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第21幕

 薄雲の広がる灰色の空の下。

 淡く射し込む光の中、空中に留まるアンリエッタの放った黒の光弾は、吸い込まれる様にファレス・ライト城を直撃した。

 ドンっと衝撃音が響き渡り、お城から黒煙が立ち上る。

 アンリエッタの上空で旋回するアーフィリルに跨った私は、呆然とその光景を見つめる事しか出来なかった。

 エーレスタの中心たるファレス・ライト城が煙を上げている……。

 目の前で起こっているその光景が、信じられなかった。

 私がお城に目を奪われている間に、その攻撃を行った張本人、黒の竜の鎧の機竜士アンリエッタは、さっと翼を動かすと、そのままお城に向かって降下、突撃を開始した。

 あっという間にその姿は、お城から吹き上がる黒煙に紛れて見えなくなってしまう。

「アーフィリル、追って!」

 私ははっとして、アーフィリルをポンと叩いた。

『承知した!』

 大きく翼を動かして鋭く旋回したアーフィリルも、アンリエッタを追う様にファレス・ライト城への降下に入った。

 私はきょろきょろと髪を振って周囲を見回し、目を凝らすが、アンリエッタの姿は見当たらない。

 城内に侵入してしまったのだろうか……?

 ……うくっ。

 私はぎゅむっと唇を噛み締めた。

 アンリエッタは、最初から城内に侵入するつもりだったのだ。

 お城を攻撃するのが目的ならば、最初の一撃で半壊させる程度の事は出来た筈だ。そうしなかったのは、破壊以外の何か目的があるからだ。

 そのアンリエッタの目的がわからない。

 ……どうすればいいのかな。

 私は、きゅっと眉をひそめた。

 そのまま一瞬だけ目を閉じて軽く深呼吸をした私は、直ぐにキッと目の前の黒煙を上げるファレス・ライト城を睨み付けた。

 今は、取り敢えずあの黒の竜の鎧を追うしかない。そしてアンリエッタが何かを仕掛ける前に、押さえるしかないだろう。

 吹き上がる黒煙が、アーフィリルの羽ばたきによって吹き散らされる。城の敷地内を走り回る外周警備の騎士の皆さんが、私とアーフィリルを指差して何かを叫んでいた。

「アーフィリル、アンリエッタの位置はわかる?」

 私は混乱する城の敷地と破壊されたお城を交互に見ながら、アーフィリルに尋ねてみた。

『近くにいる事はわかる。しかし詳しい場所は不明だ』

 うむむ……。

「……やっぱりその穴から入ってみるしかないか」

 私はアーフィリルの背からぐいっと身を乗り出して、黒煙が立ち上る中心、アンリエッタの攻撃で開いた穴を覗き込んだ。

 アーフィリルが羽ばたきながら、ゆったりとその穴に寄せてくれる。

 アンリエッタの一撃を受けたお城の外壁は、まるで崩された積み木の様に呆気なくめちゃくちゃに破壊されてしまっていた。

 ドキドキと胸が震える。

 もし今、この黒煙の向こうからアンリエッタが飛び出して来たらと思うと、緊張と恐ろしさで心臓が張り裂けてしまいそうだった。

 胸の真ん中がすっと冷たくなる。

 私はギリっと全身を強ばらせるが、しかしすっと大きく息を吸い込むと、意識してぐっと全身に力を込めた。

「……よし、突入しよう」

 私の言葉に、アーフィリルがうむっと大きく頷いてくれた。



 背に乗ったままアーフィリルと融合した私は、大人状態となって空中に身を踊らせた。

 白く輝く髪がふわりとひるがえる。

 吹き付ける風に大きく白いドレスを揺らしながら、私はアンリエッタの開いた破孔からファレス・ライト城の中へと降り立った。

 魔素で編まれたブーツで、カツリと音を立てて瓦礫に溢れる廊下を踏みしめる。

 目だけを動かして、さっと周囲を警戒する。

 私が降り立った地点から左右には、ファレス・ライト城の長い廊下が続いていた。

 磨き上げられた床と、精緻な模様が複雑にあしらわれた壁紙。彫刻が施された燭台や壁に並ぶ大きな絵画。

 そんな豪奢な内装が、アンリエッタの攻撃を受けた一角のみ無惨にも破壊されてしまっていた。

 魔晶石の明かりが消えた廊下は、薄暗かった。

 時刻は間もなく黄昏時を迎える。曇りがちの天候の上に日が傾きかけているので、外から入って来る光が弱いのだ。その上、一部黒煙が城内にも充満してしまっていた。

 周囲には、ものの焼け焦げる臭いが満ちていた。アンリエッタの一撃で、未だカーテンや壁紙などが燃えていた。

 アンリエッタが襲ったのは、ファレス・ライト城でも奥まった一角。恐らくは、ローデント大公とその家族が生活していると思われる区画だ。

 城勤めをしていたとはいえ、私も城内の全てを把握している訳ではない。少なくともこの破壊された一角には、見覚えがなかった。

 さて。

 あの黒の竜の鎧はどこに潜んだのか。

 私は短く息を吐くと、手の中に白の長剣を作り出す。

 そしてドレスの裾を揺らして廊下の真ん中に立つと、目を伏せて周囲の気配に意識を向けた。

 どこか遠くで慌ただしく行き来する人の気配がする。恐らくは城の警備に就いている近衛騎士たちだろう。この階や下の階にも、複数の塊で動く人の気配があった。もちろん城の外にも、だ。

