第13幕
夏の朝の爽やかな風が吹き抜ける。
あたり一面に広がる平原の草花が、ざあっと波打ちながら揺れた。
眩い日差しに照らし出されたその大地をまるで黒く塗りつぶしてしまうかの様に、帝国軍の増援部隊が迫って来る。
背後から私の名を呼ぶオレットにふっと微笑んで頷いて見せると、私はそのまま先陣を切ってそのオルギスラ帝国軍の大規模増援部隊へ飛び込んだ。
敵のただ中を駆け抜けながら、私は魔素攪乱幕を放つ機獣の部隊を優先して潰していく。
白のドレスをひるがえし、敵部隊を飛び越え引き裂き、戦場を駆け抜ける。
竜騎士ラルツも私の援護に駆け付けてくれると、私たちは2人でオルギスラ帝国軍の増援部隊を押し止めるべく帝国軍の大部隊と激突した。
幸いにも、魔素攪乱幕を放つ機獣の数は少ない様だった。敵軍の数に比して、その新兵器の数はまだまだ足りていないのかも知れない。
しかし、機獣という強力な敵と新式装備を施した帝国の大軍は、通常の戦力としても純粋な脅威だと思う。
『セナ、左だ。回り込まれるぞ!』
竜騎士ラルツの声が響く。
紫鱗の竜ヒュベリオンは、地上に降り立ち、その長大な尾と強靭な前腕の爪で周囲の帝国軍を薙払っていた。
ヒュベリオンに騎乗する竜騎士ラルツも、竜槍と呼ばれる竜騎士専用の長い槍を振るい、帝国軍を退けていた。
私はちらりと目だけを動かして、竜騎士ラルツが示した方向に視線を送った。
敵騎兵隊の一団が、土煙を上げながら私たちの側面に回り込もうとしていた。
ここを抜かせる訳にはいかない。
第2大隊の本隊は、先ほど帝国軍と正面からぶつかったばかりだ。今は、分散配置した部隊の再集結や隊列の再編成など、態勢を立て直している最中のだろう。再度敵の攻勢を受け止めるには、厳しい状況にある筈だ。
いくらオレットたち精強な騎士を有する第2大隊でも、一部を押し崩されてしまえば、そこから全軍が崩壊してしまう可能性だってある。
もしかしたら帝国軍の増援部隊は、このタイミングを狙っていたのかもしれない。
先ほど第2大隊とぶつかった敵先鋒の規模や損害の大きさからして、敵も初めからこの様な展開になるのを読んでいたという訳ではなさそうだ。
しかし帝国軍のエーレスタ侵攻部隊には、突発的な事態にもこれだけの戦力を即座に投入できるだけの兵の余力があるという事なのだ。
私はすっと目を細める。
横目で迂回突破を図る敵騎兵隊を睨むと、私はそちらに向かって白の光球を放った。
白光が爆ぜる。
大地を揺るがす衝撃と、雷の様な閃光が走る。吹き荒れる白の爆光が敵の集団を飲み込み、さらにその向こうの森をも吹き飛ばした。
「ふっ」
正面から突撃してくる機獣の衝角を左の剣の腹で逸らした私は、さらに右手の剣で機獣の頭を吹き飛ばした。
「ば、化け物……!」
「何なんだっ、あれはっ!」
「ひ、怯むな! 数で押し込めっ!」
私の周囲を十重二十重に取り囲む帝国軍が叫ぶ。
『セナ。魔素の流入量が増加している。力の制御効率が落ちている』
帝国騎士を斬り倒す私の胸の中から、アーフィリルの声が響いた。
「もう限界?」
自分の事でありながら、私は冷ややかな声で聞き返した。
まだここでもとの姿に戻る訳にはいかない。
敵はまだ山ほどいるのだ。
私の目の前に。
『今すぐという訳ではない。しかしセナの体に負担が掛かっている。考慮せよ』
私は両手の剣を振って、目の前の機獣を3つに切断した。
「了解っ」
アーフィリルに短く返事をしながら、私は新たな機獣へ向かって踏み込んだ。
その背後で、先ほど斬った機獣が爆発を起こして炎を吹き上げる。
私に出来る事。
私がしなければならない事。
それがある限り、私は立ち止まってなどいられない。
さっと剣を振り上げ、敵陣中央に無数の魔素の光を降らせる。その周囲一帯に着弾の土煙がもうもうと吹き上がり、大地が、敵兵たちが吹き飛んでいく。
私はその中を、両手に剣を下げながら輝く髪を揺らして、前進し続けた。
「ひっ」
長槍を構えた敵兵が、短い悲鳴を上げて後退る。
「こんなっ、これが終の花になるなどっ!」
叫び声を上げながら、敵の重装騎士が突撃して来た。
私はギロリとその騎士を睨み付け、左の一撃でその敵の剣を切断し、右の剣で袈裟掛けに鎧ごと斬り伏せる。
ふわりと広がったスカートが、ゆっくりと元に戻っていく。
『セナ、突出し過ぎだっ! ここは後続を待て!』
竜騎士ラルツの厳しい声が響く。
ラルツとヒュベリオンは、私の左後方で戦闘中の筈だ。
「まだだ」
私はぼそりと呟いてそれだけを返すと、前方の騎士隊に向かって白の光の球を放った。
剣を構えながら雄叫びを上げて迫る帝国騎士たちに向かって飛んだ光の球は、しかし私が起爆を命じるよりも一瞬早く爆裂した。
騎士隊の眼前で爆炎が巻き起こる。
激しい爆炎が上がり、衝撃波が周囲の敵騎士を吹き飛ばした。
