表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/56

第12幕

 夜明け前。

 世界はしんと冷えた空気と、一日の内で最も濃い闇に満たされる。

 本来なら誰もが寝静まり、虫の音さえ止み、ただ静寂が支配している筈のそんな時間に、しかし第2大隊のメルズポート司令部は、既に慌ただしく動き出していた。

 伝令の兵士さんたちがひっきりなしに出入りし、各部隊の指揮官達が続々と集まって来る。

 魔晶石のランプが照らし出す淡い光の中、ざわざわとどこか落ち着かない雰囲気が漂う司令部の会議室には、既に招集を掛けられた多くの騎士さまたちが並んでいた。

 みんなギラギラと目を光らせ、緊張と興奮を押し殺している。

 静かに作戦開始の時を待ちながら、しかしその顔には、隠しきれない闘志が溢れていた。

 ……これなら大丈夫。

 第2大隊の士気は高い。

 司令部の参謀さんたち第2大隊の幹部騎士さんたちと並んで立つ私は、小さく安堵の息を吐いた。

 間もなく発動される対オルギスラ帝国軍反攻作戦も、これならきっと上手くいく筈だ。

 ……私も頑張らなければ。

 居並ぶ騎士の皆さんの前に立ちながら、私はむんと小さく気合いを入れる。

 作戦は、日の出と共に開始される。

 私たちエーレスタ騎士団は、黎明と共にオルギスラ帝国軍を急襲するのだ。

 ……この戦い、負ける訳にはいかない。

 私は昨日、第2大隊司令部のみなさんから聞かされた話を噛み締めながら、ぎゅっと握り締めた手に力を込めた。

 昨日。アーフィリルの存在を認めてもらえた私は、ディンドルフ大隊長から正式に竜騎士として作戦に加わる様に要請された。

 竜騎士として認める以上、大隊長に私に命令する権利はない。あくまでも要請という形になってしまうのだ。

 もちろん私は、即座に了承した。

 戦技スキルを妨害する帝国軍の新兵器を突破出来るのは、現状私とアーフィリルだけの様なのだ。

 ならば、躊躇う余地などない。

 その反攻作戦の立案に当たって、私は改めてエーレスタと第2大隊がおかれている現在の状況について説明を受けた。

 話をしてくれたのは、レーナ副隊長と言い合っていた参謀さんだった。それまで私を睨み付けていたのが嘘の様に、参謀さんは今に至るまでの状況を丁寧に説明してくれた。

 そのお話によると、オルギスラ帝国軍がエーレスタに侵攻して来たのは6日前の事だったそうだ。

 旧ガラード神聖王国の残党討伐を妨害するエーレスタ騎士団とエーレスタ騎士公国は、ガラード再興を目論む危険な勢力であり、これは討たなければならないという言いがかりともいえる一方的な通知を突きつけ、オルギスラ帝国はローデン街道を南下し始めたらしい。

 国境警備に当たっていた第2大隊の2個中隊と、オルギスラ帝国軍の動きを受けて派遣された第4大隊の半数がそれを迎え撃ったが、例の新兵器により戦技スキルを封じられたエーレスタは敗退。公国内へ帝国軍の侵入を許してしまったのだ。

 その後も第2大隊は、何度も阻止線を形成し帝国軍を迎撃するも、スキルが使用出来ないという原因不明の状況に敗北を重ねる事になり、とうとうメルズポートまで後退するという現在の状況に至ってしまったのだ。

 このメルズポートが未だ陥落していないのは、そんな悲惨な状況下でも第2大隊が諦めず、戦う術を模索していたからだ。

 第2大隊は帝国軍との度重なる戦闘から、戦技スキルが発動できないという状況が、帝国軍の仕業ではないかと気が付き初めていた。

 国境からメルズポートまでの撤退戦の中、第2大隊はその短時間に敵の攪乱幕の特性を研究し、その有効範囲や効果時間について綿密な情報収集を行っていた。

 スキルの発動が妨害されているのは、帝国軍の何らかの新兵器ではないか。

 ディンドルフ大隊長以下第2大隊は、その考えの下で行動していた様だ。

 そしてその推測が正しかった事を証明したのが、私たちが伝えた帝国軍の新兵器の情報という訳だ。

 第2大隊は無謀な正面からの騎兵突撃を避け、情報分析から得られた魔素攪乱幕の無効になる間合いやタイミングを見計らい、少数による一撃離脱の奇襲攻撃をしかけるという戦法を展開する事となった。

 その結果、ディンドルフ大隊長たちはオルギスラ帝国軍の侵攻を遅滞させる事に成功し、ここメルズポートで踏み止まる事になったのだ。

 ……厳しい戦闘の中で冷静な判断を下し、状況を打開する方法を見出す。

 それが簡単な事ではないのは、私にもわかった。

 さすが第2大隊だなと思う。

 単純な戦闘力だけではなく、多くの経験に裏打ちされた的確な判断とそれを実行できる行動力は、私なんかには及びも付かない強さだと思う。

 メルズポートの街そのものが戦火に晒されていないのも、そんな第2大隊が粘り強く戦ってくれているおかげなのだ。

 しかし、奇襲だけでは万を超える帝国軍を止める事は出来なかった。

 第2大隊がメルズポートに貼り付けられ、思うように動けない間にも、少なくない数の帝国軍がエーレスタ方面に向かってしまったらしい。

 帝国軍の狙いは、メルズポートではなくあくまでもエーレスタの制圧だとディンドルフ大隊長は言っていた。

 公都であるエーレスタが奴らの最重要目標なのだ。

 作戦前の会議室に居並ぶ騎士の皆さんの前に立つ私は、すこし俯き、ぎゅむっと唇を噛み締めた。

 エーレスタの街には、アメルや第3大隊のみんながいる。マーク先輩たち管理課のみんなや、女子寮の同僚たち。寮務のおばさんや、顔馴染みの兵士さんなど、実戦経験などない人たちが沢山いる。そして、罪もない一般市民のみなさんも……。