 その中に、アンリエッタのあの強大な魔素の反応を探ってみる。

「北側か?」

 私はふと顔を上げて呟いた。

『うむ。漠然とだが、セナの察した通りだろう』

 私の推論を、アーフィリルが肯定してくれた。

 確かに近くに強大な魔素の反応を感じる。しかし、その力が大きすぎて、漠然とした位置を推し量る事しか出来ないのだ。

 白の剣を下げながら、私はカツリカツリと踵を響かせて歩き出した。

 いずれにせよ、何時までも立ち止まっている訳にはいかない。

 人気のない薄明りの廊下を足早に進みながら、私は左側に並ぶ窓の外を一瞥した。

 完全に日が落ちてしまえば、逃げる側が有利になってしまうだろう。その前に、何としても見つけたい。

 私が進む廊下の先は、既に暗く闇に沈んでいた。

 その先から、あるいはずらりと並ぶ扉のいずれからか、突然アンリエッタが飛び出して来るかもしれない。

 もちろんあの黒い竜の鎧が姿を見せれば、全力で斬り伏せるのみだ。

 角を曲がり、幾つかの部屋の中も確認する。

 しかしなかなかアンリエッタの姿を発見する事は出来なかった。

 同時に私は、ふと違和感を覚える。

 遠くに気配はすれど、こちらに駆け付けてくる近衛騎士の姿が無い。

 城が攻撃を受けたというのに、それは不自然ではないだろうか。

 被害を確認するにしても、賊を捕らえるにしても、まずは状況把握が一番重要だと思うのだが。

 ましてやここが大公家のプライベートエリアだとするならば、なおの事近衛がすぐさま駆け付けて来ても良い筈だ。

 私は周囲よく確認しながら、ドレスの裾を膨らませてさっと廊下の角を曲がった。長く伸びた白の髪が、私の後を追ってひるがえる。

 城の奥へと続く廊下は、窓がなくなり左右とも壁と扉になってしまった為にさらに暗くなっていた。

 ゆっくりと慎重に歩みを進める私の周囲には、やはり人の気配はない。

 そこでふと私は、今回の出撃前の作戦説明会議の場で出ていた話を思い出した。

 ブランツ峠方面の帝国軍を討伐する作戦に対し、急遽近衛隊の派遣が決まったため、一部城内の警備を簡略化するという話が出ていたのだ。 

 城内の一般区画は第3大隊が警備しているが、大公の身辺区画は近衛が担当している。その部分の人員を一部減らすという事になっていた筈だ。

 もちろんそれはローデント大公も了承済みの話であり、外側の第3大隊の担当区画の警備を厚くするという対策で話はついていたと思うが、それが今回裏目に出たという事なのだろう。

