名前で呼んで
風と化して公道を駆け抜ける。今、俺はフルカウルの大型バイクに乗っている。左右を同型のバイクが併走しているが、路上に他の車輌は見当たらない。走っているのは俺を含めて三台のみ。すでに制限速度を大幅に超えていた。
交機に捕まることはない。何故なら三台とも緊急サイレンを鳴らしているからだ。能腆鬼出現。その通報を受け、現場へ急行中なのである。しかし。
「何が悲しゅうて幼女とタンデムせにゃならんのだ」
俺の声はメットに装備された通信装置を介し、背後——タンデム上のチャイルドシート——にベルトで固定された幼女へと伝わった。
「幼女ではない。まだ我が名を覚えられぬか。失礼な奴じゃな、リュージは」
「敵がVMAPじゃない限り、お前の異能は役立たずじゃねえか。PPだけ提供して本部で漫画でも読んで待ってろよ」
チャイルドシートには子供が掴むためのハンドル状の手すりが装備されており、俺の背に直接しがみついているわけではない。だが、身動ぎする気配はしっかりと伝わった。
「な、何故それを! 我が愛読書、『男の娘は彼氏の中指が——」
「言わんでいいっ」
隊長が読んでるBL漫画じゃねえか。正式な配属から数日のうちに俺たち人間の漫画を読むようになったのは知っていたが、まさかそれを読んでいたとは。幼女の外見で腐女子だなんて勘弁してくれよ。
「リュージも聞いておったではないか、隊長の命令を。我とVMAPを馴染ませる慣熟運転の側面もあるのだ、今回の出撃は。だから、せめて作戦中くらい名前で呼べ」
しつこい幼女だぜ。お前の名前、作戦中に呼んだら気が抜けるっての。
「名前で呼んで欲しけりゃPKぐらい使って見せろよ」
幼女の息遣い。こいつ、鼻で笑いやがったな。
「他力本願か、情けない。アキラだったか、リュージのライバル。我のようなPMに頼らずともVMAP操縦の腕前が優れているところ、奴に見せつけてやろうとは思わぬか」
「幼女の分際で偉そうに。出来の悪いPMの言い訳にしか聞こえねえぞ。……だが」
アキラ。てめえには大きな口を叩かせねえ。
「よーし、見てろよ」
フルスロットル。大型バイクはさらに速度を上げた。
「マキ、ハジメ! 初陣だ、行くぜ」
『了解』
いつものように冷静で、気負いのない部下たちの応答が重なった。満足して口許を緩めていると、マキの声が耳に届いた。
『私のタンデムに乗ってほしかったです。……ニャルル』
しっかりしてくれ、マキ。こいつの中身は承知してるはずだろう。
『仕方がないよ、マキ。チャイルドシートを取り付けられるマシン、チーフのだけなんだから』
俺たち三人の役割は、前衛と後衛に分かれる。前衛である俺のマシンは軽量化が図られており、タンデムに追加装備を乗せていないのだ。後衛の二人はビームバルカン砲を追加で装備し、機動性を犠牲にして火力支援に特化している。能腆鬼一体を速やかに狩るには、機動性よりも火力重視というのが本部の決定であり、俺も了承した。
「マキだけじゃな。我を名前で呼んでくれるのは」
けっ、何を寂しそうに言ってやがる。お前の名を呼んでテンションが上がるのは、俺のチームの中ではマキだけだぜ。
「無駄口はそこまでだ。まもなく現場だぞ」
目撃情報によると、今回の能腆鬼は右半身がコウモリ、左半身がハリネズミに似た外見の異形だそうだ。民間人の被害者はいないが、避難誘導に当たっていた警官が一人殺られている。
「俺たちが食い止める」
その直後、前方に見えるビルの陰から能腆鬼の頭部が覗いた。
異形の獣が咆哮を轟かせる。幾重にも重なって聞こえる不気味な遠吠えが長く尾を引いた。
「あやつの周囲、空間が歪んでおるようだぞ」
なるほど。この幼女、ジャミング能力を持つだけに『見る』能力にも長けているのか。……だが、まだ認めたわけじゃねえぞ。