 そんなみんなが帝国軍の犠牲になるなんて、考えたくもない。

 私たちは素早くメルズポート周辺の敵を制圧し、一刻も早くエーレスタへ向かわなくてはならないのだ。

「第2大隊長入室っ!」

 号令が掛かる。

 私は顔を上げ、キッと表情を引き締めた。

 扉が開き、副官や参謀さんたちを連れたディンドル大隊長が現れた。

 私はびしっと背筋を伸ばし、踵を合わせた。

 鎧を着こみ腰に剣を吊った完全武装状態のディンドルフ大隊長が、がちゃがちゃと鎧を鳴らし、私の前を通過する。そして、居並ぶ騎士たちの正面に立った。

「総員、敬礼っ!」

 副官さんの号令が飛ぶ。

 会議室に集まった全騎士が、ざっと敬礼を行った。

 もちろん私も、さっと敬礼する。

「それでは、作戦の最終確認を行う。我々は、この一戦で帝国軍を退ける。皆、心して臨め!」

 低く強い声を轟かせたディンドルフ大隊長が、ゆっくりと室内を見回した。

 ……いよいよだ。

 私は顎を引き、キッと表情を引き締めた。



 作戦の第一段階は、私と竜騎士ラルツさまの敵陣突入から始まった。

 大きなアーフィリルに跨った私は、静謐な冷たい空気が満ちる漆黒の空をどんどん上昇して行く。

 夜明け前の夜空に未だ輝いている星々が、ぐんぐん近付いて来る。

 前方には、私とアーフィリルを先導するようにして飛ぶラルツさまの乗竜ヒュベリオン。後方には、既に随分と小さくなってしまったメルズポートの街の明かりが見えた。

 見上げる空はまだ夜のままだったけれど、遥か東の彼方、セレナ内海の水平線の向こうは、だんだんと白く透き通り始めていた。

 間もなく日が昇る。

 夜明けがやってくる。

 片目を瞑って吹き付ける冷たい風に耐えながら、私は今まさに目覚めようとしている世界を背にして天空へと駆け上って行く。

 前方のヒュベリオンがばっと羽を広げた。続けてアーフィリルも翼を広げ、上昇を停止した。

 真っ暗な空に、大きく翼を羽ばたかせた2頭の竜が浮かぶ。

 ごおっと唸る一際強い風が、そんな私たちの周囲を吹き抜けていった。

 私のマントと束ねた髪が、激しくはためく。

 強い風に体を持っていかれそうになり、私は慌ててぎゅっとアーフィリルの首にしがみついた。

 高空の空気は、夜明け前ということもあって、地上よりも随分と冷たかった。

 まるで早起きした冬の朝みたいだったけれど、今の私にはそれを気にしている余裕は殆どなかった。

 いよいよこれから、第2大隊による反撃が始まるのだ……!

 私はアーフィリルの羽毛に埋もれながら、ふーふーと浅い息を繰り返していた。

 ……胸がドキドキと、早鐘の様に鳴っている。

 私とアーフィリルは、第2大隊の、いや、エーレスタの命運を賭けたこの戦いの先方を務める事になる。

 もし私の突入が失敗すれば、第2大隊の皆さんは今までの様に、実態の掴めない攪乱幕のギリギリのところで決死の突撃をしかける事になってしまうのだ。

 そんな事になれば、どれほどの被害がでるかわからない。

 ……私は、決して失敗出来ないのだ。

 第2大隊の主力が突撃する前に、私はあの機械の牡牛など、敵の魔素攪乱幕の発射元を全て潰さなければならない。

 私は顔を強ばらせながら、オルギスラ帝国軍の本隊が野営していると思われる方向をそっと覗き見た。

 大丈夫。

 アーフィリルと一緒なら、きっと大丈夫……。

『あまり気負うな、セナ・アーフィリル』

 不意に大丈夫大丈夫と繰り返す私の頭の中に、声が響いた。

 それは、もうすっかり聞き慣れたアーフィリルの低い声ではなかった。

 顔を上げると、私の左上空に浮かぶヒュベリオンから、鎧姿の竜騎士さまがこちらを見ていた。

『我々の会話は、竜たちが中継してくれる。私の声が聞こえるだろう』

「あ、はいっ!」

 私はさっと上体を起こし、背筋を伸ばしながらこくこくと頷いた。

 紫鱗の竜ヒュベリオンに騎乗するのは、竜騎士のラルツさまだ。

 ラルツさまは、現行7人の竜騎士さまの中でも古参のベテラン竜騎士さまで、第2大隊援護の為に公都から派遣されて来た方だ。昨日の昼間、私やオーズさんが見守る中、竜の咆哮で帝国軍と戦っていた竜騎士さまでもある。

