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第20幕

 戦場に降る雨が、徐々にその勢いを増して行く。

 遠く山々の向こうから鳴り響いて来るのは、オルギスラ帝国軍の砲声ではなく本当の雷鳴なのだろう。

 敵味方関係なく力尽きた多くの騎士や兵士たちが倒れる戦場の真ん中で、アーフィリルと融合した大人状態の私と、アンリエッタと名乗った黒の竜の形をした鎧は、刃を合わせて対峙していた。

 私たちは至近距離で睨み合う。

 竜の頭部を模した兜の赤く光る目が、じっと私を睨み付けていた。

『ははっ、出力はなかなかね。いいわ!』

 私を軽く上回る身長の鎧から、鈴音の様な少女の声が響いた。

 私はキッとアンリエッタを睨み付けながら、黒の槍を受け止める自分の剣に力を込めた。

「お前は何者だ。お前の目的は何だ?」

 私は、低い声でアンリエッタに問い掛ける。

『あら、私は名乗ったでしょう? そーね、私がここにやって来た目的はねっ』

 アンリエッタは一旦言葉を切ると、ふふっと楽しそうに笑った。

『あなたたちエーレスタ騎士公国を壊滅させる事かな。私たちオルギスラ帝国の敵は、みんな私が滅ぼしてあげるわ! でも、今はそれよりも気になる事があるのよねー』

 アンリエッタは、竜の形をした兜をぐっと私に近付ける。

『あなたこそ何者? エーレスタに人竜一体化出来る竜騎士がいるなんて、聞いてないわ。あなたの胸の中にいるそれ、何? 私は今、それが知りたいの』

 私はすっと目を細めた。

 この機竜士と名乗った女、アーフィリルの存在を把握しているのか?

『まぁ、どのみちあなたは私が倒してあげるから、安心して!』

 アンリエッタがぐいっと力を込めてくる。

 私も負けじと押し返す。

「お前の好きになどさせるものか」

 私は、キッとアンリエッタを睨み付けた。

 私とアーフィリルの魔素とアンリエッタの魔素が、激しい光を放ちながら激突する。

 押したとしても引いたとしても、この競り合いが崩れた瞬間、機竜士アンリエッタは仕掛けてくるだろう。

 どう切り返すか。

 私はアンリエッタと自分の反応や動きを考え、反撃に至るパターンを幾つか想定する。

 こんな状況にも関わらず、強敵を目の前にしても、私はいたって冷静だった。アンリエッタの出現に驚きはあったが、動揺も恐怖も感じていなかった。

 これも、アーフィリルとの融合の影響なのだろう。

『ふふふっ!』

 アンリエッタがさらに押し込んで来る。

「セナ!」

「セナっ!」

 背後から私の名を呼ぶ声が響いた。

 この声は、マリアとフェルトか。

 まだ退避していないのか。

 私は僅かに眉をひそめ、目を細めた。

 味方である帝国軍部隊を手に掛けたアンリエッタの意図はわからない。しかしアーフィリルに匹敵する力を持つであろうこの機竜士アンリエッタがエーレスタの部隊に向かえば、大きな被害が出てしまうだろう。

 この敵を、マリアやフェルトたちに向ける訳にはいかない。

 ここで私が、抑えなければならないのだ。

 私は、アンリエッタの呼吸のタイミングを窺う。

 そしてアンリエッタがさらに力を込めて槍を押し出して来た次の瞬間、私はふっと力を抜いて剣を引いた。

 白の刃の上を、黒の槍の柄が流れる。

 同時に私は、体を右へと捌いた。

 黒の鎧のアンリエッタと、白のドレスをまとった私が交錯する刹那。

 私は下段からさっと剣を振り上げた。

『はっ!』

 しかしその一撃を、身をよじって回避するアンリエッタ。

 白の刃の軌跡が、その竜の面のすぐ脇を通過する。

 かわされた。

 しかしアンリエッタの体勢は崩れている。

 ここでもう一撃!

 跳ね上がった刃をそのまま振り下ろそうとしたその瞬間。

 私は、はっとしてその場に踏み止まった。

 くっ!

 同時に、頭上に剣を掲げる。

 甲高い金属音が響き渡る。

 激突する魔素が火花を上げる。

 いつの間にか回転し、大上段から降り下ろされたアンリエッタの槍を、私は何とか頭上で受け止めたのだ。

 あのまま踏み込んでいたら、天頂部から打ち据えられるところだった。

 槍を受け止めた凄まじい衝撃に、体が地面にめり込みそうになる。

「はっ!」

 私は気合いを込めて黒の槍を打ち払うと、そのまま両手で剣を握り締める。そしてさらなる連撃を加えようとアンリエッタの懐に飛び込んだ。

 剣と槍では間合いが違う。

 ここで距離を離されては、一方的に槍の間合いになってしまう。

『いい、楽しいわ、エーレスタの竜騎士さん!』

 しかしアンリエッタは、ずっしりとした金属の鎧などものともしない身軽さで、さっと私から距離を取った。

 くっと眉をひそめるよりも速く、突撃する私の眼前に黒の槍が突き出される。

 振りしきる雨のカーテンをも切り裂く激烈な突き。

 速い!

