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第9幕

 夏の晴れ渡ったの空の下、小鳥たちの囀りが聞こえて来る。涼やかな早朝の風が吹き抜け、私の髪をふわりと揺らした。

 むっとする程の濃厚な緑の匂いが満ち、朝にして既に眩い日差しが射し込む竜山連峰の山の中。しんと静まり返った木々の間で、私と後ろのアーフィリルは、ぽつんと立ち止まっていた。

 昨夜の戦いの場を後にした私たちは、下山すべく山の中を進んでいたのだけれど……。

 ボロボロになってしまった制服に身を包んだ私は、キョロキョロと周囲を見回した。

 濃く生い茂った夏の緑が、どこまでも続いている。道らしきものは見当たらない。

 ……うむむ。

 私は腕を組み、眉をひそめた。

 昨夜は夜の山をがむしゃらに登って来たので、どうやったら人里に近い麓やマリアちゃんの教えてくれた道へ戻れるのか、全くわからない。

 あれだけの帝国軍部隊が登って来たのだからどこかに道があるのではと思ったが、予想は外れてしまったみたいだ。

 私が立ち止まった場所からすぐ先は、急な斜面になっていた。谷底まで木々が密集して生えていて、体の大きなアーフィリルが下りるのは無理そうだ。

 ここまでは何とか来られたけど……。

 私は首を傾げてしばらく考える。

「アーフィリル、どうする?」

 上手い考えが浮かばなかったので、私は振り返って後ろをついて来ている筈のアーフィリルを見た。

 アーフィリルは、私から少し離れた場所に座っていた。

 前足をちょこんと揃えて座るその白い大きな体は、朝日に照らされてキラキラと輝いていた。

 アーフィリルは、頭を上げて空を見ていた。

 ふんふんっと鼻を動かし、まるで空気の匂いを嗅いでいるみたいだ。

 私は足元と服に気を付けながら、アーフィリルのもとに駆け戻った。

 一度体が大きくなって避けてしまったズボンや靴ひもの切れてしまったブーツは、同じく破れた制服の上衣を潰してベルト代わりにし、何とか落ちない様にしてみた。しかしあくまでも応急処置なので、激しく動けばほどけてしまいそうになるのだ。

 上衣はなくなってしまったので、上はワイシャツ1枚になってしまった。

 今が夏で助かった。

 そのシャツも、胸元のボタンが飛んでしまってだらしない事になってしまっているけど……。

 こんな格好では人前に出られないなと思う。

 騎士として、そんな恥ことは出来ないのだ。

 うんしょと倒木を乗り越えてアーフィリルの足元に辿り着いた私は、その前足にそっと触れた。

「アーフィリル。どうしたの?」

 アーフィリルが俯き、私を見た。

『何かが焼ける匂いがする』

 低い声が直接私の頭の中に響く。

 アーフィリルの不穏な言葉に、私はきゅっと眉をひそめた。

 ……嫌な予感がする。

 物の焼ける臭い。

 焼き払われる村。

 それは、ついこの間目の当たりにしたばかりの光景だ。

 マリアちゃんの村が襲われているあの時の状況が、頭をよぎった。

 もしまだ帝国軍がいて、またどこかの村を襲っているのだとしたら……。

 私は、ぎゅっと握った手に力を込めた。

「……詳しくわかる?」

 白の羽毛がふさふさの脚に触れたまま、私はアーフィリルを見上げた。

『待て。確認する』

 短くそう告げたアーフィリルは、僅かに目を細める。

 しばらくの沈黙の後、アーフィリルは顔を上げて朝日の昇る方角を一瞥した。

『山を越えた向こう、麓の方で、争いが起こっている様だ』

 アーフィリルの言葉に、私はぐっと身を堅くした。

 争い……。

 現在の状況下での争いといえば、やはり帝国軍が絡んでいると考えた方が自然だろう。

 戦っているのはバーデル隊長たちか、それともどこかの村の人たちが抵抗しているのか……。

 いずれにしても、このままじっとしている訳にはいかない。

 行かなければ……!

 私は大きく息を吸い込んだ。

 ……でも。

 また帝国軍と戦うと思うと、どうしても昨夜の戦闘の事が頭をよぎってしまう。

 あの戦いの跡の惨状が……。

 またあんな事になってしまったら。

 そう考えると、体が小さく震えてしまう。

 私は顔を伏せ、唇を噛み締めた。

 怖かった。

 人が沢山死んでしまう事が。

 私も死ぬかもしれないし、また大勢を死なせてしまうかもしれない。

 沢山の帝国兵たちの亡骸が横たわるあの惨状を、また作り出してしまうかもしれないのだ。

 それが、とても怖かった。

 ……でも。

 そっと触れたアーフィリルの温かさを掌でじっと感じながら、私はゆっくりと深呼吸をする。そして、小さく頭を振ってから、顔を上げた。

 ……戦う事を躊躇ってはいけないんだ。

 目の前の光景や出来事だけに気を取られ、取り乱していては、大切なものを見失ってしまう。

 それでは、本当に守りたいもの、守らなければならないものを失ってしまうかもしれないのだ。

 ……それでは、ダメだ。

 戦場に倒れるのが敵味方を問わず騎士や兵士であるのならばまだいい。でも、このまま帝国軍を放置していては、その犠牲になるのはマリアちゃんたち罪もない一般の領民の方々なのだ。