 あの時は、帝国軍の魔素攪乱幕の前に攻撃失敗となってしまったのだけれど……。

 ラルツさまご本人にお会いしたのはもちろん初めての事だったけれど、先ほど地上でご挨拶させていただいた時には、明るく陽気なおじさまといった印象を受ける方だった。

 髭を蓄え、丁寧に編んだ長い髪を背中に流した大きな体のラルツさまは、正式な試練を経ずに竜騎士として扱われようとしている私にも、気さくに声を掛けて下さった。

 今は兜の面防を下ろしているのでその表情は窺えないが、その声には私を気遣うような響きがあった。

 きっと優しいお方に違いないと思う。

『我々竜騎士というものは、常に他から注目されているものだ。我々の何気ない行動が、周囲に大きな影響を及ぼす事もある。良くも悪くも、な』

「はいっ!」

 私はこくりと頷いた。

 竜騎士さまというのは、それ程大きな存在なのだ。それは、私にも良くわかっていた。

『だからこそ、いつも気負わず、泰然としていなさい。そう身構えていては、不安に思う者も出てくるだろう。逆に竜騎士がどんっと構えていれば、周囲も安心するものだ』

 ははっと豪快に笑うラルツさま。

『もっとも、昨日の攻撃を失敗して周囲に気を揉ませた私に言える事ではないがね』

 ふんっと息を吐き、鎧の肩をひょいっとすくめてみせるラルツさま。

 私も、思わずふふっと笑ってしまった。

『……君の竜、アーフィリルの力は、私にもわかる。強い力だ。我がヒュベリオンが、君の竜に怯えている程のな』

 それまでよりも幾分低い声で、ラルツさまの声が響いた。

 私は表情を引き締め、すっと息を吸い込んで姿勢を正す。そして、真っ直ぐにラルツさまを見た。

『これならば、君たちが帝国軍の新兵器を突破出来るという話も頷ける。出来る限りの援護はしよう。竜騎士の名に恥じぬ戦いをするぞ。互いに、な』

 顔は見えなかったけれど、そこでラルツさまがフッと笑った様な気がした。

『作戦が終わったら、是非そのアーフィリルとの出会いの話を聞かせてくれ』

「あ、はいっ!」

 私は大きく息を吸い込んで、こくこくと頷いた。

 ラルツさまとお話出来たおかげだろうか、いつの間にか胸の内側にくすぶっていたじりじりとした焦燥感みたいなものが消えてしまっていた。

 私は、ふっと息を吐いた。

「あの、ラルツさま……」

 ありがとうございました、と私がお礼を言おうとしたその瞬間。

 ばさりと大きく翼を動かしたアーフィリルが、その場から逃れる様に右へ飛んだ。

「何っ!」

 視界の端で、ヒュベリオンも左に離脱するのが見えた。

 アーフィリルにぎゅっと掴まった私が何とか周囲を見回すと、ちょうど先ほどまで私たちが浮いていた場所目掛けて、地上から何かが飛来するのが見えた。

『仕掛けてきたぞ』

 アーフィリルが低く呟く。

 帝国軍!

「……うん!」

 私は気合いを入れて表情を引き締め、頷きながら地上に目を凝らした。

 帝国軍の陣地がある方向には既に無数の松明が灯されていた。

 灯りは整然と並んでいる。既にあそこには、隊列を組んだ部隊がいるのだ。

 恐らくは私やラルツさまがメルズポートを出た時点で、こちらの動きは知られているのだろう。

 どうやら帝国軍には、目の良い見張りがいる様だ。

 ……そう簡単に奇襲などさせてくれないという事か。

 もっとも、少し予定よりは早いが、帝国軍の展開は想定内の事でもある。

 私たち目掛けて飛来するのは、大きな筒の様な物体。それが3つ。

 その筒は私たちを飛び越えると、頭上で爆発した。

 ぼんっという爆発音と共に、キラキラとしたものが周囲にまき散らされる。

『攪乱幕が展開された』

 アーフィリルが空中に留まりながら、周囲を窺う様にふんふんっと鼻を動かした。

「様子はどう?」

『以前と変わらぬ』

 アーフィリルの声に、私はこくりと頷いた。

 ……ならば!

「ラルツさま! 行けます!」

 念じれば声が届くにも関わらず、私は声を上げて叫んでいた。

『いいタイミングだ。メルズポートもからも合図が上がった』

 ラルツさまの声が響く。

 ちらりと背後に目をやると、疎らに灯る明かりが彩るメルズポートの街の影から打ち上げられた、一筋の赤い光が見えた。

 本隊からの合図の火矢だ。

 ……第2大隊の準備も完了。

 状況は整った。

 胸がドキリと震える。

 さぁ、作戦開始だ……!

『仕掛けるぞ。戦場をかき回す。咆哮の余波に注目せよ』

「了解です!」

 私はぎゅっとアーフィリルにしがみつき、衝撃に備えた。

『行くぞ、散開!』

 ラルツさまが叫ぶ。

「お願い、アーフィリル!」

 私はアーフィリルの太い首にぺしっと手を当てた。

『承知した』

 アーフィリルの低い声が響く。同時に、くるりと視界が回転した。

 私の意を汲み取ってくれたアーフィリルが、羽を閉じて反転急降下に入る。同時に視界の隅で、ラルツさまの紫鱗の竜も、同じく真っ逆さまに地上に向かって降下に入るのが見えた。

 胸の真ん中がすっと冷たくなる。

 押し寄せる風圧に、一瞬息が出来なくなる。髪が乱され、マントが激しく揺れる。

 くるくると回転しながら、敵軍の明かりが灯る地上が迫って来るのが見えた。

 その加速度に、私は悲鳴がこぼれてしまいそうになるのを必死に堪える。

 うう……!

 じわりと涙が滲んでしまう。

 思わず私は、初めてアーフィリルに乗って飛んだ時の事を思い出してしまった。

 ぬぬぬ……、どうもこのばっと上がってぐんっと下がるのには、慣れる事が出来そうにない……。

 前方に無数の篝火が広がる帝国軍の隊列が流れていく。

 まさにその時。

 東の空に陽光が輝いた。

 水平線から顔を出した朝日が、帝国軍と地上を淡く照らし始めた。

 夜が終わる。

 朝がやって来る。

 眼下には、見渡す限りの敵。

 その全体が見えてきた。

 大地を黒く塗り潰すオルギスラ帝国の軍勢は、はかなりの範囲に広がり、布陣していた。

 その数は、2万を超えているらしい。

 私は、アーフィリルにきゅっとしがみ付きながら、唇を噛み締めた。

 ぐんぐん近付いてくる地表。

 そして、帝国軍。

『行くぞ! 突入場所を見誤るな!』

 ラルツさまの鋭い声が飛ぶ。

 その瞬間。

 ばっと羽を開いたヒュベリオンが、急制動を掛けた。

 隣を降下していた筈のヒュベリオンとの距離が、瞬く間に開いていく。

 そしてそのヒュベリオンから、眩い閃光が迸った。

 私とアーフィリルの後方から、朝日よりも眩い光が溢れる。

 地上の帝国軍の発砲を確認する。発砲煙を確認した後、僅かに遅れて重い衝撃音も聞こえて来た。

 ひゅっという風鳴りの後、アーフィリルやヒュベリオンの近くで砲弾が炸裂した。

 早朝の澄んだ空に、次々に黒煙が広がった。

 ううっ!

