表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/56

第10幕

 日が沈む。

 色々な事があった長い1日がようやく終わり、静かな夜がやって来る。

 見上げる空には星が瞬き始めていた。夏の太陽の残滓は、既に西に広がる山々の向こうを僅かに茜にそめるだけだった。

 村の外の林から、少し悲しい虫の音が聞こえてくる。

 普段は涼しい高原も、今日の昼間は汗ばむ様な陽気だった。

 それが今は、さらさらと吹き付けて来る夜風がひんやりと心地良く、昼間の戦闘や作業で疲れた体に丁度よかった。

 帝国軍を殲滅し、オーズさんたちと合流した私は、そのまま帝国軍に襲われた村の皆さんの救援活動に飛び回る事となった。

 帝国軍が付けた火を消して回ったり、負傷者の救護を行ったり、何だかんだと結局一日中走り回っていた気がする。

 山登りや2度の帝国軍との戦闘でへとへとだった私だけど、悲嘆にくれている人たちを目の前にして、そんな弱音を吐いている訳にはいかなかった。

 幸い、最初にアーフィリルの力を借りた時の様に、元の姿に戻った後突然眠くなってしまう様な事もなかった。もちろん、疲れのせいで眠くはあったけど、何とか我慢出来た。

 私が倒れなかったのは、アーフィリル曰く私の体が竜の魔素の干渉に慣れて来ている兆候らしい。良い事だとアーフィリルは言っていたけど、私には何かが変わった様な実感はなかった。

 村の中をあちらこちらと走り回るのは、戦闘よりも大変だった気がする。

 しかしそれでも何とか今日1日を乗り切る事が出来た。

 もちろん頑張ったのは私だけではない。

 オーズさんたちやマリアちゃん、それに村人さんたちみんなと力を合わせ、みんなで頑張ったのだ。

 その結果、村の中も随分と落ち着く事が出来たと思う。

 不完全でも少しずつでも、村人のみなさんのそれぞれの生活が戻ってくれば、私も頑張った甲斐があるというものだ。

 村の端の広場で、片づけの結果出た木屑を燃やす焚き火の番をしながら、丸太に腰かけた私はそんな村の風景をぼんやりと見つめていた。

 火事を免れたそれぞれの家からは、夕食の準備をする煙が立ち昇っていた。どこからか、食欲を刺激する良い匂いが漂って来る。

 夕暮れ時のそんな光景を見つめていると、初めて来た村なのに、何だか懐かしい気分になってしまう。まるで実家のあるハロルド領にいるみたいだ。

 私は目を細め、膝の上に乗せた白い羽毛の塊をゆっくりと撫でた。ふかふかの触り心地の良いこれは、アーフィリルの尻尾の先なのだ。

 私の前を、子供たちが駆けて行く。

 大変な事があった1日なのに、やっぱり子供は元気がいいなと思う。

 じゃれあう様に走っていた子供たちが、オーズさんの部下の兵士さんにぶつかって怒られる。

 私は、思わずふふっと微笑んでしまった。

 やっぱり、泣き声や嗚咽が聞こえて来るよりも、元気な子供たちの声が響いている方がいい。

 私は手触りの良いアーフィリルの尻尾を丁寧に撫でる。

 ……でも。

 あの子供たちだって、家を焼かれたり家族を傷つけられたりしているかもしれないのだ。

 私は目を伏せ、ふっと息を吐く。

 もっと、もっと私に出来た事は、なかったのだろうか……。

「ちょいとお嬢ちゃん」

 じっと考え込んでいた私は、不意に呼び掛けられて顔を上げた。そこには、野菜が入った籠を抱えた恰幅のいいおばさんが立っていた。

「見かけない顔だね。よその村から来た子かい?」

 あ。

 私は、自分の服装を見てから苦笑いを浮かべた。

「えっと、あの、はい……」

「もう直ぐご飯だよ。子供たちから先に食べな。集会所で準備してるから」

 おばさんはそう言うとにかっと笑った。

 子供たち……。

 それには私も含まれているのか……。

「あの、はい。すぐに行きます……」

 私は乾いた笑みを浮かべながら、取り敢えず頷いておくことにした。

 おばさんは、早く来なよと手を振りながら去っていく。

 今の私は、村人さんから借りたシャツとスカートを身に着けていた。村人さんと同じ格好をしているので、村の子と思われるのはしょうがないのだ。

 ……子供と思われるのは心外だけど。

 私の騎士団の制服は、度重なる大人化現象のために既に限界だった。そのため、オーズさんが替えを手配してくれたのだ。

 今は髪もほどいて、そのまま背中に流していた。お気に入りの黒のリボンを無くさないように、左の髪束を緩く結んではいたけれど。

 私は髪に手をやりながらむうっと頬を膨らませた。

 髪を下ろすと、やっぱり子供っぽく見えてしまうのだろうか……。

 私が頭をぽんぽんと触りながら色々と試行錯誤していると、子供たちが集会所の方へと走っていくのが見えた。多分ご飯を食べに行くのだろう。

 その子供たちの中には、先ほどのおばさんが私に言った通り、よその村の子供たちも混じっている筈だ。

 現在この村には、大勢の他の村の村人さんたちが身を寄せていた。

 彼らは、オーズさんたちが連れてきたマリアちゃんの村の生き残りであり、さらにオーズさんたちに助けを求めてやって来た、帝国軍に襲われた他の村の人々だった。

 目の前で勢いよく燃え上がる炎が、パチッと音を立てた。

 眉をひそめ、唇をぎゅっと噛み締めながら、私は目の前の炎をじっと見つめる。

 帝国軍との戦闘の後、みんなと合流した私は、オーズさんに対し、私やルコント先輩たちが偵察に出た後に何があったのかを尋ねた。

 どうしてマリアちゃんの村ではなく、ここにいるのか。他の騎士団のみんなはどうしたのかと尋ねる私に、オーズさんは無表情を保ったまま沈黙した。そしてしばらく間を置き、静かにこう告げたのだ。