直撃しなくても、私の一撃には敵を吹き飛ばす程度の威力はある。
しかし、衝撃波に髪を揺らしながら、私は眉をひそめた。
別に息も乱れていないし、体力が限界だという事もない。どこか怪我をしている訳でもない。
しかし、単純に力の制御が乱れてきている。
アーフィリルが教えてくれたみたいに、強大な力を振るう反動が来ているのだろうか。
体の奥がぼうっと熱い。
いや。
違う、だろう。
力の制御を失敗したのは、明け方からの連戦で私の集中力が切れてきているからだ。
しかしこれ以上、帝国軍に進ませるわけにはいかない。私が止めなければならない。
もっと集中して、目の前の敵を倒さなければならないのだ。
ふっと短く息を吐き、私は目を細めて眼前に広がる敵集団を見据えた。
帝国軍は、私と竜騎士ラルツが支えている戦域を無視する様に、左右から突破を試みて来る。
私は剣で正面の敵を押さえながら、遠距離攻撃を飛ばしてそれを阻止する。
紫のヒュベリオンは、既に魔素攪乱幕を誘い出す為に乱発した竜の咆哮の影響で、一時的な魔素切れの状態だった。
そのため遠距離からのけん制と敵の殲滅も、今は私が担わなければならない状況だった。
「死ねっ、エーレスタの化け物っ!」
怒声が響く。
ヒュベリオンの方向を気にしていた私は、背後から突撃してくる敵騎兵に気が付くのに一瞬遅れてしまった。
振り返ると、既にそこに敵騎兵の巨体があった。
馬の突進力を乗せた馬上槍の一撃が、私の胸の鎧に突き刺さる。
『セナっ!』
竜騎士ラルツが叫んだ。
甲高い金属音が響き渡る。
先端のひしゃげた馬上槍が吹き飛び、宙を舞った。
その衝撃で、敵の騎兵自身も馬ごと吹き飛んでしまった。
アーフィリルの魔素で構成された不可視の障壁が、騎士の突撃を防いでくれた。
続いて迫る騎兵の槍をかわし、振り上げた剣で敵騎兵を両断。続けて右から迫る機獣の頭を2つに裂いた。
その瞬間、敵の砲弾が私の近くで連続して炸裂した。
『もういい、一度引くぞっ!』
竜騎士ラルツの声が響く。
私はしかし、周囲に充満する煙を剣で断ち切り、さらに包囲網を狭めて迫る敵をキッと睨み付けた。
まだだ。
まだ私は戦える。
ならば、ここで引き下がる事なんか出来ない。
今の私は、周囲の者たちから竜騎士と見なされている。
私が竜騎士であるのならば、その名に恥じぬように戦わなければならない。
その力で多くの人々を守る。それこそが、竜騎士の務めなのだから。
それに、アーフィリルの名を冠する竜騎士が、不甲斐ない戦いなど出来ないだろう。
私を竜騎士だといってくれた人のためにも、私に力を貸してくれたアーフィリルの名を汚さないためにも、私は戦わなければならないのだ。
オルギスラ帝国軍の増援は、ここで私が止める。
帝国軍は私が倒す。
必ず、だ
私は、ふっと口元に笑みを浮かべた。
戦いは、ここからだ。まだまだここからなのだ。
私は両手の剣を握り直し、敵の真ん中へと再突撃しようと一歩を踏み出した。
その時。
私が背にするメルズポートの方向から、大きな喚声が響き渡った。
同時に、周囲の帝国軍がぎょっとした様に一瞬動きを止めた。
私もちらりと振り返り、背後に視線を送る。
そこには、今まさに丘の稜線を超えてこちらに迫ろうとしている騎兵の大部隊の姿があった。
『……早いな。さすがディンドルフ閣下だ』
ほっと安堵したかの様な竜騎士ラルツの声が響いた。
丘の上にエーレスタの軍旗がひるがえる。そして、第2大隊の旗も。
整然と隊列を組みながら丘を駆け下り、颯爽と突撃して来る騎兵の大部隊は、エーレスタ騎士団第2大隊の主力部隊だった。
第2大隊は、私と竜騎士ラルツが時間を稼いでいる間に態勢を立て直したのだろう。
エーレスタの不意を突くつもりだった帝国軍は、私と竜騎士ラルツに戦力を削られたところへ逆に第2大隊の急襲を受ける形となってしまった。
こうなれば、帝国軍は撤退せざるを得ない。
平原を埋め尽くすエーレスタの騎士が、馬蹄を轟かせて突撃を仕掛ける。鎧の音や喊声が、周囲に響き渡った。
対してオルギスラ帝国軍は反転。急速に後退を開始する。私の周囲からも、帝国兵が逃げ出し始めた。
しかし、逃がすものか。
私はその帝国軍に向かって白の光球を放とうとした。
その瞬間。
カッと全身が熱くなった。
視界がぼやける。
制御を失った白の光が、私の手からぱっと拡散してしまった。
『ここまでだ、セナ』
胸の中にアーフィリルの低い声が響いた。そして不意に、体の奥に感じていたアーフィリルの存在が、ふわりと私から離れるのを感じた。
その途端、体が鉛の様に重くなる。
「うっ……」
短く呻いた私の声は、普段の高い声に戻っていた。
白い光と共に、服装も純白のドレスから短いスカートと騎士服に戻ってしまう。
私はそのままスカートを広げて、崩れ落ちる様にペタリとその場に座り込んでしまった。
……あれ?
