狸との対峙
リナは即日退院を希望したが、病院側の強い勧めにより一泊することになった。どういうわけか、ニャルルも彼女の病室に泊まることを希望し、二人で同じベッドを使っている。
面会時間ぎりぎりまで病室に入り浸る女性隊員たちに気を遣ったわけではないが、俺は早々に見舞いを終えた。その直後ハルカ隊長に呼び出され、今こうして黒塗りのセダンの後部座席に並んで座っている。
「そちらから出向くのでなく、こちらを呼びつけるとはな。その傲慢さに不快感を感じていないわけではない。が、運転手つきの車でのご招待とあらば、それなりの誠意ありと判断させていただいた」
「恐縮です」
棘を隠さぬ隊長の物言いに対し、運転手は平坦な声で返事をした。彼は一般的なサラリーマン風のスーツを着用しているが、俺たちに明かした身分を信じるならば軍の制服組、しかも超エリートである。
イシガミ・シゲトシの所属する組織が『国防省』と改称される以前の平和な時代から、軍事力に対するシビリアンコントロールは有名無実化していた。お飾りでしかない民間出身である国防相の周囲を固めるのは、彼のような制服組もしくはOBばかりなのだ。大臣が知り得る情報自体が限られているため、公式に発表される軍の情報も限られたものでしかない。その限られた情報を開示することで、大臣としては説明責任を果たしたことになるというわけだ。
「ふん。組織の改称前から変わらない体質だ」
「安易な情報開示は要らぬ敵を増やす結果を招きます。それも、同胞であるはずの地球人の敵を。元軍人であるハルカ隊長と軍人のご子息であるリュージチーフには改めて申し上げることでもありますまい」
「わかっているさ。嫌というほどな」
同胞か。軍という組織自体に、そんな幻想を抱いたことなどないんだがな。
隊長と運転手の遣り取りには無関心を装い、窓の外を見た。車が向かっているのは統合参謀本部の置かれた都心の基地ではない。とはいえ、それは予想通りだ。車は郊外の空軍基地へと近付くと、地下駐車場へと吸い込まれていった。
入室を許された部屋は応接室である。対面に置かれた四人がけのソファが二組あるものの、それ以外にはこれといった調度品は置かれていない。
部屋の中で待っていたスーツ姿の紳士は、向かい側のソファに腰掛けたまま俺たちに着席を促した。
「呼びつけてすまなかったね。本来なら都心の料亭でおもてなしすべきところ、こんな殺風景な部屋で」
低く落ち着いた声と柔らかい物腰で俺たちを出迎えた男こそ、イシガミ・シゲトシその人である。上背のあるがっしりとした身体を適度に絞り、見る者に精悍な印象を与えている。確か五十を幾つか超えていたはずだが、実年齢より十は若く見える。テレビやネットで見る柔和な笑顔が目の前にあった。しかし、今夜のイシガミは油断のない猛禽の眼光を滾らせている。
「お構いなく。リュージたちVMAP班は、この先総攻撃まで気の抜けない日々が続きます。暴飲暴食は控えさせております」
「結構。……しかし、それでは我々軍人以上に規律に厳しいようにも見えるな。最前線で命を賭ける若者なのだ、多少の特例くらい黙認してやりたいとは思わんかね?」
下らぬ腹の探り合いなどに応じる気はない。俺は隊長に目配せをし、話に割り込んだ。
「じゃ、特例とやらに甘えて普段通りにさせてもらうぜ。このままじゃ、アキラたちサイボーグ戦士は対能腆鬼戦において使い物にならない。サイボーグ開発のプロジェクトリーダーであるあなたにとっては由々しき事態だ。そうだよな?」
イシガミは眦を上げた。が、一度視線を下げ、苦笑を漏らすと首を縦に振って見せた。
「そうだ。PPサイボーグは次期国防戦略の中核を担うに足るプロジェクト。しかし、課題も多い。何度となく行き詰まりかけた研究を先に進めるには——」
「実戦に投入してデータを取る必要がある」
「うむ。幸いにして我が軍には勇敢な兵士が揃っている。たとえ己の寿命を削ろうと、我が国を守る気概に溢れた者ばかりだ」
よく言うぜ、タヌキめ。
表情筋を動かさないために忍耐力を総動員しなければならなかった。
「…………」
俺は決めたのだ、アキラたちと共に戦うと。今はまだ、このタヌキに拳を振り上げる時ではない。
