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第11幕

 夏の日差しが作る木漏れ日が、地面の上にゆらゆらと揺れる幾何学模様を作り出していた。

 さっと吹き抜ける風が、ざあっと木々を揺らしていく。風に揺れて翻った木の葉が、きらきらと輝いている様だった。

 爽やかな風だ。

 木々が作る涼やかな木陰が心地いい。

 そんな晴天の午後。

 林の中を、荷馬車を連ねた隊列が進んで行く。

 エーレスタへ帰還するバーデル隊の生き残りと、帝国軍に村を焼かれた方々の隊列だ。

 木々の間隔が広い開けた林は見通しも良く、微かに左に曲がりながら進んでいく長い列の先まで良く見渡す事が出来た。

 現在隊列の先頭は、オーズさんが務めてくれている筈だ。その後に自力で動ける騎士のみんなと怪我人を乗せた荷馬車。最後にエーレスタへと避難する村人さんたちが続いている。

 帝国軍の残党を警戒しつつ、しかも旅に慣れていない村人さんも多かったので、私たちの行軍速度はかなり遅かった。

 疲れを表情の人も多かったけれど、荷馬車は怪我人たちで一杯で、ほとんどの人は徒歩だった。

 それでもみんな、ほっと安堵の表情を浮かべていた。

 私たちは、もう直ぐメルズポートに到着する。

 この森林地帯を抜ければ、後はセレナ内海までずっと下りだ。メルズポートの街も、もう見えて来る筈だ。

 メルズポートなら一息吐ける。そして、エーレスタの街はもう目と鼻の先だ。

 旅の先が見えて、村人さん達も一安心している様だった。

 ……でも。

 まだ油断してはいけないのだ。

 騎乗した私は、隊列の後方、村人さんたちの隣を併走しながら、きょろきょろと頭を振って、周辺警戒に努めていた。

 隊列の警護は、マリアちゃんや他の村人さんにも手伝ってもらっているが、守るべき人たちに対して私たち騎士団の数は圧倒的に足りていなかった。

 ……何かあれば、アーフィリルに乗せてもらってバッと駆けつけるしかない。

 そのアーフィリルは、手綱を握る私の足の間で子犬みたいにちょこんと座り、前方を見ていた。

 きっと一緒に警戒してくれているのだろう。

 私がそっと頭を撫でて上げると、アーフィリルは嬉しそうに目を細めた。

 アーフィリル、先ほどまでは、私の太ももに顎を乗せて寝ていたのだけど……。

「お疲れ様です。異常はないですね」

 少しだけ速度を速めた私は、槍を持ったオーズさんの部下の兵士さんに追い付いた。

「あ、お嬢。お疲れ様っす。異常ありません!」

 神妙に頷いてくれる兵士さん。

 私に気が付いた周囲の村人さんたちも、騎士さまだと頭を下げてくれた。

 私はそんな村人さんたちににこりと微笑み掛けると、馬のお腹を蹴ってさらに隊列の前方へと向かった。

 他にも騎士さまと声を掛けてくれる村人さんに、私は笑顔で手を振って応えた。

 中には、その、竜騎士さまと声を掛けてくれる人もいた。

 ……ぼふっと顔が熱くなってしまうのは、仕方ない事だ。

 みんなが私に騎士さまと声を掛けてくれるのは、帝国軍に襲われたあの村の集会所での会合から、私が帝国軍を撃退した騎士であり、竜騎士だという話が広がった為だと思う。

 さらに今の私が、きちんと騎士らしい正装をしているというのも、騎士さまと見なしてもらえる大きな要因だろう。

 髪も黒のリボンでキチンと結ってポニーテールにしているので、以前みたいに子供っぽくは見えないだろうし……。

 マリアちゃんにも馬鹿にされないし、やはり身だしなみというのは大切なものなのだ。

 私が今身に付けている制服は、ほぼエーレスタ騎士団の制服そのものだった。しかし、細部は少し違っていた。

 裾の長い白の上衣は青のラインに加えて金色の装飾が入っている。肩章や飾緒付いていて、もとの制服より少し豪華だ。下はズボンではなくて、折り目の入った白の短いスカートになっていた。そのスカートにも、青と金のラインが入っていた。

 このスカートも、エーレスタの制服と違うポイントだ。

 エーレスタ騎士団の女性制服には、式典などで着用するタイトスカートはあるけれど、こんなふわりと広がった短いスカートはない。

 短いスカートなんて穿き慣れていない私には、何だかスースーする上に頼りなく、かなり恥ずかしかったけど……。

 そのスカートの下には厚手のタイツを穿き、足下はかっちりとしたブーツを履いていた。

 背に羽織ったマント以外、これら一式の衣服は、アーフィリルが用意してくれたものだった。

 別の衣服を元に、アーフィリルが魔素を操って形状の再構成を行ったという事なのだが……どういう理屈なのかは、私には良くわからなかった。

 騎士団の味方に合流するにしてもエーレスタやお城に入るにしても、きちんとした服装は必要だ。このまま村娘の恰好をしていては、勘違いされたり、またマリアちゃんにからかわれたりするかもしれないと、うーんと悩んでいた私に、アーフィリルが力を貸してくれたのだ。