足に力が入らない。
『セナ! 大丈夫かっ!』
ラルツさまの声が響いた。
竜の力を介して聞こえているその声は、しかしどこか遠くから聞こえてくるかの様だった。
瞼が急速に重くなる。
頭の中が痺れて、靄が掛かったかの様にぼうっとしてしまう。体がふわふわとして来て、自分が今どんな状態にあるかよくわからなくなってくる。
「セナっ!」
どこからか響く馬蹄の音と共に、私の名前を呼ぶ声がした。
それはラルツさまだったのだろうか、それともオレットさんが駆け付けて来てくれたのだろうか。
それを確かめる事も出来ず、私はその場にくたりと倒れてしまった。
草原に横たわる直前、白いふわふわの毛に受け止められた気がするが、私の意識はそこでふつりと途切れてしまった。
全身がぽかぽかと温かい。
小さな頃。良く晴れた日の昼下がり。お母さんが取り入れたばかりのお布団や洗濯物に飛び込んで遊んでいて、そのままその中でお昼寝してしまった時みたいに、私はふわふわで柔らかで心地良い感触に埋もれていた。
お日さまの良い匂いが、ほわっと私を包み込む。
「うんっ」
何だか気持ち良くて、私はその柔らかな感触にぐりぐりと顔を押し付けながら、うんっと伸びをした。
「うーん……」
ふうっと息を吐きながら、もう一度くたっと力を抜いた私は、そのまま膝を抱いて丸くなった。
何も考えられず、ただ力を抜いて微睡む。
そんな時間が、どれほど経っただろうか。
「……ナ」
どこからか声が聞こえて来る。
お母さん……?
「……セナ」
ふと、意識が浮かび上がる。
……ああ、そうだった。
そこで私は、ふと気が付いた。
ここは私の部屋じゃない。私のベッドでもない。お父さんやお母さんのいる故郷のお家ではない。
あれ。
だったら私は今どこにいるのだろう。
そうだ、私は騎士になったのだ。
そしてエーレスタに来て、竜騎士に……。
そこで私は、はっとして息を呑んだ。
パチリと目を開く。
まず目の前に飛び込んで来たのは、私を包み込む白い羽毛の塊だった。
ふわりとお日さまみたいなアーフィリルの匂いが漂う。
うむむむ……。
少し眠ってしまってたみたいだ。
うつ伏せでアーフィリルの羽毛に埋もれる様に眠っていた私は、ぐりぐりと目を擦りながら顔を上げた。
うーん……。
「アーフィリル……?」
ぽつりと呟いた私の声は、掠れてしまっていた。
ぽかぽかと温かいアーフィリルの体に手を着いて、私は体を起こそうとする。
……何だか上手く体に力が入らない。
それでも何とか起き上がろうとしてむんっと力を込めた瞬間。
「ふぎゅ!」
ビシッと体中を激痛が駆け抜ける。
思わず私は、そのままぼすっと再び白い羽毛の塊に突っ伏した。
うう……。
『目が覚めたか、セナよ』
低い声が轟き、アーフィリルがもぞっと動く気配がした。
頭だけを動かして周囲を見ると、大きい状態のアーフィリルが覗き込む様にして私を見ているところだった。
どうやら私は、寝そべって丸くなっているアーフィリルに包み込まれる様にして眠ってしまっていたみたいだ。
アーフィリルの向こうの景色は、既に薄暗くなってしまっていた。
寝そべるアーフィリルから少し離れた場所には、幾つもの天幕が並んでいるのが見えた。その間を見慣れたエーレスタの騎士さまや兵士さんたちが、忙しそうに動き回っている。
いい匂いがするのは、ご飯の準備をしているからだろうか。
私たちの近くを通過する人たちが、顔を強ばらせながらちらちらとアーフィリルを見ていた。
見上げる濃紺の空には、既にぽつりぽつりと星が瞬いている。涼やかな夏の夕方の風が、さらさらとアーフィリルの純白の羽毛を揺らしていた。
何とか身をひねって仰向けになった私は、心地いいアーフィリルの温かさに包まれながら、お腹の上で手を組んだまま再び目を閉じてしまいそうになる。
……うんっ。
しかしそこで、私はぱっと目を開いた。
騎士団。
夕方……!
はっとする。
顔からさっと血の気が引き、胸がキュとした。
対オルギスラ反攻作戦が始まったのは、早朝の事だった。その後帝国の増援部隊相手に戦って、敵が退却して……。
「アーフィリル! 状況は!」
私は、ばっと体を起こした。全身に走る痛みに、ぐっと顔をしかめて必死に耐える。
帝国軍が退却したとはいえ、呑気に寝ている場合ではない。帝国との戦いは、終わった訳ではないのだ。
こんな時に、まる1日も寝てしまったなんて……!
