕虜と口にしたマリアちゃんは、不快そうに顔を歪めていた。
捕虜……。
投降したオルギスラ帝国軍の騎士か指揮官か。
帝国軍に村を焼かれて家族を奪われたマリアちゃんの心の傷は、やはりまだ癒えていないみたいだった。当然オルギスラ帝国軍への憎しみも消えていない……。
そんな簡単に解決する様な事ではないとわかっていても、暗い顔をするマリアちゃんを見ると、何だかきゅっと胸が切なくなってしまう。
「……わかった。後で行くってカウフマンさんに伝えておいて」
私は頭の上にアーフィリルを設置しながら、眉をひそめた。
今回のラーナブルクの戦いでは、オルギスラ帝国の部隊が早々に降伏したために沢山の捕虜が発生する事になった。その待遇も、考えていかなければならない。
うーむ……。
それに戦場以外で敵であるオルギスラの人間と直接対面するのも、何だか緊張してしまう。
ここはエーレスタの騎士として堂々と接しなければいけないのだけれど……。
私は胸に手を当てて、すっと大きく深呼吸した。
「取り敢えずオレットさんのところに行こう。色々話を聞かなくちゃ」
私はふっと微笑んでマリアちゃんを見た。
マリアちゃんも、私を見て幾分表情を和らげてくれた。
「うー、セナぁー」
そこに、ベッドからアメルの気の抜けた声が響いた。
私とマリアちゃんは、顔を見合わせて笑ってしまった。
「もう、先に行くからね、アメル」
私はまだ寝ぼけているアメルに声を掛け、マリアちゃんを共なってドアに手を掛けた。
「ちゃんと朝ご飯食べないとダメよ、セナ」
「うーん、そうだね。後で食べる」
「ダメ。大っきくなれない」
「……うっ」
そんな他愛ない会話をしながら廊下に出ると、そこには鎧姿のフェルトくんが立っていた。私の休んでいた部屋の警備に就いてくれていたのだろう。
フェルトくんが、真っ直ぐに私を見つめる。
ん?
私はカウフマン参謀の案内で、高級品と思われる絨毯が敷かれたラーナブルクの領主館の廊下を進んでいた。
私の背後には、オレットさんにグレイさん、それに護衛役としてフェルトくんがついて来ていた。
ちらりと振り返ると、こちらをじっと見ているフェルトくんと目が合った。
目が合っても、フェルトくんは臆する事も顔を逸らす事もなく、じっと私を見つめて来る。遂には私が根負けして、むむと前に視線を戻さなければならなくなってしまう。
私が休んでいた部屋の前から、ずっとこんな調子なのだ。
何だか私を見るフェルトくんの目には、熱が宿っている様な気がした。
興奮して少し顔を赤くしたフェルトくんは何か言いたそうだったけど、唯一ぼそりと私に告げたのは、「昨日の戦い、凄かった」だった。
ラーナブルク解放戦の後半、街に突入したフェルトくんたちと私は、共に町内の残敵掃討に当たった。フェルトくんとも並んで戦ったのだ。
もしかしたら大人な私の戦いを間近で見て、何か思うところがあったのかもしれないけど……。
……良く分からない。
でも見つめられるのは、やっぱり何だか落ち着かない。
目を輝かせて今にも手合わせしてくれと言って来そうなフェルトくんだったけど、私にはこなさなければならない事が沢山あったのだ。
マリアちゃんに言われた通りまず朝食を取った私は、その後ラーナブルクの領主さまと会談し、今は投降したオルギスラ帝国軍ラーナブルク駐留隊の司令官の話を聞くべく、その敵司令官が軟禁されている部屋へと向かっていた。
先ほど面会したラーナブルクの領主さまは、すごく太ったいかにも裕福な貴族といった感じのおじさんだった。
領主さまは、ラーナブルクの解放について身振り手振りを交えて何度も大袈裟に感謝していた。
自分がいかにエーレスタに親しみをもっているか繰り返し主張しながら、私たちの部隊に対して惜しみない援助と協力を行う事を約束してくれた。
しかし領主さまは、にこにこしながらも時々訝しむ様に私を見る時があった。
豪華で巨大な革張りのソファーにちょこんと腰掛けた私は、きっと精強なエーレスタの部隊の指揮官には見えなかったのだろう。
しかし私の後ろに立っていたオレットさんとグレイさんは、特段そんな領主さまの様子を気にした様子はなかった。
それどころか領主さまとの会談は早々に切り上げられ、私は急かされる様に敵の指揮官に会いに行く事になったのだ。
オレットさんもグレイさんも、まるで領主さまよりも敵の指揮官を重視している様だった。
私たちにはこの後カルザ王国の王都攻略戦が待っている。次の作戦に万全を期する為にも、帝国側から少しでも情報を得なければいけないというのは私にもわかっているけれど。