 そうならない為に。

 戦わなくてはならないんだ。

 私は、戦わなくてはならない。

 何故なら、私はもうエーレスタの騎士なのだから。

 騎士としてみんなが安心して生活出来るよう、そして笑顔になってもらえる様に、力を尽くさなければ。

 私はむんっと力を込めて頷いた。

 でも、戦いに向かうその前に……。

 私は、すっとアーフィリルを見上げた。

「……アーフィリル。また、力を貸してくれる?」

 私は、アーフィリルの緑の目をじっと見つめた。

『無論。セナが望むのならば』

 何の躊躇いもなく即答してくれるアーフィリル。

 胸が、ずきりと痛んだ。

 私は、アーフィリルを帝国軍との争いに巻き込もうとしている。

 昨夜は帝国軍に迫られて、アーフィリルを頼ってしまったけれど……。

 だから私はもう一度、帝国軍との戦いに赴く前に、アーフィリルときちんと話をしておかなければならないと思ったのだ。

「アーフィリルは、私と一緒に行きたいって言ってたけど……」

 私はぎゅっと眉をひそめてアーフィリルを見上げた。

「私と来れば、危険が一杯だよ。昨日の夜みたいに怪我させられてしまうかもしれないよ」

 私はアーフィリルの前足に触れたまま俯いた。

「嫌な事とか怖い事も一杯あるかもしれない。それでも、アーフィリルは私と一緒に来るの? 一緒にいるだけで力を貸してくれるの?」

 私が戦うと決めたのは、私が望むもの、みんなの笑顔を得る為だ。

 しかしそれは、私の決意でしかない。アーフィリルには関係のない事だ。

 アーフィリルは、私について来る事が力を貸す対価だと言っていた。しかし戦いに赴くと決めた私と一緒にいるという事は、アーフィリルがまた危険に晒されてしまうという事だ。

 アーフィリルをそんな危険な目には合わせたくない。

 それにアーフィリルを巻き込んでおいて、僅かな対価で私だけが力を得るというのも、何だか不公平な気がする。

 私は眉をひそめ、しゅんと肩を落とした。

 そんな事を思っていても、実際はアーフィリルの力がなければ、私なんて帝国軍に太刀打ち出来ないのだけど……。

 ……うむむ。

 自分の力の無さが、悔しかった。

『セナ』

 アーフィリルの声が響く。

 私は顔を上げようとして、しかしそれより早くアーフィリルが前足を持ち上げた。

「ふぁ、わわっ」

 巨大な肉球がぎゅむっと私の頭の上に置かれた。

 な、ななな……!

 私の頭を撫でようとしているのか、グリグリと前足を動かすアーフィリル。

 そのたびに私は、体ごと持っていかれそうになる。しかしそこを何とか、私は必死に踏ん張って耐えた。

 むむむ……。

 気を遣ってくれていても、凄い力だ。

『我の事を案じるか、優しい娘よ』

 頭の中に響くアーフィリルの声は、どこか楽しそうに弾んでいた。

『剣を取る気丈さと、人でない我を気遣う優しさ。ふっ。やはり人間は、セナは面白い。それでこそ、久方ぶりに外の世界へと赴こうと決断した甲斐があったというものだ』

 アーフィリルが私の頭から脚をどけた。

 私はくしゃくしゃなった髪をぽんぽんと整えながら、饒舌なアーフィリルを見上げた。

『案ずるな。この身は人よりは強靭だ。セナの憂いは杞憂に過ぎぬ』

 アーフィリルが笑みを浮かべる様に目を細めた。

『セナのその行く末、我に見守らせてもらおう。その代わりに、我はセナに力を貸す。この契約に異論があるかな?』

 緑の大きな瞳が、じっと私を見つめていた。

 強い力を秘めた巨大な体。長い角が生えた頭。鋭い牙がずらりと並んだ大きな口。それらが真っ直ぐにこちらに向けられていても、不思議と恐ろしいという感じは無かった。

 むしろその羽毛の中に顔を埋めて、ぎゅっと抱きつきたくなる。

 私はアーフィリルの目を見上げ、ふわりと微笑んだ。

「……では、改めてよろしくお願いします、アーフィリル」

 そして、ぺこりと頭を下げた。

『うむ』

 頭の中に、アーフィリルの重厚な返事が響いた。

 私は顔を上げ、目を細めてアーフィリルを見上げる。

「……ありがとう」

 そして小さく呟くと、もう一度ふわりと微笑んでそっと小さく頷いた。



「その戦いが起こっている場所は遠いの?」

 私は改めて周囲を見回した。

 まずは争いが起こっているというその現場に向かい、状況を見定めなければならない。

 今は、山を下りる方向すらわからないのだけれど……。

 アーフィリルは返事をする代わりにもぞっと動き、私の前で伏せの体勢をとった。

『乗れ』

 そして、ギロリと目だけを動かして私を見た。

「いいの?」

 私は思わず目を丸くする。

 竜は高い知能を有し、さらに気高い生き物だという。

 竜がその背に騎乗を許すのは、自身の認めた相手のみ。

 それ故に竜騎士は、大陸でも7人しか存在しない限られた存在となっているのだ。

 アーフィリルは綺麗だし喋れるし、きっと立派な竜だ。

 そのアーフィリルに、私が乗っていいのだろうか?

