戦果の代償
二十年前——いや、もしかしたら俺が生まれる前から変わり映えしない、味気ない合成音声が耳に届く。
「検査完了。オールグリーンです。お疲れ様でした」
当たり前だ。あのあと俺は気絶してしまったものの、三分で回復した。小破したとはいえ、バイクモードでの走行には問題のなかったVMAPを運転し、自力で帰ってきたんだぞ。
検査着姿で病院の廊下を歩く。更衣室へと続く通路まであと数歩というところで、見たくもない野郎が正面から歩いてきた。そいつは頬の縫合痕を指でなぞり、口の端を歪めてニヤニヤと笑っていやがる。
「ようリュージ。大口叩いてた割に情けねえなあ。初陣で怪我とは傑作だぜ。腕前を磨く必要があるのはてめえの方じゃねーか」
俺は足を止め、努めて無表情に相手——アキラを眺める。
「ええ、おい。口の減らないてめえがだんまりかよ。返す言葉もごさいません、てか? お笑いだぜ」
ひとしきり笑うと、ほとんど天井を見上げるような格好で視線だけこちらへと突き刺し、言葉を続けた。
「てめえ言ったよなぁ、VMAP班を支えてるのはハンター班だと。なら、始末書にはハンター班への謝罪も忘れずにたっぷり書いとけよ」
俺は溜息を吐くと、ほとんど表情を変えることなく告げてやる。
「言いたいことはそれだけか、アキラ」
俺の言葉を受けて顔の向きを正常に戻すと、凄んできた。
「ああっ!?」
こいつは一体いつの時代のヤンキーなんだ。同じ時代に生きる二十代前半とは思えねえぜ。
「何を勘違いしてるか知らんが、VMAPの損害は小破の範囲内だ」
まあ、荷電粒子砲の射出ユニットはロストしちまったがな。
「敵が使った未知の力場への対処法も報告した。何より、敵は撃破したんだ。始末書の必要はねえんだよ」
「…………」
黙り込むアキラを見て溜息が漏れた。こいつ、マジで俺を冷やかすためだけに病院に来やがったのか。
「てめえが病院に何しに来たかは知らねえが、特に用がないんなら着替えさせてもらうぜ。あいにく暇じゃないんでな」
奴は歯を剥いて険しい表情を見せたが、舌打ちするとあっさり背を向けた。
歩き去る男の背中を見送る趣味はない。更衣室に向かおうとしたが、呼び止められた。ちっ、用があるのかないのかどっちなんだ。こいつ、こんなハッキリしない野郎だったか?
「外見に惑わされるんじゃねえぞ、リュージ。PMには替えがある」
「はあ? なーにわかりきったこと言ってやがんだてめえは」
……と言うより、なんで背中向けたままなんだ、こいつは。それで格好つけているつもりかっての。
「いいやわかってねえ。いいか、リュージ。一度しか言わねえぞ」
低い声に真摯な響きを乗せ、そう告げてからこちらへと振り向いた。
「多くのデータから割り出された、能腆鬼による総攻撃の日は近い。てめえのようなお気楽野郎でも人類にとっちゃ貴重な戦力だ。だから、その日までは」
そう言って目を閉じる。そんなに言いにくいなら言わずに立ち去ればいいものを。融通が利かねえというか、不器用な奴だな、相変わらず。
「必ず生きて帰ってこい。今回みたく、PMごときを庇おうとするんじゃねえ。わかったか!」
こちらの返事を聞くことなく、アキラは歩き出した。今度は立ち止まることなく、大股で。
さすがに呆気にとられて見送っていると、低い位置からポリポリという音とともに香ばしい匂いが漂ってきた。視界の端で黒髪が揺れる。
「いがみ合ってるのか友情で結ばれておるのか、人間というのはまことに分かりづらいのう」
見下ろすと、声の主と目が合った。大きな瞳でこちらを見上げつつ、くわえたスナック菓子を噛み砕きながら喋り続ける。
「BL漫画に描かれた男たちはこうも分かりやすいというのに——あだっ」
その脳天に拳骨を落としてやった。
「病院の廊下で菓子を食うな、クソガキ」
「すまぬ、人間の常識に疎くて——あだだっ」
もう一発。
「もうしないっ。だいたい、口で言えばわかるというに。かよわい幼女に手を上げるなど最低の大人じゃな」
「何が幼女だクソガキ」
BLは妄想だけで満足しとけ。
「そもそもあの野郎と。はっ。友情? その単語だけでも虫唾が走るぜ。今度似たようなこと抜かしたら端末もろとも漫画データ撃ち抜いてやるから覚えとけ」
拳を振り上げて威嚇すると、首をすくめて一歩下がった。くそ、卑怯なやつ。まるで本物の幼女みたいじゃねえか。
「おっかないのう。短気じゃな、リュージは。しかし、いつになったら名前で呼んでもらえるのかのう。せめてクソガキ呼ばわりをやめるだけでも……」
何ぶつくさ言ってやがる。付き合っていられないぜ。
更衣室へ向かう俺に、あろうことかついてきやがる。
「これから着替えんだ。そこで待ってろ」
「待ってていいのか?」
なんだよ、その花が咲いたような笑顔は。
「くそ、卑怯なやつだ」
小首を傾げるニャルルから目を逸らし、足早に更衣室へ入った。
