第26幕
初戦で国境付近に集結したオルギスラ帝国軍の大部隊を破った私たちエーレスタ特務遊撃隊は、その勢いに乗ってカルザ王国の領内深くまで進撃を続けていた。
最初の戦い以来、大規模な戦闘は発生していなかった。時たま帝国軍の哨戒部隊とは遭遇したけど、いずれも小競り合い程度の戦闘しか起こらなかった。
もちろん念入りに偵察隊は放っていたけれど、今のところ敵軍発見には至っていない。
それが少し、不気味ではあるけど……。
私はアーフィリルを連れて特務遊撃隊の今日の野営地を回りながら、僅かに眉をひそめた。
伝わって来る情報では、私たちとは別ルートでカルザ領内に入ったウェリスタ王国軍も順調に進撃を続けているみたいだ。
これには、私たちがオルギスラ帝国の国境付近の部隊を撃破したために一時的にカルザ、ウェリスタ国境地域の敵戦力が激減したという理由もあるかもしれないけれど、噂によればウェリスタ軍は、ウェリスタ内最大の戦力をこちらの戦線に投入しているとの事だった。
その詳しい内容は不明だったけど、ウェリスタ軍もそれだけカルザ王国とノルトハーフェン奪還に本気だという事なのだと思う。
ノルトハーフェンが敵の手にあるという事は、私たちサン・ラブール条約同盟国は背中に刃が向けられているも同じだ。
オルギスラ帝国軍の主力と対している東部戦線に全力を向けるためにも、まずはこの西部を何とかしなくてはいけないのだ。
まずはカルザ王国開放。
その為に私が気合いを入れるのは特務遊撃隊の隊長として当然の事だけれど、他の隊員たちの士気も十分に高かった。
私は野営の準備を進める部隊のみんなを見回し、うむうむと満足して頷く。
このまま進撃の足を止めずに、何とかカルザ王国の王都まで辿り着ければと思う。この勢いがあれば、一気にカルザ王国を解放出来るだろう。
……頑張らなければ。
一刻も早くカルザの人たちに、安心して眠ってもらえる様にしなければ。
何たって、それこそが騎士さまの務めなんだから!
私はうんっと両手を握りしめた。
その私の前をとととっと歩いていたアーフィリルが、私を見上げて少し怪訝そうに首を傾げた。しかしすぐにまた、ふんふんっと鼻を地面につけて周囲の匂いを嗅ぎ始めた。
「おーい、そこのちびっ子」
そろそろ司令部天幕に戻ろうか。
たぶんもう間もなく、今日の偵察隊が戻って来る筈だ。
この先には大きな町もあるみたいだし、何か帝国軍に関する情報が掴めたかもしれない。
「そこの! ちっさい騎士さんよ! 犬っころの散歩しているなら、少し手伝ってくれないか?」
犬連れ?
私?
顔を上げてキョロキョロと周囲を見回すと、上半身シャツ1枚で額に汗を浮かべたおじさんが、積み上げられた木箱の前からこちらを睨み付けていた。
もう日が落ち始めて随分と冷え込んで来ているというのに、寒くないのだろうか……。
おじさんのゴツい手には、くしゃっとなった書類の束が握られていた。
くいくいっと指を曲げて私を呼ぶおじさん。
私は小走りにそちらに駆け寄った。
「お前、兵站管理か主計事務か?」
おじさんがぎろりと私を見下ろす。
私の所属の事を尋ねているのだろうけど……。
小さな私は、やはり大きな私ほど顔が売れていないみたいだ。
「えっと、司令部の……」
私は、もぞもぞと言葉を濁した。
胸を張って私が部隊長ですっと言うのも、何だか恥ずかしかったから……。
「ああ、だからそんな小綺麗な格好をしてるのか。あれか、それが部隊長さまの飼ってる白い犬か?」
シャツのおじさんは、木箱に手を掛けて後ろ足で立ち上がっているアーフィリルを見下ろした。
アーフィリルは尻尾を振りながら木箱の匂いを嗅いでいる。何だか興味津々の様子だ。
しかし私が犬を飼っているとか、何だか私に関する話が色々形を変えて広まっているみたいだ。
「なら都合がいい。この書類、司令部の事務屋に渡しておいてくれないか」
「これは?」
私はおじさんを見上げて首を傾げた。
「今日の分の消耗品の出納書類だ。いつもなら司令部から提出の催促が来るんだが、今日は来やがらねぇ」
うむ?
補給関係はレイランドさんに見てもらっているけど、何かあったのだろうか。
「ったく、補給ってのがいかに大事かわかってるのかね、上は。ましてやここは敵地なのにな」
シャツのおじさんは私に書類を押し付けると、ガリガリと頭を掻いてから木箱のチェックを始めた。
「補給、滞っているんですか?」
私は思わずそう尋ねていた。
そんな報告は聞いていないけれど……。
「今はそうじゃねぇけどな。こんな大所帯、何かあったらすぐ飢えちまう。そしたら騎士も野盗と変わらん。そこいらの村々から略奪してな」
「そんな……」
おじさんのぶっきらぼうな口調に、私はきゅっと眉をひそめる。
騎士さまが、名誉あるエーレスタの騎士さまたちが、そんな事をするなんて信じられない。あり得ない!
「そんな事が起きるのが戦争だよ、お嬢ちゃん。だから、そうならん為に補給が大事だと言っている」
おじさんは短く息を吐き、私をギロリと横目で見た。
「……まぁ実際、そこらの村人にとっては、カルザもオルギスラもエーレスタもさほど違うという認識はないだろう。支配者が誰だろと、民草にはあんまり関係ない話だ」
……そうなのだろうか?