 何でズボンではなくスカートなのかは、よくわからなかったが……。

『人間の女の正装とは、この様な服装で良いのだろう』

 しかし、そう言ってせっかくアーフィリルが用意してくれた物に、文句なんて言える筈がない。

 さらにこの服には、アーフィリル曰わく、私にとって大事な機能がある様だった。

 アーフィリルの魔素によって編まれたこの衣服は、私がアーフィリルと融合して大人化しても、破れる事なくそのまま形状変化してくれるらしいのだ。

 いつまたアーフィリルと一緒に戦うかわからないし、体が大きくなっても服の事を気にしなくていいなら、それはとてもありがたい事だ。

 ……短いスカートに対して不満が言える場合ではないのだ。

 私は、足の間のアーフィリルを見る。

 そのスカートの間でお座りをしているアーフィリルは、空気の匂いを嗅ぐように鼻を上に向け、クンクンと動かしていた。

 私はふっと息を吐いて前方を見た。

 とりあえず今は、アーフィリルの用意してくれた服に見合う様に、みんなが呼んでくれる様に、立派な騎士として行動しなければと思う。

「ちょいとそこのあなた」

 前方を行く荷馬車から、私にむかっておばあちゃんが手招きしていた。

 私は馬を進め、荷馬車に近付いた。

「何ですか、おばあちゃん」

 その荷馬車には、おばあちゃんの他に何人かの老人たちと、大勢の子ども達が乗っていた。

「お前さんもほら、アルの木苺だよ。甘いよ」

 おばあちゃんがこちらに黄色く熟れた木の実の房を差し出してくれた。

 あれは、知ってる。甘いのだ。私も小さい頃山に入って取った事がある。

 私は笑顔でお礼を言いながら、木苺を受け取った。

「いやいや、子供は甘いのが好きだからね。騎士さまのお手伝い、偉いね」

 ふぉふぉと笑うおばあちゃん。

 お手伝い……。

 子供……。

 うぬぬ。

 何で……。

「お嬢!」

 そこに、鋭い声が響いた。

 隊列の前方から、馬を飛ばしてオーズさんの部下か向かってくる。

「兵長より伝令です。メルズポートがもうじき見えるんで、前へ来て下さいとの事です!」

 私は表情を引き締め、コクリと頷いた。

「おばあちゃん、ありがとう」

 私は荷馬車のおばあちゃんに微笑み掛けながら頷くと、そのまま伝令の兵士さんを伴って隊列の前方へと駆け出した。

 その時。

 列のあちこちで、馬の嘶きが響き渡った。同時に、人々の怒声とも悲鳴ともつかない声が方々であがる。

 どうやら隊列が急停止してしまった様だ。

 私は思わず眉をひそめた。

 ……何だ。

「お嬢……」

 兵士さんが鋭い目で私を見た。

「取り敢えず今は、オーズさんたちのところへ」

 私は兵士さんを見返しながら、馬を加速させた。

『セナ』

 アーフィリルの声が響く。

 ちらりと足の間に視線を送ると、アーフィリルの緑の目が真っ直ぐに私を見上げていた。

『争いの気配がする。注意せよ』

 重々しいアーフィリルの言葉にドキリとしてしまう。

 争い……。

 戦い……!

 胸の鼓動が大きく鳴り始める。

 ……危惧していた事態がやって来た様だ。

 私はアーフィリルにこくりと頷き掛けると、キッと前方を睨んだ。

「はっ」

 突然止まってしまった隊列に不安げな顔を浮かべる村人さん達の脇を、私はマントと髪をなびせて駆け抜ける。

 大きく重苦しい不安が胸を締め付ける。

 色々と良くない想像をしてしまいそうになるのを必死に抑え、私はぎゅっと手綱を握り締めた。



 停止した隊列の先頭は、林を抜け、ちょうどメルズポートを望む高台に差し掛かったところの様だった。

 馬を飛ばす私も、直ぐにその先頭に追いついた。

 林を抜ける。

 照りつける夏の日差しの目映さに、私は思わず目を細めた。

 そして。

「なっ!」

 その先に広がる光景に、私は愕然とする。

 思わず手綱を引いて、馬を止める。急制動を掛けられた馬が、不満そうに嘶いた。

 私は、目を見開き、茫然としてしまう。

 目の前で起こっている事態は、既に私の想像など遥かに上回ってしまっていたのだ……。 

 私も立ち止まった村人さんたちも、それにオーズさんたちや騎士のみんなも、全員がその光景をじっと見つめていた。

 胸の鼓動が大きくなっていく。

 全身がぐらぐらと揺れている様な感覚に襲われる。

 これは……。

 私の頭の中は、真っ白に塗りつぶされてしまっていた。

「そんな……」

 辛うじて発した私のそんな呟きは、遠雷の様に重く響く衝撃音に飲み込まれてしまった。

 言葉を失う。

 信じられなかった。

 今。

 メルズポートが燃えている。

 私たちの目の前で、メルズポートの街から、その周囲から、黒煙が立ち昇っているのだ。

 街の向こうの平原で、幾重にも広がる白煙が見える。

 発砲煙だ。

 オルギスラ帝国軍の銃だ。

 オルギスラ帝国軍が攻めてきている。

 この、メルズポートに。

 エーレスタに……!

 戦争。

 そんな言葉が、ふと思い浮かんだ。

 今、私たちの目の前で戦争が起こっているのだ……!