 まさかアンリエッタの様に、空中から直接攻め込まれるとは誰も想定していなかったという事だ。

 しかしながら、エーレスタ騎士団の中でも精強さを誇る近衛隊が揃っていたところで、あのアンリエッタを阻めたかというと些か疑問が残る。

 やはりあの黒い竜は、私が仕留めなければならない。

 私はキッと廊下の先を睨み付け、漠然としたアンリエッタの気配を追った。

 暗い廊下の突き当たりは、大きな扉になっていた。

 その立派な扉は、無惨にも切り裂かれ、打ち破られていた。

 私は目を細め、ふっと薄く微笑んだ。

 どうやら標的がいるのは、こちらで間違いない様だ。

『反応が近くなっている。既にすぐ側に彼の敵が潜んでいてもおかしくはない。注意せよ』

 アーフィリルの低い声が胸の中で響いた。

「了解」

 私は短く応えると、薄暗がりの中でぼうっと刃の輝く白の長剣を握り直した。

 破壊された扉をくぐる。

 その向こう側は厚い絨毯の敷かれた広い空間になっており、さらに3方向に廊下が延びていた。

 魔素の反応を探る。耳を澄ませる。暗闇の中をじっと見つめる。

「いるな」

 私は小さく呟いた。

 正面の廊下の先から、何かが聞こえて来た。

 何者かが激しく動き回る音。金属のぶつかる音だ。

 誰かが戦っている。

 そう理解した瞬間。

 私は、床を蹴って飛び出していた。

 白のドレスをひるがえし、広い廊下を駆け抜ける。

 やがて廊下の内装が、無残に切り裂かれ、破壊されている場所へと突入した。

 やはり激しい戦闘があった様だ。

 その廊下の隅に、倒れて動かない騎士の姿を見付ける。

「近衛騎士か」

 私はその騎士の隣にふわりとしゃがみ込んだ。

 鎧の上から胸を一突きにされた騎士は、既に絶命していた。

 私はすっと目を細める。

 アンリエッタの仕業か。

 周囲を見回すと、廊下のあちらこちらにも同様に騎士たちが横たわっていた。

 皆既に事切れていたが、ふとそこで微かに呻き声が聞こえた。

 周囲を見回し、その声のもとに駆け寄る。

 そこには、フロックコート姿の男が絶命した騎士に守られる様にして倒れていた。

「大丈夫か」

 騎士の体の下から引きずり出したその男の顔には、見覚えがあった。

 蛇を思わせる細面は、エーレスタ騎士公国の内政を司る聖騎士正、国家の重鎮である政務卿だ。

「うくっ」

 苦痛に顔を歪める政務卿。

 見たところ外傷は、左腕の傷のみだ。鋭利な刃物で二の腕を切り裂かれているが、命に関わる様な傷ではない。

「君は……」

 襲われた衝撃でまだ混乱しているのか、政務卿は軽く頭を振りながら私を見上げた。

 その顔が、一瞬驚愕に歪む。

「……竜騎士アーフィリル。何故君がここに」

「帝国軍の竜の鎧を追って来た。これも奴が?」

 私の問い掛けに政務卿は一瞬考え込むような表情を見せるが、直ぐに苦々しく顔をしかめながら頷いた。

「竜騎士アーフィリル。この先に大公さまがいらっしゃる。今はまずそちらを……」

 やはり傷が痛むのか、政務卿が脂汗を浮かべながら廊下の先を見た。

 明かりの消えたその先からは、何者かが激しく争う音が響いて来る。

 刃と刃がぶつかる剣戟の音だ。

「……くっ。こ、こちらは大丈夫だ。貴公は大公陛下のご家族をお守りしろ」

 政務卿が鋭い目で私を睨み上げた。

 私は政務卿を見下ろし、こくりと頷いた。

 やはりこの区画にローデント大公がいるという事か。

 そうなれば、自ずとアンリエッタの目的も見えて来る。

「行け、竜騎士アーフィリル。大公さまを頼む!」

 顔を歪める政務卿にもう一度頷いてみせると、私は白の剣を握り締めてふわりと身をひるがえした。そして、未だ争いの音が響く部屋へと向かった。

 そこは、会議室か又は食堂か、横に細長く伸びた広い部屋だった。

 正面の壁一面が全て窓になっていて、雨雲が途切れた西の空から顔をのぞかせた茜色の夕日が、斜めに部屋の中へと射し込んでいた。

 窓の外には、雨雲の通り過ぎた黄昏時のエーレスタの街並みが広がっている。赤屋根連なる街並みが夕日に輝く光景は、本来ならば目を奪われる様な絶景だった筈だ。

 しかし私は、それよりも眼前に広がる惨状から目を離す訳にはいかなかった。

『あはっ、やっぱり来た!』

 鎧を通しているせいで僅かにくぐもった少女の声が、明るく響く。

『きっと来ると思ったよ。そろそろ雑魚の相手をするのは飽きたんだ』

 部屋の中央に立つ黒い竜の鎧が、少女の声を響かせながらゆっくりと私の方へと向き直った。

 その腕を直接、近衛騎士の胸に突き刺したまま。

 本来なら部屋の中央には、幾つかの長机が並べられていた様だ。まさに、会議室の様に。

 しかし今、真っ直ぐに私を見据えるアンリエッタを中心に、室内の机や調度品はことごとく吹き飛ばされ、破壊されてしまっていた。

 アンリエッタの周囲には、既に5人の近衛騎士が倒れていた。傷の状況からして、皆既に絶命していると思われる。

『追って来てくれて本当に嬉しいんだけど、残念ながら私は今お仕事中なのよね。直ぐに終わるから、少し大人しく待っていてくれないかしら』

 惨劇の中央に佇むアンリエッタは、心底残念だという風に溜め息を吐いた。そして無造作にその腕に貫かれたままの近衛騎士を振り落とした。

 近衛騎士の亡骸が、ごとりと壊れたテーブルの上に転がる。

 私はその騎士を一瞥してから、再びアンリエッタを見据えた。

 自分でも、すっと自然に表情が消えてしまうのがわかる。

 ガシャリと鎧を鳴らして私に対するアンリエッタは、今は黒の槍を所持していなかった。その代わりに、黒の籠手から2本の長い鉤爪が生えている。どうやらその爪で、騎士の体を貫いていた様だ。