私は、むうっと頬を膨らませた。
「大挙して押し寄せる軍隊なんぞ、恐怖の対象でしかないって話だよ。それを考えて行動しなきゃな。初陣の若い奴らは、張り切っちゃいるがそれがわかってるのかね、まったく」
シャツのおじさんは、吐き捨てる様にそう言うと手元の作業に戻った。そして今度はこちらを見ずに、さっさと書類を届けてくれと手を振った。
私はおじさんにぺこりと頭を下げると、アーフィリルを抱き上げて小脇に抱え、司令部天幕に向かって歩き始めた。
エーレスタの騎士さまたちが野盗みたいな事をするなんて信じられる話ではなかったけど、一般の人たちにとって軍隊が怖い存在であるという話は、なるほどなと思えた。
カルザ王国を解放する為とはいえ、知らない国の軍隊が大挙して押し寄せて来れば、不安になるのは当たり前だ。村や町やその周辺で大きな戦闘が発生すれば住民の方々の命や財産が危険に晒されてしまうし、略奪でないにしても、物資の供出なんかも命じられるかもしれない。
力の弱い一般の人たちが軍隊という強大な武力に直面した時は、その力が通り過ぎるのをじっと待つ事しか出来ないのだ。
ガラード神聖王国の残党に襲われた私の故郷みたいに……。
でも、私たちは救われた。
竜騎士のアルハイムさまに。
私も、私たちの特務遊撃隊も、アルハイムさまみたいに誰かを救える力になりたい。
その為には、もっとカルザの住民の方々の事を考えて行動しなければと思う。侵略者や略奪者ではなく、みんなに頼ってもらえる様な騎士さまになれるよう、行動しなければ……!
私はシャツのおじさんから預かった書類を胸に抱いて、うむっと気合いを入れて頷いた。
それにしても、やっぱり経験豊かなベテランさんは違うなと思う。色々な人と接していると、毎日勉強になる事ばかりだ。
『セナ。我はセナの頭の上が良い』
そんな感慨に浸る私の気持ちを知ってか知らずか、小脇に抱えたアーフィリルがもぞもぞと暴れ始めた。
「もうっ、さっき散歩してたから足が汚れてるでしょ」
私はじろりとアーフィリルを睨むが、緑の潤んだ瞳で私を見上げたアーフィリルは、クーンっと鼻を鳴らした。
「……もう、足拭いてからだからね」
私は半眼でアーフィリルを見てから、うんしょとその場でしゃがみ込んだ。
一旦アーフィリルを地面に降ろしてから、シャツのおじさんの書類を揃えた膝に乗せる。そしてポケットからハンカチを取り出した。
アーフィリルがパタパタと小さな羽を動かして飛び上がると、私の前にすっと足を差し出した。
私はその足を1つずつハンカチで拭って、綺麗にしてあげる。
「……これでよし」
『うむ』
満足そうに頷いたアーフィリルはそのまま上昇すると、ぽすっと私の頭の上に覆い被さる様に降りたった。
パタパタと揺れるアーフィリルの尻尾が、パシパシとポニーテールに結った私の髪に当たる。
頭の上なんて不安定そうに思えるけど、なにがいいんだろ。
えっと、うむむむ……。
私は首を動かしながら、両手で頭の上のアーフィリルの位置を調整する。小さなアーフィリルは驚くほど軽いので、頭に乗せていても全然負担にはならない。
最後にそっとアーフィリルを撫でてやってから、私は書類を抱え直してうんしょと立ち上がった。
ふとそこで、マリアちゃんとアメルと目が合った。
いつの間にか少し離れた場所に立っていたマリアちゃんとアメルが、じっと私を見ていたのだ。
……うむ?
「ねー、可愛くて食べちゃいたくなるでしょ、セナはっ」
「いや、あれでも私たちの竜騎士さま、なんだから……?」
ニヤニヤとしながら私を見るアメルに、真面目な表情のマリアちゃん。
しかし疑問符を込めた視線を送る私がアーフィリルを乗せたまま首を傾げると、マリアちゃんも堪えられなくなったという風にふにゃっと笑顔になった。
直ぐにはっとした様に顔を逸らしてしまったけど……。
「どうしたの、アメル、マリアちゃん?」
私はスカートと束ねた髪を揺らして2人に駆け寄った。
「セナ、オレットさんとかグレイさんが探してたよ。軍議がしたいんだってさ」
いつも通りのアメルの調子に、私は一瞬ふーんと頷いてしまう。しかし直ぐにその言葉の意味するところを理解すると、キッと表情を引き締める。
大きく息を吸い込んで、私は早足に司令部天幕へ向かって歩き始めた。
バサリとマントがひるがえる。
……この時間に軍議は予定されていない筈だ。
それが急遽実施しなければならないという事は、何かがあったという事だ。
その私の後ろを、やはりこちらも表情を引き締めたマリアちゃんと普段通りの様子のアメルが付いて来た。
「マリアちゃん。何があったの?」
私はさっとマリアちゃんを一瞥した。
「偵察の兵が帝国の部隊を見つけたみたい」
……敵。
私はギリっと奥歯を噛み締めた。
「この先の町に籠城しているって。それでセナと相談して今後の方針を決めたいらしいの」
マリアちゃんの簡潔な報告に、私はこくりと小さく頷いた。
敵の規模にもよるが、これでやっとオルギスラ帝国が支配するカルザ王国領内での本格的な戦闘が始まる事になりそうだ。この特務遊撃隊としては、2戦目の本格的な戦闘となる。
……ここで負ける訳にはいかない。
カルザ領民の方々に負担を掛けない為にも、そしてオルギスラ帝国軍掃討に勢みを付けるためにも、ここは素早く敵を撃破しなければならない。
私は睨む様に前方を見据えながら、篝火が揺らめく薄闇の野営地の中、司令部天幕へ向かう足を速めた。
周囲の大地を走る街道が吸い込まれる様に1点に集まったその場所に、色あせた石壁のそびえる城塞都市が広がっていた。
緑が揺れる麦畑に囲まれたその町は、古そうだけど堅牢そうな城塞が特徴的なこぢんまりとした町だった。
それほど規模は大きくなさそうだけど、これまでカルザ領内で見て来たどの町村よりも大きい。