 バーデル隊長以下第3大隊の特別編成部隊は、帝国軍の猛攻を受けて壊滅してしまった、と。



 私やルコント先輩たちが偵察に出発した後。夕暮れ前になって、バーデル隊はマリアちゃんの村に帰って来たらしい。

 いや、正確には、命からがら何とか逃げて来たという様な状態だった様だ。

 村に帰り着いたのは、騎士と兵士を合わせてもほんの数名のみ。そしてその殆どが、重傷を負っていた。

 帰還した騎士の中には眼鏡のレーナ副隊長もいたけれど、村に到着した直後、駆け寄ったオーズさんたちにバーデル隊長の戦死を告げると、そのまま倒れてしまったそうだ。

 レーナ副隊長は深手を負っていて、先ほど私が見た時にはまだ眠ったままだった。

 バーデル隊長だけでなく、沢山の先輩騎士の方々が戦死されたそうだ。

 オーズさんが生き残りの兵士さんから聞き出した情報によると、帝国軍はマリアちゃんの村を襲った部隊とは比較にならない程の大戦力でバーデル隊を待ち構えていたそうだ。

 敵の大部隊に包囲され、防御のスキルの力も使い果たし、部隊は瞬く間に壊滅したらしい。

 完全に、こちらの動きが読まれていたと言うことなのだろう。

 そう話すオーズさんの顔は厳しかった。

 そんな大部隊で包囲しておきながらバーデル隊が全滅しなかったのは、敵がわざとレーナ副隊長たちを逃がしたということだとオーズさんは言っていた。

 わざと生き残りを作り、騎士団の目をこの南部地域に集めさせる意図があったのではないかと。

 私たちが身を寄せるこの村をひと思いに蹂躙しなかったのも、同じ目的があったのではないかオーズさんは説明してくれた。

 私はなるほどと頷きながらも、唇を噛み締め、ギュっと手を握りしめる事しか出来なかった。

 バーデル隊長。リドックさま。それに、みんな……。

 その後オーズさんは、バーデル隊を壊滅させた帝国軍が襲来する事を危惧し、隊の生き残りやマリアちゃんの村の皆さんをつれてメルズポート方面へ後退する決断を下したそうだ。