 やはりアンリエッタも、私と同様に魔素の構成を操れば自在に様々な武器を生み出す事が出来るのかもしれない。

 返り血で赤く斑に染まった黒の鎧を、斜めに差した夕日の赤が染め上げる。光の当たっていない兜には、血糊よりも赤い目が爛々と輝いていた。

 私は、すっと剣を構えるとその切っ先をアンリエッタに向けた。

「お前の好きにさせると思うか?」

 アンリエッタに向かって、私はふっと微笑み掛けた。

『なら、しょうがないわね』

 アンリエッタがさっと腰を落として鉤爪の両手を構えるのと、私が白の剣の切っ先を僅かに動かしたのは同時の事だった。

 その刹那。

 床を軋まして踏み込んだ私と、両腕の鉤爪を振りかざして突撃するアンリエッタが激突する。



 私の白く輝く剣が、一撃で巨大な机の残骸を粉砕する。

 ひらりと身軽に私の斬撃を避けたアンリエッタは、低い姿勢から右腕の爪を振り上げて来た。

 竜の兜の赤い光が、ずいっと私に迫って来る。

 長柄の槍を振り回していた時も素早い動きだったが、取り回しのいい武器になった事でその動きがさらに小回りの効いたものになっている。

 しかし間合いが狭まった分だけ、槍と対した時よりも私にとっては対し易い。

 獣の様に上から下から襲い来る鉤爪を小さく振った剣で弾き、その攻防の一瞬の隙をついて攻守を反転させる。

 今の私の剣ならば、並みの鎧ならば部位など気にせずにそのまま両断する事が出来る。しかし、アンリエッタにそれは通じない。

 現に黒の籠手の一部が伸びた様な鉤爪は、私の白の剣と何度打ち合っても折れるどころか傷付く様子もなかった。

 恐らく鎧にも、何らかの防御スキルの様なものが展開されている筈だ。

 ならば狙うはその鎧の繋ぎ目。

 その装甲の内部。

 私は三連続の突きで一旦アンリエッタを押し戻すと、間合いを離す。

 一度引くと見せかけて、しかし逆に深く前へ踏み込む。

 そしてすかさず、魔素を込めた一撃を繰り出した。

 袈裟掛けに振り下ろした白の剣が、ぶんっと大気を切り裂く音が響く。

 その一撃を予想していたのだろうアンリエッタは、獣じみた動きで大きく私の側面に回り込む様に回避する。そして、がら空きとなった私の体目掛けて鉤爪を振るった。

 私の、予想通りの位置に。

 その黒く輝く切っ先を一瞥した私は、右足を軸にして床を蹴った。

 ひらりと体が回転する。

 私の横手に迫るアンリエッタの、さらにその側面に回り込む。

『おっ!』

 慌てた様にアンリエッタがこちらを見上げる。

 その首筋の黒の鎧の繋ぎ目に向かって、私は剣を振り下ろした。

 白の残光を残した私の斬撃が、机の残骸や床を斬り裂き、衝撃が部屋全体を激しく揺るがした。

 黒の竜の鎧が軋み、倒れる。

 しかし。

『はっ!』

 砕けた机や床の破片が吹き上がる中、倒れたかに見えた黒の鎧は、その巨体をごろりと回転させた。

 アンリエッタが短く息を吐き、膝を立てて体を起こす。

 黒の鎧を斬ったにしては手応えがなかった。

 私の一撃は、完全に避けられてしまったのだ。

 やはり、すばしっこい。

 私は眉をひそめ、剣を戻しながら不安定な姿勢のままのアンリエッタにさらに追撃を加えようとする。

 しかしそこで、私はぐっと踏みとどまった。

 首筋がちくりとする。

 その私の眼前で、アンリエッタの片手にぼうっと闇色の光が集まるのが見えた。

 その黒の光は、長く伸びた黒の槍の形へと変化する。

 くっ!