みんな歩くのが早いので私は時々小走りになりながら廊下を進む。
やがて、敵司令官が軟禁されている部屋に到着した。
扉の両側で警備に立っていた騎士さんたちが、さっと私たちに敬礼した。
みんなを見回してから意を決してドアをノックしようとすると、そこで不意にオレットさんが私を止めた。
「……悪いがセナ。竜騎士の姿になってくれないか?」
あ、そうか。
敵に舐められない為にも、その方がいい。
でも、先ほど領主さまと会った時にはそんな事全然言われなかったけど。
「お願い、アーフィリル」
私は頭の上のアーフィリルを抱き上げる。
みんなが邪魔にならない様に一歩引いてくれるが、フェルトくんだけがギラリと目を輝かせて私を凝視していた。
うぐ。
何だかやり辛い……。
白の光がパッと広がると、一瞬にしてアーフィリルとの融合が完了した。
私は白く長い髪をさっと払い、短く息を吐いた。
ふむ。
調子は悪くない。
前回の戦いの後、しっかりと休養を取ったおかげだろう。
今ならば、敵指揮官と言わず機獣の群れとも戦える。もう一度ラーナブルクを解放するのも容易いだろう。
ふと、顔を赤くしてこちらを凝視しているフェルトと目が合った。
私はすっと目を細め、微かに首を傾ける。
はっとして目を逸らすフェルト。
私は、ふっと微笑んでフェルトを見る。
「あまり怖い顔をしていては、男前が台無しだぞ、フェルト。それと、女性をあまりじろじろ見るものではない」
私がそう告げると、フェルトは目を見開いて恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてしまった。
私はフェルトに流し目を送り振り返ると、軽やかに目の前のドアをノックした。
敵の司令官が軟禁されているのは、なかなか丁寧に整えられた居心地の良さそうな部屋だった。
もともとは客間か何かだったのだろう。
私が休んでいた部屋より小ぢんまりしているが、こちらの方が私にはくつろげそうだった。
しかし今は完全武装のエーレスタの騎士が、そんな部屋の四隅に立っていた。さらにまだ昼間だというのに全ての窓の鎧戸が完全に締め切られ、淡い魔晶石のランプの明かりだけが室内を照らし出していた。
ギリっと鋭い顔をしている騎士たちの雰囲気も相まって、その客間の中には圧迫感が満ちていた。
小さな私ならば、足が竦んでいたかもしれないが。
私はそのままゆっくりとした歩調で部屋の中へ足を踏み入れる。そして白のドレスの裾をひるがえし、その中ほどで丸椅子に腰掛けた男の前で立ち止まった。
私の左右にはオレットとグレイが立つ。カウフマンは私たちからやや離れた場所に控え、フェルトは入り口の扉の前で待機していた。
椅子に座っていた中年の男が、ギロリと私を見上げた。
「さて、ハンス・リッジス准将。貴官の要望通り我が隊の指揮官を連れて来た。竜騎士セナ・アーフィリルだ」
グレイが私を紹介すると、ゆっくりと立ち上がったリッジスという男は軽く頭を下げた。
「オルギスラ帝国軍第4軍団サン・ラブール西部派遣隊カルザ方面軍のリッジスだ」
低く平坦な調子で名乗ったオルギスラ帝国軍の指揮官は、物腰こそ穏やかだったものの、刃の様に鋭い視線で私を睨み付けて来た。
この男、降伏してもなお闘志は潰えていない様だ。
私はふっと微笑み、軽く足を開いて腰に手を当てると小さく頷いた。
「エーレスタ騎士公国特務遊撃隊を預かる竜騎士セナ・アーフィリルだ」
私はそう名乗ると、リッジスに座る様に促した。
アメルよりも豊かになった胸の下で腕を組み、私は片足に体重を乗せて帝国の指揮官を見下ろした。
歳は50前といったところだろうか。中肉中背で体格に特に見るべきところはなかったが、ワイシャツにズボンという簡素な格好でも、人を従える者の威厳が漂っている。
その辺りは、ディンドルフ大隊長にも通じるものがあった。
「なるほど。貴方が白花の竜騎士か。その常人ならざる気配、噂の通りだな。我が部隊が手玉に取られたのも、こうして顔を合わせれば納得出来るというものだ」
リッジスは目だけで私を睨み上げる。
「私を知っているか。その割に貴官の部隊は、特に私に備えてはいなかった様だな」
皮肉を言うつもりはない。
リッジスも特に気分を害した様子もなく、ただ僅かに肩をすくめただけだった。
「竜に跨らぬ白い女の竜騎士が、単身で機獣部隊を壊滅させたとか我が艦隊を退けたなど、ただの噂話に尾ひれが付いた程度にしか考えていなかった。残念ながら、小官に伝わってくる情報などその程度だ」
リッジスは、そこで初めて少し疲れた様な表情を見せた。ほんの一瞬の事ではあったけれど。