 その穂先の動きは、アーフィリルの力で強化された私にとっても、追いかけるのが精一杯だった。

 私は髪を揺らし、身をひるがえしてさっと回避する。

 しかし今度は、その回避した先に突きがやって来る。

 まるで、私の動く先がわかっているかの様に。

 ふわりとスカートを膨らませて黒の槍の突きを回避した私は、そのままアンリエッタの懐に飛び込んだ。

 しかし次の瞬間。

 私は目を見張る。

 既に引き戻されていた槍が、烈火の勢いで私の眼前に襲い来る。

 なんという反応速度!

 ぼうっと闇色に光る槍の矛先。

 私はとっさに剣を振り上げ、その槍を弾いた。

 私の白とアンリエッタの黒が絡まりあう戦場に、金属がぶつかる甲高い音と、魔素が弾ける激しい火花が飛び散った。

『へぇ、今のを防ぐんだ? 素敵、素敵! ああ、楽しいなぁ!』

 黒の竜の鎧から、甲高い笑い声が響き渡った。

 突きを中心に、上から下から縦横無尽に繰り出されるアンリエッタの槍を、私は身をひねり、ステップを踏み、白の剣を振るってそのことごとくを捌く。

 アンリエッタの攻撃を防ぐ事は出来たけれど、しかし私は攻めあぐねていた。

 これこそがオレットやアーフィリルに指摘されていた、私自身の戦闘技術の拙さの証なのだろうと思う。

 今の様に力が拮抗している場合、基本的な攻防以上の攻め方や戦闘の駆け引きというものが思いつかない。

 剣の間合いの外から熾烈な突き繰り出すアンリエッタに、私はそれ以上踏み込めずにいた。

『何? 様子見? だったらこっちからいっちゃうぞ!』

 けたたましい笑い声を上げながら、アンリエッタが動きを変える。

 槍の長い間合いというアドバンテージを捨て、ダッとこちらへ踏み込んで来る。

 それに合わせて、槍の動きとアンリエッタ自身の動きが、より激しく、複雑なものへと変化した。

 地面を這う様な低い姿勢から振り上げられる石突き。

 横薙ぎの大振りを餌にして、返す矛先からの高速の3段突き。

 巨体を軽快にひるがえし、右から左から打ち込んで来るアンリエッタ。

 槍の穂先に灯る黒い光と兜に宿る赤い光が、アンリエッタの動きに合わせてつっと線を引いた。

『あはははははは!』

 壊れた様な哄笑が響き渡る。

 しかし、私も決して押されっぱなしという訳ではない。

 オレットやフェルトに習った剣捌きを思い返しながら、アンリエッタに反撃する。

 雨煙る戦場に白の剣を走らせて、黒の槍を迎撃する。

 その度に魔素が激突する閃光が、眩く周囲を駆け巡った。

 私は、アンリエッタの様に激しく動き回る事はしない。

 じっと剣を構え、最低限の動きで槍の攻撃を迎撃し、ここぞと思う隙に全力で打ち込む。

「はっ!」

 裂帛の気合いと共に黒の槍を打ち上げ、返す刃で黒の竜の鎧を狙う。

 襲い来る石突きの打撃を籠手で弾き、こちらからも突きを放つ。

 ここぞというタイミングを見計らう。

 アンリエッタの攻撃は熾烈だったが、きちんと凌ぐ事は出来ていた。私自身には、押されているという感覚はなかった。

 しかし手数では圧倒的にアンリエッタが上だったし、動きの派手さもあちらに分があった。

 そのため、もしかしたら周囲からは私が押し込まれている様に見えたのかもしれない。

「セナ!」

 何度目かの激しい攻防を終えてアンリエッタと一旦距離を取ったその時。

 私の名を呼ぶ凛とした声が響き渡った。

 同時に、ひゅんっと風切り音がする。

 マリア?

 そう思った次の瞬間、カンっという甲高い音が響いた。続いて、何かがへし折れる音がする。

 矢だ。

 アンリエッタの黒い鎧の背後から迫った矢が、空中で見えない壁に阻まれてへし折れていた。

 魔素の障壁か。

 アンリエッタに私と同じ能力があるのだとすれば、自動展開される障壁の守りに矢が通じる筈がない。

 私はギリっと奥歯を噛み締め、顔をしかめた。

 何という事だ。

 衝撃的だったのは、アンリエッタに矢が通じなかった事ではない。

 その後ろ。

 視線を僅かにずらすと、アンリエッタの後方に馬上から弓を構えるマリアの姿があったからだ。

 さらに剣を抜き、こちらへ突撃して来る騎兵の姿を捉える。

 その数は2騎。

 フェルトとアメルだ。

 それに続いて、撤退していくアーフィリル隊から慌てた様でオレットが引き返して来るのが見えた。

「オレット! くっ!」

 オレットがフェルトたちを留めきれなかったのかっ!