アーフィリルは何も言わず、僅かに緑の目を細めて私に顔を近付けて来た。大きな鼻でぐいぐい私を推してから、ちらりと目線を別の場所に送った。
私もそちらに目を向ける。
そこには、エーレスタの鎧を着こんだ騎士さまが、石積みの壁に背を預けながら腕組みをして立っていた。
あ。
「セナ。目が覚めたか」
少しほっとした様に私の名を呼び、腕を解く騎士さま。
「オレットさん!」
私は思わず声を上げた。
私とアーフィリルを見つめていたオレットさんは、ふっと短く息を吐いた。
その足元には、紙タバコの吸い殻がいくつも落ちていた。
「まったく、寝顔だけ見てれば、お前が帝国軍を押し返しただなんて信じられないな」
にやりと笑みを浮かべるオレットさん。
「あの、オレットさん! 戦況はっ、帝国軍はどうなりましたかっ!」
私はオレットさんに駆け寄ろうとして、しかし全身を駆け抜ける痛みに足が絡まってしまった。
「わっ」
倒れそうになる私を、アーフィリルの長い尻尾がぼすっと受け止めてくれた。
私はそのまま、ペタンとその場に座り込んでしまう。
うう……。
私は顔を曇らせながら、オレットさんを見上げた。
「心配するな。セナとラルツさまが敵の増援を押さえてくれたおかげで、今は睨み合いの膠着状態だ」
オレットさんが頷く。
それを見て私は、ほおっと大きく息を吐いて肩の力を抜いた。
状況は改善していないけど、悪くもなっていないという事か……。
「それよりもセナ。お前こそ何があったんだ。いったいこの白いのは何だ。あの姿は、竜騎士とは、どういう事だ?」
オレットさんが笑みを消し、厳しい口調で問い掛けて来る。いつも飄々としているオレットさんにしては珍しい、ピリッとした雰囲気が漂っていた。
「あの、えっと……」
私は座り込んだまま目を伏せると、ごにょごにょと言葉を濁した。
いったい何から説明したらいいのか……。
再び顔を上げた私が、口を開こうとしたその瞬間。
不意に、くうっとお腹が鳴った。
私のお腹の音だ。
うっ。
ぼんっと顔が赤くなってしまう。
視線を泳がせてから恐る恐るオレットさんを見る。
オレットさんは、少し疲れた様にため息を吐き、首筋に手を当ていた。そして、しょうがないなという風にふっと笑う。
ううっ、恥ずかしい……。
「あ、セナ。起きたね」
私が唸りながらもじもじしていると、今度はアーフィリルの脇から私の名前を呼ぶ声がした。
オレットさんから逃げる様にそちらを見ると、赤髪の少女が近付けてくるところだった。
「マリアちゃん!」
私は目を丸くする。
赤の髪を三つ編みにして背中に流したマリアちゃんは、いつもの革鎧は身に着けていたが、その下にはエーレスタの兵士さんが着る制服を身に着けていた。白と青を基調にした、私たちの騎士服を簡易にした様なデザインの服だ。
マリアちゃんは今は弓をもっておらず、その代わりに脇に毛布を抱えていた。
「セナ、いくら起こしも起きないし。夏だからって、こんなところで寝てたら風引くよ」
マリアちゃんは釣り目をすっと細めて、呆れた様に息を吐いた。
「女の子が、そんな短いスカートでお腹出して寝たらダメだから」
びしっと言い放つマリアちゃんに、私は思わず気圧されてしまう。
「ご、ごめん……」
私は、しゅんと肩を落とした。
「……まぁ、幸せそうな寝顔ではあったけどな」
オレットさんがニヤリと笑った。
「副士長さま」
マリアちゃんが半眼でオレットさんを睨んだ。
あれ……。
2人はいつの間に知り合いに?
「マリアちゃん、どうしてここに?」
私はむうっと眉をひそめて、マリアちゃんを見上げた。
目が覚めると夕方だし、ここがどこかもわからないし、オレットさんやマリアちゃんまでいるし、いまいち現在の状況がわからない。
「そうだな。ここで立ち話というのも何だ。マリア君。セナに食事を用意してやってくれないか」
私がむむむと唸っていると、オレットさんがマリアちゃんと私を見てから、立ち並ぶ騎士団の天幕の方を指差した。
「わかりました。ほら、セナ、いくよ」
マリアちゃんはオレットさんに向かって頷くと、私に向かって手を差し出した。
先ほどのお腹の音の事を思い出して少し赤くなってしまうが、私は黙ってマリアちゃんの手を取った。
私が立ち上がると、背後でアーフィリルも身を起こす。
マリアちゃんと少し離れた場所にいるオレットさんが後退った。
マリアちゃんはだいぶ慣れてくれた様だけど、オレットさんはまだ駄目なのだろう。厳しい表情をしながらいつでも動ける様に腰を落としているのは、剣士であるオレットさんにはしょうがない事かもしれない。
『セナ。体調はどうか』
胸の中に、私を気遣う様なアーフィリルの声が響いた。
「うん、全身が痛いけど、あとは大丈夫」
私は振り返り、アーフィリルを見上げてはははっと笑った。