町の中央には教会のものだろう背の高い塔と、領主さまの大きなお屋敷が見て取れる。その他は、くすんだ灰色の壁の建物が所狭しと密集していた。
敷地に反して、建物の密度が高そうな町だった。もしかしたら、結構な人数の人が住んでいるのかもしれない。
晴れ渡った秋の高い空の下、私たち特務遊撃隊は今、その町を半包囲する様に展開していた。
このラーナブルクという町は、レイランドさんの話によるとカルザ王国やサン・ラブール条約同盟が成立する前から存在する歴史ある古い町で、カルザ王国東部の交通の要衝らしい。
ここより北西へ向かえば、カルザ王国の王都を経てノルトハーフェンへ至る。東には私たちが今辿って来たウェリスタ王国へ繋がる街道があり、南東方向へは山岳地帯を通過してブライツ峠、そしてエーレスタへ続く街道が伸びていた。
以前ブライツ峠を経由して押し寄せて来たアンリエッタの援軍も、この町を経由して出撃して来たらしい。
その時の部隊が未だ町内に留まっているかはわからなかったけれど……。
しかし現在も、少なくない帝国軍がその城壁の内部に集結している筈だった。
ラーナブルクから少し離れたエーレスタ特務遊撃隊の本陣からも、町を取り囲む城壁の上の歩廊に展開している多数の兵士や機獣の姿を見て取る事が出来た。
オルギスラ帝国軍は、このラーナブルクで籠城の構えを見せている。
敵の正確な編成や数は不明だが、周辺の町村から得た情報では、支配していた地域から一斉に帝国軍が引き上げていった様なので、なかなかの戦力が集まっているのかもしれない。
籠城している敵の目的は、明らかに私たちの足止めと思われる。
ラーナブルクで時間を稼いでいる間にノルトハーフェンから援軍を呼び寄せているのか、または反撃の態勢を整えているのか、あるいは何か策を講じているのかはわからないけれども……。
帝国軍のラーナブルク籠城の一報が入った後の軍議では、参謀のカウフマンさんから、ここはラーナブルクを迂回して直接カルザ王都を陥れてはという提案もあった。
「籠城戦に時間を掛けていれば、現在の進軍の勢いを殺す事になります。ここはあえてラーナブルクを捨ておきましょう」
そう提案するカウフマンさんに、何人かの幹部騎士さんたちは同意の声を上げた。
でも、その案は却下させてもらった。
ラーナブルクを一時でも見捨てるということは、王都を目指した途端背後から帝国軍に襲われてしまう危険性以上に、カルザの人々を解放するという私たちの大義を蔑ろにする行為だと思えたのだ。
目の前で占領されている町があるのに、それを見捨ててはいけない。
全力を尽くしてその町の、住民の方々の解放を目指さなければならない。
私たちは、そのためにここに来たのだから。
カウフマン参謀やグレイさん、それにオレットさんやレイランドさん、そして他の幹部騎士のみなさんも、一応は私の方針に賛成してくれた。
しかしラーナブルクを解放するとして、問題になったのは私たち特務遊撃隊の攻城戦能力だった。
私たちエーレスタの騎士は、戦技スキルを使った近接戦闘を最も得意としている。
接近してしまえばオルギスラ帝国の騎士など敵ではないけれど、城壁の向こうからちまちまと狙い撃たれては不利になるのは否めない。ましてや敵には、こちらのスキルの守りを無効化する魔素撹乱幕があるのだ。
単純に考えて正面からの力攻めは、危険過ぎる。
ならばとグレイさんが皮肉げに口を歪めて提案したのが、ラーナブルクを取り囲んで帝国軍の補給を断つ持久戦だった。
しかし、もちろんこれも却下だ。
私たちに敵が降伏するまで待っている様な時間はない。この間にも、ノルトハーフェンには敵の援軍が到着しているかもしれないし、東部戦線はさらに激しさを増しているかもしれない。
それに、長期間町を封鎖する事は、町の方々に多大な負担を強いる事になる。
補給担当のシャツおじさんが言っていたみたいに、それではダメだ。
ならばどうすると問い掛けるグレイさんは、試す様に私を見ていた。
ランプの明かりが揺れる司令部天幕の中でキッとみんなを見回してから、私はお腹に力を込めて自分の考えた作戦を口にした。
「私が先行して突入します!」
むんっとみんなを見回す私に、グレイさんが満足そうに大きく頷いた。カウフマン参謀は僅かに溜息を吐き、オレットさんは顔を半分手で押さえて、小さく首を振っていた。
結局グレイさんの後押しもあって、私の案は採用される事になった。
作戦は単純だ。
特務遊撃隊全隊によるラーナブルクの半包囲が完成した段階で、アーフィリルに騎乗した私が上空から町内に降下。敵の注目を集めつつ内側から門を開き、味方の突入部隊を町中に導き入れるのだ。
気持ちの良い秋の陽光に目を細め、私はふうっと小さく深呼吸した。
特務遊撃隊の本陣から防衛態勢を整えようと騒がしくなっているラーナブルクを見つめる私は、既に準備万端だった。
吹き抜ける爽やかな秋風が、私のマントを大きくはためかせる。短いスカートがヒラヒラと揺れている。
私の隣にお座りしている大きなアーフィリルも、気持ち良さそうにふんふんっと鼻を動かして秋風の匂いを嗅いでいた。
……よし、頑張るぞ。
私はぎゅっと握り締めた拳に、さらに力を込めた。
この作戦は、私の行動の速度が重要なのだ。
味方の被害を防ぐのにもラーナブルクの人々を守るのにも、迅速な行動が要求される。しかし同時に、十分に敵の注意を私自身に集めなければならない。
作戦に向けて集中している私の隣に、アメルが寄って来た。
「セナ、無理はダメだよ」
頭を撫でようとするアメルの手を、私はさっと躱した。
「大丈夫だよ、アメル」
私は苦笑を浮かべて隣のアメルを見た。
「セナならきっと出来る。町の人たち、助けてあげて」