「貴官の要望には答えた。今度は貴官が誠意を見せる番だ。我々の質問に答えてもらおう」
グレイが私たちに向けるものとは違う冷ややかな声でリッジスに告げた。
リッジスは再び無表情に戻ると、グレイを見上げた。
「小官に答えられる事であれば」
淡々とそう答えたリッジスを見ながら、なるほど手強いなと思う。
感情的にならず、暴力に訴えようというのでもない。私たちと話をしながら、淡々と自分たちの処遇について有利な条件を引き出そうとしているのがわかる。
捕虜に身をやつしているのに、動じた様子がない。
なるほどこれが軍人というものかと、私は内心感心していた。
この様な軍人がいるのならば、帝国軍に対する認識を改めなければなと思う。
「カルザ王国に展開している帝国軍の規模は?」
「サン・ラブール西部には、我が第4軍団が展開している」
「規模は?」
「答えられない」
「カルザ王都にはどれ程の部隊がいる?」
「答えられない」
「帝国が侵攻して来た目的は何だ?」
「戦線布告時にも通達した通り、サン・ラブール条約同盟国に旧ガラードと通じる動きがあったからだ。貴国らが旧ガラードの軍事技術を摂取して我が帝国に圧力を掛けてくる前に、こちらから動いたのだ。今回の戦争は、いわば積極的防衛戦だ」
なるほど。
オルギスラ帝国内部ではそういう話になっているのか。
私たちから見れば、今回の戦いもこれまでのオルギスラ帝国の拡大政策の一環だと捉えられているのだけれど。
しかし、ここでどちらの主張が正しいかと論じてもそれは詮無い事だ。
「……ふんっ。そのガラードの力を利用しているのは帝国だろう」
隣でオレットが不快そうにぼそりと呟いた。
私はちらりとオレットを一瞥した。
いつも飄々としているオレットにしては、珍しく感情的な態度だなと思う。
「貴官は、その戦争目的が本当に正しいと思っているのか」
グレイはため息混じりに苦笑を浮かべた。
「オルギスラ皇帝陛下がそう判断されたならば、そうなのだろう。私は軍人としてその判断に従うまでだ」
当然だという様に、リッジスは表情を動かさず淡々と答える。
「愚問だったな。では質問に戻らせてもらおう。ラーナブルクからカルザ王都までの戦力配置だが……」
「貴官も軍人なら理解出来よう。味方に不利となる情報は答えられない」
お互い似た様なやり取りを何度も繰り返すグレイとリッジス。
私は腕組みをしたまま、そのやり取りに耳を傾けていた。
「随分と帝国に忠誠を尽くしている様だが、先日の戦闘では降伏が早かったな。それは何故だ? 何か企みがあるのか?」
グレイがやや声を低くした。
確かにラーナブルク駐留部隊の降伏は、思いの外早かった。しかしそのおかげで、町内の掌握や残敵掃討が順調に進んだのだ。
市街戦が早急に終息したおかげで、ラーナブルクの住人たちに無用な負担を掛けずに済んだと思う。
「……残念ながら、市街地に敵部隊の進入を許した時点で我々の敗北は確定的だった。こちらは戦力を引き裂かれてしまっていたからな。ならば、皇帝陛下からお預かりした将兵の命を無駄に費やす事は愚策と判じたまでだ」
町の外にはまだ私たちの部隊が残っていた。ラーナブルクからの脱出も難しかっただろう。
こうまで追い詰められれば、玉砕覚悟で徹底抗戦せよと命じる方が楽な選択だろう。皆、祖国の為に命を賭して戦ったという武勇伝に酔いながら死ねる。武人にとっては、敵の虜囚になるよりもその方が甘美な最期である筈だ。
しかしリッジスは、そうしなかった。
「勇敢な将兵は国の宝だ。この戦争には間に合わなくても、いつか祖国に帰る事が出来ればやがては帝国の未来を支える力になるだろう。その命を無駄には出来ん」
ゆっくりと嚙み締める様なリッジスの言葉に、グレイやオレットも口を閉じて押黙った。
敵ながら、この男の考え方に何か感じるところがあったのかもしれない。
『この男、なかなか合理的な判断が出来る様だ。それでもお互い、思う事があって争うのだ。やはり人間の争いというものは、激しくも尽きないものだという事だな』
胸の中にアーフィリルの重々しい声が響いた。
アーフィリルは、私たちの敵もまた人間なのだと告げる。
私はそれには答えず、腕組みしながらじっとリッジスを見つめた。
アーフィリルが言う様に、人の歴史は争いの歴史だという事は否定出来ない。エーレスタにしても、外敵と戦うために作られた騎士の国なのだ。
しかし。
争う事によって、悲しむ人や傷つく人は必ず生まれてしまう。
それを当たり前として受け入れていては、人間は本当に相争うだけの悲しい存在になってしまうのではないか?