実は、こうして立っているのも少し辛い。何か力を入れたり体を動かしたりすると、体がバラバラになりそうな痛みが走るのだ。
でも私は、筋肉痛には慣れているから大丈夫なのだ。
アーフィリルは、潤んだ緑の瞳でじっと私を見下ろしていた。
私はオレットさんたちと天幕の方へと歩き出すが、しかし足の痛みで、思わずふらふらとよろめいてしまった。
「ほら、あぶないよ」
マリアちゃんが私の手を取ってくれる。
「ごめんね、マリアちゃん」
私は照れ笑い浮かべてから、そっとため息を吐いた。
……まったく、騎士として不甲斐ない限りだ。
背後のアーフィリルが光り輝いたかと思うと、純白の羽毛に包まれたその体躯が子犬の大きさに変わった。
パタパタと羽を動かした小さなアーフィリルは、そのままぽてっと私の頭に乗った。
『我の力に適応しつつあるとはいえ、無理は禁物だ。現在のセナの体は、力の行使の反動が出ているのだぞ』
アーフィリルが、前足で私のおでこをペシっと叩いた。
「……うん」
私は苦笑を浮かべながら、こくりと頷いた。
……そうだった。
私はアーフィリルの力を借りて帝国軍と戦って、その増援部隊を押し止める事には成功した。でも、力の負荷で結局倒れてしまったのだ。それで今まで眠ってしまって……。
私は、きゅっと眉をひそめた。
……もっと頑張らなければと思う。
もっとアーフィリルの力を使いこなせる様になって、頑張らなければ。
マリアちゃんに手を引っ張られながら、私はもう一方の手をぎゅっと握り締めた。
オレットさんが案内してくれた天幕は、広くて大きくて、一目で特別なものだとわかった。
設置されている机なども大きく立派で、まるでお金持ちのお屋敷にある様な立派なベッドまで設えてあった。
魔晶石の灯りを宿すランプには、精緻な彫刻までされていて、一見して高級品だという事がわかった。
この天幕は竜騎士用なのだとオレットさんが教えてくれた。
つまり今は、私用だと……。
思わず私は、身を固くしてしまう。
各大隊には、竜騎士と共同作戦を行う時のために、竜騎士を迎えるためのこういった専用資材が備え付けられているのだ。
もちろんラルツさまには、別の専用天幕が用意されている。
「セナ、そこに座る」
マリアちゃんが大きなテーブルの一角を指差した。
私は言われた通りにぽすっと椅子に腰掛ける。
「今ご飯もらってくるから。あと、アーフィリルは隣にね」
「うん。ありがとう」
私はこくりと頷いてから頭の上のアーフィリルを下ろすと、隣の席に座らせた。
「はは、まるで姉妹みたいだな」
天幕を支える太い柱に背を預けたオレットさんが笑った。
「いい姉さんぶりじゃないか」
オレットさんは、慌ただしく天幕を出て行くマリアちゃんを見送ってから、再び私を見た。
……この場合、姉が誰を指しているのかは私にも良くわかる。
本当は、私の方が年上なのだけれど……。
私はむうっと膨れてから、ふっと小さく息を吐いた。
「それで、いったい何があったんだ」
笑みを消し、声を低くしたオレットさんが尋ねて来る。
顔を上げた私は、握り締めた拳を膝の上で揃えてぐっと背筋を伸ばす。そして、これまでに起こった出来事をゆっくりと説明し始めた。
特別編成されたバーデル隊。南部地域の警戒任務。そこで遭遇した帝国軍。初めての実戦や、竜山連峰での山中での戦闘。襲われた村。そこで、出会ったマリアちゃんの事。バーデル隊の壊滅。先輩たちの死……。
そして、あの夜。
山の中の遺跡での、アーフィリルとの邂逅。
私の話をじっと聞いているオレットさんは、無精髭の生えた顎を撫でながら真っ直ぐにこちらを見つめていた。
何も口を挟まず、鋭い目を光らせてじっと私の話を聞いてくれるオレットさん。
「それで、私が倒れた後の状況は、どうなったんですか?」
一通り話終えた私は、少し身を乗り出して今度はこちらから質問をした。
一瞬沈黙した後、オレットさんは今朝の戦いで私が意識を失った後の話をしてくれた。
体制を立て直した第2大隊を前にしたオルギスラ帝国軍の増援部隊は、ローデン街道の北方面へと撤退した。
第2大隊は、帝国軍にはまだ十分な戦力があると判断し、その無理な追撃は行わなかった様だ。一部敵の殿との衝突はあったみたいだが、双方明確な勝敗が付く前に兵を引いたらしい。
しかしこの戦闘によって、私たちエーレスタ側は、一応メルズポート周辺から帝国軍を追い払う事に成功したのだ。
これで、最低限の目標はクリアした事になる。
現在第2大隊は、メルズポートから僅かに北上した地点にある警備巡回用の物見の塔を簡易の駐屯地に定め、部隊の再編成とさらなる帝国軍への攻撃の準備を進めているところ、との事だった。
各方面に複数の偵察隊を放って、敵主力と伏兵の有無を確認しているらしい。
私たちが今入っているこの天幕も、その簡易駐屯地にあるみたいだ。
戦場で倒れた私は、アーフィリルにくわえられてこの簡易駐屯地の味方と合流出来た様だ。