「下がれ! 来るなっ!」

 私は叫びながら白の剣を構えて、アンリエッタに突撃した。

 フェルトたちにアンリエッタの注意を向けさせてはいけない。

 しかしその焦りが、私の剣を大振りにさせてしまった。

 私の斬撃は、ひらりとアンリエッタにかわされる。

 態勢が崩れた私の横腹に、ぐるりと回転して来た槍の柄が迫った。

『うーん、迂闊だねぇ』

 アンリエッタが笑う。

「くっ」

 とっさに剣を立てて防御する。

 凄まじい衝撃が、剣の上から私を打ち据えた。

『ふふんっ!』

 そのまま槍を振り抜くアンリエッタ。

 私は防御した態勢のまま軽々と吹き飛ばされてしまった。

 微かな浮遊感に包まれる。

 ふっ。

 私は短く息を吐き、空中で態勢を整える。そしてそのまま、ざざっと地面に手を着いて着地した。

 私は白く輝く髪を振って顔を上げ、アンリエッタを睨みつけた。雨で頬に張り付いた髪も、さっと払う。

 アンリエッタの攻撃は防いだ。ダメージは無い。しかし、随分と距離を開けられてしまった。

 私がぎゅっと唇を噛み締め、アンリエッタに向けて再度突撃しようとしたその瞬間。

 マリアの放った2射目の矢が、黒の竜の鎧を襲った。

「ダメだ!」

 私は思わず声を上げながら飛び出す。

 しかしそれよりも早く、アンリエッタがゆらりと振り返った。

 弓を構えるマリアと、こちらへ迫るフェルトやアメルの方へと。

『せっかく楽しいのに……邪魔しないでよね』

 ぼそりと不快そうに呟いたアンリエッタが、フェルトたちに向かってすっと手を掲げた。

 その黒の金属の籠手に覆われた手の周囲に、ぼうっと黒の光の球が生み出される。

 一見して膨大な魔素が封じられたとわかる、高密度な破壊エネルギーの塊だ。

 迎撃を!

 今から飛び込んでも間に合わないと判断した私は、ふわりとドレスの裾を膨らませて足を止める。そしてこちらも、さっと手を掲げた。

 マリアの後ろからは、猛烈な勢いでオレットが駆けて来るのが見えた。

 こちらも遠距離攻撃でアンリエッタを止めようとしていた私は、とっさに攻撃を中止する。

 私から見たフェルトたちの位置は、アンリエッタを挟んで直線上にあった。

 大規模破壊をもたらす攻撃では、逸れた光球がフェルトたちを巻き込んでしまう可能性がある。

「フェルト、アメル、下がれ! 逃げろ!」

 今までに聞いた事の無い様な大声で、オレットが叫ぶのが聞こえた。

 それは、雨に閉ざされた戦場の空気そのものを揺るがす様な声だった。

 アンリエッタの黒の球が完成する。

 くっ。

 間に合わない!

 そう思った瞬間。

 しかしアンリエッタは、黒の光球を放たなかった。

 黒の竜の鎧は、何故か発射態勢のまま固まっている。

『……ルト?』

 ぼそりと小さく何か呟いたアンリエッタの後ろ姿は、無防備そのものだった。

 私はギリっと歯を食いしばる。

 状況はわからないが、この隙を逃す訳にはいかない。

 一点集中の迎撃!

 私はとっさに白の剣を消す。

 代わりにさっと手の中に生み出したのは、白の弓だった。

 フェルトを助けたあの夜の戦いを思い出す。

 私はマリアを真似て弓を構えると、白く輝く矢を引き絞った。

 一点突破の狙撃。

 これならばっ!