 ドンっと空気が震え、重低音が響き渡る。そしてメルズポートの北側から、新たな黒煙が吹き上がった。

 北の国境に向かう街道の方だ。

 あの方向……。

 ローデン街道の方向だ。以前から、オルギスラ帝国が攻めてくるかもしれないといわれていた方角だ。

 そちらからはさらに幾条もの煙が立ち昇り、断続的な衝撃音が響き続けていた。

 今も激しい戦闘が行われているのがわかる。

 エーレスタ騎士団とオルギスラ帝国軍が戦っているのだ。

 くっ……。

 私はギリッと奥歯を噛み締めた。

 私たちの前に広がっている光景は、紛れもなく戦場のそれだった。

「お嬢」

 私を呼ぶ低い声が響いた。

 はっとしてそちらを見ると、顔をしかめたオーズさんがこちらに駆け寄ってくるところだった。

「オーズさん、これは……」

 私はオーズさんと眼前に広がる光景を交互に見る。

「嫌な予感が当たっちまった。帝国軍の奴ら、本格的な侵攻を仕掛けて来やがった」

 忌々しそうに吐き捨てるオーズさん。

 竜騎士を擁するエーレスタ騎士公国への正面からの侵攻。

 そんなの、今まで聞いた事がない。

 少なくとも、エーレスタ騎士公国が成立して以降、そんな事は一度もなかった筈だ。

 エーレスタ騎士団が部隊を派遣した先で、敵対勢力とぶつかる事はある。しかし、エーレスタ騎士公国そのものが侵攻されるなんて……。

 オーズさんは戦場を睨みつけながら、さらに眉をひそめ、鼻にシワを寄せた。

「……こりゃ、帝国の奴ら、本気だって事ですぜ」

 低く唸る様なオーズさんの声。

「……何が、ですか」

 私はびくりと身をすくませながら、恐る恐る尋ねてみる。

「奴ら、本気でやるつもりだ。サン・ラブール条約同盟全体を攻め落とすつもりですぜ」

 私はオーズさんの顔を凝視し、息を呑んだ。

 背筋を冷たいものが駆け抜けた。

 私にも、オーズさんの言わんとする事が理解出来てしまった。

 竜騎士を抱くエーレスタ騎士団の戦力は、各国の軍事力がエーレスタに完全に依存していた騎士団設立当初程ではないにしろ、現在もサン・ラブール条約同盟内において重要な力となっている事に違いはない。