私はアーフィリルの頭を撫でてお礼を言いながら、とりあえず朝以来、両軍に大規模な衝突が起こっていないという事にほっと息を吐いた。
オレットさんも無事で何よりだと思う。
今朝の戦闘だけでなく、第2大隊は今までずっと厳しい状況の中で戦っていたと聞いていたから……。
そういえば、オレットさんがいるということはフェルトくんもいる筈だが。
「あの、オレットさん。フェルトくんは……」
私はオレットさんにそう尋ねようとして、はっとしてしまう。
腕組みをしながらこちらを見ているオレットさんの顔は、ドキリとする程厳しいものだった。
うっ。
えっと……。
「お待たせ」
そこで天幕の入り口が開き、大きなバスケットを持ったマリアちゃんが戻って来た。
「セナ、食事もらってきたから」
手早い動きでバスケットを広げ、食事の準備をしてくれるマリアちゃん。
木のお盆の上に乗せられたのは、野菜ゴロゴロのクリームスープと保存の利く堅パン、入れ立てのハーブティーだった。
マリアちゃんは、アーフィリルの前にも小さなお皿に入れたスープを置いてくれた。
『うむ』
アーフィリルは前足をテーブルに乗せ、ふんふんとスープの匂いを嗅ぐ。
「そ、そういえば、マリアちゃんはどうしてここにいるの?」
私はマリアちゃんへと話を向けてみる。
マリアちゃんたち竜山連峰方面から逃げ延びて来た村人さんたちについては、一時メルズポートで保護してもらえる様にディンドルフ大隊長にお願いしてあった。
いつまでも帝国軍がいるかもしれない街の外で野営してもらう訳にはいかなし……。
「別に。私も帝国軍と戦いたかったから、騎士団に協力を申し出ただけだよ」
ぶっきらぼうに言い放つマリアちゃん。
マリアちゃんなら弓の腕も良いし、騎士団でも大歓迎だろう。
……ただ、マリアちゃんにはあまり危ない事をはして欲しくなかったけど。
「それで、セナが倒れたって聞いて、駆けつけて来たんだよな」
オレットさんがニヤリと笑った。
それは、先ほどまでの厳しい顔とは全く違う、いつもの飄々としたオレットさんの表情だった。
私は、心の中でほっとする。
「……別にそんなんじゃないよ。たまたま補給部隊に、こっちを手伝えって言われただけ」
マリアちゃんがギロリとオレットさんを睨んだ。
「でも来て良かったわ。だって、女の子の寝顔をジロジロ見てる様なデリカシーのない騎士が、セナの周りをうろうろしていたんだから」
そのマリアちゃんの言葉を聞いて、オレットさんが一瞬目を丸くする。そして、直ぐにはははっと声を上げて笑い出した。
私は、くいくいとマリアちゃんの服の袖口を引っ張った。
「来てくれてありがとうね、マリアちゃん」
私はマリアちゃんを見上げて、ふわりと微笑んだ。
マリアちゃん、やっぱりいい子だ。
……こんないい子を酷い目に合わせる帝国軍は、やはり野放しには出来ないと思う。
マリアちゃんの顔が、微かに赤くなった。
「……さっさと食べる。冷めちゃうでしょ」
マリアちゃんはそう言うと、私にさっと背を向けて周囲の片付けを始めた。
私はもう一度ふふっと笑ってから、両手で堅パンを掴んだ。
がぶりとかぶりつく。
……堅い。
ぼそぼそする。
でも、おいしかった。
「オレットさん。ご飯たべたら、私もまた出られます。偵察に出ればいいですか?」
私はぎゅっとパンを握りながら、力を込めてオレットさんを見た。
体はまだまだ痛いけど、いつまでも寝ている訳にはいかない。アーフィリルに乗せてもらって空から偵察すれば、きっと何か敵の情報を掴める筈だ。
「セナ」
低く、オレットさんの声が響く。
オレットさんは一度何かを考える様に目を瞑り、そしてキッと目を開くと私に鋭い視線を向けた。
ドキリとする。
オレットさんは、先ほどと同じ厳しい顔をしていた。
「セナ。今のお前の戦い方は危険だ」
そして有無を言わせぬ口調で、オレットさんはぴしゃりとそう言い放った。
「また後で正式に伝えられるだろうが、お前はメルズポートの帝国撃退戦での最大級の功労者として、叙勲申請される事になる。文字通り、英雄になる訳だ。大隊長以下司令部は、それほどお前を評価している。事実、あのタイミングで襲来した敵の増援に対し、ほとんど被害が出なかったのは、お前のおかけだ」
オレットさんはふっと息を吐いた。
私はドキドキしながらオレットさんを見つめる。
英雄とか勲章とか実感出来ない単語よりも、オレットさんの次の言葉の方が気になった。
「だが、な。竜騎士の強大な力を頼みに1人で突撃するのは危険だ。今日の戦闘の後半みたいに、1人で突出する様なあんな戦い方はもうするな。絶対にだ。あんな戦い方をしている様では、遅かれ早かれお前は死ぬ事になる。例えどんなに大きな力を有していても、な」
オレットさんが目を細めた。
私は思わず息を呑む。
死ぬ……?
私が?