 オルギスラ帝国の対空砲火だっ!

 私はかくかくと震える体を、ぎゅっとアーフィリルに押し付けながらその衝撃と爆音に耐えた。

 ううっ、くっ……!

 唇を噛み締める。

 アーフィリルの守りがあるとはいえ、大砲に狙い撃たれて平静でなんていられない。

 ぽろりと涙が零れてしまう。

 怖い。

 怖いけど……!

 しかし私は、帝国軍の軍勢から目は逸らさなかった。涙を乱暴に拭い、私はキッと地上を睨み付けた。

『放て、ヒュベリオン!』

 ラルツさまが叫ぶ。

 同時に、対空砲火が煌めく空に、眩い閃光が走った。

 私の左前方。私とアーフィリルを追い抜く様に、一筋の光の束が地上へ向かって撃ち下された。

 ヒュベリオンの竜の咆哮だ。

「……来た!」

 その魔素の光の筋を迎え撃つ様に、地上から魔素攪乱幕を乗せた筒が再び打ち上げられるのが見えた。

 私は、その発射もとに目を凝らす。

 間隔を開け広く展開する無数の帝国軍の中に、こんもりとした巨大な影が並んでいる場所を見つけた。

 あの機械の牡牛の部隊だ。

 あそこが、攪乱幕の発射地点……!

 新たな魔素攪乱幕が展開される。

 ヒュベリオンの放った竜の咆哮は、徐々にその光を弱め、やがて地上に着く前に消えてしまった。目には見えないが、目の前に展開された魔素攪乱幕にその威力を減衰させられ、やがて霧散してしまったのだ。

 ……やはりあの攪乱幕を放つ元を断たなければ、ラルツさまも騎士団のみんなも戦えない。

 だから、私が道を切り開かねば……!