 そのエーレスタを初戦で撃破してしまえば……。

 その後に控えるサン・ラブール条約同盟各国を蹂躙するのは、容易い事だろう。

 サン・ラブール条約同盟国とオルギスラ帝国軍の全面戦争。

 その初戦が、今私たちの前で繰り広げられているのだ。

 私はぎゅっと唇を噛み締め、戦場を睨んだ。

 自分の想像力のなさが恨めしい。

 私たちが竜山連峰の麓て対峙した帝国軍の部隊。そしてエーレスタの騎士の戦技スキルを意識した新兵器。

 それらを目の当たりにした時に、もっとちゃんと想定しておくべきだった。

 オルギスラ帝国が、私たちエーレスタ騎士公国と本格的に戦おうとしている事を。

 オーズさんが警告してくれていた事を、もっときちんと考えておくべきだったんだ。

 実際に帝国軍と戦った後でえ、私は心のどこかで思っていたのだ。

 そんな本格的な戦争なんて、起こる筈がないと。

 それは、なんの根拠もない夢想にしか過ぎなかったのだけれど……。

『いつの世も人は変わらぬな』

 私の足の間からひょっこりと顔を出したアーフィリルが、戦場をじっと見つめていた。

『より強い力で他者を蹂躙する。その繰り返しが、人間の営みでもある』

 目の前で起こっている出来事が、この戦場がさも当たり前のものであるかの様なアーフィリルの言葉に、私はむうっと頬を膨らませた。

「……そんな事ないもん」

 私はおもむろに両手で、アーフィリルの鼻柱をむずっと掴んだ。

『ぐぬ、何をする、セナよ』

 その私の手を前足でペチペチ叩くアーフィリルを無視して、私はオーズさんを見た。

「オーズさん。とりあえず私たちはメルズポートの部隊と合流しましょう」

 オーズさんは、メルズポートを一瞥して頷いた。

「それしかないでしょうな。見たところ、まだ味方はメルズポートに立て籠もってるというわけじゃなさそうだ。合流するなら今でしょうな」

 現在の主戦場は、どうやら街の北の街道だ。騎士団と帝国軍は、野戦を行っている様だ。

 メルズポートの街の南側には、騎士団の天幕も見えた。街の外にも部隊がいる様だ。

 どこかでその味方部隊と接触出来れば、さらに詳しい状況がわかるかもしれない。

 しかしオーズさんは、林の中へと繋がる隊列を見て難しい顔をした。

「しかし、非戦闘員をこのままずらずらと連れて行くのは得策じゃないと思いますぜ」

 ……なるほど、その通りだ。

 私はこくりと頷いた。

 村人さんたちを戦場に連れて行けないし、メルズポートの味方だってずらずらと民間人を連れて来られては迷惑だろう。

「では、みなさんはここで……」

 一旦待機をと私が言いかけたその時。

「あれを見ろ!」

 戦場を見守っていた村人さんの1人が空を指さし、声を上げた。

 他のみんなも、一斉に晴れ渡った真っ青な夏の空を見上げる。

 その瞬間。

 私たちの頭上に、一瞬黒い影が走った。

 私やオーズさんも、空を見上げる。

 雲1つない蒼天に、大きく翼を広げたシルエットが優雅に旋回している。

 その背に跨る甲冑姿の騎士さまが、一瞬だけはっきりと見えた気がした。

「あれは……」

 手で庇を作りながら空を見上げるオーズさんが呟いた。

 私とアーフィリルも同じ角度で同じ様に目を見張りながら、その姿を追い掛けた。

「竜……」

 ポツリと呟いた私の声は、一瞬にして戦場の音と周囲のざわめきに飲み込まれてしまった。

「竜騎士さまが来てくれたんだっ!」

「うおおっ、竜騎士さまだ!」

「これで帝国軍なんて終わりだ! 奴ら、あっと言う間にやられちまうぞ!」

 兵士さんや村人さんたちが、口々に喝采を上げる。拳を突き上げ、メルズポートの街の北、主戦場の上空へと向かうその竜に向かって叫んでいた。

 私は、そっと安堵の息を吐いていた。

 どなたの竜かまではわからないけれど、竜騎士さまが来てくれているならば、少なくともエーレスタ騎士団が負ける事はない筈だ。

 翼を広げ、戦場の上空で停止する竜騎士さま。

 ここからでも、竜がその頭を地上に向けるのがきちんと見て取れた。

 その竜騎士さまたちに向かって、地上から何かが複数打ち上げられるのが見えた。

 遠くて良くわからないが、恐らくスキルの発動を妨害する帝国軍の新兵器だろう。

 きっとあの下に、あの機械の牡牛の部隊がいるに違いない。

 私はふんっと息を吐いた。

 しかし無駄だ。

 あれは、私と合体したアーフィリルには全く効果がなかった。

 竜騎士さまには通用しないのだ。

 帝国軍の小細工など意に関せずという風に、大きく首を持ち上げた竜に、光が収束していくのが見た。

「ありゃ、竜の咆哮だ」

 オーズさんがぽつりと呟いた。

「戦場ごと敵を薙払うつもりだ」

 オーズさんは厳しい顔で私を一瞥した。

 竜の咆哮は、竜騎士の最大の攻撃として有名だった。

 周囲から集めた魔素を強力な熱線、火炎、又は氷嵐などに転換し、相手に向かって放つその技は、時に万の軍を薙払い、直撃した地形さえ変えてしまうといわれている。

 私も直に見たことはないけれど、その凄まじい威力については色々と聞いていたし、本で読んだ事もある。

 あれが直撃すれば、帝国軍なんてひとたまりもないだろう。

 空中に留まる竜に収束していく眩い光は、いよいよ強まっていく。

『うむ。あれでは……』

 空を見上げたアーフィリルが、ぽつりと呟いた。

 その瞬間。

 首を打ち下した竜から、閃光が走った。

 夏の真っ青な空が、強力な光で塗りつぶされてしまう。

 空中の竜から地上の帝国軍へ、一条の光が放たれる。

「すげえっ!」

 誰かが声を上げる。

 私もドキドキしながら、一心にその光景を見つめていた。

 しかし竜が放ったその光は、地上には届かなかった。

 竜の咆哮の光は、まるで何かに行く手を阻まれる様に段々とその光を細らせていくと、やがて私たちからは見えなくなってしまった。

 もちろん着弾の衝撃音や土煙なども見えてこない。

 ただ拡散していく光の残滓が、空中にきらきらと残っているだけだった。

 そして、竜の咆哮の光は、完全に消えてしまった。

 私は、茫然とその光景を見つめる事しか出来なかった。

 周りの村人さんや兵士の皆さんも、まるで時が止まったかの様に目の前で起こった事をただじっと見つめていた。

 ……何が起こったのか。

 状況が理解出来ない。

 いや、単純な事ではある。

 竜騎士さまの攻撃が、竜の咆哮が防がれてしまったのだ。

 しかしそれが、私には信じられなかった。

「何で……」

 やがて帝国軍の反撃が始まる。

 短く低い衝撃音が連続する。そして、空中で停止している竜の周囲で、ぼんっ、ぼんっと黒煙が広がった。

 帝国軍が、竜騎士さま目掛けて対空砲撃を行っているのだ。

 竜騎士さまの操る竜は、ひらひらと回避行動を取りながら帝国軍に迫ろうとしているが、濃密な弾幕に阻まれ、思うように動けない様だった。

 障壁の戦技スキルで防御せずに回避しているという事は、やはりあの帝国軍の新兵器がスキルの発動を防いでいるという事なのだろうか……。

「竜の咆哮が効かねえとは……」

 オーズさんも唖然とした表情で前方を見つめていた。

 私は眉をひそめ、俯いた。

「何で……」

 思わずそう呟いた私の声は、微かに震えてしまっていたと思う。

『ふむ。減衰率87パーセントというところか』

 そんな私たちの動揺とは対照的に、冷静なアーフィリルの声が響いた。

 私は、私の太ももに手を突いて空を見上げているアーフィリルを見た。

「どういう事……?」

 アーフィリルが私を一瞥した。

『あの竜が操る程度の魔素では、あの帝国なる者どもが放った魔素の攪乱幕を突破出来ぬという事だ。最近の野の竜は、魔素の扱いが不得手と見える。これも世の移ろいという事か』