 山道を引き返し、村に戻ったマリアちゃんとルコント先輩も、オーズさんたちが出発する前に何とか合流出来たそうだ。

 私が谷底に落ちた後、マリアちゃんたちは帝国軍と遭遇する事はなかったみたいだ。ルコント先輩は重傷を負ってしまっていたが……。 

「村に戻って来た狩人の娘から、お嬢が無事かもしれないと話は聞いていたが……すまなかった」

 オーズさんはそう言うと、薄くなった頭をばっと下げた。

 私は驚きながら、ぶんぶんと手を振った。

「とんでもないです!」

 オーズさんは結果的に私を見捨てたと思っている様だが、それは村人のみなさんや負傷者たちを思って行動した結果なのだ。

 私には感謝こそすれ、オーズさんを責める様な気持ちは微塵もなかった。

 そうして北上を始めたオーズさんたちは、付近の村にも危険が迫っている事を告げながら、私たちが今滞在しているこの村に辿り着いた。

 その時には、他の村からも避難してきた人たちも加わり、結構人数が増えてしまっていた様だ。

 マリアちゃんの村の他にも、帝国軍に襲われ、破壊された村がいくつかあったのだ。

 そんな村の生き残りの村人さんたちにとっては、もうオーズさんたちと一緒に行くしかなかったのだろう。

 しかし年配の方々や女性、子供を連れていては素早く移動することが出来ず、オーズさんたちは結局この村で夜を明かす事になったそうだ。

 その翌日、この村も帝国軍に襲われてしまったのだが……。

 私の目の前で揺れる炎の中で、薪代わりの木材がぱちっと崩れた。

 私はアーフィリルの尻尾を離し、スカートを折ってしゃがみ込むと、手近にあった木屑を炎の中に放り込む。そして、適当な棒で火の中をツンツンと突っ突いた。

 火の粉と煙が、星の瞬く夜空に吸い込まれていく。

 村人さんだけでなく、先輩騎士の皆も兵士の方々も、沢山の人たちが犠牲になってしまった。

 ……この犠牲を、無駄にしてはいけないと思う。

 帝国軍の脅威やその新兵器については、エーレスタのお城に知らせるべくオーズさんの部下に伝令に出てもらった。

 速やかにこの情報を騎士団に伝え、もうこれ以上オルギスラ帝国に好き勝手させないようにしなければ……。

 煙の昇る先を見上げ、私はぎゅっと目を瞑った。

 エーレスタの街からここまで一緒に旅をして来た第3大隊の先輩方は、もういない。

 大きな声のバーデル隊長ももういないのだ。

 それが、未だに信じられなかった。

 バーデル隊長を始め、隊のみんなは、高貴な家柄の出身の人たちばかりだった。普通なら、私にとっては話をする事も出来ないような雲の上の人たちなのだ。

 それでもみんな、私の先輩であり、仲間だった。

 胸がきゅっと締め付けられる。

 エーレスタにこの情報が伝われば、きっと大きな騒ぎになるだろう。

 バーデル隊長たちサン・ラブール条約同盟国各国の有力貴族出身者たちが、沢山帰らぬ人になってしまったのだから……。

 ……ん。

 私はそこで、きゅっと眉をひそめた。

 何だか違和感が……。

 炎を見つめ、僅かに首を傾げる。

 バーデル隊の壊滅……。

 エーレスタの国際的立場を揺るがしかねないこの状況。

 それは、バーデル隊長たちが有力貴族出身者だったから……。

 そういえば、山中で追い詰めた帝国軍の副官が叫んでいた。

 貴族を狩る任務だった筈と。

 ……おかしい。

 何故帝国軍が、バーデル隊が貴族の子弟で構成されているという事を知っていたのだろうか……?

 私は眉をひそめ、目を伏せる。

 対してバーデル隊長の方は、この地方に帝国軍が侵入している事を知っていた様だし……。

 私は自分を抱き締める様に肘を抱き寄せた。

 胸の奥がもやもやする。

 背筋に冷たいものが走る。

 ……見えないところで何か大きな力が動いている。

 その大きな力が、どんどん悲惨な状況を、大きな戦乱を呼び寄せている……。

 ふと私は、そんな想像をしてしまった。

 軽く首を振る。

 私は顔を上げ、短く息を吐いた。

 ……やっぱり、少し疲れているみたいだ。

 そこでふと、私はこちらに近付いて来る人影に気が付いた。

「セナ。こんな所にいたんだ」

 そう声を掛けて来たのは、弓を携えた赤髪の狩人の少女、マリアちゃんだった。

「マリアちゃん。どうしたの?」

 私は、よいしょと立ち上がる。

 焚き火の炎を挟んで立ったマリアちゃんは、難しい顔をしながらじっと私を見た。

 マリアちゃんはすらりと背も高く、表情も大人びていて、可愛いというよりも美人といわれる様なタイプの子だ。私の方が年上の筈なのに、こうして面と向かい合っていると、どっちがお姉さんなのかわからなくなってしまう。

 少なくとも身長では負けているし……。

「どうしたの?」

 私はマリアちゃんを見ながら首を傾げた。結っていない茶色の髪が、はらりと揺れた。

 マリアちゃんがじっと私を見つめてくる。

 焚き火の炎のせいか、その頬は微かに赤くなっている様に見えた。

 マリアちゃんは不意に顔をしかめ、ふっと私から視線を外した。

「……そういえば、セナの瞳って、そんな緑だったっけ?」

 マリアちゃんがぶっきらぼうにぼそりと呟いた。

 緑?