「でもっ……」
私は、ぐいっと前に身を乗り出した。
しかし、帝国軍の機獣や魔素攪乱弾を騎士団に向けさせる訳にはいかない。今それらに対処出来るのは、私だけだ。ならば、私が頑張って潰さなければならないのだ。
みんなの笑顔を曇らせる帝国軍は、私が倒さなければ……。
「……いや。言い方が悪かったな」
オレットさんは横目で私を見てから、僅かに視線を逸らした。
「セナの力が必要なのも、セナのおかげで勝てたのも、重々承知している。すまなかった」
オレットさんすっと頭を下げた。
「あ、いえ、そんな……」
私は目を丸くして、ぶんぶんと手を振った。
「あー、その、何だ。俺が言いたかったのは、無理はするなって事だ」
オレットさんは柱から背中を離すと、こちらに歩み寄って来た。
「セナが騎士の責任を果たそうと一生懸命なのはわかっている。大変な事があって、それでも必死に戦って来たのは、わかっているつもりだ」
オレットさんはゆっくりとした口調でそういいながら、私の前に立った。
私も足の痛みを我慢して立ち上がった。
「良く頑張ったな。偉いぞ」
ぽんっと私の頭の上に手を乗せるオレットさん。
その瞬間、胸が熱くなった。
ふるふると震えそうになる唇をぎゅっと引き結び、私は一瞬だけ目を瞑った。
安堵とか喜びとか充足感と、何だか色々混じり合ったよくわからない感情が、思わず溢れてしまいそうになる。
オレットさんが手をどけると、私はもう一度その顔を見上げた。
「作戦や戦術として、竜騎士が担う役割はある。大きな力を有している分だけ、多くの敵や困難な状況に対するのは、しょうがない事だ。現状、セナの力がスキルを妨害する敵の兵器を打ち破る切り札になっている様にな」
私を見下ろすオレットさんが、目を細めた。
「しかし、だからと言って、全ての敵を1人で引き受けるなんて戦い方はするなっていう事だ。どんなに強かろうが特別だろうが、1人で戦争に勝つ事は出来ない。力のみを頼りにするのではなく、状況を良く理解して戦うんだ。そして味方を助け、自分自身も無事に帰還する。それで初めて、敵に勝った事になる」
戦い方。
そして、勝つという事……。
私は目を見開いて、オレットさんを見つめていた。
そうだ。
私は今まで、ひたすら一生懸命に剣を振るって来ただけだった。
オレットさんの言うとおり、アーフィリルの力を振りかざしてただ目の前に敵を倒して来ただけなのだ。
それでは、守れないものがある。
私自身も、そして私が守らなければならない大切なものも……。
目を伏せて、私はぎゅっと手を握り締めた。
……今日だって、そうして1人で突撃した挙げ句に魔素の制御も危うくなって、結局倒れてしまった。
もし私が眠っている間に敵の侵攻があれば、魔素攪乱幕弾を防げない騎士団は、それこそ大損害を被ってしまったかもしれないのだ。
……それでは、本末転倒なのだ。
「要は、1人で無理をするなっていう事だ。今のお前は強い。周囲はみんなその力を当てにするだろう。しかし、戦っているのはセナだけじゃない。俺たちだっている。もう少し俺たちを頼ってもいいんだって事だよ」
オレットさんはそう言うと、表情を崩してふっと笑った。そして、ぽんっと私の肩に手を置いた。
……そう。
私1人が戦っているんじゃないんだ。
今日だって、ラルツさまがいた。ヒュベリオンだっていてくれた。
……それに、私にはずっと一緒にアーフィリルがいてくれる。
戦場で私が倒れれば、アーフィリルだって危険に晒されてしまうのだ。私に力を貸してくれるアーフィリルを、そんな目に合わせてはいけない。
私はいつの間にかスープを平らげて、むにゃむにゃと口を動かしているアーフィリルを抱き上げると、ぎゅっと抱き締めた。
「……危ない目にあわせてごめんね、アーフィリル」
私がそう囁くと、首を伸ばしてアーフィリルが私を見た。
『どのような判断であっても行動であっても、それがセナのものであれば、我はついて行こう。それを見守るのが、そもそもの我の目的なのだ』
アーフィリルはちろっと舌を出して私の頬を舐めた。
『しかし我としては、その男の言は好ましく思う。セナが無理をするのは、良い事ではない』
アーフィリルの低い声が優しく響いた。
「……うん」
私は小さく頷いて、アーフィリルを抱き締める腕に力を込めた。
ふわふわのアーフィリルを抱きしめながら、私は目だけでそっとオレットさんを見上げた。
「あの、オレットさん」
「何だ」
オレットさんが息を吐いて首を顎を上げた。
「……あの、この戦いが落ち着いたら、また剣を教えてくれませんか。えっと、他にも色々教えてください! 私、勉強したいんです!」
最後は少し声を大きくしながら、私はずいっとオレットさんに詰め寄った。
私は、まだまだ色々とオレットさんに習わなくてはいけないと思うのだ。剣の技術だけでなく、戦い方そのものとか、騎士としての在り方とか、色々と……。
「ん、ああ、そうだな……。帝国軍が大人しく帰ってくれたら、な」
オレットさんは頬を掻きながら、私から視線を逸らした。そして大きくため息を吐くと、さっと踵を返して天幕の出口に向かって歩き出した。
「オレットさん?」
早速色々話を聞きたかった私はその背に声を掛けるが、オレットさんはどこからか取り出した紙巻きタバコを手にして、ひらひらと振るだけだった。
タバコを吸いに行く、という事だろうか……。
「……ったく。あの姿に成長するのは、何年後なんだろうな」
ぼそりとオレットさんが何か呟いている。
それまでじっと黙っていたマリアちゃんが、そのオレットを胡乱な目で見ていた。
「ほら、セナ。早く食べないからスープが冷めたでしょ」
マリアちゃんに怒られる。
……うう。
「座って。温め直すから」
「あ、大丈夫だよ、マリアちゃん」
私が笑って手を振りながら、でもマリアちゃんの言う通りにぽすっと椅子に座った。私から解放されたアーフィリルは、もぞもぞと動いて私の隣の椅子に移動した。
その時。
ばっと勢い良く天幕の入り口が開いた。
「報告!」
伝令の兵の大声が響いた。
「オレット副隊長! 第2分隊が偵察に出ていた方角で戦闘が発生している様です! 多数の砲撃が確認されています!」
それを聞いたオレットさんが、くしゃくしゃと後頭部を掻いた。
「ああ、もう一人突撃馬鹿がいたなっ。フェルトの隊か。あいつ、何かやりやがったな。ウォレンじゃフェルトを止められなかったか」
オレットさんが、疲れた様に大きくため息を吐いた。
「了解だ。隊を集めろ。それと中隊長に報告。俺たちも出るぞ。あの悪ガキを迎えに行く」
フェルトくん……。
私はきゅっと眉をひそめた。
やはりフェルトくんも、この戦いに参加しているのだ。
そして今は、敵と戦っている……。
私はガタリと椅子を鳴らして立ち上がった。
「オレットさん! 私も行きます!」
オレットさんが眉をひそめて私を見た。
「私なら、もう大丈夫です!」
私はキッと力を込めてオレットさんを見つめた。
大切なものを見誤らない様に、私は戦うんだ。1人じゃなくて、仲間のみんなと一緒に。
フェルトくんもその隊のみんなも、私たちの仲間だ。ならば、みんなで力を合わせて助けなければ……!