今度はマリアちゃんが真っ直ぐに私の目を見つめて来た。
私は少し微笑みながら、マリアちゃんにこくりと頷いて見せた。
ふとそこで、少し離れた場所からこちらを睨む様に見ていたフェルトくんと目が合った。
フェルトくんは少し不満そうな表情を浮かべて、私から目を逸らした。
フェルトくん、どうやら大人な私と一緒に突入したいと言っていたみたいなのだ。
さすがにそれは無理だけど、フェルトくんには私が門を開放した後の突入部隊先鋒に参加してもらう事になっていた。
一番最初に街に突入する部隊はかなり危険だと思うけど、フェルトくんの技量があれば問題ないだろう。
……よし。
作戦開始はまだかな。
私はそわそわと、後ろで話し込んでいるオレットさんとグレイさんを見た。
2人はなにやら、難しい話をしていた。
「……グレイのおっさん。セナの突撃、許していいのか?」
オレットさんが私を一瞥した。
「まぁ、ああなったらいまさら中止なんて聞き入れないだろうけどな」
……うん、その通りだ。
オレットさんは、単騎先行突撃なんて私には荷が重いと思っているのかもしれないけど、アーフィリルの力を借りればきっと問題ないと思うのだ。
「まぁ、お嬢ちゃんがやる気なんだ。 お嬢ちゃんを信じようぜ」
やはりこちらをみてニヤリと笑うグレイさん。
私は、うむっと力強く頷き返しておく事にする。
「いいか、オレット。お前ならわかっているだろうが、この部隊の頭にセナさまが据えられて意味を考えれば、今回はいい機会なんだよ」
「エーレスタの竜騎士の活躍ってやつか。しかしこの間の戦いだって、あれだけの機獣を1人で撃破したんだ。竜騎士の武勇伝としちゃそれで十分では……」
「いや、それだけでは足りんな。竜騎士アーフィリルの活躍を語り、広める役が足りん」
「だから、一般市民のいる場所で戦と……?」
「そうだ。宣伝役はエーレスタや軍と関係ない者が好ましい。恐らく統帥部はそこまで考えてこの部隊を……」
「セーナ!」
わふ!
何となく聞こえて来たオレットさんとグレイさんのひそひそ話に耳を傾けていた私は、突然アメルにむぎゅっと抱き締められた。
アメルの胸当ての冷たい金属が、ぎゅむぎゅむと私の頬に押し当てられる。
うぐぐ……。
「ア、アメル……」
「気をつけてね! あたし応援してるから!」
先ほどとは打って変わって、今にも泣き出しそうな声を上げて私を抱き締めるアメル。
「アメル、セナが潰れるから」
それを見たマリアちゃんがそう注意しながら私の手を引っ張ってくれるが、今度はその手が千切れそう……!
助けを求める様に目だけで周囲を見回すが、フェルトくんは呆れた様に半眼でこちらを見ているだけだった。
特務遊撃隊の本陣を固めるサリアさん以下アーフィリル隊のみんなも、柔らかな微笑を浮かべて私たちを見つめている。戦闘の前だというのに、みんな穏やかな表情だった。
「遊びはそこまでだ」
そんな私たちの背後から、オレットさんのため息混じりの声が響いた。
「……全隊配置完了だ。セナ。出られるか?」
まだ納得いかない様な表情を浮かべているオレットさんだったけど、私はその目を見つめながらアメルの腕の中でこくりと頷いた。
私に出来る事があるならば、迷っている余地などない。
自然とアメルが私を離してくれる。
「こちらも準備完了です。出ます」
私はオレットさんや周りのみんなを見回して、そう宣言した。
その言葉を待っていた様に、伏せの姿勢を取ったアーフィリルが私の前にその首筋を差し出してくれる。
私はうんしょっとその白い羽毛に埋まる様に、アーフィリルに跨った。
「それでは行って来ます! グレイさん、手筈通りに! オレットさん! 部隊の指揮をお願いします!」
アーフィリルがぐっと首を持ち上げると、私は一気に周囲のみんなを見下ろす位置になった。
上からみんなを見下ろすというのは、なかなか新鮮だ。
グレイさんがニヤリと笑いながら、後はお任せをと声をあげる。オレットさんは、私に軽く手を上げて見せた。
私はアーフィリルの首筋から、前方を睨み付けた。
両翼に広がるのは、整然と隊列を組む我がエーレスタの特務遊撃隊の騎士や兵士のみんな。そして正面に待ち構えているのが、緑の長閑な風景の中に佇む石造りのラーナブルクの城壁だ。
辺りに広がる牧歌的な風景とは対照的に、ピリピリと肌を刺す様な緊迫した戦場の空気が、私たちを包み込む。
この場にいる誰もが、開戦のその時を待っている。
私は、すうっと大きく息を吸い込んだ。
「これよりラーナブルク解放戦を開始します! 竜騎士セナ・アーフィリル、出撃します!」
私が気合いを込めて叫ぶと同時に、アーフィリルがその純白の翼をばさりと大きく広げた。
戦場に赴くというのは、もちろん恐ろしい事だ。こればかりは、何度出撃を繰り返しても慣れるという事はない。
私はぎゅむっと唇を噛み締めて、眼下に迫って来るラーナブルクの町を見つめていた。
今もアーフィリルの白い羽毛を掴む私の手は、微かに震えてしまっている。
……怖いし不安だけれど、私は1人ではない。
決して私が独りで戦う訳ではないのだ。
私には、沢山の仲間たちがいる。
私が突入して道を切り開けば、そこに仲間たちが続いてくれるのだ。
そう思うと、戦場への恐怖よりも頑張らなければという気持ちの方が強くなる。
「……行くよ、アーフィリル!」
私は自分自身を奮い立たせる様に声を上げた。
ラーナブルクが迫る。
その古めかしい城塞都市の上空にさし掛かろうとした次の瞬間。
ラーナブルクの町のあちこちから、発砲煙が吹き上がった。
風を切る飛翔音の後、私とアーフィリルの眼前で砲弾が炸裂した。
凄まじい爆音が響く。
私は思わず白い羽毛に身を埋め、頭を低くした。
……オルギスラ帝国軍の対空砲撃!