 私はむむむと悩みながらも、アーフィリルの背中とその顔を交互に見た。

『何を躊躇う。行くのだろう』

 アーフィリルは、そんな私などお構いなしに低い声で急かしてくる。

 竜に騎乗……。

 竜騎士に憧れる私にとっては、信じられない様な出来事だ。

 不意の事態に、胸がドキドキする。

 頬がぽっと上気してしまうのがわかった。

「で、では、よろしくお願いします……」

 しばらく気持ちを落ち着かせた後、私はぺこりと頭を下げた。

『うむ』

 アーフィリルが重々しく頷く。

 私は意を決し、アーフィリルの首に跨った。

 やはりアーフィリルの羽毛は柔らかで、ふかふかだった。それに、良い匂いもする。

 騎乗といっても、竜騎士の方々みたいに鞍や手綱はないので、優雅に颯爽と、という訳にはいかない。ただアーフィリルの羽毛に埋もれる様にしがみつく様な乗り方しか出来なかった。

 それでも、何だか感動で胸がじんっと熱くなってしまった。

 私、今、竜に跨っている。

 ……凄い!

『飛翔する。注意せよ』

 アーフィリルが体を起こす。そして、ばっと翼を開いた。

 白の翼が大きく左右に広がった。

 朝日を受けたその巨大な翼が、眩しいほどにキラキラと輝いていた。

 私はキョロキョロと左右を見回す。

 アーフィリルが、大きくゆったりとその翼を動かし始めた。

 白の翼が巻き起こす風圧に、周囲の砂埃が舞い上がり、木々も徐々に大きく揺れ始めた。

 私はどきどきしながら髪を押さえる。

 そして。

 アーフィリルの体は、唐突にふわりと浮き上がった。

「わわぁ」

 私は、思わずぎゅっとアーフィリルにしがみついた。

 と、飛んでる……!

 アーフィリルが大きく翼を動かして羽ばたく。その度に高度が上がり、地面がぐんっと遠ざかって行く。

 翼はぶんぶんと動かしているのに、体は少しも揺らすことなく上昇するアーフィリル。

 私を乗せたその白の体は、直ぐに木々の高さを抜け、森の上へと飛び出した。

 そしてそのまま、ぐんぐんと上昇して行く。

 足元の山が、どんどん遠ざかって行く。

「……凄い」

 アーフィリルに跨った私は、吹き付ける風の勢いに片目を瞑りながらも、そう呟かずにはいられなかった。

 リボンで結った髪が激しく揺れる。

 高度と同時に、だんだんと加速するアーフィリル。大きな体からは想像出来ない様な速さだ。

 これが竜……!

 凄い!

 でも……。

 さらに上昇するアーフィリル。

 そのスピードに、徐々に私は周囲を光景を確認する余裕を失っていった。

 風に煽られない様に体勢を維持するので精一杯になってしまっていた。

「わわっ」

 私は必死にアーフィリルにしがみつく。同時に、襲い掛かって来る加速度にじっと耐える。

 うぐぐぐぐ……。

 唇を噛み締める。

「アーフィリル!」

 しかしとうとう耐え切れなくなり、思わずそう叫んでしまった瞬間。

 不意に、体を押さえていた加速度が消えた。

 と、止まった……?

