第2話 黒い箱はホモサピエンスの夢を見るか?
「2020年。10月1日、1923。個体No.0012。覚醒報告――。同時刻。特記観察種の一個体と接触……」
ふよふよ、と宙に浮くブラックボックス。しゃべった。という驚きと、「何だこれは?」といった困惑。そして何よりも、こうして傍にいるだけでもひしひしと覚える謎の圧迫感に、僕はただ目を白黒させるより他はなかった。
「情報スキャン開始。個体名、非常口駆。16歳。XY型。ブラッドタイプB。先天的あるいは後天的異常・異能・因子。特になし……弄りがいがあり」
そんな僕等お構いなしに淡々と話し続けるブラックボックス。続けて僕の身長や体重。果てはスリーサイズから足の大きさまで。放心して動けなくなっている僕の目の前で、僕という情報が次々と暴かれ、公表されていく。
「年上年下よりは、同年代が好み。拗らせがいがあり。鼻の穴の幅――」
「ま、待った! ストップストップ!」
見ないようにしていた自分の好みやら、僕が知り得なかった事まで呈示された辺りで、僕はようやく現状を飲み込み、喋り続けるブラックボックスに待ったをかけた。
僕が突然話しかけたからだろうか。ブラックボックスは、ピクンと、箱らしからぬ痙攣を見せ、僕の方を〝見た〟
……そう。見たのだ。目どころか、表情すらないそれなのに。僕は不思議な事に彼あるいは彼女に見られているという事を感じていた。
「対象の積極的な対話を確認。周波数正常。脈拍、やや早め。発汗あり。不快なかおりなし。腋臭ではない模様」
「……君は何? 人のデータやらいちいち取らなきゃ気が済まないわけ?」
「……会話の成立。バカではない……。いえ、意思疏通も可能な様子。」
「おい」
あんまりといえばあんまりな会話に、僕が顔をひきつらせていると、今度はブラックボックスが縦横斜めと、微妙に振動し始めた。
何やら小さな声で「いいのか?」「ダメだろう」「こういったモデルケースも必要だ」等といった、それぞれさっきとは違う声がして。最後には「多数決を取りまーす」何て事まで聞こえてくる始末。そして……。
「おめでとうございます。ヒジョウグチ・カケル。貴方は我々の実験の被験者の一人に選ばれました」
告げられたのは、そんな意味不明の決定だった。
「……え、何? ヒケンシャ? ジッケン?」
考えが纏まらないし、追い付かなかった。いきなり何を言う。というのもあるし、そもそも実験って何ぞや? とも思ったし。何よりも気になったのは、向こう側の口ぶりからして、何だか僕に拒否権が無さそうにしか見えなかったのである。
「概要はいたって簡単であります。貴方はこれから我々の一人たる、この個体No.0012と一定期間行動を共にして頂きます」
「あ、はい」
「我々は、人の望みや欲望を叶える力を有しています。ご自由に使って頂いて構いません。が、願った数や規模に応じて、後々に対価が発生する事をご理解下さいませ。因みに内容や対価の発生する時間は、完全にランダムです」
「お、おう……」
「貴方が無限に叶えられる夢や欲望の中で、個体No.0012とどのようにして生きていくのか。貴方という個体に与える影響は? それに対する周りの反応は? ありとあらゆる事象を我々は観察します。それが実験内容でございます」
正直、話された内容の半分も理解してはいなかった。
あまりにも突拍子がなかったのもある。が、何よりも気になったのは、その内容でブラックボックス……達? は、一体何を得られるというのだろうか。そんな素朴な疑問だった。
「何か質問は?」
無機質に告げられた言葉に、僕はゴクリと生唾を飲む。
願いを叶えるって、具体的には? 一定期間ってどのくらい? 対価についてもう少し詳しく。色々と浮かんだけど、何よりも……。
「君は……いや、君達は、何?」
僕の部屋に、僕の言葉が重々しく響いた。ブラックボックスは暫くの沈黙を経てから、まるで極上の玩具を見つけた子どものように、無邪気な笑い声をあげた。