私たちの周囲で、次々に砲弾が炸裂する。
閃光が、爆音が、繰り返し私とアーフィリルを襲う。
私は思わずこぼれ出そうになる悲鳴をぐっと呑み込んで、その砲撃の衝撃に耐えた。
大丈夫、アーフィリルなら!
歯を食いしばりながら、私はそっと顔を上げて周りを窺った。
周囲で炸裂している砲弾は、見えない壁に阻まれてアーフィリルには届いていない。全て、アーフィリルの障壁が防いでいるのだ。
それでもオルギスラ帝国軍は、激しく対空砲弾を撃ち上げてくる。その中には魔素撹乱幕らしきものも混じっていた。さらに城壁や屋根の上に陣取った兵士たちも、私たちに向けて発砲していた。
その中を悠々と飛行するアーフィリルは、ラーナブルクの町の中心に進路を取った。
もちろん敵の察知できない高空から一気に降下するという方法もあったけど、それでは意味がない。今はなるべく敵にこちらの姿を見せつけて、町に侵入しなければならないのだ。
密集するレンガ造りの古い建物の屋根が、足下一面に広がる。そのあちこちに、黒い軍装に身を包んだ帝国兵が布陣している。
さらなる発砲煙が吹き上がる。砲弾が炸裂する。
私は必死に唇を噛み締めながら、そんなラーナブルクの町の中心である広場を探した。
そこが降下予定地点だ。
「アーフィリル、あそこへ!」
見つけた!
周囲に響き渡る砲撃音に負けないよう、私は声を張り上げて目的地を指さした。
うむっと頷いたアーフィリルが、旋回、降下し始める。
石造りのモノトーンの町並みが迫る。
石畳が敷き詰められた通りが迫って来る。
狭い道幅の通りや寂れた感じのする広場には一般の人たちの姿はなかった。代わりに溢れているのは、銃を構えたオルギスラ兵ばかりだ。
砲戦型の機獣が、前足をレンガ造りの建物に掛けて後ろ脚立ちになると、背中の砲を直上から迫る私たちに向けようとしていた。
しかし機獣の重さに耐え切れなかったのか、前足を掛けた壁が陥没する。機獣はそのまま、建物を巻き込んで倒れてしまった。
古い建物が倒壊する。土煙が吹き上がった。
……くっ、オルギスラ帝国め。何て酷いことを!
『セナ、飛べ』
アーフィリルの低い声が響く。
うっ。
でも……!