 竜騎士さまの竜の力が、通用しない……。

 戦慄が走る。

 そんな……。

 私は一度ゆっくりと深呼吸した。

「アーフィリル。帝国軍の兵器は、前よりも強くなってるのかな?」

 竜の咆哮を防いでしまうのだ。

 私たちが以前遭遇した物より、帝国軍の兵器が強力になっている可能性もあると思う。

 しかしアーフィリルは、私の質問にふんっと鼻を鳴らした。

『前方の空間に展開されている攪乱幕は、以前のものと同質だ。展開されている魔素量も変わらない』

 アーフィリルが、たしたしと私の太ももを叩いた。

「……じゃあ、アーフィリルなら問題ないの?」

 私はゆっくりと確かめる様に呟いた。

『無論だ』

 アーフィリルがこくりと頷いた。

『以前も説明した通り、あれしきの魔素では我を止める事など出来ない』

 当然だという風に頷くアーフィリル。

 ……であれば、私も竜騎士さまの援護に向かうべきか。

 眉をひそめて私がそう考えた時。

「ちょっと待って。あなたなら、あの竜騎士の攻撃が届かなかった相手を倒せるの?」

 感情を押し殺した様な低い声が背後から響いた。

 振り返ると、そこにはまだ腕を吊ったままのレーナ副隊長が立っていた。

 レーナ副隊長は、馬上の私をキッと睨み上げた。

 その迫力に思わず気圧されてしまった私は、こくこくと頷いた。

「わかったわ。では、これから直ぐにメルズポート駐在部隊の司令部に向かいます。付いて来なさい」

 ここに辿り着くまでの道中は、本当の竜騎士さまみたいに私を扱ってくれていたレーナ副隊長だったが、今は以前の通り上官の口調に戻っていた。

 私にとっては、こちらの方がしっくり来るけれど……。

「いや、副隊長さんよ……」

 オーズさんが何か言いたそうに私を一瞥する。しかし私は、オーズさんを見て小さく首を振った。

 いつまでもこうしている訳にはいかない。どちらにせよメルズポートに向かって状況を確認するしかないのだ。

「オーズさんたちは街から離れて待機していて下さい。いざとなれば、独自の判断で動いて下さい。村人さん達を、よろしくお願いします」

 私の言葉に、オーズさんが頷いてくれた。

「行くぞ、カーライル3尉」

 レーナ副隊長がマントを翻し、歩き出した。

 私はオーズさんにもう一度小さくお願いしますと告げると、レーナ副隊長の背を追い掛けた。

 そんな私たちの向こう。竜騎士さまが舞うメルズポートの戦場からは、なおもエーレスタ騎士団と帝国軍がぶつかる音が響いていた。



 メルズポートに陣を構えていたのは、エーレスタ騎士団第2大隊の本隊だった。

 第1大隊の様に国外派兵される事は殆ど無いが、実戦経験豊富な叩き上げの騎士や兵で構成される第2大隊は、エーレスタ騎士公国の守りを任されている精鋭部隊だ。

 しかし今、メルズポートの街中や城壁外の天幕にも溢れている第2大隊の騎士や兵士たちは、傷付き、うなだれている者ばかりだった。

 第2大隊の司令部に面会を申し入れたレーナ副隊長は、取次の騎士に先導されながらメルズポートの通りを進んでいた。

 街の入り口で下馬した私は、アーフィリルを肩に乗せ、そんなレーナ副隊長の背を追い掛ける。

 ふわふわとスカートを揺らしながら足早に石畳の通りを進む私は、混乱の様相を呈する周囲の状況に圧倒されてしまっていた。

 石畳の狭い通りには、武具やその他の補給物資が散乱していた。そしてその間に、負傷者たちが所狭しと並んでいる。

 衛生兵たちが声を上げて走り回り、隊の編成を行う指揮官の怒声が響き渡っていた。

 前線から戻って来たばかりと思われる部隊は血と土で汚れ、やがて崩れ落ちる様に路上に座り込んでしまう。逆にこれから戦場に向かう隊の兵士さんたちは、みんな悲壮な顔をして槍を握り締めていた。

 ガチャガチャと鳴る鎧。馬の嘶き。飛び交う怒声。微かに聞こえる呻き声。

 そして港町に漂う潮の香りの中には、微かな血の匂いが入り混じっている様な気がした。

 メルズポートの街は、まさに混乱と緊張の渦中にあった。

 私は顔を強張らせながら、必死にレーナ副隊長の後を追った。

 そんなメルズポートの街中に、断続的に重々しい衝撃音が響き渡る。

 近い……!

 私は、思わずびくりと肩をすくませてしまった。

 主戦場である北の街道の方から響いて来る戦闘音よりも、遥かに近い場所で轟く轟音。

 ……恐らくは、メルズポートの港に設置された大砲が火を吹いているのだ。

 エーレスタ騎士団にも、一応大砲は存在する。もっともそれは、帝国軍の様に戦闘部隊の装備ではなく、拠点の防御兵器として使用される旧式のものだけれど。

 その大砲が火を噴いているという事は、ここメルズポートに敵が迫っているということだ。

 帝国軍は、やはりこの街の攻略を狙っているのだ……。

 私はきゅっと眉をひそめながら、大砲の音がした方向を見つめた。

 敵が押し寄せて来る。

 エーレスタ第2の街であるこのメルズポートに……。

 でも、第2大隊が……エーレスタ騎士団がここまでやられるなんて……。

 周囲をそっと見渡し、私は眉をひそめた。そして、ぎゅっと唇を噛み締める。

 私とレーナ副隊長は、街の中心部にある大きな建物へと案内された。どうやらこの建物が、第2大隊の司令部として使われている様だった。

 私とレーナ副隊長は、案内役の騎士から、しばらくの間エントランスホールで待つようにと言われる。

 待機する私たちの周りを、大勢の騎士さんたちが慌ただしく行き来していた。その中には、完全装備の騎士はもちろん、制服の上に胸当てだけを付けた事務方らしき騎士さんの姿もちらほら混じっていた。

 司令部要員だと思うけど、その姿に私は、思わずふっと懐かしさを感じてしまう。

 隊務管理課の誰かも、この場所に来ているのだろうか。

 行き交う人たちが、ギロリと私を見ていく。多分、私の肩に器用に乗っかっているアーフィリルを見ているのだ。

「バーデル隊の方々、こちらへ」

 兜を抱えた壮年の騎士が、階段の上から大きな声で私たちを呼ぶ。

 私とレーナ副隊長は、その騎士の案内で、そのまま2階の大きな扉の部屋に通された。

「失礼致します!」

 レーナ副隊長が声を張り上げ、その部屋に踏み込んだ。

「失礼致しますっ!」

 私も同じ様に声を上げ、その後に続いた。

 広い室内には、濃密な煙草の煙が漂っていた。

 私は思わず、けほけほと咳き込んでしまう。

 オレットさんの臭いがする……。

 部屋の中には、鎧姿の騎士さまが沢山いた。

 部屋の真ん中に広げられている大きな地図に向かっている騎士さま。壁際で煙草を吹かしている騎士さま。深く椅子に腰掛け、鎧を身に付けたまま眠っている方や、衛生兵に手当てを受けている騎士さまもいた。