 生み出したばかりの黒の槍を、アンリエッタは無造作に私に向かって突き出した。

 眼前に迫る矛先。

 私はとっさに剣を振り上げ、槍を弾きながら後ろへ飛ぶ。

 あのまま踏み込んでいたら、今の黒の槍は回避出来なかった。

 私とアンリエッタは、再び距離を開けて睨み合った。

 アンリエッタが立ち上がる。

 私はふっと息を吐き、白の剣を構え直した。

 やはり、一筋縄ではいかない様だ。

 禍々しい黒の竜の兜を睨み付けながら、私は次の攻め方を考える。

『あなたと遊ぶのは楽しいけどさ……』

 対するアンリエッタは、両腕の鉤爪を伸ばしたまま、黒の槍を小脇に構えていた。

『私仕事しないといけないんだよね。邪魔しないでもらえるかな?』

 私を睨み付けるアンリエッタの声には、先程までの無邪気な響きばかりではなく、微かに苛立ちが含まれていた。

「土足でエーレスタの城に踏み入っておいて、何を言う」

 私はふんっと鼻で笑いながら、もう一振りの白の剣を生み出した。

 両手に剣を構えてアンリエッタを睨み付ける。

「武器を捨て、大人しく投降しろ。さもなくば、その罪はお前の命で贖う事になるそ」

 私はすっと目を細め、アンリエッタを睨み付けた。

『ふんっ』

 幾ばくかの対峙の後、アンリエッタが私に槍の矛先をすっと向けた。

 その周囲に、黒の球体が浮かび上がる。

 この閉鎖空間でそんなものをっ。

「させるかっ!」

 私は両手に剣をひるがえし、ダンっと踏み込んだ。

 両手の剣で槍を弾き、光弾の発射は防ぐが、そのまま再び接近戦となる。

 斬り結びながら、しかしごく至近距離でアンリエッタが再び光弾を放った。

 速射するためか魔素は抑えられていた様だが、その一発が私を直撃し、さらにもう一発がこの部屋の大きな窓を吹き飛ばしてしまう。

 私を襲う爆発と窓を吹き飛ばした爆発が、ファレス・ライト城を激しく揺さぶる。

 もうもうと吹き上がる黒煙を切り裂き、私はアンリエッタに斬りかかる。

 部屋の中は無残に破壊されてしまっていたが、これしきの事で私にダメージはない。

 なおも光弾を放とうとするアンリエッタと激突する。

『ああ、もう!』

 アンリエッタが業を煮やした様に声を上げた。

 その時。

「アーフィリルさま、援護致します!」

 見る影もなくなってしまった部屋の外側から、近衛騎士たちが次々と突入して来た。

 他の場所から駆け付けて来た警備の騎士たちだろう。

「下がれ! 皆は負傷者の救助に当たれ!」

 私はアンリエッタと対峙したまま声を上げる。

 アンリエッタはつまらなそうにふんっと鼻を鳴らした。

「ご安心を! 政務卿以下負傷者は我々が収容しています!」

 近衛騎士隊の隊長の合図により、騎士たちがアンリエッタを包囲する様に展開した。

「行けっ! 賊を捕らえ……」

 近衛の隊長がそう声を上げようとした瞬間。

 アンリエッタの方から唐突に、近衛騎士たちに飛び掛かった。

 瞬時に3人の騎士が無力化される。

 アンリエッタは、その3人を私に向かって蹴り飛ばし、投げ飛ばした。

 騎士たちの呻き声が上がる。

 まだ生きているのだ。

 アンリエッタに突撃しようとしていた私は、味方の騎士の体に邪魔される形になり、出端を挫かれてしまった。

 その刹那。

 アンリエッタが、すっとその手を隣の部屋へと続く壁に向けるのが見えた。

 その手に、黒の光球が浮かび上がる。

 迎撃は間に合わない。

 くっ!

 そして次の瞬間。

 黒の光球が室内で炸裂した。

 激しい衝撃と爆音が周囲を満たす。近衛騎士の悲鳴と壁が崩れる破壊音が響き渡り、瓦礫が混じった黒煙が一気に視界を塞いでしまった。

 その中で、微かにガシャリと鎧の音が響いた気がした。

 アンリエッタが動いたか?

 私は目を細めながら周囲の気配を探る。そして両手の白の剣を握り直すと、未だ爆発の影響が残る黒煙の中に飛び込んだ。



 アンリエッタの一撃は、完全に隣の部屋との壁を破壊していた。

 爆発の衝撃が収まり徐々に視界が戻って来ると、私は廃墟と化した室内を見回した。

 既にどこにもアンリエッタの姿はない。

 その強大な魔素は直ぐ近くに感じるが、どこだ?

 その時。

 不意に、甲高い女性の悲鳴が響き渡った。

 崩壊した壁の向こう側からだ。

 私は躊躇う事なく、そちらへ向かう。

 私とアンリエッタが戦っていた部屋の隣は、やはり厚い絨毯が敷かれた豪華な内装の部屋だった。

 本棚がずらりと並び、巨大なソファーが設置されたその部屋には、しかし悲鳴の主はいなかった。

 アンリエッタがもたらした破壊の跡は、さらにその部屋の向こうにも続いている。

 そちらから、人の争う様な音が聞こえて来た。

 私は破壊の跡を辿って、さらに隣の部屋に向かった。

 その先に、アンリエッタがいた。

 そこには、衝撃的な光景が広がっていた。

 床に倒れた無数の近衛騎士たち。

 そしてその向こうに、窓を背にする様にして立つアンリエッタ。

 アンリエッタは、ぐったりと意識のない男を肩に担いでいた。

 一目でわかる。

 それは、エーレスタ騎士公国の元首にしてエーレスタ騎士団の長を務める人物。

 この国を治めるローデント大公だった。

 だらりと腕を下げてアンリエッタに捕らえられているローデント大公。その近くには、剣が転がっていた。アンリエッタに抵抗しようとしたのだろう。

 私は眉をひそめてアンリエッタを睨んだ。

 ここからでは大公の生死は不明だが、アンリエッタが担いでいるという事は恐らく生きてはいるという事なのだろう。

 死体を抱える意味はない。

 連れ去ろうというのならば、生きていてこそ意味がある。

 あくまでも推察にすぎないが。

 大公を担いだアンリエッタは、さらに反対側の腕に小さな男の子を掴んでいた。

 ローデント大公の令息ウィルヘムだ。

 襟首を掴まれたウィルヘムは、こちらは涙を流しながら必死に唇を噛み締めてアンリエッタを睨み付けていた。

 さすがは騎士公の令息。なかなかの胆力だ。

 そんなアンリエッタを、未だ無事な近衛騎士たちが遠巻きに取り囲んでいた。

 その騎士たちの背後には、力なく座り込んでいるドレス姿の女性がいた。

 ローデント大公の奥方だ。

 先ほどの悲鳴は、彼女のものだったのだろう。

「竜騎士アーフィリル……」

 彼女は私の姿を見つけると、恐怖に引きつった顔でぽつりと私の名前を呼んだ。

 私は大公妃にこくりと頷き掛ける。

 ローデント大公とウィルヘムを捕らえる黒の鎧は、赤い目をぼうっと輝かせて取り囲む近衛騎士たちと対峙していた。

 私は剣を下げ、アンリエッタを取り囲む騎士たちの間をゆっくりとすり抜けながら前へ進む。

 そしてすっと目を細め、黒の竜の鎧と対峙した。

 アンリエッタがファレス・ライト城に突入した狙いは、やはりローデント大公だったという事なのだろう。

 しかし。

 私は眉をひそめた。

 アンリエッタは、幾らか私が足止めしていた筈だ。それなのに何故未だにこんな場所に、ローデント大公一家が残っているのだ?