一瞬の躊躇の後、私は目を瞑ってアーフィリルから手を離すと、えいやっと空中に身を躍らせた。
次の瞬間、私の中に強大な力の奔流が流れ込んで来る。
呼吸器するように自然に、アーフィリルの力が体の隅々に行き渡っていく。
キッと目を見開くと、白い光に覆われた私の手足が今まさに純白ドレスに包まれていくところだった。
体が大きくなり、大人の状態へと変化する。
世界の膨大な魔素が、私へと繋がる。
今まで心の奥でくすぶっていた不安や恐怖といった感情が、砲撃の黒煙が広がるラーナブルクの秋の空にすうっと溶けて消えて行くのがわかった。
白の光が途切れる。
目の前にラーナブルクの広場が迫る。
私は体の周囲の魔素を制御して、ふわりと広場の中心へと降り立った。
対空砲撃の音がぴたりと止んだ。
代わりに、カツリと私のブーツが石畳を踏み締める音が響いた。
私はすっと目線を上げる。そして、軽くる深呼吸した。
目だけでさっと周囲の状況を確認する。
吹き抜ける風に白のドレスがふわりと揺れ、余剰魔素を排出する白の長い髪が軽やかに広がった。
固く窓や入り口を閉ざした建物。家具類が放り出された教会。積み上げられたオルギスラ帝国軍の補給物資。そして呆然と私を見ているオルギスラの騎士や兵士たち。
さらに大勢の兵士が、この広場に集まって来ている足音が聞こえる。その中には、重々しい足音を響かせる機獣も混じっている様だった。
どうやら、敵の注目を集める事には成功した様だ。
大人状態で直接乗り込むのではなく、あえて大きなアーフィリルの姿を見せつけて乗り込んだ甲斐があったというものだ。
これで帝国軍は、否が応にでもエーレスタの竜騎士が町中に侵入した事を認識しただろう。
私は、ふっと微かに笑った。
「あ……し、侵入者か」
この広場の指揮官らしき中年騎士が、間の抜けた声を上げた。
「竜はどこに……いや、し、侵入者など!」
徐々に状況が呑み込めて来たのか、中年騎士は目を見開いて顔を真っ赤にし始めた。
「竜騎士ならまだしも、1人だと! 我々を馬鹿にしているのかっ! ええいっ、構わん! 殺せ! さっさとしろ!」
唾を飛ばして叫ぶ中年騎士。
やれやれ。
これでも私も竜騎士なのだが。
「誰か、やれ! さっさと先ほどの竜の探索に……ぐへっ」
私は魔素を編んで生み出した短槍を、その中年騎士に軽く投げつけた。
槍は、まだ何かを叫んでいた中年騎士の胸に突き刺さる。
指揮官の中年騎士は白の刃の槍に貫かれたまま後方に吹き飛び、レンガの壁に激突した。
「さぁ、行くぞオルギスラ帝国軍。死にたい者からそこに並べ」
私は薄く微笑みながら、両手に白く刃の輝く長剣を生み出した。
「ここがお前たちの最期の場所だ」
隊長を失い、一瞬動きを止めた敵部隊だったが、そこはさすがにここまで他国を陥れている軍隊だ。
士気も対応能力も高い。
すぐさま私を排除すべき敵と認識したオルギスラの騎士や兵は、得物を振り上げて斬り込んで来た。
わたしはカツカツと石畳を踏み締めて歩き出しながら、戦斧を振り上げる重装騎士の胴を薙いだ。
黒の鎧を紙の様に斬り裂き、敵騎士を斬り捨てる。
無機質なラーナブルクの街角に、鮮血が飛び散った。
「おおお!」
「侵入者だ、止めろ!」
「囲め、同時に掛かれ!」
広場のあちこちから湧き出して来た帝国の騎士や兵士が、私の周囲に殺到する。
そう、それでいい。
私に意識を向ければ、町の外から迫る味方の被害が減るというものだ。
突き出される槍の束をまとめて左の剣で斬り飛ばすと、正面から迫る騎士の剣を斬り、返す刃でその首を刎ねる。
袈裟掛けに斬り倒され味方の死体を盾に踏み込んできた巨漢の騎士が掴み掛かって来るが、スカートを膨らましてくるりと体を回転させた私は、その首筋に剣の柄頭を叩き込んで石畳へと沈めた。
右の剣で武器を握る騎士の腕を斬り飛ばし、鋭い刺突を繰り出す騎士の顔面に逆に剣を突き立てる。
ひらりとドレスと髪を揺らして、私は帝国兵の包囲の中を軽やかに進んで行く。
血飛沫が舞う。
しかし私は、歩みを止めない。
頭の中に事前に確認して来たラーナブルクの地図を思い浮かべ、町の正門に向かって進む。
私は、広場から他よりは少し広めの通りに入った。恐らくここが、この町のメインストリートの筈だ。
「おのれえっ! やれ、何をしている! 殺せぇ!」
通りの前方に、新たに軍馬に騎乗した指揮官らしき騎士が現れた。
「ふっ」
私は短く息を吐くと、そちらに向かってひゅんっと左の剣を投擲した。
くるくると回転した剣が通過すると、新手の指揮官の頭が一瞬にして胴から落ちた。続いて残った胴も、どさりと落馬する。
私の手を離れた白の剣は、すうっと溶ける様に空中に消えた。
敵は、混乱すればする程良い。
指揮官は優先的に潰さなければ。
剣を投げた為に空手になった左側から、槍を構えた軽装の兵が突撃して来た。
私は軽くステップを踏んでその突きを躱すと、おもむろに槍の柄を掴む。そしてひょいっと槍ごと槍兵を持ち上げると、後ろから迫って来ていた敵の一団に叩きつけた。
「ぐえっ」
「がはっ!」
悲鳴ともカエルの鳴き声共つかない声が通りに響き渡った。
私はそちらに流し目を送りながら、さっさとドレスの裾をひるがえして正門への歩みを再開した。
「何なんだ、あれは!」
「ば、化け物が……!」
さらに敵騎士を10人ほど斬り倒すと、さすがに敵の足が一時的に停止した。