「……貴官の判断には敬意を評するが、降伏宣言後も抵抗を続けた一団があったな。では、あれは何だ?」
グレイがガシャリと鎧を鳴らしながら腕を組んだ。
対するリッジスは、そこで露骨に顔をしかめた。
「あれは、小官の部隊ではない。指揮系統を別にする独立部隊だ」
吐き捨てる様に言い放ったリッジスは、先程まで見せていた理知的な指揮官の顔とはまったく違う激しい憤りを覗かせる。
ラーナブルク解放戦の最後、リッジスが降伏を申し出て私たちがそれを受諾した後も、一部頑強に抵抗するオルギスラ帝国軍の部隊があった。
結局その部隊は最後まで戦い続け、その隊の指揮官は最終的に教会の地下で自刃して果ていたのだが。
「……まさかそれは、噂のオルギスラ皇帝直轄の特殊部隊というやつですか」
それまで私たちから離れた場所でリッジスを観察していた参謀のカウフマンが、不意に口を開いた。
特殊部隊。
その言葉に、私はすっと目を細める。
あの黒の竜の鎧も、確かオルギスラ帝国軍の特殊部隊を名乗っていた筈だ。
「さすがに知られているか。その通りだ。奴らは、皇帝陛下直属の親衛師団所属の騎士だ」
味方の部隊については最低限の事しか明かさなかったリッジスが、これについてはあっさりと口を開いた。
グレイが、視線で先を続ける様に促した。
「……サン・ラブールへ派兵されている部隊には、少数ではあるが必ず親衛師団の騎士が配属される。今回のサン・ラブール侵攻は、主に親衛師団主導で行われているからだ。恐らくは各部隊のお目付け役といったところなのだろう」
リッジスは顔を歪めたまま、視線を落とした。
「彼らの命令は、他よりも優先度が高い。降伏するという私の命に異を唱えた彼らが、独自の判断で貴官らと戦ったのだ」
自らの配下の一般将兵には、あれ以上抵抗する意思はなかったのだと声を大きくするリッジス。
私はすっとドレスを揺らして足を進め、一歩踏み出すと、顎をやや上げて目だけでギロリとリッジスを見下ろした。
「貴公は、機竜士アンリエッタの居場所を知っているか?」
冷ややかな私の言葉に、リッジスが体を強張らせるのがわかった。
背後でオレットが息を呑む。カウフマンやフェルトも、思わず姿勢を正して私の方を向いた。
「ア、アンリエッタという者はわからない。機竜士というのは……小官も噂程度しか知らん。竜騎士殿の噂と同程度にしか……」
何とか力を込めて私の目を睨み返そうとするリッジス。しかしその額には玉の様な汗が滲み、顔は緊張で青くなっていた。
私は、じっとリッジスを見下ろす。
「……で、では、質問を変えましょう。先月ブライツ峠方面からエーレスタに侵攻した部隊。この町を経由して出撃したと思うのですが、あれは件の親衛師団でしょうか」
横手から声を上げたカウフマンが話を進める。
リッジスは、はっとしてカウフマンの方を見た。
「あ、ああ。その通りだ」
「撤退したあの部隊は、どこへ向かったのですか?」
一瞬リッジスが押黙る。答えるべきかどうか迷っている様だった。
室内に沈黙が満ちる。
誰かが身じろぎしたのか、鎧が鳴る音が微かに響いた。そして次に、キッと木の椅子が軋む音が聞こえた。
座り直したリッジスの椅子が鳴ったのだ。
オレットやグレイらの視線も、リッジスに集まっていた。
「……カルザ王都フォルクスに向かった。それ以上の事はわからない」
それがオルギスラ帝国軍人と私たちの捕虜となった兵の責任者という立場の間でリッジスが出した回答だったのだろう。
アンリエッタらはカルザ王都フォルクスに向かった。
私たちの次の目的地に。
ならば我々は、そこにアンリエッタがいると想定して行動しなければならない。
あれは、そこまでして備えなければならない敵だ。
わたしは薄く微笑むと、リッジスに小さく頷き掛けた。
「リッジス准将。貴官らの処遇については、ウェリスタ王国と協議の上決定する事となる。私は、双方の軍に無駄な犠牲を生まずに済んだ貴官の判断に敬意を評する。口添えはしよう」
私はさっと身をひるがえすと、横目でリッジスを見下ろした。
「さらなる協力をしてもらえれば、幸いだ。カウフマン、後は頼む」