 私の瞳は、少し赤みが強いけれど、基本的には華やかさのないありふれた茶色だ。

 緑の瞳といえば、アーフィリルを連想するけど……。

「いや、目の話じゃなくて……」

 自分から切り出しておきながらそう呟いたマリアちゃんは、恥ずかしそうに黙ってしまった。しかし直ぐに、意を決した様に顔を上げてまた私を見た。

「その、えっと、なんだ。その、セナにお礼、言いたかったんだ」

 私を真っ直ぐ見るマリアちゃん。

「ありがとう、セナ。助けてくれて。それと、その、ちゃんと帝国軍をやっつけてくれて、みんなの仇を取ってくれて、その、ありがと……」

 マリアちゃんが赤髪を揺らして、ぺこりと私に頭を下げた。

 私は、一瞬きょとんとしてしまう。

 しかしそのマリアちゃんの言葉がじわじわと浸透して来ると、私は目を丸くしてぶんぶんと手を振った。

 ぽっと頬が赤くなる。

「いやいや、そんな……」

 私は首を振る。パタパタと黒のリボンと髪が揺れた。

「私は、私たちはほら、何も出来なかったから……。マリアちゃんの村だって助けられなかったし……」

 私はきゅと眉をひそめながら笑った。

 しかし今度は、マリアちゃんが首を振った。

「セナには助けてもらった。あの山道でオルギスラ帝国の騎士に襲われた時、セナがいなかったら私は斬られていたと思う」

 マリアちゃんはそこで一旦言葉を切った。そして周囲の村の風景を一瞥すると、また私を見た。

「今日だってそう。セナに助けてもらわなければ、この村も壊滅していたと思う。帝国軍の奴らに踏みにじられて……」

 マリアちゃんは眉をひそめ、視線を落とした。

 私が到着する前。押し寄せる帝国軍に対するために、マリアちゃんはオーズさんたちに協力し、戦ってくれていたという。

 帝国軍の軍勢と、人間と正面から戦うなんて、とても勇気のいる行動だ。普段から訓練していても、私は恐いと思ってしまうのに……。

 私よりも年下なのに、マリアちゃんはしっかりしていて立派だと思う。

 私は、ふわりと微笑んでマリアちゃんを見た。

「私なんかより、マリアちゃん、良く頑張ったね」

 目を細め、私はマリアちゃんにうんっと頷き掛けた。

 マリアちゃんが顔を赤くして、うっと固まるった。

「あ、うん、えっと……」

 私から顔を逸らしてしまうマリアちゃん。

「……その、疑ってごめん。セナは十分立派な騎士だと思う」

 マリアちゃんはちらりと横目で私を見ると、小さな声で呟いた。

 今度は私が、目を見開きうっと息を呑んだ。

 ぼんっと頬が熱くなる。

 騎士……。

 私が、立派な騎士……。

 その言葉の余韻が、私の胸の中で大きく響く。

 トクンと胸が鳴り、じんわりと温かいものが体中に広がっていった。

 エーレスタ騎士団に入団し、騎士に任官した後もずっとお城勤めだった私にとって、今まで誰かから騎士と呼んで貰える様な機会は殆どなかった。

 だから、マリアちゃんの言葉が嬉しかった。

 立派な騎士だと言ってもらえた事が、素直に嬉しかった。

 私は目を見開き、じっとマリアちゃんを見つめる。

 その視界が、じんわりと滲んでしまう。

 怖い事とか痛い事とか色んな事があったけど、頑張ってよかったなと思う。

 ……うくっ。

 でも。

 私はそこで、ぎゅむっと唇を噛み締めた。

 ……ダメだ。

 まだ、まだ気を抜いてはいけないのだ。

 現在の状況では、まだオルギスラ帝国軍の脅威が去ったとはいえない。

 マリアちゃんが認めてくれたからこそ、その評価に相応しい立派な騎士として、気を抜かず、しっかり皆を守らなければならないのだ。

 騎士の務めを果たし、頑張らなければ……!

「ありがとう、マリアちゃん」

 私は、えへへっと笑いながらマリアちゃんに頷き掛けた。握り締めた手には、そっと新たな決意を込めながら。

 マリアちゃんは、難しい顔をして私をじっと見詰めている。

 私は、んっと首を傾げた。

 マリアちゃんは少し疲れた様にふっと短く息を吐いた。

「でも、そんな格好をしてると、本当に騎士にはみえないよね」

 マリアちゃんは腕組みしながら目を細めた。

「何だか村の小さな子が、着飾ってるみたい」

 うっ。

 さっきは、立派な騎士だと言ってくれたのに……。

 私は思わず眉をひそめ、自分の服装を見た。

 ……そんなに子供っぽく見えるのだろうか。

 両手でスカートを摘んで、ひらりと左右に揺らしてみる。

 うーん……。

「……可愛いのはいいんだけど、この子がお山の祖竜さまに選ばれたなんて、やっぱり信じられないわ」

 マリアちゃんはため息交じりに低い声でボソっと呟いた。

「どうしてセナの服、あんなにボロボロだったの?」

 少し呆れた様なマリアちゃんに、私は苦笑を返した。

「うん、あれはね、アーフィリルの力を借りると体が大きくなるから」

 私の説明に、しかしマリアちゃんは怪訝な表情を浮かべる。

『何か用か、セナよ』

 そこに、背後でもぞっと大きなものが動く気配がした。

 名前を呼ばれたせいか、先ほどまで大人しく丸まっていたアーフィリルが、私の脇からその大きな頭をぬっと突き出した。

「えっ、きゃっ!」

 マリアちゃんが悲鳴を上げて後退る。

 アーフィリルは先ほどからずっと私の後ろで丸まっていたのだが、マリアちゃんは気が付いていなかったのだろうか。確かに丸くなっている時のアーフィリルは、只の白い毛の塊にしか見えないけど。