 恐る恐る顔を上げようとした私に、その瞬間ぶわっと強い風が吹き付けてきた。

 思わず私は髪を抑え、ぎゅっと目を瞑る。

 高い空の上の風は、地上で感じたものよりも遥かに強く、冷ややかだった。

『どうだ、セナ。なかなか世界とは素晴らしいものだろう』

 アーフィリルの声が響く。

 私の中に響くその声は、どこか誇らしげな様子だった。

 まるで自慢のお酒のコレクションをお父さんに披露している時のハロルドおじいちゃんみたいな……。

 私はもう一度ゆっくりと顔を上げ、目を開いた。

 そこで私は、固まってしまう。

 言葉を失う。

 世界……。

 そんな言葉が、ふと思い浮かんだ。

 今。私の目の前には、見たこともない光景が広がっていた。

 翼を広げ、ゆったりと羽ばたきながら空中で停止するアーフィリル。

 そのアーフィリルの頭の向こう側には、緩く弧を描いて広がる見渡す限りの広大な大地があった。

 幾重にも重なった山々。その山の向こうに広がる草原。その上にはポツリポツリと島の様な雲の塊が流れていて、草の原の上に影を落としていた。

 どこまでも続く大地。それを彩る様々な色合いの緑。畑だろうか、森だろうか。様々に様相を変えながら、どこまでもどこまでも緑の大地が広がっていた。

 夏の朝の日差しを浴びて世界が色鮮やかに輝いている。

 さらに目を凝らしてみれば、丸くなった地平線の向こうにキラキラと輝くものが広がっているのが見えた。

 あれは海……。

 メルズポートの街からも見たセレナ内海だろうか。それとも外海だろうか。

 青い空が無限に広がる。

 それと対をなすように、私たちの世界が広がっている。

 あの地平線の向こうには何があるのだろう。

 エーレスタの街は、お城は見えないだろうか。

 私は、吹き付ける高空の冷たい風などお構いなしに、目の前に広がる絶景に目を奪われていた。

 これが世界なのだ。

 普段大地の上を歩き回っている私たち人間からは、想像すら出来ない光景。

 これが、アーフィリルたち竜や、竜騎士のみなさんが見ている光景なんだ……。

「凄いね、アーフィリル……」

 呆然と前方を見つめながら、私は思わずそう呟いていた。

『世界は広い。ここから見えるだけが世界ではない。この広大な世界で、セナ。汝が成そうとする物を我に示してみよ』

 アーフィリルは大きく尻尾を揺らし、後ろを振り返ろうと首を動かした。

『その為ならば、我はセナに力を貸そう』

「……うん」

 私は前を見つめながら大きく頷いた。

 こんな光景を見ていると、何でも出来そうな気がしてくる。

 どこまでも行けそうな気がしてくる。

 でも。

 私はそっと目を瞑り、大きく深呼吸した。

 今の私には、成すべき事がある。

 ……戦わなければならない敵がいる。

 まずはそれを見失わない様に、しっかりと目の前の事を見据えて進まなければ。

 後悔のない様に。

 見届けてくれるアーフィリルに恥ずかしくない様に。

 私は果てしない世界を見つめ、1人むんっと大きく頷いた。

 よし。

「アーフィリル、戦いが起こっている場所はどこ?」

 私はアーフィリルに掴まりながら、キョロキョロと眼下の景色を見回した。

 今私が取らなければいけない行動は、帝国軍の動向を把握し、襲われているかもしれない人たちを助けに行く事なのだ。

 ふと左前方、山々と草原の境に、黒い煙が薄く立ち昇っているのが見えた。

「アーフィリル、あれ……」

 私は眉をひそめた。

『あれだな。では向かうとしよう。セナ、注意せよ』

 そう告げると、アーフィリルは一度大きく翼を動かした。

「う、うんっ!」

 アーフィリルにぎゅっと掴まりながら、私は身を固くして身構えた。

 あの煙の下がどの様な状況になっているかはわからないけど……。

 私に助けられる人がいるなら、頑張るだけなのだ。

 私は、ぎゅっと唇を噛み締める。

『降下する』

「お願い」

 厳かに宣言したアーフィリルに、私はコクリと頷いた。

 そして次の瞬間。

「えっ」

 ぐるりと景色が反転した。

 羽を閉じたアーフィリルは、真っ逆様に降下、いや、落下し始めたのだ。

 落ちる。

 お、落ちるっ!

「わわわっ、アアアアーフィ……!」

 胸の真ん中がひゅっと冷たくなる。

 体に掛かる加速度と全身を襲う風圧に、頭の中が真っ白になってしまう。

 山々が急速に近付く。

 山が、山!

「わっ、あああああ、あうううううっ!」

 口から自動的に悲鳴が零れだす。

 涙が溢れる。

 ううううううっ!

 必死にしがみつく私などお構いなしに、アーフィリルがくるりと回転した。

 さらに近づく山肌。

 ぶつかる!

 そう思った瞬間。

 アーフィリルが、突然ばっと翼を開いた。

 白の巨体がふわりと風に乗り、浮かび上がる。

 その衝撃に、私はアーフィリルに抱き着きながらじっと耐えた。

 水平飛行に戻ったアーフィリルは、そのままぐんぐん加速していく。

 私たちの足元を、山肌が凄い勢いで流れていった。

 急降下から安定飛行に入ると、私はアーフィリルの首にぺたんと倒れ込んだ。

 何度も何度も深く長く息を吐く。

「ううううっ……」

 一瞬の出来事だった筈だけど、何だか今の降下で激しく疲れてしまった。

 乗せてもらっておいて文句は言いたくないが、出来ればもう少し安全に飛んで欲しい……。

『山が切れる』

 そんな私の気持ちなど知ってか知らずか、アーフィリルが淡々とそう告げた。

 アーフィリルは滑らかに左に旋回しながら、山と山の間を飛び抜けて行く。

『見えるぞ、セナ』

「……うん!」

 私は顔を上げる。

 ……ここからだ。

 アーフィリルの首に片手を突きながら上体を起こし、私はキッと前方を見据えた。

 前方に迫る低い山を、アーフィリルはひらりと高度を取って飛び越えた。

 今のが竜山連峰の端。

 ここから先は、なだらかに起伏を繰り返す草原地帯が、ずっとセレナ内海まで続いている筈だ。

 まばらに広がる林が見える。

 大地に刻まれた街道も見えた。

 その先に村が見えた。

 マリアちゃんの村よりも少し大きな規模の村だ。小さな林に寄り添うように並ぶ家々を、空堀と簡単な木柵が囲っていた。

「くっ」

 私は眉をひそめ、唇を噛み締める。

 今。その村から、黒々とした煙が吹き上がっていた。

 村が燃えている……!

 その村から少し離れた場所に、整然と隊列を組んだ部隊が展開していた。

 私はキッとそちらを睨みつける。

 緑の草原に広がる黒の軍装の隊列。そちらか一斉に、白い煙が吹き上がった。

 少し遅れて、私の所にも爆音が響いて来た。

 銃撃の音だ。

 あの部隊が、村に銃撃を加えている。

 村を襲っているのだ!

「アーフィリル、あの部隊のところへ!」

 私は、未だに銃撃を続ける黒の軍隊を指差した。

『承知した』

 アーフィリルが体を倒して旋回し始める。

 私はバランスを取りながら、地上に展開する部隊に目を凝らした。

 黒の軍装に黒と赤の旗印。それに銃を構えた部隊に、あの機械の獣も数体見て取れる。

 間違いない。

 オルギスラ帝国軍だ……!