 退避もせずに、こんな少数の護衛だけを連れて。

 不可解な事態に釈然としないものを感じるが、今はこの事態の収拾が先だろう。

 私はすっと剣の切っ先をアンリエッタに向けた。

「2人を解放しろ、機竜士アンリエッタ」

 声を低くしてそう告げながら、私はさっとローデント大公の様子を観察する。

 やはり生死は不明だが、特段外傷は無さそうだ。

「人質を取ったところで、逃げられるなどとは思わない事だ」

 私の勧告に、しかしアンリエッタはこちらを嘲笑うようにぐらりと首を傾けた。

『ふふ、それはどうかしらね』

 アンリエッタはおもむろに襟首を掴んだローデント大公の令息を掲げて見せた。

『多分、あなたがいなければ問題はないわ。あなたもそう思うでしょう、白の竜騎士さん?』

 私は目を細めてアンリエッタを睨んだ。

 確かに、一般の騎士ではアンリエッタに抗する事は出来ないだろう。エーレスタに残存する竜騎士2騎ならば、足止めも出来るかもしれないが。

『だからあなたには大人しくしていて欲しいの。私の仕事が終わるまで、ね』

 そう告げたアンリエッタは、楽しそうに笑った。

 そして。

 唐突に背後を向いたアンリエッタは、突然ふわりとウィルヘムを放り投げた。

 窓に向かって。

「ウィルヘムっ!」

 大公妃の悲鳴が響く。

「殿下!」

「ウィルヘムさまっ!」

 周囲の近衛騎士たちからも声が上がる。

 くっ!

 次の瞬間。

 私はウィルヘムを追って走り出していた。

 アンリエッタは軽く投げた様子だったが、その膂力は私と張り合える程なのだ。

 何が起こったのかわからないという様な顔をしていたウィルヘムは、窓を突き破る。

 そしてそのまま、外へと飛び出してしまった。

 ここは高台に立つファレス・ライト城の最上階。

 城の下層まで落下すれば命はない。

 ましてや遥か下方のエーレスタの街まで吹き飛べば、ウィルヘムがどうなってしまうかは明白だ。

 間に合うかっ?

 いや、見捨てる訳にはいかない!

 こんな理不尽に、まだ幼いウィルヘムが命を落として良い通りがある筈がない!

「お願い、竜騎士さまっ!」 

 大公妃の悲痛な声が響く。

 床を蹴り、私は全力でウィルヘムを追いかけた。

 その私がアンリエッタの脇をすり抜ける瞬間。

『ばいばい。また遊ぼうね』

 アンリエッタがぽつりと呟いた。

 私はアンリエッタを睨み付けると、そのまま窓を突き破って城の外へと飛び出した。

 眼前に広がるのは、夕刻のエーレスタの街。

 既に薄闇が支配し始め、陰影が濃くなり始めたエーレスタの街並みを背景にして、ウィルヘムが落下していくのが見えた。

 ギリっと歯を食いしばる。

 私はベランダを蹴って、遥か下方に広がるエーレスタの街に向かって身を踊らせた。

 白のドレスが激しく揺れる。

 白く輝く髪が風に揺れる。

 剣は消し去り、私は必死にウィルヘムに向かって手を差し伸べた。

 しかしウィルヘムは、私の跳躍の範囲の外へ勢いよく遠ざかっていく。

 手が、届かない!

 くっ!

 自身の体の周囲の魔素を制御して落下を制御する事は出来るが、今ウィルヘムに手を届かせる為には、空中を飛翔する力が必要だ。

 出来るか、私に?

 飛行制御はまだ困難な技術だとアーフィリルに言われていた。

 しかし!

 下方に、こちらを見上げる騎士や兵たちの姿が見えた。

 ウィルヘムは城の敷地を越え、その向こう、エーレスタの街に向かって落下していく。

「アーフィリルっ!」

『セナ、飛行制御だ。飛ぶぞ!』

 私の意を察してくれたアーフィリルが、胸の中で声を上げた。

「行くぞっ!」

 私は叫びながら、さらにウィルヘムに向かって手を差し伸べた。

 同時に、背中に魔素を集中させる。

 上手く出来るかどうかではない。

 しかし今は、やるしかないっ!

 翼を広げて空を駆ける自身の姿を思い浮かべる。

 綺麗なアーフィリルの翼の様な、空中を駆ける私の翼をイメージする。

 手を広げ、足を広げ、空気を捉えて飛翔する!