「アンリエッタ! こっちだ!」

 私は叫びながら、矢を放った。

 大気と雨を切り裂いて、白に輝く矢が中空を走る。

 一陣の白の閃光が、戦場を切り裂く。

 私が生み出した矢は、アンリエッタの自動障壁を容易く貫いた。

 何かが打ち破られる音が高らかに響く。

 そしてそのまま、白の矢は黒の竜の鎧の肩へと突き刺さった。

 金属板が打ち貫かれる甲高い音が鳴り響いた。

『……くっ』

 そこで初めて、アンリエッタが呻き声を上げた。

 発射直前の状態だった黒の球体は、私の矢を受けた反動で明後日の方向へ放たれる。

 雨のヴェールの向こうへと消えていくアンリエッタの黒の球。

 一瞬遅れて、凄まじい爆音と猛烈な衝撃、そして激しい地響きが伝わって来た。

 視界の端で、黒の球が直撃した森から、巨大な爆炎が立ち上るのが見えた。

『……このっ! やったな、エーレスタの竜騎士!』

 ゆらりとアンリエッタが私の方を向く。

 その右肩を貫いた私の矢は既に消滅していたが、綺麗な曲面を描いていたアンリエッタの鎧の装甲には、無残な穴が穿たれていた。

 アンリエッタが左手でゆっくりと右肩の穴に触れた。

 その瞬間。

『お前、貴様、おのれ! わ、わ、私の体を! よくも!』

 先ほどまでの余裕ぶった態度とは全く違うヒステリックな声を上げるアンリエッタ。ぶんぶんと振り回した槍を構えると、兜から覗く赤い輝きを私へと向けた。

『遊びはここまでよっ! 死になさいっ、時代遅れの竜騎士がっ!』

 叫ぶアンリエッタを、私は冷静に睨みつけていた。

 どうやらアンリエッタの右手の動きには、問題は無いようだ。肩へ当たった私の矢は、その装甲を削っただけという事なのだろう。

 目の焦点を変えると、アンリエッタの背後でやっと足を止めたフェルトたちにオレットが合流するのが見えた。

 これでもう、あちらは大丈夫だろう。

 後は、私がこの黒い竜鎧を何とかすればいいだけだ。

 私はふっと白の弓を消した。そして、両手に白く刃の輝く長剣を生み出した。

 浅く息を吐き、両手の剣を握り締めながら私は、目を細めてアンリエッタを見据えた。

「戦闘中に余所見などするものではない」

 私は、ふっと薄く微笑む。

「まだやると言うのならば、相手をしてやる。さぁ、掛かって来るがいい、オルギスラ帝国のアンリエッタ・クローチェ!」

 私の言葉に、アンリエッタの殺気が膨らむのがわかった。

 次の瞬間。

 槍を構えた黒の塊が、弾けた様に私へと迫る。

 私もタンっと地面を蹴って、それを迎え撃つ。



 先ほどよりも容赦のない鋭い突きを放つアンリエッタ。その動きが、益々獣じみたものへと変わっていく。まるで、本当に黒い竜と戦っているかの様だ。

 そんな黒の槍と打ち合うこと数合。

 不意にアンリエッタは私から飛び退くと、距離を取った。

 また何か仕掛けてくるのかと私は身構えたが、突撃の構えを解いたアンリエッタは片手を兜の耳部分に当てて動きを止めてしまった。

「アーフィリル?」

『うむ……』

 何を狙っているのか。

 私は胸の中のアーフィリルにも問い掛けてみるが、こちらはアンリエッタ襲来からずっと何かを考え込んでいる様で、沈黙したままだった。

『わかってるわよ! でも、私の体を傷つけたのよ! 許せないじゃない!』

 アンリエッタの叫び声が雨に満ちた戦場に響いた。

 誰かと話をしている様だ。

 あの竜の鎧に私たち竜騎士と同じ能力があるとすれば、遠くの味方と話す事も出来るのかもしれない。

 竜騎士通しの遠話の様に。

 私は剣を握る手に力を込めて、突撃のタイミングを図る。

 相手のお話しを待ってやる義理などない。

『わかったわよ! はいはい、了解! もう、根暗騎士め!』

 何か悪態をついたアンリエッタは、槍をぶんっと回して脇に挟んだ。

『残念ながら、あなたの相手はここまでね。まったく、もう少しで殺してあげられそうだったのにね!』

 アンリエッタは心底残念そうにそう言うと、唐突にさっと私に背を向けた。

 敵が目の前にいるにも関わらず、堂々と。

 私はその態度に、思わず目を細めた。

 しかし、同時に気がつく。

 こちらに迫ってくる人の気配に。

 それも、かなりの大人数だ。

 私はさっとブランツ峠から続く森へと視線を向けた。先ほどアンリエッタや帝国軍が現れた森の方へと。

 アンリエッタも、私に背を向けたままそちらを見る。

 雨に煙る薄暗い森の向こう。

 夜と同じ様な暗闇が澱む中、何かが蠢いているのが見えた。

 それは、暗い森そのものが蠢動しているかの様な不気味な光景だった。

 私はすっと目を細める。

 一番最初に暗い森から姿を現したのは、漆黒の鎧に身を包んだ騎兵だった。

 そしてその左右から、次々に黒の鎧を着込んだ騎士たちが姿を現す。さらには、銃を抱えた歩兵たちがわらわらと前進して来た。

 それは、森の中に止められていた闇が一気に溢れだして来たかの様な光景だった。

 ブランツ峠方面の森から現れたのは、オルギスラ帝国軍の大部隊。

 恐らくあれが、オレットが知らせて来た帝国軍の援軍なのだろう。

 とうとうここまで到達したのだ。

 どうやらアンリエッタは、その先鋒だった様だ。

 私は顎を引きながら、こちらに背を向けるアンリエッタと帝国軍部隊の両方を素早く警戒する。

 先ほどの疲弊した部隊とは違い、この帝国軍は兵員の状況も装備も完全な状態の様だった。数も多い。味方にとっては、大きな脅威になるだろう。

 そんな私の目の前で、アンリエッタは竜の鎧の背部から、金属の光沢を放つ大きな翼がバサリと広げた。

 まさか飛ぶつもりなのか。

 いや、飛べるのか。

 竜の様に?