 山中で遭遇した部隊よりもかなり多い。3倍、300はいるだろうか。

 オルギスラ帝国軍は、銃を構えた歩兵隊を村の正面に展開させていた。

 その両脇に機械の獣たちが並んでいる。さらにその外側には、それぞれ20騎ほどの騎兵部隊が村を包囲する様に広がっていた。

 ……かなりの戦力だ。

 ただ、村々を襲うには過剰な戦力に思える。

 オーズさんが言っていた様に、エーレスタ騎士団に対する陽動任務の部隊なのだろうか。もしくは、これがこの地方に侵入したオルギスラ帝国軍の本隊なのかもしれない。

 帝国兵たちが、上空を飛ぶ私とアーフィリルに気が付いた様だ。

 兵士たちがこちらを見上げ、指差しているのが見えた。

 騎乗した部隊指揮官らしき騎士が、アーフィリルに剣を向けながら何かを叫んでいる。その指揮官の動きに合わせて、歩兵隊が陣形を変え始めた。

 そして帝国軍は、一斉にこちらへと銃口を向けた。

 発砲煙が広がる。

 私たちを狙い撃って来たのだ。

 しかしもちろん、高度を取って高速で飛行するアーフィリルを捉える事など出来ない。

 アーフィリルは、スピードを維持したまま帝国軍の上空を通過した。その影が、帝国軍の隊列の上をなぞっていく。

「次は村の方へ!」

 私は身を乗り出し、襲撃を受けている村の方向を指差した。

 アーフィリルが翼を広げ、私の示した方向へと旋回してくれる。

 一部が黒煙を上げて燃えている村からは、銃撃に対抗するように矢が放たれていた。

 しかしその矢は、帝国軍の規模に対してあまりにも少なかった。

 それでも、抵抗している人がいる……。

 まだ無事な人たちがいるのだ!

 私は大きく息を吸い込み、ぎゅっと手に力を込めた。

 アーフィリルは、今度は村の近くを飛び抜ける。

 その瞬間、家々の間で弓を構えている人影が見えた。

「あれはっ!」

 村を通過する。

 私は身を捻って後方に離れていく村を見た。

 一瞬だったが確かに見えた。

 間違いない。

 あの見慣れた鎧は、エーレスタ騎士団の一般兵士のみなさんだ!

 全隊招集が掛かっているから、この付近に第2大隊や他の隊はいない筈。ならばあれはきっと、オーズさんたちか、もしくはバーデル隊長たちだ。

 みんながオルギスラ帝国軍と戦っている。

 でも、明らかに戦力が違いすぎる。

 ……私も、戦わなくては。

 みんなを援護しなくてはっ!