「火気管制システム、オン。CN(対能腆鬼)モード!」
『ラジャー』
一時的に反重力システムが起動し、車体が浮かび上がる。
車体がいくつかのパーツに分かれ、俺の全身を覆うパワードスーツとして再構成されていく。両脚で地面に降り立ったとき、ハジメとマキの二人は肩にビームバルカンを装着した戦士の姿となっていた。そして俺は——。
間抜けにも、チャイルドシートごと幼女を肩車しているのだ。
おいおい、来たるべき能腆鬼との決戦までにはもっとましな格好で挑みたいもんだぜ。たとえば、二人乗りの巨大ロボットとかさ。現代の科学力なら作れんだろ、頼むぜ技術班。
「さて、行くぜ」
反重力システムの運用制限は十分間。タイマーをセットした。
「一分で片付けてやるさ」
俺は反重力システムを起動した。
一気に五十メートルほど上昇すると、能腆鬼が異形の頭部をこちらに向けた。コウモリの口に似た器官が頭頂部にあり、ハリネズミの目に似た器官が喉の付け根にある。こちらの生物を劣化コピーしたような、冗談じみた造形だ。
上昇の途中で直角に左へ。
化け物が口から吐いた光線が通過していく。その軌跡を目で追い、してやったりと口の端を歪めつつも冷や汗が垂れる。
あのまま上昇していたら、奴の光線に貫かれていたところだ。
再び直角に進路変更。化け物めがけて突進だ。
「ぐぇ」
幼女の声。
「どうした、攻撃を食らったのかっ」
「よ……酔う」
「知るかっ!」
隙を作ってしまった。
化け物に視線を合わそうとして——。
「————っ」
金属の塊が飛んでくる。奴は乗用車を掴んで投げつけてきたのだ。
舌打ちする間もあらばこそ。
咄嗟の判断で、車めがけて蹴りを放った。
上下左右を光線の矢が通過する中、腕部に装備された荷電粒子砲を撃つ。
強烈な光条が車を蒸発させる。
よし、そのまま化け物を貫きやがれ!
ところが。
「なんだとおっ!」
俺の攻撃は、奴に届く直前で放射状に拡散してしまった。
化け物の周囲に光弾の雨が降り注ぐ。
マキとハジメによる、ビームバルカンでの射撃である。
それらも奴の身体に届く寸前で、不自然にベクトルをねじ曲げられて周辺の道路やビルを焼く。
奴はビームバルカンを意に介さず、喉元の目でこちらを注視していやがる。
戦闘前に幼女が言っていたな、空間が歪んでいる、と。
斥力場——。
あの化け物、軍から奪ったVMAPを研究した上でそれなりの対策をしてきたとでも言うのか。
とっくに二分が経過し、まもなく三分になろうとしている。
反重力システムを利用した、慣性を無視した急停止と急加速を繰り返しながらも奴の隙を探る。
幼女はすっかり静かになってしまった。この際、気絶でもしててくれたほうが気が楽だ。
「むっ」
奴がビームを放つ。
荷電粒子砲は無闇に連射できない。手数が少ない分、避け続けるしかないこちらはどうしても不利だ。
本部からは反応弾使用の許可をもらっている。いざとなったら接近し、反応弾をばらまいてやる。
はたして、気絶しているらしき幼女は、自分の身を守れるだろうか。
「ちっ。出来の悪いPMの心配なんてしてる余裕はねえっ」
化け物の目が光った。
——左だっ。
俺の判断は間違っていなかった、はずだ。
ぎりぎり避けられたのだから。
そう、幼女さえいなければ。
このままでは、奴のビームが幼女に命中する。
そう思った瞬間、あろうことか。
荷電粒子砲を装備した右腕で、幼女を庇ってしまっていた。
VMAPの装甲は俺の腕と幼女を護った。
だが、半ば溶け崩れて地上へと落ちていく、荷電粒子砲の発射ユニット。
「むにゃむにゃ。名前で呼べ、リュージ」
は?
「斥力場は、反重力フィールドである程度中和できるぞ。むにゃ」
「先に言っとけ、この役立たずっ!」
俺は反応弾を握りしめながら叫んだ。