 唾を飛ばしながら大声で何かを議論している騎士さまもいて、部屋の中は雑然と、混沌とした様子だった。

 しかし、その鎧の階級章を見れば、一番低い階級の方でさえ1尉騎士だとわかる。他には、副士長や騎士長の人たちも沢山いた。

 みんな、騎士団の上級幹部ばかりだ。

 私は思わずぴんと背筋を伸ばし、姿勢を正した。

 つまりここに集まっている方々が、エーレスタ騎士団第2大隊の幹部たちなのだ。

 ……何だかそう思うと、俄かに緊張してしまう。

 幹部の騎士さまたちは、部屋に入って来た私たちの事など見向きもしなかった。皆さん、凄く忙しそうだ。

 そんな中を、レーナ副隊長は部屋の中央にすっと進み出て行く。対して私は、おろおろと周囲を見回す事しか出来なかった。

 居心地が悪かったのだろう。私の肩に座っていたアーフィリルが、ふわりと羽ばたいて頭の上に移動した。

「アーフィリル、あまり動かないの」

 私は頭の上のアーフィリルに手をやって、そっと囁いた。

『うむ、承知した』

 いつもの調子で頷くアーフィリル。

 その時、部屋の中央で地図を眺めていたおじさん騎士が私たちの方を見た。

 その瞬間。

 ドキリとする。

 胸がキュッとなって、思わず私は息を止めてしまった。

 その騎士さまは、がっしりとした鍛え上げられた体に優美な装飾が施された立派な鎧をまとっていた。厳しい表情の顔には深いシワが刻まれ、短く整えた黒い髪には少し白いものが混じっていた。

 瞬間的に、偉い人だとわかる。

 その騎士さまのまとう雰囲気に、目が合った瞬間、私はまるで刃を突き付けられた様に身をすくませてしまったのだ。

 騎士さまの視線が、私の頭の上のアーフィリルを捉える。そして次にレーナ副隊長を一瞥すると、また私を見据えた。

 その間、私は固まったまま動けなかった。

『どうした、セナよ』

 アーフィリルが私の頭をぽんぽん踏みつけている。

「ディンドルフ第2大隊長閣下。失礼致します」

 レーナ副隊長がさっと頭を下げた。

 大隊長……。

 その騎士さまの階級章は、聖騎士正。

 一番偉い人だ!

 私も慌てて、ばっと頭を下げた。

 ふわりと飛び上がったアーフィリルは、私が頭を上げるとまたもとの場所に着地した。

「君たちがバーデル隊の生き残りか」

 低い声が轟く。

 ディンドルフ大隊長が、レーナ副隊長を見た。

「はっ」

 レーナ副隊長が姿勢を正した。

 ディンドルフ大隊長は、改めて私達の方へと向き直る。

 その鋭い視線と大きな体の圧迫感に後退ってしまわない様、私は意識して直立不動の姿勢を維持した。

「バーデル隊長は残念だった。しかし諸君らがもたらしてくれた情報は有益であった。感謝しよう」

 ディンドルフ大隊長は厳しい表情のまま重々しく頷いた。

 私たちよりも先行してエーレスタに向かってもらった伝令役の兵士さんには、バーデル隊が帝国軍に遭遇し、壊滅してしまった事も知らせる様にお願いしてあった。

「申し訳ないが、伝令の兵にはそのままエーレスタに向かってもらった。ご覧の通りこちらは、今手が離せない状況でね」

 ふんっと息を吐いた大隊長は、微かに肩をすくめた。

「……現在閣下以下第2大隊は、オルギスラ帝国軍と戦闘中、という事ですね」

 レーナ副隊長が低い声で大隊長に問い掛ける。

 ディンドルフ大隊長は、僅かに目を細め、頷いた。

「その通りだ。現在我が騎士団は、いや、我が国は、オルギスラ帝国から侵攻を受けている」

 ディンドルフ大隊長の言葉に、私はどんっと体全体を揺さぶられるかの様な衝撃を受けた。

 竜騎士さまの戦闘、それにメルズポートの街の様子を目の当たりにして、わかってはいた。理解していた筈だった。

 しかし改めて面と向かって告げられると、やはり衝撃を受けずにはいられなかった。

 エーレスタ騎士公国が攻め込まれている。

 オルギスラ帝国に。

 今、私たちの目の前で、国と国とが正面からぶつかる戦争が始まっているのだ。

 私はぎゅむっと唇を噛み締めた。そしてスカートの脇でぎゅと手を握り締めた。

 どうして。

 どうしてこんな事に……。

 そんな思いが胸の中で渦巻いている。

 しかし今は、考えていてもしょうがない。

 ……私も動かなくては。

 この状況でじっとしているなんて、出来る筈がない!