 次の瞬間。

 背中や肘、足首から、力が吹き出すのを感じた。

 空を駆ける力を生み出す魔素が、白い光となって各部位から展開する。

 それは、まるで光の翼が広がる様だった。

 手と足、そして背中からそれぞれ一対の光の翼を展開させた私は、白のドレスをひるがえし、足を開いて何とかその力を制御しようと試みる。

 同時に跳躍の頂点から落下し始めていた体が、ぐいっと上方へと持ち上げられた。

 しかし。

 くっ。

 ぐらりと体のバランスが崩れる。

 前へ進む力と、と四肢のバランスが上手く取れない。

『落ち着け、力を抜くのだ。推力を上げ過ぎるな』

 アーフィリルの声が響く。

 私は手を伸ばしながら何とかウィルヘムへ近付くが、力余ってその小さな体を追い越してしまった。

「セナっ!」

 落下するウィルヘムが震える声を上げた。

 晩餐会で一度会っただけなのに、私の名前を覚えてくれていたのか。

 くっ。

 私は歯を食いしばる。

 空中で四肢を踏ん張って、何とかバランスを取ろうと試みる。

『力まずとも落下はしない。急激な動きではなく、流れる様な軌道をイメージして飛ぶのだ』

「了解っ!」

 私はアーフィリルの言葉に頷きながら、軽く力を抜いた。

 手足を広げて、ウィルヘムの落下速度に合わせて高度を下げる。

 ぐっと手を伸ばす。

 突然左足の制御が甘くなり、ぐるりと体が回転してしまう。

 エーレスタの街の赤屋根が迫る。

 ウィルヘムが手を伸ばして来る。

 もう一度飛行姿勢を整えた私は、再度ウィルヘムへと手を伸ばした。

 そして。

 私の手とウィルヘムの手が交錯した瞬間。

 私は確かに、その小さな手を握り締めた。

 涙を浮かべるウィルヘムを引き寄せ、ぎゅっと抱き締める。

「セナ、お姉ちゃん……」

 私に強く抱き付いて来るウィルヘム。

 私はその体を強く保持しながら、背中に力を込めて上昇に転じた。

 光の羽が大きく輝きを増す。

 眼前に広がるファレス・ライト城が、勢いよく下方へと流れて行った。

 そのまま城内の上空へと戻った私は、3対6枚の翼を開いて一旦空中に停止した。

 私の腕の中で涙をこらえているウィルヘム。

 そこで私は、ふっと小さく息を吐いた。

『最初にしては、上出来だった』

 アーフィリルの声が胸の中に響く。

『飛行制御は困難な技術だ。良く使いこなして見せたな、セナ』

 そう褒めてくれたアーフィリルの声も、少し安堵した様な響きがあった。

 そんな私たちの下方から、どっと歓声が上がった。

「うおおっ!」

「やった!」

「アーフィリルさま!」

「これが白花の竜騎士さまかっ!」

 こちらを見上げて手を振り上げているのは、事態を見守っていた城の外周警備の騎士や兵たちだ。

 ウィルヘムを抱いたまま、私はゆっくりと彼らのもとへと降下した。

 周囲に集まっていた騎士や兵の皆が、歓声を上げて集まって来る。

 私はその中心に、タンッと着地した。

 ウィルヘムを地面に下ろすが、余程怖かったのだろう。私の脚にしがみついたウィルヘムは、ぎゅっと抱き着いたまま離れようとはしなかった。

 騎士長の階級章を付けた近衛騎士が歩み寄って来ると、私に対してばっと踵を合わせ敬礼した。

「アーフィリルさま。これは、いったい何が起こっているのでしょうか」

 困惑した表情を見せる騎士長。

「ウィルヘムさまっ! どうしてウィルヘムさまがこの様な事に!」

 私にしがみついている子供がローデント大公の令息だと気が付いた別の近衛騎士が、声を裏返して叫んだ。

「オルギスラ帝国の襲撃だ」

 私は目を細めて近衛騎士たちを見回して短くそう告げると、黒煙を上げる城の上部を見上げた。

 いつの間にか、アンリエッタの魔素の反応が完全に感じられなくなっていた。

 私がウィルヘムを助けている間に逃げた、という事なのだろう。

 群青になり始めた空を背景に佇むファレス・ライト城のシルエットを見つめながら、私はすっと目を細めた。

 アンリエッタの襲撃が突然のものだったとしても、城を襲撃されたエーレスタがこうも脆弱だとは信じられなかった。

 後手後手に回り過ぎだ。

 未だに城内を警備する騎士たちに情報が行き渡っていないのも不自然というしかない。

 私はギリっと奥歯を噛み締めた。

 何かあるのだろか。

 今実際に私たちの目の前で起こっている事以外に、見えない場所で蠢く何かが。

 間もなく夜がやって来る。

 その闇の中では、あの機竜士アンリエッタとオルギスラ帝国の策動が身を潜ませているのだ。

 決して気を抜けない夜になるだろう。

 私は星が瞬き始めた空に一瞥してから、近衛騎士の指揮官に被害把握と怪我人の救援の要請を行った。

 離れようとしないウィルヘムを近衛の女性騎士に引き渡し、私は白く輝く髪を揺らしてアンリエッタを追撃すべく城に向かって走り始めた。



 やはりアンリエッタは、城内から忽然と姿を消していた。

 お城の最上階に戻った時には、既にローデント大公さまはアンリエッタに連れ去られてしまった後だった。

 幸い大公妃さまは無事だったけど、大公さまの生死は不明だ。

 この状況に際し、騎士公が拉致されたという情報については、政務卿さま以下統帥部によって徹底した箝口令が敷かれた。

 各部署にはファレス・ライト城がオルギスラ帝国に襲撃を受け、ローデント大公さまが負傷されたとの説明がなされ、エーレスタに潜伏する襲撃犯を捕らえる様にとの厳命が下された。

 アーフィリルとの融合を解除し一旦元の姿に戻った私は、政務卿さまや軍務卿さまと協力し、状況の確認を行うと同時にアンリエッタ捜索の任に着く事になった。

 エーレスタに残った竜騎士さまたちも動員され、エーレスタの街全体を上げて夜を徹した捜索が行われる事になった。

 あちこちに篝火が焚かれ、騎士たちが走り回るエーレスタの街は、既に真夜中だというのに物々しい雰囲気に包まれていた。

 私もエーレスタの街が一望出来るお城の正門の上に陣取ると、アーフィリルにお願いして街中の魔素探知を行ってもらった。

 アンリエッタが飛んで逃げればもちろんの事、何か動きを見せればアーフィリルが感知してくれる筈だ。

 私は城門の上でうんっと背伸びして、小さな状態のアーフィリルを空高く掲げてみる。

 少しでもアンリエッタの魔素を感知し易い様に。

『セナ。無理に抱き上げなくてもよい』

 頭上でぷらんっと抱きかかえられているアーフィリルが、ぼそりと呟いた。

「うん、でもこの方が、アンリエッタの気配を捉えやすいかなって!」

 私はアーフィリルを掲げたまましばらく城門の上の歩廊をうろうろと行き来していた。

 私がウィルヘムさまをお助けしている間に見失ったアンリエッタの反応は、現在に至るも発見出来ていない。

 つまりアンリエッタがエーレスタから飛んで逃げたという事はないと思われる。ならば、未だローデント大公さまを連れたままアンリエッタは、この街の中に潜伏したままという事なるのだ。