私は、ぐっと握りしめた手をそっと胸に当てた。そして力と決意を込めて、オレットさんに大きく頷き掛けた。
夜闇に沈んだローデン街道の脇に広がる森の上を、私を乗せたアーフィリルが高速で飛び抜ける。
木々の先端はすぐ足元にある。
アーフィリルの翼が巻き起こす風圧が、そんな木々をざわざわと揺らしていた。
頭上に広がる星空には、少し雲が掛かっていた。今夜は月が出ている筈だけど、今は雲に隠れてしまって見えなかった。
遠くには、黒い壁の様になった山々が広がっていた。
私の前には、広大な夜の世界が広がっている。
ひんやりと心地よい夜風が吹き付ける。
私の髪とマントが、バタバタと大きく揺れていた。
私はキッと前方を睨み付ける。
森の切れた先。
微かに盛り上がった丘の上から、複数の煙が夜の闇よりも黒い影となって立ち上っているのが見えた。
……帝国軍の砲撃が行われた跡だ。
あの近くにフェルトくんの隊がいる。
フェルトくんと他2名の騎士たちは、第2大隊の簡易駐屯地から多方向に放たれた偵察隊の一翼を担っていた。
オレットさんの話だと、偵察隊には敵の位置と戦力確認をする旨の命令が出されていたが、戦闘は極力避けるようにとも下命されているとの事だった。
そのフェルトくんたちが追われているという事は、不意に帝国軍と遭遇してしまったという事なのだろうか……。
オレットさんは、フェルトくんの方から何か仕掛けたのではと言っていたけど。
私がそのフェルトくんたちの救援任務に志願した事に、オレットさんやマリアちゃん、それにディンドルフ大隊長は良い顔をしなかった。
みんな私の体の調子を心配してくれているみたいだ。
しかし、空を飛べるアーフィリルが一番足が早いのだ。私が出た方が、素早くフェルトくんに合流できる。
そう説明して、何とか周囲には納得してもらった。
私だけでなく、オレットさんの隊も遅れてこちらに向かっている筈だ。
……今回はフェルトくんたちの救援任務だ。もう1人で突っ込んだりする様な無理はしない。
森の端が迫る。
現在は丘の上からの砲撃は止んでいる様だ。
私はアーフィリルから身を乗り出して、地上に目を凝らした。
森のすぐ脇の草原に、無数の穴が穿たれているのが見えた。
砲弾の着弾の後だ。
その近くに馬が倒れているのは見えるが、エーレスタの騎士の姿は見えない。
私は髪を押さえながら、きょろきょろと周囲を見回した。
……いた!
森の直ぐ脇。草原との境になっている場所で、木々の生い茂る森を背にする様に、複数の鎧姿の騎士たちが戦っているのが見えた。
淡い星明かりに、一瞬だけ白刃が煌めいた。
漆黒の軍装はオルギスラ帝国軍の騎士。
それに対しているのは、白銀の鎧のエーレスタの騎士。
しかし、味方は1人しかいない。
暗くてその顔は見えないが……。
エーレスタの騎士1人に対して、帝国騎士は4人で取り囲むようにして剣を振るっていた。その背後にも、まだ多数の敵が控えていた。
しかし対するエーレスタの騎士は、そんな敵の数などものともせずに、軽やかな身の捌きで帝国騎士の攻撃をいなしていた。
……強い。
一目でそのエーレスタの騎士の凄さがわかる。
それにあの動き、私には見覚えがあった。
戦闘を行う騎士たちの上空を、アーフィリルが通過する。敵も味方もこちらに気がつき、夜空を見上げた。
その瞬間。
雲が途切れて、大きなお月さまが顔を出した。
世界が淡く青白い月の光に照らし出される。
旋回するアーフィリルから、私は地上を見下ろした。
ふと、1人戦うエーレスタの騎士と目があった気がした。
その顔は、やっぱり……!
「フェルト君!」
私は髪を揺らしながら、その少年騎士に向かって声を上げた。