私がそう告げると、リッジスはばっと立ち上がり姿勢を正した。そしてサッと頭を下げた。
リッジスに対して軽く頷いて見せた私は、白の長い髪をふわりと揺らして扉に向かって歩き出した。
そのすぐ後に、グレイとオレットが直ぐさま付き従う。
私を待ち構えていたフェルトが、やはり顔を赤くしながらキビキビとした動作で扉を開いてくれた。
廊下に出ると、私は歩みを進めながら肩越しにオレットらを見た。
「軍議を開こう。さぁ、次はカルザの王都解放だ」
そう告げ手から、私はすっと力を抜いてアーフィリルとの融合を解除する。
一気に視点が下がる。
この変化にも、もう随分と慣れてしまった。
頭の上にアーフィリルが降りて来て落ち着くのを待って、私は大きく深呼吸した。そしてスカートの裾を広げてくるりと振り返ると、グレイさんとオレットさんを見上げた。
「多分王都には機竜士アンリエッタがいます。気を引き締めて行きましょう……!」
私は胸の内側がドキドキと震えているのを感じながら、しかしそれを無視してむんっと両手に力を込めた。
ラーナブルクの町は、時間が経つに連れて徐々に以前の落ち着きを取り戻そうとしていた。
通りに出ている人の姿も、だんだん増えて来ている。
住民の方々は、オルギスラ帝国が支配している間は外出制限を受けていた様なので、ほっと安堵した様な表情を浮かべて太陽の下、石畳の上を行き来していた。
もっとも先の戦闘で損傷した建物の補修や帝国軍に挑発された物質の補填など、直ぐに何もかもが元通りという訳にはいかなかった。
一連の騒動で帝国軍に財産、そして大切な人を奪われた方もいる。町を捨てて逃げてしまった人たちもいる。
色々な事が思い出になって笑いあえる様になるには、まだまだ沢山の平和な時間が必要だった。
それでもラーナブルクの町が甦ろうとしているのを感じたのは、街角の警備に立っている私たちの部隊の騎士相手に商売を始めたおじさんを見かけた時だ。
軍隊食とは違う作り立て熱々の食事や、ちょっとした日用品なんかを売っているみたいだ。
ラーナブルクの人たちだってまだまだ物資は足りていないだろうに、人間って逞しいんだなと思わず私は苦笑交じりに微笑んでしまった。
私はそんな町の風景を眺めながら、領主さまの居館からラーナブルクの正門に向かって移動していた。
馬に乗った私の周囲には、同じく騎乗したオレットさんやグレイさんが随行している。さらには護衛役として、フェルトくんとサリアさんたち数名の騎士の皆さんたちも私に同行していた。
その中には、暇だからと何故かアメルも混じっていたけれど……。
石畳を踏み締める馬蹄の軽やかな音が響く。
私が血の海にしてしまった大通りも、既に綺麗になっていた。
帝国将兵の亡骸は既に丁重に葬られ、機獣の残骸は町の外に集められているみたいだ。
晴れ渡った秋空の下、慌ただしく働いている町の人たちが手を止めて私たち一行を見る。
軍装の私たちに一瞬どきりとした様な表情を浮かべる人たちもいたけれど、こちらがエーレスタの騎士だとわかると、ほっと安堵した様にこちらに頭を下げてくれる人もいた。
アーフィリルを頭に乗せた私は、ニコニコと笑顔を浮かべながらそんな人たちに会釈を返す。
「あの白い犬を連れた子、騎士さまを手伝ってるのかな」
「小さいのに偉いね」
「あんな子が騎士団で頑張っているんだ。俺たちも頑張ろう!」
街角で作業の手を止めて私たち一行を見ていた町人の皆さんの、そんな声が聞こえて来る。
……むーん。
オレットさんが苦笑を浮かべ、グレイさんが豪快な笑い声を上げた。
ふと私は、小さな女の子と男の子が道端の樽の脇からポカンとこちらを見ているのに気が付いた。どうやら私の頭の上のアーフィリルが気になっているみたいだ。
私は頭の上に手を伸ばして、相変わらずぐでんと寝そべったままのアーフィリルの前足を掴むと、その子供たちの方に向かってひらひらと振って見せた。
女の子が、ぱっと顔を輝かせて大きく手を振り返してくれた。男の子の方も、少し恥ずかしそうに手を振ってくれた。
私は思わずほわんと笑顔になってしまう。
……ん?