 私は、アーフィリルの鼻の上をぽんぽんと撫でた。

 アーフィリルの綺麗な緑色をした大きな目が、すっと細くなった。

「何でもないよ。起こしてごめんね」

 私は、アーフィリルにニコリと微笑み掛けた。

「こ、これがお山の竜、さま……」

 焚き火の炎に照らされたマリアちゃんの顔は少し青ざめている様だった。その手が弓に掛かっているのは、マリアちゃんが狩人だからだろう。

 そんなに警戒する事ないのに。

 アーフィリルはこんなに優しくて、人懐っこいのに……。

『融合による体構成の変化について、何か問題があるのか?』

 アーフィリルがぎろりと私を見た。

 なんだ、聞いていたのか。

 私は軽く頭をふった。

「違うの。服がね、ちょっと問題で……」

 私はスカートを持ち上げて苦笑を浮かべた。

「ちょっとセナ。何1人でぶつぶつ言ってるのよ」

 マリアちゃんが私とアーフィリルから少し距離を取りながら顔をしかめた。

 そうか。

 アーフィリルの声は、他の人には聞こえないんだった。

 マリアちゃんにその事を説明しようと口を開き掛けたその時。

「お嬢!」

 太く低い声が、夜闇に沈む静かな村の中に響き渡った。

 マリアちゃんと一緒にそちらに目を向けると、第2大隊の兵士長であるオーズさんが、こちらに駆け寄ってくるところだった。

「うおっ」

 オーズさんも、私に頭を寄せているアーフィリルを見て、その厳つい顔を引きつらせた。

「えー、すんません。お嬢、その集会所に来てもらえますか。これからの事を相談したいんで」

 オーズさんは、アーフィリルの方に視線を送りながらそう告げた。

 私はこくりと頷いた。

 色々な事があったけど、いつまでも感傷に浸っている訳にはいかない。これからの事、明日からの事、色々考えておかなければ。

「わかりました、オーズさん。じゃあ、マリアちゃん。また後でね」

 私はマリアちゃんに手を振ると、オーズさんと一緒に集会場へ向かって歩き出した。

「うおっ」

 ふと何かを感じた様に背後を一瞥したオーズさんが、再び驚きの声を上げた。

 振り返ると、大きな体のアーフィリルが、静かに私の後ろについて歩いていた。



 村の集会所は、家々の中心に立つ石造りの立派な建物だった。

 他の家屋よりも一回り大きく、村の中で一番背の高い鐘楼が夜空に向かって突き出していた。

 普段は礼拝堂として使われていて、緊急時は村人さんたちの退避場となっている様だった。今日の帝国軍の襲撃でも村人のみなさんはここに逃げ込み、何とかその攻撃を凌いだみたいだ。

 しかしその外壁には無数の弾痕が穿たれ、屋根の一部は焦げてしまっていた。窓の木戸は割れて吹き飛び、入り口のドアにも無数の傷が付いていた。

 オーズさんたちがいたのにもかかわらず、村の中心にあるこの建物がここまで攻撃に晒されているなんて、いかに帝国軍の攻撃が激しかったかがよくわかる。

 私はきゅっと眉をひそめ、集会所の鐘楼を見上げた。

 よくこの状況で、みんな無事だったなと思う。

 もちろん、今回の襲撃で亡くなった方や怪我をした方は皆無ではないけれど……。

「ここには、うちの隊の連中とバーデル隊の生き残り、それとこの村を含めた各集落の主だった代表たちが集まってます」

 オーズさんが私を一瞥した。

「了解です」

 私はむむむっと顔を引き締めて、こくりと頷いた。

 これからの方針は、私たちエーレスタ騎士団だけで決められるものではない。村や家を焼かれた人たちだっている。彼らのこれからの事に付いても話し合わなければならない。

 家や村が無事だった人たちも、まだ帝国軍が残っていれば、今後襲われてしまう可能性だってあるのだ。

 皆で話し合い、対策を考えておかなければ……。

 オーズさんが、ボロボロになった集会所の扉を開いてくれた。

「野郎ども! セナさまのご到着だっ!」

 オーズさんが大音声を張り上げた。

 ん。

 さま?

 考え込んでいた私は、きょとんとして顔を上げた。

 その瞬間。

 集会所の中からざっと姿勢を正す音が聞こえて来た。

 な、何だろう……。

 私は、恐る恐るその石造りの建物へと足を踏み入れた。

「総員……敬礼っ!」

 ずらりと並んだエーレスタの兵士のみんな。

 そして、バーデル隊の生き残りの騎士の先輩方。

 その全員が、私に向けて一斉に敬礼する。

 うっ。

 その迫力に、私は思わず気圧されてしまった。

 その場で身を固くして、立ち竦んでしまう。

 な、何だ……。

 号令を掛けたのは、レーナ副隊長だった。

 レーナ副隊長は頭に包帯を巻き、腕を布で釣っていた。意識が戻ったのは良かったけれど、もう起き上がっても大丈夫なのだろうか。

 騎士と兵士のみなさんの視線が、私に集まる。

 何だか恥ずかしい……。

「お嬢」

 隣に立ったオーズさんが、小さな声で囁いた。

 ああ、そうか……。

 私は慌てて答礼する。

 再びレーナ副隊長の号令でみんながもとの姿勢に戻る中、私は困惑しながらレーナ副隊長とオーズさんを交互に見た。

 ……うーん。

 どうしていいのかわからず、取り敢えず自分の定位置である騎士隊の末席に向かおうとして、私はオーズさんに抑えられてしまった。

 うぬぬ……。

「お嬢は今や俺たちの頭なんだ。野郎どもの前で、どっしりと構えていて下さいや」

「頭……私がですか?」

 私は、眉をひそめながらオーズさんを見上げた。

「その通りです」

 レーナ副隊長が重々しく頷いた。

「あなたは竜を伴い、帝国軍を撃退した。そうなのでしょう?」

 重傷を負っているとは思えない強い目で私を見るレーナ副隊長。頭に巻いた包帯に滲む血が痛々しい。

 レーナ副隊長は今、眼鏡を掛けていなかった。

「8人目の竜騎士となられたセナ・カーライル3尉、いえ、カーライルさまに礼を尽くすのは、竜騎士のもとに集う私たちエーレスタ騎士団としては当然の事です」

 え。

 私は目を丸くする。

 レーナ副隊長の言葉に、兵士の皆さんが頷いていた。騎士の先輩方は、厳しい目で私を見ていたけど……。

 しかしその事が気にならないほど、私は衝撃を受けていた。

 頭の中が真っ白になってしまう。

 竜騎士……。

 8人目……。

 ……私が?