『お楽しみはここまでね。うるさい奴らが来たから、私も仕事しなくちゃ。でもね』

 アンリエッタは顔だけでぐらりと振り返ると、その真っ赤な目を私に向けた。

『私の体を傷付けた償いは、必ずしてもらうから。楽しみに待っててね、エーレスタの竜騎士さん!』

 アンリエッタは見た目の禍々しさととは結び付かない、満面の笑みを浮かべる少女の様な声で笑った。

 そして翼の基部をぼうっと光らせた黒の竜鎧は、金属の羽を大きく広げてふわりと飛び上がった。

 キンッと不快な、何かの金属音が高まる。

 そしてアンリエッタは、背から光を放ちながら猛スピードで上昇し始めた。

 厚い雲が立ち込める雨天の空に向かって飛翔するアンリエッタ。

 漆黒の翼を羽ばたかせたその姿が、あっという間に雨のヴェールの向こうへと消えてしまった。

 私は、睨む様にじっとアンリエッタが消えた空を見上げる。

 雨粒が、つっと私の頬を流れ落ちた。

 雨に打たれたまま、私は眉をひそめて考える。

 アンリエッタは、突然どこへ向かったのだろうか。

 撤退してしまったのだろうか?

 帝国軍の増援部隊と協力して私を攻撃するという選択肢もあった筈なのに、この場を離脱した目的がわからない。

 ダメージを負ったからか?

 いや、私の与えた傷など、只のかすり傷程度のものだろう。

 私は左手の白の剣を消すと、頬の水滴をさっと払った。そして、ゆっくりと帝国軍部隊の方へと向き直った。

 ゆっくりと私を包囲する様に前進してくる帝国軍部隊を見据える。

 アンリエッタは、私とアーフィリルに匹敵する力を有している敵だ。味方にとって、明確な脅威には違いない。

 出来れば、このまま放置などしたくはないが。

 雨に打たれながら、私はすっと目を細めた。

 しかし今は、どこに行ったのかもわからない敵を追うよりも、目の前に迫る脅威に対処しなければならない。

 補給の行き渡っている部隊ならば、魔素攪乱幕も十二分に備えているだろう。

 黄岩竜ドラストと合流したディンドルフ大隊長の部隊が前進してくるまでの間、出来る限りその数を減らしておいた方が得策だ。

 私は腰に手を当て、さっと周囲を見回した。

 オレットたちはフェルトやマリアたちを引き連れて、既にこの戦域から離脱した様だ。これならば、広域破壊の遠距離攻撃で周囲の帝国軍を吹き飛ばしても問題ないだろう。

『……セナ。ここは、あの黒き人竜兵装を追撃すべきだ』

 そこへ不意に、今まで沈黙していたアーフィリルの声が響いた。

「それは、あのアンリエッタ・クローチェの事か?」

『うむ……』

 アーフィリルの低い声が、胸の中に轟く。

『あれは、世界に害を成すものだ。まさか、再び現れようとは……。遭遇した今、この場で駆逐しておいた方がいい』

 私は、アーフィリルの強い言葉に少しだけ驚いた。

 アーフィリルがエーレスタやオルギスラ帝国の戦争について口を挟んでくることなど、今まではなかったからだ。それにアンリエッタと以前遭遇した事のある様な口ぶりだが、アーフィリルはあの黒の竜の鎧を知っているのだろうか。

『あの人竜兵装の反応は、急速に南南東へと遠ざかっている。追撃するなら今しかあるまい』

 私は、胸の中のアーフィリルに意識を向けた。

「アーフィリルは、あのアンリエッタを知って」

 そこまで問い掛けて、私はピタリと言葉を切った。

 先ほどのアーフィリルの言葉。

 アンリエッタの気配が向かっているのは、南南東。

 私は目を伏せ、すっと表情を消した。

 ここブランツ峠は、エーレスタ騎士公国北の国境。ここより南はエーレスタの領内。さらに南の方角にあるのものといえば。

「エーレスタの街か!」

 私は低く声を上げ、ギリっと奥歯を噛み締めた。

 剣を合わせながらアンリエッタが言っていた事を思い出す。

 あの黒の竜の鎧の目的は、エーレスタ騎士公国を破壊する事。

 騎士団ではなく、エーレスタの国そのものを破壊するとアンリエッタは言っていた。

 アンリエッタは戦域を離脱したのではない。

 単身突撃を仕掛けたのだ。

 私たちの国の中枢、公都エーレスタに向かって!