 私は、キッと大隊長閣下を見上げた。

 ディンドルフ大隊長と視線がぶつかる。

 大隊長の目には先ほどの様な威圧感はなく、むしろ何かを探るようにこちらを見据えていた。

 私が口を開こうと一歩進み出た瞬間、副官らしき騎士が大隊長に何かを耳打ちした。

「わかった。一旦下がらせろ」

 大隊が顔を曇らせる。そして、ギロリと私たちを見た。

「既に理解していると思うが、戦況は思わしくない。バーデルが得た情報は役に立ったが、いささか遅かったと言わざるを得ない。既に我が隊の被害は甚大だ。帰還早々に悪いが、君たちも戦闘が可能ならば、我らの指揮下に入れ。既に帝国との戦闘を経験しているならば、君たちは貴重な戦力だ」

 巌の様な大隊長の眉間には、深いシワが刻まれていた。

 戦技スキルが使用出来ない状況下で帝国の新型銃に狙われれば、騎士団は身動き出来なくなってしまう。戦技スキルを用いた騎兵突撃が得意なエーレスタにとっては、厳しい状況なのだ。

 ……まず、あのスキル妨害を行う弾を吐き出す機械の牡牛を仕留めなければならないのだ。

「大隊長閣下。そこで1つ提案がございます」

 私が機械の牡牛の話を進言する前に、レーナ副隊長が声を上げた。

 くいっと眼鏡を押し上げるレーナ副隊長が、私を一瞥した。

「我がバーデル隊の隊員。バーデル隊長が見出したこの騎士。セナ・カーライルは、8人目の竜騎士となったのです!」

 レーナ副隊長は大きな声を上げてそう宣言すると、私を指し示した。

 えっ。

 突然名前を呼ばれた私は、びくっとして固まってしまう。

 ざわついていた司令部内の空気が停止する。

 広い部屋の中の幹部騎士たちが、一斉に私に視線を向けていた。

「8人目……?」

 誰かが呟く声が響いた。

 ……うくっ。

 私は、一瞬にして顔が燃える様に熱くなってしまうのがわかった。

『セナは既に我の名を冠している。訂正せよ』

 アーフィリルがぺしぺしと私の頭を叩いているが、もちろん私には返事をする余裕などない。

「その娘が8人目だというのか」

 ディンドルフ大隊長が、ギロリと私を睨んだ。

「そうです。バーデル隊長が見出した彼女ならば、帝国軍の新兵器を突破可能なのです!」

 再びレーナ副隊長が声を張り上げた。

 司令部内がざわつく。

 それは、徐々に大きくなって行った。

「馬鹿なっ! アルナスの試練に挑んだ者がいるなど聞いておらんぞ!」

 大隊長の参謀らしき線の細い騎士さまが、大きな声を上げた。

 アルナスの試練とは、竜騎士を志す者が竜と契約を交わす為に行う儀式だ。事前にエーレスタの大聖堂で様々な手続きを踏み、最終的に竜が住まう場所に向かう事が習わしになっている。