 竜騎士という言葉が、頭の中で大きく響く。

『セナ。汝は既にセナ・アーフィリルである』

 ぼそりと呟く様なアーフィリルの声が聞こえて来るが、ぽかんと呆気に取られ、固まってしまった私には、返事する事が出来なかった。

「お嬢は今ここにいる全員を救ったんですぜ。胸を張って下さいよ」

 オーズさんが厳つい顔に柔らかな笑みを浮かべ、私に頷き掛けてくれた。

 私が竜騎士……。

 全身が小さく震える。

 あうう……。

 私はぶんぶんと頭を振った。

「ち、違うんです。わ、私はただ、アーフィリルに力を借りただけで……」

 そうだ。

 アーフィリルのお願いを聞く代わりに、ただその力を貸してもらっただけなんだ。

 竜騎士さまなんて、そんな凄いものじゃない。

 私なんかが……。

「竜はこの世界に君臨する最強の生物です。その竜の力を行使出来る者が騎士の頂点たる竜騎士なのです」

 レーナ副隊長が、今更何を言っているのだという風に私を見た。

「それに、ちゃんと確認しましたよ。お嬢のその瞳。あの白い毛の塊みたいな竜と同じ色をしていた。竜騎士ってのは、契約した竜と同じ色の瞳を宿す。そうなんでしょう?」

 オーズさんがニヤニヤしながら、私の肩をぽんぽん叩いた。

 そうだ。そんな話は聞いた事がある。

 確かにアルハイムさまは、その乗竜であるルールハウトと同じ金の色の瞳をしていた。

 私は、目を見開きながら顔に手を当てた。

 マリアちゃんが先ほど、私の目が緑だと言っていた。

 アーフィリルと同じ……。

 竜……騎士。

 私は、本当に竜騎士になったのかな……。

 アーフィリルに力を借りている最中ならいざ知らず、今までと何ら変わった感じがしない普段の私のままの姿では、竜騎士だといわれても全く実感が沸かなかった。

 瞳の色にしても、自分ではまだ確認していないし……。

 ただ、トクトクと鳴る胸の鼓動だけが、何だかいつもより大きく体中に響いている気がした。

 私は、意識してゆっくりと息をした。

 私が竜騎士。

 その言葉が私を揺さぶる。

 マリアちゃんに、立派な騎士だと言ってもらえた時のような喜びはなかった。

 それよりも、緊張と重圧で胸がきゅっとしてしまう。

 もし仮に私が本当に竜騎士であったなら、私はアルハイムさまみたいに、ここにいるみんなを笑顔に出来るのだろうか……。

 うう……。

 全身が熱くなり、私はくらくらと揺れ始めた。

「お嬢?」

 オーズさんが怪訝な顔で私を見た。

 そこに、兵士や騎士たちの隊列の向こうから、ざわめきが聞こえて来た。

 騎士隊の向こうには、今後の方針を相談するために村人の方々が集まっていた。

 この村の村長さんや村の重鎮、それに帝国軍の襲撃で他の村を焼け出された人たちだ。

 村人さんたちは、怪訝な顔をしながら互いに顔を見合わせ、ちらちらと私を窺っていた。

「あれが竜騎士だって?」

「ただの村娘じゃないか」

「ありゃうちの娘より子供だよ」

「本当にあの子が帝国をやっつけたのかねぇ」

 口々に囁き合う村人さんたちは、誰もが不安そうな顔をしていた。

 村人さん達は、私が戦っていたところを見た訳ではない。それに、アーフィリルには村の中では大人しくしている様にお願いしてあったので、私とアーフィリルが一緒にいるところを見た人も少ない筈だ。

 さらに今の私は、エーレスタの制服ではなく普通の村人さんの服装をしていた。そのためマリアちゃんの指摘の通り、いつもに増して子供っぽく見えているだろう。

 竜騎士がいるというだけで、普通は安心出来るものだ。

 しかし。

 それが私みたいなのだと、不安に思ってしまうのもしょうがない事だろう……。

 本当の竜騎士さまならば、どんな時でもみなさんを安心させてあげられるのだろうけど、私には今、掛けるべき言葉が思い浮かばなかった。

 ……やはり私には、竜騎士という称号は相応しくないと思う。

 でも。

 いつかは、きっといつかは、立派な竜騎士になって見せる。

 その決意はある。

 今はただ、その目標に向かって頑張らなくてはいけないのだ。

『セナ』

 力を貸してくれるアーフィリルに恥ずかしくない様に。

「なに、気にする事ぁはないですからね」

 村人さんたちを一瞥してから、私に笑い掛けてくれるオーズさん。

 私を認めてくれるオーズさんたちの為にも、私が頑張らなくては!