「追うぞ、アーフィリル!」

 私はふわりとスカートを広げて踵を返した。帝国軍部隊に背を向け、アンリエッタが飛び立った方向を睨み上げた。

「追い付けるか?」

『飛行制御には慣れが必要だ。今は我が飛ぼう』

「任せる」

 私がコクリと頷くと、即座に胸の奥からアーフィリルの存在が抜け出るのがわかった。

 周囲が眩しい白の光に包まれると、私の体が元の大きさに戻る。

 冷たい雨に打たれる感覚はそのままに、視点が下がる。同時に私の目の前に、美しい毛並みのもふもふの竜が現れた。

 大きな竜の姿となったアーフィリルが、緑の瞳でじっと私を見た。

 私は両手をぎゅっと握りしめて、大きく頷いた。

 アーフィリルが、ゆっくりと私の前に首を下げる。私はうんしょっとその羽毛に埋もれる様に、アーフィリルに跨った。

 雨が降りしきる中、大きく翼を広げるアーフィリル。

 ブランツ峠方面から迫る帝国軍に、どよめきが起こった。

 ちらりとそちらを窺うと、後退る兵や慌てた様に銃を構える兵で帝国軍の戦列は僅かに乱れていた。

 大きな翼を動かしながら、ゆっくりと飛翔するアーフィリル。

 その背中から、私は眉をひそめて唇を噛み締めながら、帝国軍の部隊を見下ろした。

 改めて見ると、凄い数の敵だ。

 こんな敵と1人で戦うと考えただけで、恐ろしくなってしまう。

 本来ならば、この帝国軍の魔素攪乱幕を潰すのが私の役目の筈なのだけれど……。

 私は大きく息を吸い込み、体を支える手をぎゅっと握り締めた。

 ……今は、アンリエッタを追わなくてはならない。

 エーレスタの街を襲うかもしれないあの恐ろしい竜の鎧を、放置してはいけない。

 今追撃出来るのは、私とアーフィリルだけなのだ……!

 私がアンリエッタを追うと見抜いたのか、帝国軍が私とアーフィリルに向けて射撃を開始した。それはまだ、散発的なものにすぎなかったけど。

『行くぞ、セナよ』

 しかしそんな銃撃など全く意に掛けず、アーフィリルは南の方角に頭を向ける。そして一度大きく羽ばたくと、ぐんっと加速し始めた。

 砲撃の跡が散らばった戦場や灰色の景色に沈むまばらな林が、あっという間に足元を流れ去っていく。

 じっとしていると何でも無い雨が、痛い程の勢いで顔を叩く。

 私は片目をつむりながら、地上に目を凝らした。

 直ぐに黄岩竜ドラストの巨体と、その周囲に集結する味方の部隊が見えて来た。

 ドラストの近くに、白い花のあしらわれた軍旗がひるがえるのが見えた。

 オレットさんやアーフィリル隊のみんなも、ドラストの近くに集まっているみたいだ。

 こちらに気がついた味方部隊が、私を見上げて指差している。

 私はそちらに向かって、ぶんぶんと手を振った。

 みんなは、オルギスラ帝国軍がそこまで迫っている事に気が付いているだろうか?

 私は必死に身振り手振りでその事を伝えようとする。

 地上のみんなが手を振って応えてくれる。その中には、おおおっと拳を突き上げ、声を上げている人たちもいた。

 うむむ……。

 ダメだ、伝わらない……。

 ドラストの上空を通過した私たちは、直ぐにディンドルフ大隊長麾下のエーレスタ騎士団本隊の上空に到達する。

 上から見ると、白銀の鎧に身を包んだ大部隊がエーレスタの軍旗を掲げ整然と隊列を組みながら、雨に煙る大地の上をゆっくりと進んで行く様が良くわかった。

 いずれもいつでも突撃出来る様な戦闘態勢だ。

 これならば、帝国軍と遭遇しても不意を打たれる様な事はないと思うけど……。

 兵士のみなさんや騎士さまたちが、やはり低空を飛ぶアーフィリルを見上げて指差したり手を振ったりしている。

 おおおっとさざ波の様な歓声が、足元から湧き上がって来る。

 その隊列の後方。一際沢山の旗が立ち、ひっきりなしに騎兵たちが出入りしている部隊が見えて来た。

 ディンドルフ大隊長たちがいる司令部だ。

 私は、やはりそちらにもぶんぶんと手を振った。

 その上空を通過する瞬間、こちらを見上げている立派な鎧の騎士さまが見えた気がした。

 あっという間に味方部隊が後方へと流れ去っていく。

 アンリエッタについてはオレットさんが報告はしてくれているだろうけど、そのアンリエッタが公都に向かっているかもしれない事は、まだ誰も知らない筈だ。

 何とか状況を伝えておきたいけど……。

 そこで私は、はっとした。

 竜騎士通しなら、遠距離でも話が出来るのだ……!