「アーフィリル!」

 私は、アーフィリルの首に手を当てながら叫んだ。

『あの軍勢はセナの敵か』

 旋回し、再び帝国軍へと頭を向けながら、アーフィリルが尋ねてきた。

「……うん!」

 私は力を込めて頷く。

「……お願い。また力を貸して、アーフィリル!」

 前方に展開するオルギスラ帝国軍をきっと睨み付け、私は声を上げた。

『無論だ』

 頭の中に響くアーフィリルの声。

 重々しく響いたその声は、こんなに沢山の帝国兵を前にしても泰然としたままだった。

 それが、今は頼もしく感じる。

 アーフィリルが急加速する。そして、一気に高度を落とし、帝国軍へと突撃を始めた。



 地を滑る様に低空を駆け抜けるアーフィリル。

 地面が高速で後方に流れ去り、帝国軍の隊列がぐんぐん迫ってくる。

 敵の歩兵部隊が私たちに向けて発砲した。

 私は思わず身を低くするが、アーフィリルは構わず突き進む。

 瞬く間に敵との距離が詰まって行く。

 あっという間に私たちは、急接近する竜に顔を引きつらせる敵兵たちの、その表情が見て取れる距離にまで入り込む。

 敵兵が逃げ出そうと散り始める。帝国軍の隊列が崩れ始めた。

 その目の前。

 敵の陣の中央で、アーフィリルはばっと翼を開き、体を立てて急停止した。

 白の翼が夏の空に広がる。

 私はアーフィリルの首にぎゅっと捕まって急停止の衝撃に耐えた。

 敵兵たちからどよめきが起こる。後退る兵たちも逃げ出そうとした兵たちも、茫然と空中に留まる白の竜を見上げていた。

 アーフィリルは、首をもたげて帝国軍を睨み付けている。

 敵が狼狽えるのも当然だろう。

 目の前に突然竜が現れれば、どんな精強な兵も尻込みしてしまうものだ。

 しかし。

 アーフィリルの首にしがみつきながら、私は眉をひそめた。

 むむむ……。

 アーフィリルの威容があるからといって、これは敵に対して接近し過ぎではないだろうか……。

 ドキリとする。

 不意に、敵の指揮官らしき騎士と目があってしまった。

 うむむ……。

 私はアーフィリルを掴む腕にぎゅっと力を込めた。

 胸のドキドキが激しくなっていた。

 山中で遭遇した帝国軍より遥かに多い数。

 あの村の味方の為にも私が頑張らなければならないという事はわかっていたが、やはり不安を拭い去る事は出来なかった。

 果たして私に、この帝国軍を止められるだろうか……。

「何をしている! 全軍、包囲し殲滅せよ! エーレスタの竜を打ち取れ!」

 敵指揮官が剣を振りかざし、叫んだ。

 その一喝で敵に統制が戻り始めた。

 帝国軍は、得体の知れないアーフィリルの事をエーレスタの竜騎士の乗竜だと判断したのだろう。

『いくぞ、セナ』

 厳かな宣言と共にアーフィリルが白く光る。

「……うんっ!」

 悩んでいてもしょうがない。

 私は、意を決してこくりと頷いた。

 アーフィリルの体が、光の粒になって消えてしまう。

 ふわりと私の体が宙に浮いた。

 アーフィリルの光が、私を優しく包み込む。

 白い光に塗りつぶされる視界の中で、私は体が熱くなるのを感じていた。

 巨大な力の奔流に呑み込まれていく。その力に、体の中が満たされていく。

 不安や恐れが消えて無くなり、頭の中がすっと静かに澄み渡る。

 同時に、体が大きくなった。

 大きく膨らんだ胸がシャツを押し上げ、手足が衣服以上に長くなる。

 そして、光を放つ長い髪が翻った。

 力を感じる。

 胸の中にアーフィリルを感じる。

 ふっ。

 私が短く息を吐くと、白の光が弾ける様に収束した。

 眼前に、広がる草原と居並ぶ帝国軍の姿が戻って来る。

 唖然とこちらを見上げる帝国軍を前に、私はすっと草原に降り立った。

 目の前で何が起こっているかわからず、帝国軍は中途半端に武器を構えたまま呆然と私を見つめていた。

 その誰もが、一様に同じ様なぽかんとした表情を浮かべていた。

「女……」

 誰かがぽつりと呟くのが聞こえた。

 私は帝国軍を見据え、一歩踏み出した。

 白い光が体の周囲を舞う。

 私を包み込んだ光は、やがて白く翻るドレスとなり、鎧へと変化した。

 私はさらにそのまま歩を進める。

 今度は右手に光が集まる。

 次の瞬間には、私は白の長剣を握りしめていた。

 ぶんっと空気を切り裂き、白く輝く刃を振った私は、正面から帝国軍を見据える。

 さて。

 この敵を殲滅し、あの村のエーレスタ騎士団と合流しなければならない。しかしもし可能なら、何か帝国軍の情報を引き出したいところでもあるが。

「さぁ、いくぞ、オルギスラ帝国軍」

 私は目を細め、目の前の黒の部隊に対し、短く戦闘の開始を宣言した。

 剣を両手で握ると、私はさっと駆け出した。

 純白のスカートが翻る。

 光の粒と一緒に髪がふわりと流れた。

「敵だ! 構えっ、撃て!」

 歩兵隊の指揮官が慌てて号令を出すが、足並みの乱れた射撃は、全てアーフィリルが展開した障壁が防いでくれた。

 私はたんっと地面を蹴った。

 ふわりと体が宙を舞い、回転する。

 唖然とこちらを見上げる敵兵と目が合った。

 歩兵部隊の隊列を軽く飛び越えた私は、スカートを広げて敵陣深くに着地した。

 目の前には、羽根飾りの付いた兜と立派な鎧を着込んだ数人の騎士たちが集まっていた。この者たちがこの部隊を指揮しているのだろう。

 私はすっと目を細め、その上級将校たちを見る。

「お、お前っ! 何で……!」

 その騎士たちの後方から裏返った声が響いた。

 ちらりとそちらを一瞥すると、立派な鎧の騎士たちの中にあって、ただ1人だけ泥や土で汚れた鎧を来た男が、顔をひきつらせながら私を見ていた。

 ピンと伸ばした特徴的なその口髭には見覚えがある。

 あれは確か、山中のアーフィリルの遺跡で遭遇した帝国軍を指揮していた男だ。

 昨夜の戦いの最中、途中から姿が見えないと思っていたら、逃げ出していたのか。