「それでカーライルさま。これからの方針ですが」

 レーナ副隊長が、厳しい目で私を見た。

「私たちの隊は、明朝より……きゃ!」

 そのレーナ副隊長が、突然甲高い悲鳴を上げた。

「うおおっ!」

 兵士のみなさんも声を上げ、仰け反る。

 後退り、尻餅を突く騎士の先輩もいた。

「な、何だ!」

 村人さんたちの方からも悲鳴が上がった。唖然と固まる人や、後ろを向いて壁際まで走って逃げ出す人までいた。

 ……何だろう。

「り、竜!」

 誰かが叫んだ。

 私は、はっとして振り返る。

 そこには、壊れた扉を押し開いて頭だけを集会所内に突っ込んだアーフィリルがいた。

 緑の瞳と目が合う。

 アーフィリルは、伏せの体勢になり、無理やり頭を押し入れたみたいだ。

 良くはいったな……。

「アーフィリル!」

 私はスカートの裾を揺らしながら、慌ててパタパタとアーフィリルの頭に駆け寄った。

 ヒクヒクと鼻を動かして私を見るアーフィリル。

『応答がなかったが、何か良くない状況にでも陥ったのか、セナよ』

 いつもの通り真面目な、重々しい声が私の中に響いてくる。

 ……心配してくれたんだ。

 私はふっと息を吐いてから、ふわりと微笑んだ。そして、アーフィリルの鼻先を撫でた。

「ありがとう。大丈夫だよ」

 アーフィリルが目を細める。

「やっぱりアーフィリルは優しいね。でも無理しちゃダメだよ。頭が抜けなくなったら、大変なんだから」

 私は微笑みながらコクリと頷いた。

 こんなにも優しい竜さんと出会えて、私は幸運だった。このアーフィリルと一緒なら、これからも頑張って行ける気がする。それこそ、私が竜騎士に相応しい存在になれるまで……。

「私は大丈夫だから、もう少し外で待っててね」

 私は、アーフィリルの鼻にぽんっと手を乗せてそう告げた。

『承知した』

 何だか少し不満そうだったけど、アーフィリルは素直に集会所から首を引き抜いた。

 幸い、アーフィリルの頭はどこにも引っかからなかった。

 アーフィリル、大きそうに見えて、実は純白の羽毛で膨れているだけなのかもしれない。本体は意外と細いのかも。

 優しい子だけど、その大きな体と迫力のある角や牙は、みんなをびっくりさせてしまう。

 後でよく言っておかなくては。

 私はふっと息を吐き、振り返った。

「みなさん、すみません、驚かせて……しまって……」

 私の声は、尻すぼみに小さくなってしまった。

 オーズさんたち兵士のみなさんや騎士の先輩方、そして村人さんたちも、この場に集まった全員が、じっと私を見つめていた。

 その視線の圧力に、思わずカッと顔が熱くなってしまった。

「竜騎士……さまだ」

 しんと静まり返ってしまった集会所内に、ぽつりと誰かの呟きが響き渡った。



 翌朝。

 私は日の出と共に目を覚ました。

 薄暗い室内に、木戸の隙間から柔らかな日差しが射し込んでいた。陽の光と一緒にちちちっとさえずる小鳥の声も入り込んで来て、今日も1日が始まった事を知らせてくれていた。

 目は覚めても柔らかいベッドに横になったままの私は、天井を見上げながらふっと深く息を吐いた。

 きちんと眠ったのにど体が重く感じるのは、やはり疲れが溜まっているからだろうか。

 でも、気分は悪くなかった。

 きちんとベッドで眠れたのは、久しぶりの事だったから。

 昨夜の集会所での会議の後、騎士団のみんなと集会所で雑魚寝するつもりだった私は、村長さんのお家に招かれて、ベッドを借りる事になったのだ。

 私だけ特別扱いされるのは嫌だったけど、それも竜騎士の務めだとオーズさんに背中を押されてしまった。

 それでも眉をひそめていた私に、オーズさんはこっそりと、アーフィリルが近くにいてはみんなが安心して眠れないのだと教えてくれた。

 確かにアーフィリルは、集会所から頭を抜いた後もその入り口の前でずっとお座りをしていた。壊れたドアの隙間からその白い羽毛がちらちらと見えていたし、村人さんの中にはそれに怯えている人もいたのだ。

 ならば仕方がないと村長さんの家に向かった私とアーフィリルだったが、今度は私の後を追うアーフィリルが、村長さんの家に頭を突っ込もうとして、慌ててそれを押しとどめるという騒ぎが起こってしまった。

 その後アーフィリルとはじっくりと話し合い、一応は納得してもらった筈だから、今は村長さんの家の外で眠っている筈だけど……。

 私はふっと短く息を吐いた。

 アーフィリルの事よりも、昨夜の話し合いで決まった今日からの行動について考えて、私はきゅっと眉をひそめた。

 話し合いの結果。私たちバーデル隊の残存部隊は、怪我人や村を焼け出された人たち、それから希望者を募って、メルズポート経由でエーレスタに帰還する事となった。

 オーズさんが出した偵察隊が昨日1日掛けて周辺一帯を調べたが、帝国軍の姿は発見されなかった。その結果から、私が撃退した帝国軍がこの辺りに侵入した敵の本隊だと結論付けられたのだ。