何かを感じて振り返ると、満面の笑みを浮かべたアメルが、ぶんぶんと私に手を振っていた。
……むーん。
「しかし良かったのですか。ウェリスタの部隊との合流を優先すれば、連勝の勢を殺す事になりますが」
グレイさんがふっとため息混じりにそんな事を尋ねて来る。
数日前に帝国軍司令官のリッジスさんの話を聞いてから繰り返し議論して来た事だけど、グレイさんはまだ完全に納得していないみたいだった。
進言される度に私が即座に却下して来たので、もう幾分諦め気味ではあるけれど……。
王都フォルクス解放についての軍議において、これまでの戦勝の勢いを生かして一気に進軍すべきだというグレイさんの意見に対して、私は遅れて進軍して来ているウェリスタ王国軍との合流を優先すべきと主張した。
リッジスさんからアンリエッタの部隊がカルザ王都にいるかも知れないと聞いた今、味方の戦力は多いに越した事はない。
アンリエッタが出て来れば、私はそちらに掛かりきりになってしまうだろうし……。
やはり、慎重にならざるを得なかったのだ。
グレイさんは、ラーナブルク陥落の報を聞いた帝国軍が対応策を固める前に動いた方がいいと言っていたけど、アンリエッタの恐ろしさを知っているオレットさんの後押しもあって、結局は私の意見が採用される事になった。
そして、その旨をウェリスタ王国軍に知らせる伝令を出して4日目。
とうとうウェリスタ王国軍のカルザ解放部隊が、ラーナブルクに到着する事になった。
私やグレイさんたちは、こうしてみんなで連れ立ってそのお出迎えに向かっているところだった。
ウェリスタのみなさん、思ったより早い到着だった。
別ルートで侵攻しているとはいえ、もともとはこちらと合流する予定だったのだ。私たちの、エーレスタ側の進軍速度が順調すぎてこちらが先行する形になっていたけど、これでようやくハルスフォード侯爵さまが企図したカルザ解放軍の形になる訳だ。
私たち一行は、ラーナブルクの正門をくぐって町の外に出た。
門の影から出ると、私は陽射しの眩さに一瞬目を細めた。
今日はここ数日でも一番天気が良かった。
さんさんと陽の光が降り注ぐラーナブルクの外の平原には、すでに特務遊撃隊のみんなが整列していた。
周辺地域に哨戒に出ている部隊や街中の警備に当たっている隊、ラーナブルクの復興のお手伝いをしている部隊など、特務遊撃隊のほとんどが何かしらの任務に就いているので、ここに集まっているのは私直属のアーフィリル隊と1000程度の騎士や兵のみなさんだけだった。
それでも、完全武装の騎士さまたちがずらりと並ぶ光景は壮観だった。
周囲には、鎧の鳴る音や軍馬の嘶きが響き渡っていた。
大地を駆け抜けて来た爽やかな風が、私たちを包み込む。微かに何かの花の甘い香がした様な気がした。
「何だかいい匂いがするね、アーフィリル」
私はそっと深呼吸した。
『うむ。ここいらも豊かな土地だな。良い魔素に満ちている』
頭上のアーフィリルが、そこでもぞりと体を起こした。
『こちらへ複数の人間が接近して来る様だ。あれはセナの味方か?』
私はアーフィリルの言葉にすっと背筋を伸ばすと、居並ぶ味方騎士さんたちの向こうに目を向けた。
間も無く街道の先から、キラキラと輝く鎧の大部隊が姿を現した。
真紅の軍旗が大きく秋風にはためいていた。
ウェリスタ王国軍の旗に、サン・ラブール条約同盟の旗も見て取れる。
私はグレイさんとオレットさんと視線を交わして軽く頷き合ってから、ウェリスタの部隊を迎えるべく馬を進めた。
ウェリスタ軍は、整列する私たちの隊の直前で停止した。
見事な行軍だった。
なかなか練度の高い部隊みたいだ。
ウェリスタ側からも数騎の騎兵たちが現れた。
他よりも立派な鎧を装備している人ばかりだ。きっとウェリスタ軍の指揮官さんたちだろう。
私は背筋を伸ばして、お腹に力を込めた。しっかりお出迎えしなければと思う。
しかし次の瞬間。
私は、ビクリと体を強張らせた。
真紅の巨大な体躯が姿を現す。
軽快な金属音が響く。
「……機獣」
私は思わず、そう呟いていた。
ウェリスタの騎士さまたちの背後から姿を現したのは、真っ赤な機獣だった。
ドキリと胸が震える。
グレイさんやオレットさんも、腰の剣に手を掛けていた。
私は呼吸を落ち着かせながら、その赤の機獣とその背に座る人物をじっと睨み付けた。
……敵?