 仲間や部下を見捨てて、味方と合流していたという訳だ。

 不快だな、その行動は。

「貴様っ!」

 髭の方へ踏み出そうとした私の前に、黒い鎧の騎士が騎乗したまま割って入って来た。

 馬上にあるその騎士を、私は横目で見た。

「こ、殺せ!」

 ヒステリックな髭の叫びが聞こえて来る。

 馬上の騎士が、その命令を受けて槍を構えた。そしてそのまま私に向けて、鋭い突きを繰り出して来る。

 私はくるりと体を回転させてスカートをひるがえし、その穂先を回避すると、無造作に白の剣を振り上げた。

 側面から槍ごとその騎士を両断する。

 振り上げた剣の軌跡を追う様に、ぱっと血の赤が宙を舞った。

 そこでやっと目の前の状況を理解出来たのか、それまで訝しげな表情を浮かべていたオルギスラの騎士たちは、はっと我に返った様に武器を構えた。

 だが遅い。

 一歩踏み込んだ私は、馬上から剣を振り下ろされた別の騎士の剣を斬り飛ばした。

「女っ!」

 もう1人の騎士は、馬から降りて剣を構えていた。盾を構え、すっと腰を落としている。

「うおおおっ!」

 地の底から湧き上がって来る様な唸り声をあげ、その騎士が突撃して来る。

 振り下ろされる剣を、私は身をよじって回避した。その剣が巻き起こす風圧で、髪がふわりと揺れた。

 そのまま敵騎士の背後に回り込んだ私は、無造作に白の剣を振り下ろす。

 しかしそのタイミングに合わせて、黒の騎士は背後に盾を掲げてきた。

 私の剣は、そんな盾など容易く切り裂く。

 白の剣が、何の抵抗もなく盾を切断する。

 その刃が、盾の半ばまで食い込んだ瞬間。

 敵騎士は、唐突に盾から手を離してしまった。そして両手で握った剣で、猛烈な突きを繰り出して来た。

 なかなかやる。

 私はふっと笑った。

 白の剣を手放す。

 光の粒になって私の剣が消えた。

「なっ」

 騎士が驚きの声を上げた。

 私はふわりと微笑みながら、突き出された騎士の剣を素手で掴んだ。

「馬鹿なっ!」

 さらに敵騎士が叫ぶが、私はそれにお構いなしに、剣ごと騎士をポイッと投げた。

 ありえない様な高さまで舞い上がる敵騎士の体。

 あの高さから落ちれば、只では済まないだろう。

 私は傷一つ付いていない自分の手を見た。

 何故だろう。

 敵を斬っても倒しても、やはりこれといった感慨は浮かんでこなかった。

 昨夜の戦いの跡を見て恐れおののいていた自分が、まるで別人の様だ。

 しかし、まあいい。

 敵兵を斬る度に何かを考えていては煩わしいだけだ。私は私の目的に従い、このオルギスラ帝国軍を殲滅する。それだけなのだ。

 剣を構え、私を取り囲む敵騎士たちを見回す。あの髭はまた姿が見えない。その代り、前方に一際立派な鎧の初老の騎士を見つけた。

 あれが司令官か。

 私は軽く地を蹴ってさらに敵陣へと踏み込んだ。

 護衛の騎士の剣を打ち砕き、その鎧に手を当てて吹き飛ばす。そしてそのまま敵司令官に迫った。

「ぐうっ! 貴様っ、何物だ!」

 剣を構えながら顔をしかめる司令官に、私はすっと手をかざした。

 再び白の剣が、私の手の中に現れる。

「私はエーレスタの騎士だ」

 剣の切っ先をすっと掲げ、私は敵司令官を睨み上げた。

「問おう。オルギスラ帝国軍。お前たちの作戦目的は何だ。エーレスタに侵攻している部隊の規模は? 素直に話せば、この場は撤退を認めよう」

 私の問に、敵の指揮官は歯を食いしばり私を睨み付けて来た。

「包囲されているのが自分だとわからぬか、この竜の化け物めっ!」

 敵司令官が歯を剥いて吠えた。

 私はすっと目を細めた。

「答えないならば、お前たちはここで終わりだ。エーレスタに踏み込んだ罪、村を焼いたその罪、ここで贖え」

 そして私は、タンッと地面を蹴った。

 司令官を守ろうと踏み出して来た騎士を一刀で斬り伏せ、私は飛び上がる。倒れるその騎士の背を蹴り、さらに飛んだ私は、司令官の脇をすり抜け様に剣を振るった。

 敵司令官が私の斬撃を防ごうと刃を立てる。

 しかしその剣を紙の様に斬り裂いた白の剣は、そのまま司令官の首をはねた。

 白のスカートを広げて、私はゆっくりと着地する。

 その私の背後で、どさりと司令官の体が崩れる音が響いた。

「お、おのれっ!」

 他の上級将校と思われる騎士たちが、唸り声を上げた。

 立派な鎧の騎士たちは、しかし私に向かって来る事なく突然馬首を返した。

「射線を開けよ! 退避だっ!」

 上級将校たちは、馬を走らせて私のもとから逃げ出す。

 私はむうっと眉をひそめた。

 その瞬間。

 地響きを上げながら、金属の塊の獣が私に向かって突撃して来る。

 あの機械の牡牛だ。

 その背から打ち出された物体が空高く飛び上がると、空中で弾けた。

 キラキラと広がる魔素を帯びた粒。

 あの山の中で見たものと同じ、エーレスタの騎士のスキルの発動を妨害する帝国軍の切り札だ。

 私にはそれが効かない事を、あの髭の隊長殿は仲間たちに伝えていないのだろうか。

 私は周囲を見回してみたが、やはりあの髭の姿は見あたらなかった。

「撃てっ! 殺せ!」

 スキル妨害の粒子が広がるのを待って、帝国部隊が一斉に発砲して来た。

 しかし銃弾は、もちろんアーフィリルが展開してくれる見えない壁に阻まれ、私には届かない。

「な、何故だっ!」

「そんな馬鹿な!」

「虎の子のフレイズ弾が効かないのか!」

 逃亡した上級将校たちが動揺している。銃を構えた兵たちも、銃弾を受け付けない私をまるで化け物でも見る様な目で見ていた。

 私は前方の歩兵部隊へ、すっと左手をかざした。同時に右手の剣をすっと持ち上げる。

 なおも次の銃撃態勢に入ろうとしている敵部隊の周囲に、白い球が浮かび上がった。

「な、何だ、これは……」

 歩兵部隊の指揮官が、不意に周囲に現れた白球に、ぽつりと呟くのが聞こえた。