 私はすっと大きく息を吸い込んだ。

「ラルツさま! 目標確認しました!」

 私は上空で敵の砲撃を引き付けてくれているラルツさまに向かって声を張り上げた。

「これより突入します!」

 私はキッと前方を見詰める。

「アーフィリル! あそこにっ」

 炸裂する対空砲弾をひらりと回避しながら、アーフィリルが私が指差した方向へ旋回してくれる。

 さらに降下速度を速めるアーフィリル。

 私の髪が、吹き付ける風に激しく乱される。

 もう私とアーフィリルは、敵兵の顔を見分けられるほどの高さまで降下して来ていた。

 対空用の大砲以外にも、敵歩兵たちが手持ちの銃を振り上げ、私たち目掛けて発砲してくる。それらは、しかし全てアーフィリルの障壁に阻まれ、私には届かない。

 朝焼けに輝き始める大地。広大な平原を満たすオルギスラ帝国。その隊列が、高速で後方へと流れ去っていく。

 私を狙う無数の砲口。そして敵意を向けてくる万の兵。

 こ、この数……。

 体全体が震えてしまう。

 2万という数の敵の存在が、その数以上の圧迫感をもって迫って来る様だ。

 私は身を強ばらせ、ぎゅっと唇を引き結んだ。

『行くぞ、セナ』

 アーフィリルの声が響く。

「うん……!」

 意を決し、私が頷いた瞬間。

 アーフィリルが、突然首を下に向けると、そのままくるりと前方へ向かって回転した。

 不意を突かれた私は、思わずアーフィリルから手を離してしまう。そしてそのまま、私は空中へと投げ出されてしまった。

 ……えっ。

 私はただぽかんと目を丸くする。

 アーフィリルの姿を見失ってしまう。

 私、飛んでる……。

 数瞬遅れてそう理解した瞬間。

 純白の光が、周囲の全てを包み込んだ。

 私の体がふわりと温かなものに包まれる。

 すぐ側に、そして私の中に、アーフィリルを感じる。まるであの柔らかな白い羽毛に包み込まれている様だ。

 アーフィリルの力で編まれた騎士の服が弾け飛び、その下の私の体が大きくなった。

 私は目を閉じ、大きく息を吸い込んだ。

 熱い力の奔流が体の中を満たしていく。

 そしてぱっと目を開くと、白の光に眩く輝く髪が、ふわりと広がるのが見えた。

 すらりと伸びた手足を、大きく膨らんだ胸を、白のドレスと鎧が包み込んでいく。

 この感覚……。

 アーフィリルの力を感じていると、何故かすっと落ち着く事が出来る。

 頭の中がクリアになっていく。

『セナ、問題はあるか』

 胸の内側からアーフィリルの声が響いた。

 私は口元に薄い笑みを浮かべた。

「ない。いつでもいける」

 少し低くなった私の声が響いた。

 その瞬間、周囲を満たしていた白の光が消えた。

 目の前に夏の早朝の日差しに包まれた平原が戻って来る。同時に、整然と隊列を組むオルギスラ帝国軍の黒い軍装の塊も。

 目の前で何が起こったのか理解出来ず、呆然とこちらを見上げている敵兵たちの顔が見て取れる。

 私は、すっと目を細めて彼らを見下ろした。

 アーフィリルから投げ出された勢いのまま、長く伸びた髪と白いドレスの裾をひらひらと揺らしながら、私はずんぐりと佇む機械の牡牛の頭の上へと降り立った。

 魔素の力で編まれたブーツが、カツリと牡牛の装甲を踏みしめた。

 私は大きくなった胸を張って、すっと深呼吸した。

 機械に埋もれる様にして騎乗している金属の牡牛の乗り手が、大層な兜の下からぽかんと私を見上げていた。

「白い……女?」

 そう呟いた敵兵と目が合った。

「おはよう。気持ちの良い朝だな」

 私は敵兵に向かってにこりと微笑み掛けた。

「お、お前は一体……」

 混乱した様子の帝国兵。

 私は微笑みながら、僅かに首を傾げた。そしてすっと右手を上げ、前方へ向かって差し伸べる。

「ではこれより、お前たちオルギスラ帝国軍の掃討を開始する。覚悟は良いか?」

 笑みを浮かべたまま、私はすっと目を細めた。

 その私の右手の中に、白の光が収束する。

 そして次の瞬間。

 私は、純白の剣を握り締めていた。

 精緻な竜の彫刻が施された刃が、淡く白く輝いていた。

 その切っ先を突き付けられた牡牛の騎兵が、兜の下の顔をひきつらせた。

 もしかしたら帝国兵は、そこで初めて今対峙している私が、自分たちの敵であると認識したのかもしれない。

 もう遅いが。

 私はさっと白の剣を振るった。

 鮮血が、弧を描き宙を舞う。

 私はタンッと機械の牡牛の装甲を蹴って地上に降りた。そして乗り手を失ったその金属の巨躯に向かって、下からさっと剣を振り上げた。

 剣身が、朝日を受けてキラリと輝く。

 まるで紙を裂くように機械の獣は両断される。

 ただの金属の塊と化したその残骸が、土煙を上げて崩れ落ちた。

 周囲の敵兵たちは、ただ呆然とその光景に見入っていた。

『セナ。その姿は……』

 同じく呆然とした様な竜騎士ラルツの声が響いた。

 ちらりと空を見上げると、撃ち上がる対空砲火を回避しなが旋回するヒュベリオンの姿が見えた。

「これが私とアーフィリルの戦い方だ」

 私は竜騎士ラルツとヒュベリオンを見上げながら、ふわりと微笑む。

 そしてさっと白の刃を振り、ドレスの裾をひるがえして、私は困惑と動揺の表情を浮かべている周囲の帝国軍に向き直った。

 見渡す限りの敵。

 見渡す限りの黒い鎧

 さぁ、ここからが戦いの始まりだ。

 私は笑みを消してすっと目を細める。

「行くぞ、オルギスラ帝国軍。エーレスタに剣を向けたその身の愚かさを知れ」



 爽やかな早朝の風が吹き抜ける。

 微かに潮の香りが混じった気持ちの良い風が、ふわりと私のスカートを揺らした。

「愚か者は貴様だ! フレイズ弾を潰しに来たのだろうが、返り討ちにしてやるわ!」

 地響きを上げながらこちらに頭を向ける機械の獣たちの中にあって、唯一馬に騎乗している敵騎士が、大声を張り上げた。

 立派な兜だ。

 あの男が、この部隊の指揮官なのだろう。

「機獣隊! フレイズ弾一斉射後突撃! あの英雄気取りの愚か者を踏み潰してやれ!」

 敵指揮官が剣を振り上げて叫んだ。

 低く発射音が響き、私の頭上に魔素攪乱弾が打ち上げられる。

 無駄な事をする。

 私は、ふんっと息を吐いた。

 さらに敵の機獣が、地響きを上げて私に向かって突進して来た。

 機械の牡牛は、首から伸びる鋭利な突起を衝角の様に振りかざし、私を貫かんと迫って来る。

 しかし、その動きは鈍重そのものだった。

 私は軽く地面を蹴り、こちらから機獣に向かって踏み込んだ。