 その詳細はエーレスタの最高機密とされ、一般には明かされていなかった。

 私とアーフィリルは偶然山の中で出会ったので、もちろんそんな儀式は行っていない。

「このセナは、野の竜と契約を交わしたのです。そして、例の新兵器を駆使する帝国軍を既に2度破っています!」

 レーナ副隊長の言葉に、再び司令部がどよめいた。

「帝国の新兵器を……」

「しかし、ラルツさまとヒュべリオンでも手が出なかったのだぞ」

「いや、それが本当ならば勝機がある」

「危険だ。そんな話、ある訳ないに決まっているだろう!」

 司令部の騎士さまたちは、私を見ながら近くの者と口々に何かを言い合っていた。

 ある騎士は希望に顔を輝かせ、ある騎士は怪訝そうに私を睨みつけている。

 そんな中で、ディンドルフ大隊長は腕組みをしながら真っ直ぐに私を見据えていた。

「出任せを言うな。その様な竜騎士など、聞いた事がない!」

 今度は参謀さんとは別の騎士が声を上げた。

「そうだ。ならば肝心の竜はどこにいる! まさか先ほどからじゃれているその毛むくじゃらだと抜かすのではないだろうな」

 参謀さんが目を細めて私を睨んだ。

 レーナ副隊長が、ニヤリと笑った。そしてマントをひるがえして私の前に立つと、膝を折り、私に顔を近付ける。

「セナ。あなたの竜の本当の姿、大隊長以下に見せてやりなさい。これは、バーデル隊長の為でもあるの。出来るわね」

 レーナ副隊長の目には強い光が宿っていた。

 副隊長の気持ちは、私にも理解出来た。

 レーナさまは、バーデル隊の壊滅を、バーデル隊長の死を無駄にしたくないのだ。8人目の竜騎士の誕生という成果でもって、バーデル隊長の名誉を守ろうてしているのだ。

 アーフィリルを見せ物みたいにするのは気が進まないけど……。

「……アーフィリル?」

 私は頭上のアーフィリルに触れた。

『セナが望むならば。しかし、いささかこの場は狭いな』

 私はレーナ副隊長に向かってコクリ頷いた。

 レーナ副隊長が大隊長以下みなさんに、私が中庭でアーフィリルの本当の姿を示すと説明し始めた。

 私はマントとスカートをひらりと翻し、中庭の方へと向かおうとする。

「セナ、といったか」

 その私の背中を、低い声が呼び止めた。

 ちらりと振り返ると、ディンドルフ大隊長が私を見つめていた。

「もし君が竜騎士でないとしても、君は戦うのかね」

 私はきょとんとしてしまう。

「もちろんです」

 当たり前だ。

 逃げ出す事なんて出来ない。

「では、何と」

 大隊長が目を細める。

「みんなを苦しめる様な敵とは戦います。みんなが笑顔になってもらえる様に、私は戦うんです」

 私はむんっと気合を入れて、大隊長を見た。

 私は、そのために騎士になったのだから。

 ディンドルフ大隊長は、そうかと頷いた。それと同時に、一瞬だけ、その厳つい顔にふっと笑顔を浮かべてくれた様な気がした。



 司令部が入っている建物の中庭に出た私は、その真ん中に陣取った。

 そっと空を見上げると、周囲の建物に切り取られた四角の空から降り注ぐ夏の日差しが、少し柔らかくなっている様な気がした。

 色々あって気が付かなかったが、今はもう夕方と言える時間になってしまっているのだ。

 視線を戻すと、中庭をぐるりと取り囲む廊下には、沢山の騎士や兵のみなさんがいた。

 負傷した騎士さまたちや忙しく走り回る伝令の兵、それに事務役の騎士さまなどもいて、皆それぞれが忙しいなく動き回っていた。何だか、ざわざわと落ち着かない様子だ。

 2階の司令部の部屋の窓からは、ディンドルフ大隊長さんが私を見下ろしていた。

 最初は怖い人だと思ったけど、さっき見た笑顔は優しそうなおじさんそのものだった。きっと普段は優しい方なのだろうけど、今は現在の状況に心を痛めておられるのだろう。

 部下たちが傷つき、倒れている現状に……。

 アーフィリルの力は、きっとそんなみんなの助けになれる筈だ。

 前よりもさらに強大な敵だと思うと足がすくみそうになるけど……。

 でも、大隊長さんに言った通り、私も戦わなくては。

 アーフィリルばかりに頼っていてはダメだ。力は借りても、戦うのは私の役目なのだから。

「……ごめんね。アーフィリル、また力を貸してね」

『うむ。この人が生み出す争いの世で、セナが成すものを我に示せ』

 アーフィリルの言葉に、私は力を込めてこくりと頷いた。

 先ほどレーナ副隊長と言い合っていた参謀さんやその他の幹部の皆さんも、窓際にずらりとならんで私を見下ろしていた。その様子に、何があるのかと周囲の人たちも私の方に注目し始めていた。

 レーナ副隊長も私を見ている。

 レーナ副隊長が小さく頷き、私もそれにこくりと頷き返した。

「アーフィリル。お願い」

 私は頭の上のアーフィリルを抱き上げる。

 私に抱き上げられたアーフィリルは、ふりふりと尻尾を振った。

『では、我が体を再構成する』

 厳かなアーフィリルの声と同時に、周囲がぱっと白い光で満たされた。

 ふっと手の中からアーフィリルの体の感触が消える。

 そして次の瞬間。

 どしっと何かが地面を踏み締める音が背後から響いた。

 白の光が収束し、周囲の光景が戻って来た。

「なっ!」

 誰かの声が聞こえる。

 2階の窓に居並ぶ幹部騎士の皆さんが、全員驚愕に目を見開いていた。

 遠巻きにこちらを見ていた事務方の騎士さんが、短く悲鳴を上げて尻餅をついた。負傷している騎士さんが、思わず剣を構えようとしているのも見えた。

 背後から、低い唸り声が響く。

 顔だけで振り返ると、そこには純白の翼を中庭一杯に大きく広げたアーフィリルがいた。

 大きな顎とそこに並ぶ鋭い牙。そして鋭い緑の目。中庭の土を踏み締める四肢は太く、鋭い爪が並んでいる。長い尻尾は私の前でゆらゆらと揺れていた。

 そしてその大きな体を、純白の羽毛が包み込んでいる。

 そこにいたのは、間違いなく私があの山の中で出会った、美しくて巨大な白の竜だった。

 アーフィリルが私を見下ろす。そして目を細め、その頭を私に近付けた。

 低く喉を鳴らしながら、鼻でぐいぐいと私を押すアーフィリル。

 わわっ……。

 私は思わず転びそうになってしまう。

 アーフィリル、小さな体に慣れて、大きい体の力加減を忘れているのではないだろうか。

 そんな私とアーフィリルを、低く轟く大きな音が包み込んだ。

 一瞬私は、騎馬突撃の馬蹄の音かと思ってしまった。

 しかし、違う。

 拳を突き上げる騎士さまたち。

 剣を掲げる騎士さまたち。

 それは、アーフィリルを見た周りの人達が上げる、気合いの雄叫びや歓声だった。

 その声は一つになり、私たちを、建物全体を包み込んでいく。

「うおおおおおっ!」

「竜……竜騎士さま!」

「竜騎士さまが来てくれたぞ!」

「いける、いけるぞ!」

「竜騎士さまが2人もっ!」

「エーレスタ万歳!」

 期待と希望に満ちた目で私とアーフィリルを見る騎士や兵のみなさん。

 私はどう対応していいかわからず、胸に手を当てて髪を振り、キョロキョロと周囲を見回す事しか出来なかった。

 でも、みんなの気持ちはよく分かった。

 甚大な被害を被り、士気が低下している第2大隊のみなさんにとっては、目の前に現れたアーフィリルが希望の象徴の様に見えているのだ。

 もし私がみなさんの立場だったら、嬉しくて泣いてしまっていたかもしれない。 

「諸君!」

 そんな中庭に、朗々とした声が響く。

 見上げると、司令部の窓を開け放ったディンドルフ大隊長が、中庭全体を見回していた。

「我々はここに、新たな竜騎士を得た! この力をもって、帝国軍を撃滅する! 諸君、やるぞ! 反撃だ!」

 ディンドルフ大隊長がさっと手を掲げた。

 再び歓声が巻き起こった。

 司令部の皆さんが慌ただしく動き出し、他の騎士や兵士さんたちも走り始める。

 そこには、先ほどの様な切迫感はない。みんな一つの目的に向かって、目を輝かせていた。

 私を見下ろすディンドルフ大隊長が大きく頷いた。

 唇を引き結んだ私は、スカートを揺らしてカツっと踵を合わせる。そしてさっと敬礼した。

 戦争は恐ろしい。

 ……でも、頑張らなければ。

 緊張でトクトク鳴る胸を抑える様にゆっくりと深呼吸してから、私はアーフィリルの緑の瞳を見上げた。

「さぁ、行こう。アーフィリル!」

 私はぎゅと握りしめた手に力を込めた。


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