CNST本部に戻った俺たちは、まっすぐ隊長室へ向かった。入室するなり、ニャルルはハルカ隊長によるハグの洗礼を受けた。
ジト目で眺める俺に気付くと、幼女は目を細め、吊り上げた口許に手を当てる。
「嫉妬か、リュージ。遠慮せんと、お主もハグしてくれて構わんのだぞ」
がたんと音を立てて床を蹴り、隊長は俺から距離をとる。
「あ、あたっ、あたしは別に……。間に合っているっ」
「……隊長。なに素敵な勘違いしちゃってんすか」
「なんと。貴様やはりロリコンだったか!」
人間とは思えない素早さで移動すると、俺と幼女の間に割って入る。勘弁してくれ。
「嫉妬と言えば。……クソガキ。お前言ったよな。能腆鬼を見て『嫉妬』と」
舌打ちの音が響く。隊長だ。
「ノリの悪い部下だ」
隊長と俺の顔を見比べてから幼女は口を開いた。
「能腆鬼は次元の壁を超えられるほどの生命体。じゃが、こちらで暴れ回る姿からは、巨大な野生動物の印象しかない」
「それはつまり、高度な知性を持つ異次元人が生物兵器を送り込んできてるってことか」
幼女は腕組みし、目を閉じた。
「仮にそうだとして、その生物兵器の容姿がほぼ例外なくこちらの生物の劣化コピーを複数組み合わせたような造形なのは何故じゃろうな」
「見た目を醜怪にして、圧倒的な力量差で蹂躙し、こちらの戦意を殺ぐためじゃねえのか」
目を開け、こちらを見据えた幼女は、静かに首を振った。
「嫉妬じゃ。奴らは嫉妬に狂っておる。我には読心能力はないが、それでも感じる。あれらは生物兵器などではなく、もと知性体だった異次元人なのだと。何らかの理由で自分たちの世界に住めなくなった連中が、精神まで病んだ状態でこちらの世界に侵略をかけておるのだ」
断言口調で言われても根拠がないので、幼女の言葉をCNSTの公式見解にすることはできない。だが、それなりに説得力はあった。
「隊長。能腆鬼の総攻撃が近いんですよね。真面目に対策を練りましょう」
隊長は腰に手を当て仁王立ちすると、心持ち顎を上げて傲然と見下ろしてきた。
「心外だな。私はいつでも真面目だ。現に、能腆鬼対策は着々と進んでいる。主に貴様の報告と、科学班の研究によって」
隊長の執務机を横目で見る。書類の束が押し退けられ、卓上の中心をお茶の用意が陣取っている。
「で、隊長は何を」
「いやー、優秀な部下を持って幸せだなー」
棒読み口調で口笛かよ。全く、力が抜けるぜ。
「ふむ。余計な力が抜けたようだな」
何を言ってるんだ、この人は。眉根に皺を寄せると、彼女は表情を引き締めてようやく隊長の顔になった。
「リュージ。総攻撃が近いのは確実だが、今日や明日というわけではない。非番の日はしっかり休むのも隊員としての務めだ」
「それはそうですが、今日は病院で明日も丸一日休みでは身体がなまってしまいます」
隊長は顎に手を当て、考える仕草をして見せた。
「ふむ。これも機密事項だが、貴様には教えておこう。実は科学班による次元歪曲検知システムの目処がつき、次回以降は能腆鬼出現ポイントをかなりの精度で特定できる見込みだ」
「本当ですか。……でも、なぜそれを俺に」
「ふふん」
低い位置から得意げに鼻を鳴らす奴がいる。
「なんだクソガキ。退屈なら隊長の漫画でも読んでいろ」
「まあそう邪険にするな、リュージ。貴様が近接戦闘で敵を斃すまでの間に、次元歪曲反応を視覚化するアイデアを思いついたのはニャルルなのだぞ」
隊長の言葉を受け、幼女はない胸を逸らして満面の笑みをたたえる。
「次元の歪みを感知できるのは我だけではない。これには我らPMが持つPPが関係していると考えたのじゃ。人間にはPPをカートリッジ化し、さらにはそのエネルギーを数値化する技術がある。ならばそのPPを広域に撒布し、その変化を観測すればよい」
ご高説を垂れる幼女の両肩に手を置くと、隊長が付け加えた。
「彼女の案をもとに試作した次元歪曲検知システムで、かなりのことが判明した。能腆鬼の連中の襲来周期、本隊と思しき大群の接近時期。次は二体同時、三日後だ」
なんだと。ということはこいつ、自分の身を守ることをせず、仮説に過ぎないアイデアを試すのにPPを無駄遣いしてたってのか。
「それで気持ち悪くなりました、ってか。……ったく、お前って奴は」
俺の言葉に対し、照れたように髪を掻くニャルル。その様子に、不覚にもやや頬が緩む。
「あれは、その。ご飯の食べ過ぎで単純に酔っただけで……」
「このクソガキ。見直して損したぜ」
「まあそう言うな」
隊長が割って入り、穏やかに告げる。
「貴様らの初陣は想像を上回る福音をもたらした。件の検知システム、仮にPPレーダーと呼ぶが、そちらで消費するPPの確保が当面の課題でな」
「まさか」
嫌な予感しかしない。
「貴様が申請していたPM交替要請は却下だ」
「ずっとコンビだの、リュージ」
俺のVMAP戦は、反重力酔いするPMというお荷物つきですか。何の罰ゲームなんだよ、全く。