「私達を、この星の言葉で表すには、些か無理があるのです。貴方達の理解を越えた存在が、私達なのですから。故に、ヒジョウグチ・カケル。貴方の疑問に、我々は答えかねます」
つまり、僕では理解できないから教えない。そんな所らしい。
腑に落ちない。釈然としないものを抱えながらも、僕は彼ら。もしくは彼女らを見つめる。
ブラックボックス。僕らが知り得ない存在。何の気なしに付けた名前が、思いの外、体を現すものになってしまったようだ。
「質問は以上で宜しいでしょうか? では我々はこれより個体No.0012から離れます。後はご自由に」
「……え? ちょ、ちょっと待っ……!」
質問はまだまだ一杯あった。
そもそも僕は、実験に参加するなんて一言も言っていない。なのに……。
ブラックボックスは聞く耳をもたず。箱だから耳もないかという僕のセルフ突っ込みにすら乗ってくる事もなく。
唐突に沈黙し、まるで糸の切れた人形の如く。部屋の床に落ちていった。
残されたのは、唖然と立ち尽くす僕と。
カラン。という間抜けな音を立てて床に転がった、ブラックボックスだけだった。
※
その日、非常口駆がブラックボックスと呼ぶ黒い箱と異文化交流を成していた頃。彼も預かりも知らぬ所で、事は動いていた。
それらは、黒い箱の形をしていた。
それらは、ありとあらゆる手段または偶然の力を持って、ありとあらゆる存在に接触していた。
それらが金山県白旗市――。太平洋沿いの人口30万人余りの地方都市にのみ集中した理由は、確かめる術もない。
確かなのは、それらが贈り物だという事。
そして……。それが愛に基づくものなのか。希望をもたらすものなのか。悪意あるものなのか。現時点では誰にもわからなかった。
とある少女が想いを寄せる者を脳裏に浮かべ、溜め息をついている時。〝それ〟はクリスマスプレゼントのように、枕元に現れた。
乙女と恋と願い事は、一緒にしてはいけない。その事を、それは考えていなかったし、理解も出来なかった。
とあるオウムは餌を啄んでいる。そうして彼は知らず知らずのうちに、餌に紛れていた極小の〝それ〟を呑み込んだ。
「ワレワレハ――……ボクハ……」
鳥にしては、理知的な目で、それは明日も喋り続ける。
とあるフリーライターは困惑していた。己のトレンチコートの内ポケットから出てきた、身に覚えのない〝それ〟に、ただ首を傾げながら。一応持っとくか。そんな呟きが、夜の街に吸い込まれていく。
とある女ニートがネット上の炎上に腹を抱えて笑う傍で。〝それ〟はというと、積み上げられたお菓子の瓦礫に埋もれかかっていた。後に「変な箱見つけたった」何て題と共に、画像がネットに晒されるなど、知るよしもなく。
とある老人は、縁側でお茶を啜る。月下にて現れた奇妙な客人たる〝それ〟は、ご丁寧に座布団に乗せられて。傍らにはお茶と和菓子が傍には添えられていた。
とある女性は大激怒中。何故なら〝それ〟が、あろうことか彼女のブラジャーから出てきたばかりか、口を聞いたからである。盗撮など、卑怯な男がやることだ。彼女の怒号が部屋にこだました。
とある主婦兼悪魔は、〝それ〟の正体に感づいていた。故に彼女はノータッチ。腰を上げるのは、何かが起きてからでも遅くはないだろう。それが彼女が出した結論で。故に彼女は、それをダイエット器具に吊るすに留めた。
彼ら彼女ら以外にも、多くの出会いが起きていた。同時に、多くの物が生まれて消えて。解き放たれようとしていた。
※
「さぁ、ヒジョウグチ・カケル。君はどうしたいの?」
一番始めに聞いた声で、ブラックボックスは僕に問い掛けた。
無機質な。男とも女ともつかぬそれを聞きいているうちに、ああ、これの正体なんて考えるだけ無駄かもしれない。そんな感情が芽生え始めていた。
理不尽な状況を目の当たりにすると、後先を考えずに行動する。そんな悪癖をいかんなく発揮した僕は、頭に次々と思い描く出来事と、現実をシンクロさせる。
「僕は――」
こうして、賽は投げられた。