「……どうやら、気持ちは同じのようですね。先ほどまでの非礼はお詫びします」
「ほう、それは嬉しいね」
横目で俺の様子を確認してから、隊長が口を挟んだ。
「そちらのご用件については察しがついておりますが、念のために伺いましょう」
「うむ。体裁を取り繕っても仕方がないな。我々はサイボーグが敵に眠らされることなく戦える方法を求めている。VMAP運用について一日の長があるCNSTならば、妙案があるのではないかと思ってね」
その言葉に、俺と隊長は顔を見合わせた。頷き合い、今度は俺が発言する。
「ありますよ。ですが——」
そこで言葉を切り、意味ありげにイシガミを見る。睨みつけないように努力しながら。
「ギブアンドテイクというわけだな。よかろう、何でも言ってくれたまえ」
「先に総攻撃への対処について少しだけ。当日の戦場において、小回りの利かない戦闘機は使い物になりません。戦闘員は全てVMAPと、そのバックアップに充てるべきだと考えます」
黙って頷く。あまり納得していないようだが、その可能性は奴自身も検討していたというところか。
「では、一つ目。先日の能腆鬼戦で拝見した空中浮遊機雷についての情報開示を要求します」
「承知した」
「ありがとうございます。二つ目。当日の作戦指揮権について」
イシガミの目つきが鋭さを増す。すぐに目を閉じ、腕組みをした。眉間に皺を寄せ、考え込むそぶりを見せる。
「我々CNSTにお任せいただきたい」
駄目を押すように、隊長がきっぱりと言い切った。
「ふむ。ところでその前に、サイボーグが眠らずに済む方法について聞きたい。それは確実なものなのかね」
「こちらをご覧いただきましょうか」
言いながら、タブレット端末の映像を示す。
俺が提示したのは、声真似野郎から託された塩。あるいは猛毒の罠かも知れない。だが、これに頼るしかないのだ。人類を守るだの、国を守るだの言われても範囲が広すぎて、俺には正直わからない。
それでも守りたいものはある。リナと共に、ただこの街を守りたいのだ。
「ほう。人体パーツ内の反重力エネルギーを取り出し、キューブ状の体外ユニットにすると言うのか」
「黒VMAPどもには反重力エネルギーに干渉する技術があるようです。その影響はごくわずかでしかないものの、それによってアキラたちが眠らされたと見て間違いない。この数時間で、技術班が分析した結果です」
コマ落ち機動に耐えられるというPPサイボーグの特性を活かせるのは、VMAPに搭乗している時に限られる。しかし、それが弱点になるというのなら、コマ落ち機動という優位性を潔く捨てる決断が必要だ。
「しかも、ユニット化することで、敵に対する有効な武器となります。これは直近の戦闘で証明済みです」
「よかろう。ただちに参謀総長に具申する。許可は問題なく下りるはずだ。我が軍の空戦部隊は全てVMAP隊とそのバックアップに振り分け、今作戦は貴官らの傘下に組み入れる。空中浮遊機雷の情報開示も約束しよう。他に要求はあるかね」
「いえ。感謝します」
「よろしく頼むよ、ハルカ隊長、リュージチーフ」
CNST本部に戻った俺に、幼女が纏わり付いてきた。
隊長の刺すような視線をかわしながら話しかける。
「お前、病室に泊まるんじゃなかったのかよ」
「あら、ニャルルちゃん。じゃ、あたしと一緒に寝ま——」
「マキはどうした。お前、あいつと同室だろうが」
「だから、今夜はあたしと——」
しつこいな、隊長は。
しかし、どうしたんだこのクソガキは。珍しいことに、さっきからずっと黙っていやがる。
「ん?」
クソガキの両肩を掴んだ。
「ちょちょちょちょっと! なにしてんのロリコンリュージ!」
「隊長は黙ってろ! ニャルル、お前。なんか、縮んでないか」
「さすがはリュージだの。なんだかんだ言っても、我をよく観察してくれておる。ちょっとだけ若返ってみたぞよー」
よく気付いたなどと能天気に笑ってやがるが、疲れきったその様子はなんだ。我知らず、肩を掴む両手に力がこもる。
「いたた、リュージは激しいのう。しかし、ようやくその気になったのかの」
「だめーっ」
隊長による体当たりで真横に吹っ飛ばされつつも、俺の胸は空に広がる暗雲のような不安に塗り込められていった。