 くるりと体を回転させて機獣の衝角を回避する。そしてそのまま、その衝角を斬り払った。

 長大な金属の塊が、ごとりと地面に転がる。

 ふわりと広がったドレスがもとに戻る前に、私は機獣の側面からさらに一歩踏み込んだ。

 ひるがえった白刃が、機獣の首をあっさりと斬り落とす。

 私の眼前で、金属の巨駆が崩れ落ちる。

 地響きと土煙が巻き起こる。

 さらに続けて、私の背後から別の機獣が突撃して来た。

 土を巻き上げ、目の様な赤い光を怪しく輝かせた金属の獣が迫る。

 私はふっと短く息を吐き、軽く飛び上がる。そしてそのまま突撃して来る機獣の頭にひらりと飛び乗った。

「き、貴様っ!」

 機械の牡牛の乗り手が短く叫ぶ。

 私はにこりと微笑むと、その機獣の頭に刃を突き立てた。

 剣に軽く魔素を込める。

 その途端、機獣の頭部が木っ端微塵に吹き飛んだ。

 ふわりと浮かび上がる私の足元で、突撃の勢いのまま頭部を失った機獣が地面に突っ込むのが見えた。

 私はドレスの裾を膨らませ、その残骸の前にゆっくりと降り立った。

「何をしているっ! 撃て! あいつを止めろ!」

 敵の指揮官の怒声が響き、同時に周囲に展開した歩兵部隊から銃声と発砲煙が広がった。

 敵の銃撃は気にしない。

 アーフィリルの障壁が守ってくれるから。

 その銃撃の中を、今度は左右から同時に機獣が突っ込んで来た。

 巨体が疾駆する衝撃で地面が揺れている。まるで地震の様だ。

 鋭い衝角を振りかざして迫る金属の獣。

 私は左手から迫る機獣のその長大な槍を、むんずと素手で掴んだ。

 同時に右手から迫る機獣の衝角を斬り飛ばし、その頭部に剣を突き立てた。

 機獣が突き刺さった剣を振り払う。

 地響きを上げて機獣が倒れる。

 左で掴んだ機獣は、そのまま衝角を掴んで持ち上げる。そして、さらに迫って来る別の機獣の上に叩き付けた。

「がああああっ!」

 上か下か、どちらの牡牛からだろうか。乗り手の帝国兵の悲鳴が響いた。

 私は目を細めて左右に視線を送った。

 次だ。

「総員抜剣だ! 囲んで仕留めろ! 25騎兵中隊に回り込む様に伝えろ!」

 剣を振り上げながら命令を飛ばす指揮官。

 あれを仕留めるか。

 私はそちらに向かってたっと駆け出した。

「防御! 止めろっ!」

 その私の前に、十数名の黒い甲冑の騎士が立ち塞がった。

 私は片手で握った剣で、敵の剣ごとその1人の胴を両断する。

 そのままくるりと体を回転させ、反対から迫る騎士に剣を突き立てながら、左手をすっと掲げた。

 その手の中に、白の光が満ちる。

 そして次の瞬間。

 左手の中に、新たな白い剣が生み出されていた。

 その柄をぎゅっと握り締めながら、私はさらに敵騎士の中へと足を踏み入れた。

 2振りの剣を振う。

 左右の剣で別々の騎士を斬り伏せる。

 白の剣を操り、敵を斬り倒して進む私の動きに合わせて、スカートの裾が激しく揺れ、光を放つ髪が弧を描いて流れた。

「ば、化け物めっ!」

 絶叫する騎士の剣を片方の剣で斬り飛ばしながら、もう片方の剣でその首を跳ねる。

「こ、これがエーレスタの騎士……!」

 そして私はすっと目を細め、顔をひきつらせる敵の小隊指揮官に迫った。

 抵抗する時間など与えない。

 一刀のもとに、私は指揮官の騎士を斬り伏せた。

 その背後から、さらに機獣が迫って来た。

 見える範囲だけで残り5体。

 さらに私の左右からは、銃を構える歩兵部隊と土煙を上げて駆ける騎兵の部隊が迫りつつあった。

 未だ周囲には敵だらけだ。

『ここまでの数、良く集まったものだ』

 アーフィリルが関心したように声を上げた。

『なるほど、地には人間が満ちているという訳だ』

「全て倒さなければならない敵だ」

 私はぼそりとアーフィリルに返事をしながら、両手の剣を握り直した。そして、すっと帝国軍の群れを睨み付ける。

 頭上を竜騎士ラルツのヒュベリオンが飛ぶ。

 紫鱗の竜は一度高度を上げ、その口腔に光を走らせた。

 再び竜の咆哮の発射態勢だ。

 そのヒュベリオンに対して、地上から魔素攪乱幕の弾が打ち上げられた。

 発射地点は、私の現在位置から離れた場所の様だ。

 まだ機獣の部隊がいる。

 ヒュベリオンの竜の咆哮が放たれる。

 幾分その光を弱めながらも、今度はその光は地上に突き刺さった。

 轟音が響き渡る。

 爆炎と土煙が吹き上がる。

 大地が激しく揺さぶられた。

 竜の咆哮が着弾した場所に展開していた帝国軍が、盛大に吹き飛ぶのが私の位置からも見えた。

『魔素の減衰率が落ちて来ている。攪乱幕の維持は難しい様だな』

 アーフィリルの言葉に、私は軽く頷いた。

「では、次はあちらを殲滅する」

 新手の機獣部隊のいる方向に視線をおくりながら、私は両手の剣に力を込めた。

 私の眼前に展開する5体の機獣が、姿勢を低くしてその背に背負った長い砲を構えた。

 それらの機獣は、首にあの衝角を装備していない。大砲を背負った砲撃戦タイプの様だ。

 次から次へと、こんなものまでいるのか。

 私はきゅっと眉をひそめた。

 機獣の火砲が火を噴く。

 歩兵の銃とは比べものにならない程の轟音が響き渡る。

 私は軽くステップを踏んで砲弾を回避する。

 着弾地点の地面が盛大に吹き飛んだ。

 私はさっとスカートをひるがえし、砲撃を続ける機獣に向かって駆けた。

「ふっ」

 短く息を吐き、剣に魔素を注ぎ込む。

 白い刃の輝きが強まる。

 低い姿勢から砲戦タイプの機獣の懐に飛び込んだ私は、その喉元に左手の刃を突き立てた。

 ガクっと揺れた機獣が動きを止める。

 左の剣を引き抜きながら、右手の剣を別の機獣に向けて振り下ろした。

 戦技スキル、スラッシュの要領で白の斬撃波を飛ばす。

 ただし、魔素の力を乗せた私のスラッシュは、人間のサイズよりも遥かに巨大な光の刃となって機獣を両断し、そのまま後続の歩兵部隊をも全てなぎ倒した。

 地響きを上げてさらに別の機獣が迫って来る。

 私は横目でその姿を捉えながら、魔素を込めた白の球体を飛ばした。

 剣で切り伏せながら、爆裂する球体で敵部隊を薙ぎ払っていく。

 休みなく敵を倒しながら、私は微かに眉をひそめた。

 帝国軍のこの陣容。

 急造の寄せ集め部隊ではない。相応の時間と手間を掛けて整えられた戦力だ。

 特に機獣などは、アーフィリルの力を借りている私には取るに足らない相手だが、普段の状態の私や並の一般騎士にとっては、危険な戦力だ。例え攪乱幕を排除し、戦技スキルが使用可能になったとしても、だ。