オルギスラ帝国軍か?
でも目の前に展開しているのは、間違いなくウェリスタ王国軍だ。
滑らかな足取りで悠然と迫る機獣は、全身金属で出来たゴツゴツとした装甲に覆われ、目を青く輝かせていた。
よく戦場で対するオルギスラ帝国軍の機獣とは形が違う。
オルギスラ帝国軍の機獣が鋭い角を生やした重厚な牡牛ならば、こちらはすらりと長い足の駿馬といった感じだった。
頭には1本角が生えていた。
その背に横座りしている人物も、やはり真っ赤なローブを身に着けていた。色々な装飾の付いた尖り帽子もやはり赤く、その下から赤いルージュの引かれた整った口元が見て取れた。
女の人だ。
ふと気配を感じて振り向くと、アメルが真面目な顔をして私に馬を寄せて来るところだった。
「……セナ、気をつけて。あれはウェリスタの魔女。真紅の魔女よ」
アメルの声は、今まで聞いた事がないほど低く、真剣な響きを含んでいた。
魔女ってと聞き返そうとしたけど、その前に赤の馬の機獣を中心にしたウェリスタ軍の一団が私たちの前で止まった。
私は視線を戻すと、んしょっと下馬した。
エーレスタのみんなもウェリスタの騎士さんたちも、皆一斉に馬を降りた。
ただしウェリスタの魔女さんだけは、赤い機獣に乗ったままだった。
念のためにいつでも動ける様に、私は軽く息を吐いて全身の力を抜いく。
「お待ちしておりました。我々は、エーレスタより派遣されて参りました竜騎士アーフィリル麾下の特務遊撃隊です」
グレイさんが代表して名乗りを上げてくれる。
「こちらはウェリスタ王国軍西部派遣特務連隊です。名高きエーレスタの騎士の方々とお会い出来て光栄だ」
ウェリスタ側も年長者と思しき白い髭のお爺さん騎士が自己紹介してくれた。
「エーレスタの特務遊撃隊の活躍には驚くばかりです。ここまで順調に進軍されるとは」
「恐縮です。そちらの快進撃も聞き及んでいますよ」
グレイさんと白髭のお爺ちゃん騎士が握手を交わした。
……どうやら、やっぱり敵ではないみたいだ。
そう思って少し安堵した瞬間。
ガシャリと金属の体を鳴らした赤の馬の機獣が、一歩進み出た。
咄嗟にオレットさんが私の前に出てくれる。その手は、既に剣の柄に掛かっていた。
「そんなお世辞の応酬、時間の無駄でしょ」
嘲笑を含んだ軽やかな声が響き渡る。
赤の機獣の背中から、尖り帽子を被った若い女性が、私たち全員を見下ろしていた。
歳は20代半ばだろうか。オレットさんと同じか少し若いみたいだ。
帽子から覗くストロベリーブロンドの髪は短くまとめられ、私たちを見つめる瞳は深い紫紺の色をしていた。
赤色のローブの下の服は、ざっくりと胸元の開いた露出の多そうなもので、やはり赤色。見える範囲だけでも、胸元とか手首、それに帽子にも、キラキラと輝く宝石みたいな石をいくつも身に付けていた。
何だか、とっても派手だ。
……それに、胸が大きい。
私はちらりと自分の体を見てしまう。
「それより、竜騎士アーフィリルというのはどなたかしら? お互い部隊の指揮官同士で話した方が早いでしょ。それに、竜に会えるのを楽しみにしていたのだけれど」
赤の魔女さんは、髪を揺らしながら首を傾けた。
この人がウェリスタの部隊の指揮官……!