「アーフィリルっ! 竜騎士サルートさまとお話出来る?」

 私はぺしぺしとアーフィリルの首筋を叩いた。

『うむ。あの幼竜を経由すれば可能だ』

 アーフィリルの言葉に、私はよしっと頷いた。そして直ぐに竜騎士サルートさまに呼び掛けた。

 呼びかけに応じてくれた竜騎士サルートさまに、私は機竜士アンリエッタとその脅威に付いて説明し、司令部にも報告してもらえる様にお願いする。

 合わせて、そのアンリエッタがエーレスタの街を襲うかもしれない事、私はその追撃にあたる事も伝えておく。

 サルートさまによれば、エーレスタの部隊は接近する帝国軍の援軍について既に把握しているそうだ。

 現在は帝国軍を迎え撃つべく、部隊の再配置が行われているらしい。

 さすがディンドルフ大隊長。

 私が心配するまでもないみたいだ。

 もちろん、敵が魔素攪乱幕を使用してくれば苦戦は免れないだろうけど……。

『委細了解した。こちらは我がドラストに任せられよ! アーフィリルさまには、公都をよろしくお願いしたい!』

 サルートさまの声は、竜を介した遠距離の会話でも何だか大きい気がする。

 その迫力に、私は少し気圧されてしまった。

「が、頑張ります! そちらも、ご武運を!」

 私はもう遥か後方に見えなくなってしまったドラストたち味方部隊がいる方角をちらりと見た。

 アーフィリルは、どんどん加速しながら上昇し始める。激しく吹き付ける風と雨で、私は顔を上げられなくなっていた。

『しかし、アーフィリルさま。先ほどお会いした際といささか雰囲気が違う様だが、いかがされたか?』

 サルートさまの訝しむ様な声が響いた。

 先ほど……。

 大人状態の私が、ドラストとサルートさまに撤退する様に言い放ったあの時の事かな。

 私はむんっと眉をひそめた。

 竜騎士さまに対して、私はあまりに不遜な事をしてしまった様な気がする……。

「だいじょぶ、です」

 私は思わず早口で返事をした。

 恥ずかしくて思わず顔が熱くなってしまうが、私にはもう1つサルートさまにお願いしなければならない事があった。

「えっと、あの、あと、すみません。サルートさま、もう1つよろしいでしょうか……」

『あなたさまのお願いであれば、何でも賜ろう!』

 私は短く息を吐いた。

「……私的な事で申し訳ないのですが、私の隊のマリアとアメル、そしてフェルトという者に、私からのお礼を伝えて欲しいんです。助けてくれてありがとうとって」

 みんなは、アンリエッタという恐ろしい相手に対して、私を援護しようと突撃してくれたのだ。

 それは無謀な行動ではあったけれど、私を助けに来てくれた事は純粋に嬉しかったから……。

『了解した。伝えよう』

 少し静かになったサルートさまの声に、私はありがとうございますと短くお礼を返した。

『まもなく、先鋒が会敵する。私も出る!』

 サルートさまが一転、気合いの籠もった声を上げた。

「が、頑張ってください!」

 私はぐっと拳に力を込めた。

 帝国軍の新たな侵攻部隊については、ディンドルフ大隊長やサルートさま、オレットさんたちを信じて任せるしかない。

 私は、アンリエッタを止めなければ!

 ぐんぐん加速するアーフィリル。

 私たちはそのまま、低く立ち込める雲の中へと突入した。



 雨と風に激しく打ち据えられながら、私はアーフィリルの首に必死にしがみついた。

 うううっ……。

 視界は真っ白で何も見えない。どこかそう遠くない場所で雷が轟く度に、私はびくりと身をすくませていた。

 アーフィリルは、雲の中を突き進む。

 しかしそんな状態は直ぐに終わり、不意に周囲が眩い光に包まれた。

 私は、恐る恐る顔を上げた。そして思わず、はっと息を呑んだ。

 私とアーフィリルは、雲の上を飛んでいた。

 下方には、見渡す限りの白の雲。まるで飛び込めば、ばふんと跳ね返されてしまいそうなもくもく具合だった。

 その雲に、飛行するアーフィリルの影が落ちている。

 白の雲に対して、頭上には真っ青な快晴の空が広がっていた。

 夏のギラギラした陽光が容赦なく降り注いで来る。何だか久々に太陽を見た気がする。

 青と白に挟まれた神秘的で静謐な空間を、アーフィリルが高速で飛んでいく。

 この雲の下でエーレスタとオルギスラ帝国軍が激突しているなんて、信じられなくなる様な美しい光景だった。

 ひんやりとした風が、激しく私の髪を揺らす。

 私は振り落とされない様にしっかりと白の羽毛に捕まりながら、きっと前方を睨み付けた。

「……アーフィリル、アンリエッタは?」

 片目をつむりながら、アーフィリルに尋ねてみる。激しい風の音に、私の声は容易くかき消されてしまいそうだった。

『徐々に追い上げている。目視距離までもう少しだ』

 ……もう少し。

「頑張って、アーフィリル!」

『うむ!』

 私はアーフィリルの首をそっと撫でた。

 アンリエッタがエーレスタの街にたどり着く前に追い付く事が出来れば良いのだけど……。

 あるいは私の見込み違いで、アンリエッタの目的地がエーレスタの街でなかったらと思ってしまう。

 私は、ぎゅむっと唇を噛み締めた。

 エーレスタの街にアンリエッタが迫っている事を伝えられれば良かったのだけれど、現状それは難しかった。

 エーレスタにも竜騎士さまが残っているからサルートさまみたいに竜同士の遠距離連絡が出来ないかと思ったが、それは無理だとアーフィリルに言われてしまった。

 遠距離で意思疎通を行うには、竜同士が事前にお互いを良く感じておく事が必要らしい。

 ……事前連絡が出来ないならば、後はアーフィリルがアンリエッタに追いつくのをじっと待つしかない。

 ドキドキと激しく鳴っている胸を無視して、私はキュッとキツく目を瞑った。

 そうしてどれくらい経っただろうか。

『雲が切れる』

 不意に響いたアーフィリルの言葉に、私はぱっと目を開いた。

 高速で飛行するアーフィリルの下方。それまでは厚い雲で覆われていた地上方向の視界が、開けていた。

 薄くなった雲の向こうに、緑の鮮やかな大地が見える。

 通り雨をもたらしていた雲の範囲を通り過ぎたのだ。

『人竜兵装を捕捉した。接近するぞ』

「……うんっ、お願い!」

 翼を翻し、ひらりと高度を落としたアーフィリルが地上へ向かって加速していく。

 ぐんぐんと地上が迫る。

 やはり薄い雲の下に入っても、雨は降っていなかった。

 ちらりと振り返ってみると、私たちがやって来た方向には真っ黒な雲が広がっているのが見えた。

 アーフィリルが、はざりと大きく翼を打つ。

 微かに雨の匂いが混じった強烈な風圧に、私はぐっと耐えた。

 緑の草原が、その上に刻まれた街道が、もの凄い勢いで後ろへ流れていく。

 前方には、そんな大地へ向かって薄曇りの空から、幾つも光の柱が降り注いでいた。

 そしてその光の中に、翼を広げる黒の鎧が見えた。

 アンリエッタ!