私の周囲は、すっかり血と死体で埋め尽くされていた。しかしアーフィリルの障壁で守られた私は、純白の姿のままだ。
「こ、これがエーレスタの竜騎士の力か……」
「馬鹿野郎、竜なんていないだろう……!」
「でもあれは、まるで物語の終の花みたいだ、真っ白の……」
間合いを図りながら私を取り囲む帝国騎士たちが、ざわつき始める。
ふむ。
私は、大きく膨らんだ胸にそっと左手を当てた。
アーフィリルは、ここにいるのだけれど、な。
「銃歩兵部隊は何をやっているのだ?」
「魔素は抑制しているのだろ! 何故銃撃が効かないんだ?」
帝国騎士が剣を構えながら、苛立たしげに吐き捨てた。
もちろん先程から激しい銃撃が続いている。
通りの左右の建物から、歩兵銃の部隊が私を狙撃ちしているのだ。それと同時に、ラーナブルクに町のあちこちから魔素撹乱も打ち上げられている。それも、ひっきりなしに。
どちらも私には驚異とはならないので、今は放置だ。
屋根の上の銃歩兵は始末しおきたいが、ここから白の光球で吹き飛ばせば、その足下の民家も破壊してしまう恐れがある。しかし逐次倒して回るには時間が惜しい。
迅速に、しかしラーナブルクの住民になるべく負担を掛けない様に帝国軍を排除しなければならないのだ。
「おおおおおおっ!」
正面から雄たけびと共に斬り込んで来た騎士を3人、連続で斬り倒す。
再び左手に白の剣を生み出し、更に迫る5人を斬る。
私が振り抜いた剣に合わせて、血の飛沫が舞う。
レンガ造りの建物の壁が、徐々に赤く染まっていく。
「どけ! 射線を開けろ!」
怒声と悲鳴と銃声が響く中、そんな怒鳴り号が聞こえた。
さっと周囲の騎士や兵たちが後退する。
その先、通りの奥から、2体の機獣が道を塞ぐ様に現れた。
いずれも大砲を背負った砲撃戦タイプだ。
「撃て、撃て!」
敵騎士が唾を飛ばして剣を振った。
足を開いて身を屈めた機獣が、大砲を放つ。
耳をつんざく様な砲声が響いた。その衝撃で、周囲の建物がビシっと震えた。
私は半身を開いて射線を外す。さらに、さっと片手の剣を振り上げた。
初弾を躱し、次の砲弾を白の刃が両断する。
左右に分かれた砲弾が私の左右を通過すると、衝撃で純白の髪がふわりと広がった。
回避した1発が近くの建物を直撃する。
さらに私が斬り裂いた砲弾の破片が、通りの左右の建物に突き刺さった。
盛大な土煙が上がる。
地響きを上げて建物の一部が崩れた。
私はそちらに目をやり、僅かに眉をひそめた。
またこうして罪もない人々の家を破壊するとは、乱暴な奴らだ。
「その罪、この場で贖ってもらおうか」
私はぽつりとそう呟くと、機獣に向けて駆け出した。
砲弾を無効化され、あんぐりと口を開いたまま固まっている騎士を一刀のもとに斬り捨てる。
さらにその死体が地面に崩れ落ちるより早く2体の機獣の脇を駆け抜けると、その鋼鉄の体を引き裂いた。
足ごと体の側面を斬り裂かれた機獣が、横倒しに崩れ落ちる。首の根元に刃を突き立てた機獣は、煙を噴き上げてその場で動かなくなった。
私はさっさと剣を振ると、正門に向かって再び歩き出した。
エーレスタやメルズポートに比べればさほど広くはないこの町のどこにこれほどの敵がいるのだろうと考えてしまう程、周囲からわらわらと敵兵士や敵騎士が溢れ出して来る。
帝国軍は直接攻撃を仕掛けながら機獣の体をバリケードの様にして私の動きを止めようとしていたが、私にはちょっとした障害物程度にしかならなかった。
ラーナブルクの入り口である正門前広場に辿り着く頃には、私が進んで来た通りは、無数の帝国騎士や兵の屍、そして機獣の残骸で埋め尽くされていた。
それでも正門前広場には、まだまだ黒山の敵が待ち構えていた。
町の周囲を囲む城壁の上をちらりと窺うと、銃を構えた兵たちが、私と町の外の敵とどちらに対処していいのかわからず、オロオロと狼狽えている様子が見えた。
私が敵の注意を引く作戦、なかなか上首尾の様だ。
そろそろ開門しても良いだろうか。
「そこまでだ、女ぁ!」
正門を守る帝国軍の中から、野太い濁声が上がる。
私が視線を戻すと、分厚い重装甲鎧を身にまとった騎士が3人、敵集団の中から前へ進み出て来るところだった。
「随分好き勝手やってくれた様だが、それも終わりだ!」
「我らオルギスラの最新鋭兵器、91式機刃剣が貴様を斬り捨てる!」
「死にたくなければ、投降しろ! もっとも、投稿しても死にたくなる様な目に合わせてやるがな!」
口々に勝手な事を叫ぶ騎士たち。
私は半眼でその賑やかな騎士たちを見た。
「……涼しい顔をしやがって」
「その綺麗な顔、斬り裂いてやるわ!」
「その罪、その身で贖え!」
重装騎士たちが剣を抜き放ち、あるいは既に手にしていた剣をガシャリと構えた。
騎士たちが構えたのは、一見して何の変哲もないただの長剣だった。しかし良く見ると、やや剣身が広く思える。さらに鍔元にゴテゴテとした機械が付いていて、何だか重そうだった。
「いくぞ!」
気合いの声と共に騎士たちが突撃して来る。重々しい鎧の音が、周囲に響いた。
その瞬間。
騎士たちの手にした剣の刃が、淡い黒の光に包まれた。
私は、んっと眉をひそめた。
『セナ。魔素を感じる。あの剣からだ』
アーフィリルが胸の奥でぼそりと呟いた。
「ああ」
私は短く答えながら、打ち下ろされる騎士の剣に合わせてこちらの白の剣を振り上げた。
「なっ!」
敵騎士のが驚愕の声を上げた。
私も僅かに目を見開いた。