 私は白球の制御しながら手にした剣にも力を込める。白の刃の輝きがさらに強くなった。

 そこへ、陣形の左右に展開していた騎兵隊が迫って来た。

 中央の隊の異変を、やっと察知したのだろう。

 騎兵隊は私を中心に大きく広がり、歩兵隊と合わせてこちらを包囲しようとしている様だ。

「行くぞ、踏みつぶせ!」

 騎兵隊の先頭を走る騎士が声を張り上げた。

 土煙を上げて押し寄せて来る騎兵の隊列。

 私はその騎兵部隊を見据え、ふっと息を吐いた。

 めぼしい情報が得られないというのであれば、早急に殲滅するだけだ。司令官を討っても引かない様だし、早くあの村の味方に付いても確認しなければならない。

 私は歩兵隊へかざした左手に力を込めた。

「消えろ」

 私が小さく呟いたその瞬間。

 魔素が凝縮された白の球体が、爆発した。

 閃光が溢れる。

 轟音が周囲の全てを揺るがす。

 帝国兵ごと大地が吹き飛び、爆炎が空高く立ち上った。

 衝撃波が吹き荒れる。

 吹き上げられた土くれが、まるで雨の様に降って来た。

 髪やスカートが爆発の衝撃波に激しく揺れる中、私は迫る騎兵隊に向かって白の剣を振るった。

 横薙ぎに払った刃から、閃光が走る。

 ぶんっと空を切った斬撃に合わせて広がった光は、そのまま吸い込まれるように騎兵部隊に直撃した。

 再び轟音が轟く。

 白光が光の波となって騎兵たちを飲み込んだ。

 土くれと鎧と剣と人が、等しく吹き飛ぶ。

 衝撃波が周囲に広がる。

 巻き上げられた土煙の向こう、その光が直撃した跡には、大きくえぐられた大地しか残っていなかった。

 私はさっと剣を振り、踵を返した。

 次は、あの機械の獣たちだ。

 あれを倒せば、この場の帝国軍たちは掃討完了となる。

 もうもうと黒煙が立ち昇る戦場を、私はゆっくりと歩き出した。



 帝国軍を殲滅し終えた私は、白の剣を消し、そのまま襲撃を受けていた村に向かって歩き出した。

 エーレスタの騎士たちは無事なのだろうか。

 バーデルたち帝国軍追撃に向かった部隊もここにいるならば、今殲滅した部隊以外にも帝国軍が入り込んでいるかどうか、何か情報が得られるかもしれない。

 敵がまだいるならば、私が倒す。

 全力で、だ。

 私はすっと目を細めた。

 黒煙の上がる村を見つめる。

 これ以上帝国軍の好き勝手にさせるものか。

 その前方の村から、数人の人影が現れた。

 鎧を着た兵士たちだ。

 その中の1人は、エーレスタ騎士団第2大隊から借り受けているオーズ兵長だとわかった。

 さすが歴戦のベテラン兵士だ。この状況でも無事だったか。

 私はふっと微笑んだ。

 ドレスの裾を揺らしながら、私はゆっくりとオーズ兵長たちのもとへと歩み寄った。

 しかし村から姿を見せたのはオーズたち兵士ばかりで、バーデルやレーナたち第3大隊の騎士たちの姿がない。

 それにオーズ兵長たちも、武器こそ向けては来ないが、まるで敵を見るような険しい顔で私を見ていた。

 ん。

 ああ、そうか。

 今の大人な姿では、私が誰かはわからないか。

「アーフィリル」

 私は胸の中に呼び掛けた。

『ああ。もう良いのか』

 アーフィリルの低い声が響いた。

 私がこくりと頷くと、体の中からすっと力が抜けて行くのがわかった。

 体を包んでいた白の鎧とドレスが空中に溶ける様にして消えると、ボロボロの制服を来たぺったんこな私の姿が返って来た。

 背後でばさりと音がする。

 振り返ると、私から分離したアーフィリルが大きく翼を広げて浮遊していた。

 私はアーフィリルにこくりと頷き掛け、改めて前方の村のオーズさんたちを見た。

 私の変化と巨大なアーフィリルの姿を目の当たりにしたオーズさんたちは、驚いた様に声を上げ、こちらを指さしながら仲間たちと顔を見合わせていた。

「オーズさんっ!」

 私が声を上げて手を振ると、オーズさんたちも手を上げてくれた。まだ何だか驚いているといった様子だけど。

 でも、無事で良かった、みんな……。

 胸の奥からじんわりと熱いものが込み上げて来る。

 思わず視界が潤んでしまう。

 そのオーズさんたちの後ろから、今度は弓を携えた赤髪の少女が姿を現した。

「マリアちゃん!」

 私は思わず声を上げてしまう。

 よかった! 

 マリアちゃんも無事だったんだ……!

 体の奥からほっと息を吐き、私はにこりと微笑んだ。

 ポロリとこぼれた涙が頬を転がり落ちた。

 よかった、本当に……。

 村が酷いことになって家族も悲しい事になって、その上マリアちゃんにまで何かがあったら、そんなの悲惨すぎるから……。

「おい、やっぱりだ。あれはセナのお嬢じゃねえか」

「いや、しかし隊長……。ありゃ竜ですぜ」

「あの竜に俺たちは救われたのか……」

「おい、セナ!」

 オーズさんたちの声が聞こえる。そしてマリアちゃんが、こちらへと駆けだした。

 私も、思わず走り出した。

「マリアちゃん、みんなっ!」

 しかしその時、ボロボロになっていた私の制服のズボンが不意にずるりと落ちてしまった。

 脚が絡まる。

「わわわっ!」

 私はそのまま、顔からべちんと地面に倒れてしまった。

「ぐきゅ」

 うぐ、うぐぐぐぐ……。

 上着を利用して設えた簡易ベルトが、先程のアーフィリルとの融合で完全に切れてしまっていた様だ。

 口の中に土と草の味がじんわりと広がる。

 みんなの前で転んでしまった……。

 恥ずかしさと共に私がのそりと顔を上げると、そこには目を丸くしてこちらを見下ろすマリアちゃんがいた。

 ああ……。

 本当に、良かった……。

 私は、マリアちゃんを見つめながらにこりと微笑んだ。

『大丈夫か、セナ。怪我をしたなら、我が治そう』

 そんな私の中に、アーフィリルの声が低く轟いた。

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