 追い付いた!

 しかし同時に、私はびくりと体を震わせる。

 アンリエッタを捉えたのと同時に、その向こうに城壁に囲まれた大きな街が見えて来たのだ。

「エーレスタ!」

 くっ!

 もうエーレスタに辿り着いてしまったっ……!

 私はギリッと歯を噛み締めた。

 やはりアンリエッタは、エーレスタを目指している様だ。

「アーフィリル、攻撃は? アンリエッタの足を止める手段は何か……!」

 私は必死に声を上げた。

『……我自身が手を下す事は本意ではないが、人竜兵装が相手ならばやむを得まい』

 アーフィリルの重々しい声が響く。

 同時に、アーフィリルの周囲に白の球体が浮かび上がった。

『奴の足を止める』

 厳かな宣言と共に、アーフィリルが白の球体を放った。

 空中に白の残光の軌跡を描きながら、れぞれ違う軌道を飛ぶ白の球が、アンリエッタに向かって殺到した。

 直前でこちらの攻撃に気が付いたのか、ひらりと高度を上げたアンリエッタがアーフィリルの攻撃を回避する。

 それを追うアーフィリルの白の光弾。

 複雑な軌道を描きながら、次々とその白球を回避していくアンリエッタ。

 白の球が炸裂する。

 アンリエッタの軌跡を辿る様に、爆光が空中に広がった。

 アンリエッタはしかし、ひらりひらりと回避しなからも確実にエーレスタの方向へ進んでいた。

 止められないっ!

 くっ!

 私はアーフィリルに掴まる手をぎゅっと握り締めた。

『セナ、注意せよ! 回避する!』

「えっ」

 アーフィリルの声が響いた瞬間。

 ぐるりと世界が回転した。

 空を仰いだかと思うと、次の瞬間には地面が迫る。

 体が激しく左右に引っ張られ、上下に振り回される。

「わわわ、ああああ!」

 激しく髪を乱されながら、私は必死にアーフィリルにしがみついた。

 この感覚!

 やっぱり、アーフィリルに乗って飛ぶのは苦手……うきゅ!

 じわりと涙が滲んでしまう。

 ううう……。

 その私の視界の隅を、黒の光が通過していく。

 アンリエッタの反撃だ!

 アーフィリルがひらりと回避した黒の光の球が、遥か後方で大地を直撃した。

 轟音と共に、巨大な爆発が巻き起こる。

 アンリエッタがさらに増速し、エーレスタに急接近する。

 私たちも、アンリエッタに接近する。

 翼を広げる黒い竜の鎧が迫る。

 下方に広がる地上の風景が、とうとう草原から市街地に変わってしまった。

 3重の城壁に囲まれた石造りの街並みと赤い屋根が広がるエーレスタの街が、足元を流れ去っていく。

 街角や城壁の上から、こちらを見上げている市民の方や兵士の皆さんの姿がちらりと見えた。

 くっ!

 ここには、多くの一般市民の皆さんだっているというのに!

 視界の隅に、ファレス・ライト城の偉容が見えた。

 アンリエッタは、お城に向かって進路を取っていた。

 雲の合間から差し込む光に照らし出されたお城の方角からは、激しく警鐘が打ち鳴らされる音が響いていた。

 アンリエッタがぐんっと高度を上げる。

 すかさずアーフィリルが追撃に入る。

 ぐるぐると体を回転させ、紙一重でアーフィリルの攻撃を回避する黒い竜。

 アーフィリルがその黒い竜の鎧に達する寸前。

 アンリエッタは、翼を広げて急制動を掛けた。

 一瞬その姿が、空中で停止したかの様に見えた。

 アンリエッタが反転する。下方のファレス・ライト城に対する。

 スピードに乗っていたアーフィリルは、そのままアンリエッタを追い越してしまった。

『あははははっ! いい! 楽しいっ!』

 アーフィリルとアンリエッタが交錯した瞬間。

 私は、そんなアンリエッタの壊れた様な笑い声を聞いた気がした。

 アーフィリルの上で、私はばっと身を捩って振り返る。

 アンリエッタが、その手をさっとファレス・ライト城に向かってかざす。

 黒の装甲に覆われた手の中に、闇色に輝く球体が生み出される。

「ダメっ!」

 私が叫んだ瞬間。

 アンリエッタの一撃が、エーレスタの中心たるお城に向かって放たれた。

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