俺の脳内辞書に出来の悪い子ほど可愛いという言葉はない
ぐんぐん迫る地面。幼女が弾んだ声を上げる。
「さすがはリュージ。渦から逃げられそうじゃ」
「いや、祈りが足りなかった。地面とオトモダチだぜ」
敵の斥力場より高い位置からの急降下の最中にガス欠なのだ。
くすぶる煙、砕けたアスファルト。地面がやけにはっきりと見え、ひどくゆっくり近付いてくるように感じられる。
こりゃ、パワードスーツ越しの衝撃といえども反重力システムなしじゃ助からねえな。
「く……っ!」
VMAPは一切の操作を受け付けない。こいつはいよいよ……。
俺の命もあと数瞬。意識が遠のいていく。
ニャルルはPMだ。そう簡単にはくたばらねえだろう。なにも俺たち——俺みたいなのに協力しなくても幸せに暮らせる方法くらいあっただろうにな。はなから仕組まれたこととは言え、捕まえて悪かった。達者でな。
朝か?
夢の具体的な内容を思い出せん。なんだか、久々に高いところから落ちる夢だった気がする。
目を薄く開け、すぐに固く閉じる。
眩しい、真っ白だ。
ゆっくり開け、白さに目を慣らしていく。手をかざし、探るように見る。白い天井、パイプベッド。それに、間仕切り替わりのカーテン。
「なんだ、病院か」
ああ、思い出した。そうか、夢じゃなかったのか。
あの高さから落ちて、助かったとはな。いや、助けてもらった……のか。
再び目を閉じ、記憶を辿る。
そうだ。薄れていく意識の中、無意識に伸ばした腕を左右から掴まれた。そうして俺を支えたのはマキとハジメの機体。部下に助けられ、安心して気を失ったんだ、俺は。
寝息が聞こえる。
上体を起こそうとして、あきらめた。腹の上に何かが乗っている。
首だけを起こしてそちらを見ると、幼女の黒髪が視界に入った。
「お前もよくやったぜ、今回は」
手が届く位置に髪がある。伸ばしかけ、引っ込めた。
「むにゃ、リュージ? おお、起きたか。今回は三時間くらい寝てたぞ」
三時間、か。今までこいつのこと、さんざん役立たずだと罵ってきたが、生身であれだけのGを受けても平気なんだからな。そりゃ、PMだからと言ってしまえばそれまでなんだが。そろそろ認めてやるべきか。頼りになる仲間だと。
「いやー、いきあたりばったりの思いつきが、こうもうまくいくとは。ハルカにも褒められたし、我ながら鼻高々じゃ」
「おい、今なんつった」
起き抜けだから幻聴を聞いたのに違いない。うん、きっとそうだ。
「ん? 我にもジャミング以外の異能があるとわかれば、リュージも認めてくれると思ったのじゃ」
ちょっとまて。
こめかみあたりの血管が、意思とは無関係にぴくりと動いた。
「それで?」
「我の純粋なPPだけでは力不足なのはわかっておった。そこで、リュージの機体に積まれている反重力エネルギーを利用した攻撃支援を思いついたわけじゃ」
「…………」
こめかみの痙攣が止まらなくなったぞ、このやろう。
なおも得意げに口を開こうとするクソガキを遮り、低い声で告げる。
「なるほどな。それで奴の攻撃に隙間ができたり、あんな奇妙な渦ができたりしたわけか」
「ご名答じゃ! それでな——」
「ふざけんなクソガキ!」
目をパチクリさせてやがる。
「こ、これが世に言う青天の霹靂というやつじゃな」
「黙れ。……お陰で反重力システムが誤作動したんだぞ。危うくPMと心中するところだったぜ」
あ、俯きやがった。くそ、卑怯だぞそれは……。
しかし、顔を上げたクソガキは、あろうことか満面に笑みを湛えていた。
「次はもっとうまくやる。実はな、リュージ。我のアイデアをもとに、能腆鬼どもがこじ開ける次元ホールとやらを塞ぐことができるそうなのじゃ」
「————っ、なにっ!?」
その一言に、言おうとしていた言葉が全部吹っ飛んだ。
「予めPPと反重力エネルギーを封入した弾丸を用意し、VMAP専用のグレネードランチャーで攻撃するのじゃ。PPレーダーが予測する総攻撃ポイントで待ち構え、連中が次元ホールを抜ける前に塞ぐ。これで、パイロットの数さえ揃えば勝機を掴むことも可能じゃ」
どうじゃ、役に立ったであろう——とまでは言わなかったものの、言葉より雄弁に胸を張って見せる。
「うるせえ、怪我の功名みたいなもんじゃねえか。思いつきでも構わんから、せめて作戦前に概要を言っとけ」
命がいくつあっても足りやしねえ。
いや、わかってる。俺は首を一つ振り、深呼吸して気を落ち着かせた。
リスク承知でこいつの作戦に乗ったのは、他ならぬ俺自身なのだ。
「だが、お手柄には違いねえよな。よくやった、ニャルル」
「えへへへー」
考えてみれば、前日まであんなに反重力酔いの激しかったこいつがあれだけ頑張ったんだ。認めないわけにはいかねえだろう。
「VMAPの燃料を失敬することで反重力酔いに耐えられたのじゃ。偶然とはいえ、良い方法を見つけたもの——あだだだ!」
石頭め。俺はひりひりする右拳に息を吹きかけながら言い放つ。
「この役立たず! あのガス欠はお前のせいだったのかっ」
「リュージはすぐこれじゃ。もう少し可愛がってくれても罰は当たらんぞ」
「生憎だな。俺の脳内辞書に出来の悪い子ほど可愛いという言葉はない」
だがまあ、パフェを奢ってやるのはやぶさかでないぞ。口の端を歪め、一応は笑顔に見える表情を作ってやった。
ふと、視線を横に動かした。カーテン越しに人の気配がする。
「チーフ、起きていらっしゃいますか」
「マキか。ハジメもいるのか。助かったぜ。ありがとうな、二人とも」
カーテンが開けられ、部下たちが顔を見せた。そろって青ざめている。なんだか、ただごとではない。
「何かあったようだな。どうした」
「第一班チーフが——アキラさんが」
唇をわななかせるものの、なかなか続きを言わないマキ。横からハジメが口を出した。
「深刻な大怪我で、集中治療室に担ぎ込まれました」