 ならば早急にエーレスタに帰還し、騎士団に状況の報告と南部地域への警備部隊の本格的な派遣を具申すべきだとオーズさんは主張した。

 現在の私たちの隊は、まともに戦えるのが私とオーズさんたち兵士の方々十数名だけといった状況だ。

 いくらアーフィリルの力があるとはいえ、同時に多数の場所を攻められれば対応する事が出来ない。

 竜騎士みたいな特別な力もいいが、戦力とは数も大事なもんですとオーズさんは言っていた。

 さらに、今回の帝国部隊を敵の陽動とするならば、近々帝国軍の本格的な侵攻も考えられる。それに備えるべきだ、と。

 それに対してレーナ副隊長は、この地方の帝国軍の徹底的な捜索と殲滅を訴えた。

 でもその案は、却下せざるを得なかった。

 レーナ副隊長の今の怪我の状態では、そんな作戦行動など無理な事は明らかだったから。

 バーデル隊長たちの仇を取りたいというレーナ副隊長の気持ちは、痛いほどわかったけれど……。

 意外だったのは、私たちが身を寄せている村の人々の反応だった。

 私たち騎士団が去る事を、彼らは溜め息と共に受け入れてくれたのだ。

 私たちが身を寄せているこの村は、多くの家々が無事だったため、私たちと共にエーレスタ行きを希望する村人さんは殆どいなかった。

 みんな、自分の家や畑を簡単に手放す事など出来ないのだ。

 野盗や災害に怯えて暮らすのなど慣れっこだと、村長さんは笑っていた。帝国軍も、そういった災難の1つに過ぎないのだと。

 顔を曇らせる私に、村長さんは家や畑を守っもらえただけでも有り難いと言ってくれた。

 私は、そんな村長さんやこの村の人たちに、騎士団本部に対し、なるべく早い警備部隊の派遣をお願いしてみるとしか言えなかった。

 こうして私たちは、今日メルズポートに向けて発つ事が決まった。

 私には、道中傷付いた先輩騎士たちや同行するマリアちゃんたち村人さんの護衛をするという任務がある。

 ……頑張らなくては。

 アーフィリルの力を借りる事になっても、傷付き、家を失った彼らをこれ以上の危険にさらしてはならないのだ。

 よし。

 私はうむっと気合いを入れて、起き上がろうとした。

 しかし。

 ……あれ。

 やはり体が重い。

 特に胸が……。

 私は首を上げて、自分の胸の上を見てみる。

 そこには、一抱え程の純白の羽毛の塊が丸くなっていた。

 どうりで体が重い筈だ。

 しかしこれは、猫?

 丸まっているその白い塊には、羽があった。尻尾も長い。それに丸まった頭からは、角が生えていた。

「アーフィリル……?」

 大きさは全然違うけど、それは間違い無くアーフィリルだった。

 猫……いや、子犬の様なアーフィリルが私の声に反応し、顔を上げた。そして可愛らしい牙が並ぶ口を開けて、くぱっと欠伸した。

『目覚めたか、セナよ』

 やっぱりアーフィリルだ。

 声は今までのまま低く重々しいけど……。

「アーフィリル、なの? どうしちゃったの、その格好」

 私が体を起こすと、アーフィリルはぴょんと跳ねて私の膝の上に移った。 

 真っ白のふわふわだ……。

 私は思わず両手で、その羽をムニムニと触った。

 アーフィリルは、濡れたつぶらな緑の瞳で、真っ直ぐに私を見上げた。

『うむ。セナと行動を共にするにあたり、以前の体では不都合があると判断したのだ』

 それは、確かに。昨夜も話した通りだ。

 あの大きさならば、エーレスタに戻っても女子寮の私の部屋に入れない。お城や管理課の執務室にも入れないだろう。それにどこにいても目立ってしょうがない。

『そのため、我は自らの体の構成を変えてみたのだ。この姿では魔素制御が25パーセント程低下するが、問題ない。いざとなれば、いつでも補完は可能だ』

 私は眉をひそめる。

 難しい事はわからないが、アーフィリルが大丈夫なら問題ないけど……。

 しかし体を縮ませるなんて、竜は凄いなと思う。まるで物語に出て来る万能の魔法使いみたいだ。

 戦技スキルより上位の技術である魔術スキルを駆使しても、きっとこんな事は出来ないのではないかと思える。

 頭を撫でてやると、アーフィリルはきゅっと目を細めた。

 でもこの姿なら、昨日みたいにみんなを怖がらせる事もないか……。

 これからエーレスタまで旅をするにしても、その間ずっと村人さんを怖がらせ続けてしまったらどうしようと思っていたのだ。

「無理はしてないのね?」

 アーフィリルの瞳を見つめながら、私は確認してみる。

『無論だ』

 アーフィリルが重々しく頷いた。

 大きな体だとそれも威厳ある動きに見えるのだが、今の子犬サイズでは、背伸びしている子供みたいで何だか微笑ましくてしょうがない。

 私はもう一度アーフィリルの頭を撫でると、にこっと微笑んだ。

「じゃあ、行こうか」

『うむ』

 アーフィリルは羽を動かすと、ぴょんと飛び上がって私の頭に乗った。

 ベッドを出る。

 素足のままペタペタと窓に向かった私は、木戸を開け放ち、朝のしんと冷えた空気を部屋の中に招き入れた。

 大きく深呼吸する。

 エーレスタに帰る。

 その道中、みんなは私が守るのだ。

 頑張らなければ。

 私は朝日を見つめながら、うんっと頷いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