 帝国軍は、それだけ本気だという事なのだろう。

 ならば、侮る事など出来ない。

 全ての敵は、私が倒さなければ。

 帝国の企みは、私が叩き潰さなければ。

 そのための力は、アーフィリルが貸してくれているのだ。

 後は、私の覚悟と行動だけ。

 村人や街の人間たちだけでなく、エーレスタの騎士たちにも無用の犠牲を出さない為に、私は戦わなければならないのだ。



 地に伏して煙を上げる機獣の残骸から、白の刃を引き抜く。

 ぶんっと剣を振り、私は目だけで周囲を見回した。

 広範囲に展開する帝国軍の中を走り回り、竜騎士ラルツがあぶり出した機獣部隊を壊滅させる事既に3つ。

 ようやくこれで、戦場の上空を旋回し、囮役を務めているヒュベリオンを狙う魔素攪乱幕は無くなった様だ。

 アーフィリル曰わく、既に展開されている周囲の攪乱幕の濃度も随分と低下した様だ。

 これにより、対オルギスラ帝国軍反攻作戦は第2段階に移行する。

 朝日を受けて輝くメルズポートの城壁の方向から、大地を揺るがす様な低く大きな喊声が響き渡る。

 上空から戦場を確認している竜騎士ラルツの合図を受けた第2大隊の本隊が、メルズポートから出陣。帝国軍に向かって突撃を開始したのだ。

 敵方も状況を把握すると、私を取り囲んでいる帝国の重装騎士たちからも動揺の声が上がった。

 帝国軍も最悪の状況として想定はしているだろうが、攪乱幕が切れた状態で迫るエーレスタ騎士の大軍は、明確な脅威の筈だ。

 それでも帝国軍2万に対して第2大隊本隊は約9千。

 帝国が優勢である事に変わりはない。

 それはあくまでも、数の上ではという事だが。

『本隊が動いた。良く頑張ったな、セナ。これよりそちらの援護に回る』

 竜騎士ラルツの声が響く。

 私の上空を高速で通過するヒュベリオン。

 朝日を受けた紫の鱗の竜が、大きく旋回しながら私の方を目指して飛んでくる。

 私と対峙している帝国騎士たちが、忌々しげにそれを見上げた。

「不要だ。それよりもディンドルフ大隊長の援護を。戦技スキルが使用可能とはいえ、帝国の戦力は侮れない」

 私は黒鎧の騎士を斬り倒しながら、本隊が突撃している方向を一瞥した。

 まだどこかに機獣の部隊が潜んでいるかもしれない。あれの大群と対峙すれば、味方にも少なくない損害が出るだろう。

『……了解。任せよう。しかし無茶はするな』

 低いラルツの声が響く。

 竜騎士ラルツも、上空から戦況を観察していて気がついているのだろう。

 現在の状況は、まだ魔素攪乱幕を防いだというだけで、決して楽観視出来るものでないことを。

「了解」

 私は短く応え、同時に2人の敵騎士を連続して斬り伏せた。

 続いてさっと左の剣で指示した先に、白の球体を浮かべる。

 高密度な魔素を充填したその球体から、私の合図で光の矢が降り注ぐ。

 その光は周囲の帝国兵を撃ち貫き、大地に無数の穴を穿って行く。

 白の刃を振り、スカートをひるがえし、剣で、白の球体の爆裂で敵の重騎士団や兵団を吹き飛ばしながら、私は戦場の変化を感じていた。

 大きく展開している帝国軍の全体が動いている様だ。

 後方に展開していた長槍を装備した歩兵部隊が、私が戦っている場所を避ける様にして前線に向かっている様だ。同時に、今までメルズポート正面に展開していた銃を装備している歩兵部隊が、後退し始めている。

 その銃部隊は、メルズポートを取り囲む様に左右へ広く展開し始めていた。

 敵の剣を両断しながら、私は薄く微笑んだ。

 第2大隊の、ディンドルフ大隊長の予想通りの展開だ。

 帝国軍は、エーレスタの騎士たちの戦技スキルで銃撃を防がれてしまう以上、銃歩兵でその騎兵突撃を止める事が出来ない。

 騎兵に対するには、長槍部隊を並べて槍襖を作るのが効果的な戦法だ。古典的な戦術だが、それが一番効率的な方法なのだ。

 銃部隊は長槍部隊の側面に展開し、第2大隊を半包囲する形でその援護に回っているのだろうが、こうなれば次の一手が効いてくる筈だ。

 いつの間にか太陽はすっかりと昇りきり、夏の眩い朝日が既に容赦なく周囲の原野を照らし出していた。

 これから暑くなるかも知れないが、空気はまだひんやりとしていて涼やかだ。しかしそんな爽やかな筈の早朝の空気は、むっとするような血と、もの焼ける臭いに塗りつぶされてしまっていた。