魔女さんの視線が私を通過して、その隣で止まった。
「あら。あなたはファルツ子爵家のご令嬢さまじゃない。こんなところで何をしているのかしら」
魔女さんの紫の目がすっと細められた。
隣でアメルが体を強張らせるのがわかった。
「レティシア・フォン・エーレルト……。どうしてウェリスタの宮廷魔術士が私なんかを……」
アメルの声は掠れていた。
魔術士。
なるほど、それで魔女なのか。
私は顎を引いてむうっとレティシアさんを見上げた。
魔術士とは、戦技スキルより強大な力を行使出来るが、制御が複雑で適正を持つ人も少ない魔術スキル操る人たちの事だ。
騎士と戦技スキルが重視されるエーレスタには、技術者としての魔術士さんしかいないけれど、他の国では重用されていると聞いたことがある。
扱える力は強大だが、如何せん魔術士になれる人間は少ない。言わばエーレスタにおける竜騎士さまたちの様な存在なのだ。
魔術士のレティシアさんは艶然と微笑みながら、アメルを見下ろした。
「私は頭がいいから、一度会った人の顔は忘れないの。娘をエーレスタに出すなんて、ファルツ子爵も苦労されているのね。よろしくお伝え下さいな」
アメルとレティシアさんは知り合いなのか。
私は、きょろきょろと睨み合う2人の顔を交互に見た。
何だかいつも能天気なアメルが不機嫌そうだけど、何故だろう。2人の間には、何かあったのだろうか。
「それより、アメル・ファルツ。あなたの上役の竜騎士さまはどちらかしら」
ゆっくりと周囲に視線を送るレティシアさん。マリアちゃんの落ち着いた雰囲気とはまた別の意味で、大人な雰囲気が漂っている。
余裕に溢れた態度が、そう思わせるのだろうか。
アメルはそこで、ふっと笑った。
「稀代の魔女と謳われるあのレティシア・フォン・エーレルトも、セナの真の力は見破れないのね」
アメルはそう言うと、誇らしげに胸を張って私を見た。
「……ん? その女の子が何だというのかしら」
レティシアさんが、鋭い視線で私を貫いた。
私は慌てて頭の上からアーフィリルを抱き上げると、胸の前で抱きしめた。
ご挨拶する時には帽子を取るのが礼儀であるように、アーフィリルを乗せたままだと失礼だと思ったのだ。
私はアーフィリルをぎゅうっと抱き締めながら、ぺこりと頭を下げた。
「あの、私が竜騎士セナ・アーフィリルです。よろしくお願いします!」
顔を上げると、レティシアさんが怪訝そうに私を見ていた。
「あなた、何を……」
そう言いかけたレティシアが、そこで突然目を見開いた。
その顔が、徐々に驚愕に染まって行く。
「あ、あなた! あなたっ、何なのよ、その魔素!」
それまでの泰然とした態度が嘘の様に、レティシアさんが取り乱し始めた。
「犬? ち、違う……。気がつかなかった! 力を抑えているの? こ、これで? この魔素、人間じゃない! 人間が耐えられる力じゃない……! ああ……なんて事!」
レティシアさんはさっと赤のローブを揺らして、真紅の機獣から飛び降りた。そして、すたすたと近づいてくると、オレットさんをぐいっと押し退けて私の前で膝を付いた。
私はアーフィリルを抱きしめたまま、ビクリとしてしまう。
「あなた、その力、是非私に見せてくれないかしら!」
レティシアさんが紫紺の瞳を輝かせ、息を荒くしながら私に手を伸ばして来た。
ううっ。
何だか怖い……!
私はレティシアさんの勢いに、失礼とわかっていてもじりじりと後退ってしまった。
目を爛々とさせたレティシアさんが、興奮した様子でにじり寄って来る。
「その白い毛玉も見せて! それ、竜でしょ!」
「やめなさい、ウェリスタの魔女!」
そこに、アメルが助けに入ってくれた。そのアメルの背中が、珍しく頼もしく見えてしまった。
こうしてウェリスタ王国軍と合流を果たした私たちは、ウェリスタ最強戦力と称される赤の魔女レティシアさんと共同戦線を張る事になった。
レティシアさんは少し変で怖い感じのする人だったけど、しかし私たちは、直ぐにその知識と力が生かされる場面に直面する事になったのだ。