私の白の刃の剣と敵騎士の黒の光の剣が、甲高い音を上げて激突したのだ。
魔素と魔素がぶつかる激しい閃光が走る。
魔素の刃はあらゆるものを切り裂く。それを受け止められるのは、同じく魔素で編まれた刃のみ。
今まで私の剣を受け止めたのはアンリエッタの槍だけだったが、どうやらこのゴテゴテとした機械付きの剣は、私の白の剣と打ち合う事が出来るようだ。
「馬鹿なっ!」
敵騎士は、しかし打ちつけた剣に力をこめることもせず、ただ愕然としているだけだった。
敵からすれば、何でも斬り裂く筈の魔素の刃が受け止められてしまったのだ。よほどそれが衝撃的だったのだろう。
私は片手の剣で騎士の黒の刃の剣を受け止めながら、もう片方の剣でその騎士の腕を斬り飛ばした。
鮮血が飛ぶ。
魔素の刃の剣と鎧に包まれた騎士の腕が、甲高い音を立てて石畳の上に転がった。
「おのれぇぇっ!」
別の騎士が、やはり黒く輝く刃の剣で横薙ぎの一撃を放って来る。
私はその斬撃を軽く身を引いて躱し、逆に下から斬り上げる斬撃で相手の体を逆袈裟懸けに斬り裂いた。
続く3人目も、1合のもとに斬り伏せる。
その一瞬の出来事に、周囲の敵騎士たちは味方の援護も忘れてぽかんとこちらを見ているだけだった。
私はふんっと軽く息を吐いた。
剣を受け止められても、それだけの事だ。武器を破壊出来ないなら、直接敵を斬り伏せれば何の問題もない。今の私には、帝国騎士たちの動きは止まっている様に遅く見える。取り回しの悪い巨大な剣を持った騎士など、相手にならない。
しかしこの帝国軍の新兵器、一般の騎士や兵士たちには驚異になるかもしれないから、後でオレットたちには注意しておこうと思う。
私はそのままカツカツと踵を鳴らしてラーナブルクの正門に向かった。
帝国軍部隊はそれ以上私に攻撃を仕掛けて来る事はなく、武器を構えながらもジリジリと後退し、私に道を開けた。
私は巨大な門扉の前に立つと、右の剣を消して補強用に通されたかんぬきにすっと右手を当てた。
「貴様、何を!」
帝国騎士が焦った様な声を上げた。
「はは、機械式の門扉だぞ。女1人に開けられる訳がない!」
別の騎士が乾いた笑い声を上げた。
私はそちらを一瞥し、薄く笑う。そして手のひらに白の魔素の光を生み出すと、それを門扉に向かって放った。
かんぬきがへし折れる。
さらにその衝撃て、巨大な門扉がばっと外側へと開いた。
壁面や門扉から、何かが軋む音やへし折れる音が響く。
門の周囲には、盛大に土煙が巻き上げられる。
「馬鹿なっ!」
帝国騎士が叫ぶ。
「て、敵襲! エーレスタだ! 敵襲!」
別の騎士が叫んだ。
開け放たれた扉の向こう。
ゆっくりと土煙が晴れて行く。
その向こうから現れたのは、無数の騎兵集団。
乾燥した大地に新たな土煙を上げて、密集隊形を維持した騎兵隊が真っ直ぐにこちらに向かって突撃してくる。
煌めく白銀の鎧。
ひるがえるマント。
見まごう事なきエーレスタ騎士団が誇る騎兵部隊だ。
「突撃!」
「おおおおおおおっ!」
馬蹄の音が激しく響き、気合いの声があちこちから繰り返し上がる。
裂帛の気合と共にその声が、本体に先んじてラーナブルクへと突き刺さった。
「全軍突撃! 帝国軍を駆逐せよ!」
先頭を行く騎士が咆哮を上げた。
あれは、オレットか。
「竜騎士アーフィリルが道を斬り開いた! 全軍、セナ・アーフィリルに続け!」
「行くぞぉぉっ! 俺に続けぇっ!」
オレットの後方で味方に向かって声を上げているのは、フェルトだ。
「て、撤退だ! 下がれ! 皆、下がるんだ!」
帝国軍が慌てて門の周囲から引き始めるが、既に遅い。
私の周囲を駆け抜けて行くエーレスタの騎兵たち。
陽動作戦が功を奏したのか、ここまで損害を受けた様子は無かった。
オレットが私に目配せする。
私はコクリと小さく頷いた。
騎士たちが駆け抜ける風圧で、私の髪がふわりとと揺れた。
「アーフィリルさま、万歳!」
「竜騎士さま!」
「今度は我らの番だ!」
「アーフィリルさまに続け!」
味方の騎士たちが口々に勇ましい声を上げながら、ラーナブルクの街中に向かって突撃して行く。
逃げ遅れた敵兵が、次々にエーレスタの騎兵たちに蹂躙されて行く。
真っ先に敵を仕留めている部隊の中には、フェルトの姿もあった。
フェルトは私と目が合うと真っ赤になって一度顔をそらしてしまったが、再びこちらを見てとこくりと大きく頷いた。
エーレスタ特務遊撃隊第一陣が、瞬く間にラーナブルクの町中に浸透して行く。
正門前広場だけでなく、町のあちこちから剣戟の音や銃声が響き渡り始めた。
ここからは町中の敵を駆逐する殲滅戦だ。
私も残存する機獣の相手をするべく、再び町中に向かって歩き始めた。
この日正午近くから始まったラーナブルク攻略戦は、戦闘開始から僅か数時間で終結する事となった。
敵司令場は味方部隊が次々と町内へなだれ込んだ時点で降伏し、帝国軍の組織的な抵抗は早々に集結したが、一部抵抗を続ける敵の掃討にやや時間を要してしまった。
それでも日が完全に落ちる前には、殆どの戦闘状況は終了していた。
私たちエーレスタ特務遊撃隊は、僅かな損害でラーナブルクの帝国軍を制圧、町を解放する事に成功したのだ。
これで次の目標は、カルザ王国内でも帝国の最大戦力が集結していると思われる王都攻略となった。
白の剣を手にした私は、戦場となった町角に立ちながら茜に染まる空を見上げてすっと目を細めた。