 私の周囲には、無数の帝国軍の遺骸と機獣の残骸が転がっていた。

 一旦周囲の帝国軍を殲滅し終えた私は、無感動にその戦場を見回した。

 目を細め短く息を吐き、私はふわりと白の光で煌めく髪を揺らしながら、次の敵部隊を探した。

 今は、第2大隊本体に向かう敵を少しでも減らしておきたかった。

『セナよ』

 そんな私の中で、アーフィリルの声が厳かに響いた。

『体が馴染んで来ているとはいえ、無理はするな』

 何だか出鼻を挫かれた様な気がして、私はむうっと頬を膨らませる。

「無理なんかしてない」

 そして、ぼそりと呟いた。

 倒すべき敵は、まだまだ周囲に溢れている。こんなところで立ち止まっている訳にはいかないのだ。

 白の剣を両手に戦場を駆ける私は、直ぐに次の敵騎兵の大部隊に会敵した。そしてその騎兵たちを白球の大爆発でまとめて吹き飛ばした瞬間。

 エーレスタ騎士団第2大隊が、次の動きを見せた。

 戦場全体を包み込む様に、戦域の東西両側から喚声が上がる。

 目を細めてそちらを窺うと、メルズポートの左右に伸びた帝国軍の銃歩兵部隊側面に、味方騎兵の一団が突撃を仕掛けるのが見えた。

「来たか」

 私は剣に付いた血糊をさっと払い、ふっと息を吐きながら、短く呟いた。

 作戦の第3段階。

 それは、森や海岸地帯の崖などを利用し身を隠していた第2大隊騎兵中隊による、敵側面への突撃により始まった。

 中央に集結した槍兵隊を援護すべく展開していた敵銃歩兵部隊に、次々と騎兵隊が突き刺さる。

 不意を突かれた銃歩兵隊には、戦技スキルによって銃撃を無効化しながら突撃してくるエーレスタの騎士を止める事など出来なかった。

 瞬く間に敵の隊列が崩れ去り、オルギスラ帝国軍の戦線が崩壊していく。

「今だっ! 全軍突撃! 敵を食い破れ!」

 騎兵隊の先頭を走るエーレスタの指揮官が声を張り上げるのが聞こえた。伏兵の突撃に合せ、正面の第2大隊も攻勢を掛けているのだ。

「撤退! 一時撤退する! 引けっ!」

 対して黒い軍装に羽根飾りの兜を被った帝国軍の指揮官も声を嗄らして叫んでいた。

 瞬く間に黒の軍勢が後退し始める。

 私の周囲からも敵軍が引き始め、逆に味方の騎兵隊の一団がこちらまで迫って来るのが見えた。

 これで初戦の勝敗は決した。

 エーレスタが勝ったと言えるだろう。

 しかし甚大な被害を出しているとはいえ、帝国軍の戦力を侮る事は出来ない。まだ相当の兵力が無事だろうし、再編して攻勢を仕掛けて来る事は十分に考えられた。

 第2大隊は残敵の掃討後、部隊を再編成して敵の追撃にあたる筈だ。

 ならば私は、それに先行すべきか。

 私は両手に白の剣を下げながら、撤退する帝国軍に視線を送った。

「そこの方!」

 背後に馬蹄の音が聞こえたかと思うと、私を呼び止める声が響いた。

 髪を揺らして顔だけで振り返ると、戦域の側面から奇襲を仕掛けた第2大隊の騎兵隊が、私に馬を寄せてくるところだった。

「味方とお見受けする。……あなたが伝令にあった8人目か?」

 状況からそう判断したが、竜が見えない為に少し困惑しているのだろう。怪訝そうな声で、隊列の戦闘に立つ若い指揮官が私に問い掛けて来た。

 ふむ。

 私はその顔を見て、僅かに目を丸めた。

 少し長めの黒髪に整った目鼻立ち、そして戦場暮らしの為か、いつもより濃いめの無精髭を生やしたその顔は、見間違う筈もない。

 そこにいたのは、私の剣の師、オレットだった。

「オレットか。久し振りだな」

 改めてそちらに向きながら、私はふわりと微笑んだ。

「無事で何よりだ」

 私はオレット副士長に対し、こくりと頷き掛けた。

 突然の事でいささか驚いたが、考えてみれば不思議な事ではない。第2大隊の全体が招集されているのだから、オレットがいるのも当然だ。

 側面突撃に当てられた部隊が、オレットの中隊だった訳だ。

 敵に覚られる事無く側面に展開し、少数で敵部隊を制圧する。側面より急襲する役割の部隊には、そんな高い能力が求められるのだから、オレットが充てられるの頷ける。

 しかし、今まで無事で良かった。

 私は微笑みながらふっと安堵の息を吐いた。

 しかしオレットは、私とは対照的に困惑したように眉をひそめていた。

「……失礼だが、以前お会いした事があるだろうか」

 低い声で呟きながら、じっと私の顔を見るオレット。

 その口調も声も、明らかにいつもよりも気取っていて、いかにも余所行きという感じがした。いつも私に接していたみたいな、子供をあやす様なからかう様な軽い声とは明らかに違った。

 それが面白くて、私は首を傾けてふふっと笑ってしまった。

 オレットが目を細めてじっと私を見つめる。

 オレットの部下なのだろう、その背後の騎士たちは、ぽかんと口を開けて私の顔に見入っていた。

「可憐だ……」

「すげぇ……」

 誰かがぽつりと呟くのが聞こえた。

 今の大人な姿では、オレットが私に気が付かないのも無理はない。しかし今は、長々と今までの状況を話している時ではないだろう。

 私は目を瞑り、笑みを消す。そして戦闘の状況はどうかと尋ねようとした瞬間。

「その笑顔……セナ、か? いや、まさかな……」

 未だにじっと私の顔を見ていたオレットが、ぽつりと呟いた。

 私は、きょとんとして再び目を丸くした。

 先ほどよりも驚いてしまう。

 笑顔だけで私の正体を見破ったのか。

 さすがは、と言うべきか。

 私はにやりとして、こくりと小さく頷いた。

 その時。

「副隊長っ! 敵襲! 帝国軍の新手です!」

 オレットのもとに、伝令の軽騎兵が駆け寄って来た。

「北東より敵の大部隊接近中! 敵増援です! 凄い数です!」

 瞬間的に、オレットたち騎兵隊の表情がぴしっと引き締まった。

 私も、敵が迫っているという方向の丘を睨み付けた。

 やはりこれだけで終わる筈がない、か。

 帝国軍にはまだ戦力があるのだ。恐らくは、あの機獣の部隊もいるだろう。最悪、再び魔素攪乱幕を展開されてしまう恐れもある。

「オレット副士長。私が先行して敵の頭を押さえる。全隊に至急伝令を」

 私はオレットを一瞥してから、軽く両手の剣を握り直した。

 メルズポートを巡る攻防戦は、まだまだここからだ。

 しかし、私達は負けない。

 負けてなるものか。

 私はオレットを横目で見た。

「セナ・アーフィリル。これより突撃する」

 オレットに短くそう告げると、その返答を待たず、私はさっと戦場を駆け出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