 しかしエーレスタ騎士団を上げての捜索にも関わらず、私たちは未だにアンリエッタを見つけられずにいた。

 日付が変わる頃には、私は一旦警備詰所で仮眠を取らせてもらった。

 度重なるアンリエッタとの激しい戦いで、随分と体力を消耗していた私は、アーフィリルを抱きしめたまま直ぐに眠りに落ちてしまった。

 しかし夜明け前には何とか目を覚ました私は、近衛騎士さまの部隊に合流して再び街中のアンリエッタ捜索に参加した。

 相変わらずアーフィリルの魔素感知にアンリエッタを捉える事は出来なかった。 

 夜中にも関わらず建物内の探索も行われていたが、敵発見の報はどこからも上がってこなかった。

 日の出が近付いて来ると、私と近衛騎士の皆さんは順番に各城門を巡回する事にした。

 夜明け前で警備の気がゆるむ一瞬を狙い、アンリエッタが城門の突破を狙うかもしれないと思ったからだ。

 東西南北の大門を順番に回っていくが、異常は見当たらない。日の出前の早朝という事もあって、門を行き来する人も殆どいなかった。

 その中で唯一北門で、これから出撃するという大きな荷馬車を引く味方部隊と出くわした。

 それはまさに、東の空が白くなり始めた頃の事だった。

 北門駐留の第3大隊所属の部隊が、出撃する隊の所属と任務内容、そして荷を確認する。私と近衛隊の皆さんは、不審な点がないかそれを遠巻きに見つめていた。

 その部隊は第3大隊所属の輸送部隊で、ディンドルフ隊への補給任務に出るとの事だった。統帥部発行の命令書も所持している正規の部隊だと北門警備の隊長さんが教えてくれた。

 門の警備隊の皆さんが書類と荷を確かめている間、馬上の私は脚の間にちょこんと座るアーフィリルの反応を窺った。

 相変わらずアンリエッタの反応はないみたいだ。

 私はアーフィリルをそっと撫でてから、眉をひそめる。

 こちらも大変な事になっているけど、ディンドルフ大隊長たちの戦場の方も状況はどうなのだろうか。オレットさんやフェルトくん、それにマリアちゃんやアメルたちは、無事なのだろうか。

 ……アンリエッタみたいな恐ろしい敵が、さらに現れてはいないだろうか。

「行ってよし」

 確認を終えた北門警備の騎士さまが手を振り、声を上げた。

 荷馬車を連ねた第3大隊の補給部隊も手を上げ、ゆっくりと馬車を進め始めた。

 その中から、栗毛の馬に跨った騎士が1人、私に近付いて来た。

 白銀のエーレスタの鎧を身にまとい、艶やかな黒髪を背中に流したすらりとした美人さんの騎士さまだ。

 切れ長の目が涼やかで、落ち着いた大人な女性といった感じの人だった。

 第3大隊所属らしいが、見覚えのない人だ。こんな大人な美人さんなら、一度会っていれば記憶に残ると思うのだけど。

 掲げられた篝火のせいか、彼女の瞳は燃え上がる様な赤に見えた。

「あなた、竜騎士さまね」

 私に馬を並べ、にこりと微笑む黒髪の騎士さん。

「綺麗な緑の瞳ね」

「……あ、ありがとうございます」

 いきなり大人な女性に話しかけられて、私は思わずどぎまぎしてしまう。

 真っ直ぐに私を見つめるその騎士さまに、私は思わず視線を逸らしてしまう。

「ふふっ。任務頑張ってね。また会いましょう」

 何だか楽しそうに微笑み、馬を戻そうとする彼女に、私は思わず声を掛けた。

「あの、ディンドルフ隊の戦況は如何でしょうか?」

 補給に向かう部隊なら、あちらの戦況も知っているのではと思ったのだ。

 私の質問に、黒髪の騎士さんは僅かに振り返った。

「大丈夫。帝国軍はもうじき撤退するから」

 黒髪の騎士さんが、ふっと笑う。

 撤退する……?

 戦闘が終結するならいいけど、私は事態を見透かしているかの様な黒髪の騎士さんの言い回しに疑問符を浮かべた。

 黒髪の騎士さんたちの一行がゆっくりと城門へと向かって行くのを見送ってから、私たちもアンリエッタ捜索任務を再開する。

 ……早くローデント大公さまを見つけてあげなくては。

 ウィルヘムさまも大公妃さまも、みんな大公さまの無事の帰還を心待ちにしているのだ。

 私はぎゅっと手綱を握り締めた。

 探索に赴く私たちとエーレスタの街を、朝日がゆっくりと照らし出し始める。

 不安と焦燥感を抱く私たちをよそに、また新しい一日が始まる。

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