休日を濡らす小雨
親父。あんたは何と——誰と戦ってたんだよ。
合わせていた手を下ろして立ち上がり、自分の行為の無意味さに嘆息する。応える者のない問いかけを、この場所に来るたびに繰り返すとは。
今にも止みそうな小雨が、列をなす石柱を濡らす。俺が立てた線香の火は、用意したバケツの水を使うまでもなく消えていた。
いつもならこのまま背を向けるところだ。だが今日はなんとなく立ち尽くしている。
あんた、この国を守るのが仕事と言ってたよな。だったらなんで海外の平和維持活動に志願したんだよ。
いや、それはいい。
あんたはなんで民間人に銃を向けたんだよ。民間人に撃たれてくたばっちまいやがって。殉職の事実しか聞かされてないが、俺だってそのくらい調べられるんだぜ。わざと誤報にたどり着くような情報操作をされてはいるが、現地の反政府ゲリラに射殺されたというのが真相と見て間違いないだろう。
この国を守ると言っていたあんたが、よその国のごたごたに首を突っ込みやがって。かねてからその国を気にかけてたんならまだ理解できる。だからって納得はできねえがな。
もう一度嘆息して立ち上がる。軍からろくな説明が得られなかった以上、親父が何考えてたのか知る方法はないのだ。
「じゃあな。次の命日にはここに来られるかどうかわからん」
軍の合同葬で弔われる親父の身内は俺一人。その俺も仕事柄、墓地管理会社に永代供養を依頼した。俺がくたばったら、命日にここを訪れる者などいなくなるだろう。
「悪いが、あんたと同じ場所に入るつもりはないんでね」
背を向けようとした途端、影がさした。誰かに傘をさしかけられたのだ。
「リュージ。いま貴様に風邪をひかれたら、CNSTは立ち行かなくなる。もう少し自覚を持て」
振り向くと、明るいブラウンのベリーショートが目に飛び込む。生真面目な表情をした女性と目が合った。
「ハルカ隊長。なぜここに」
俺は行動監視でもされているのか。ささくれ立った神経があらぬ疑念を生む。
隊長は表情を緩め、懐かしむように親父の眠る墓石を見つめた。
「私はかつて、陸軍七五八部隊にいた」
隊長の顔をまじまじと見てしまう。その数字、たしかに親父が所属していた部隊だ。
「お父上は、私の直属の上官だったのだ」
知らなかった。隊長が結成間もないCNSTにおいて『極東の女豹』の二つ名を冠するに足る戦闘力を発揮したのは、軍出身者だったからなのか。
「特に秘密にしていたつもりはないのだがな」
そう言うと、隊長は駐車場を顎で示した。
「リュージは車か?」
「いえ、自走車です」
「よい心がけだ。事故ったら洒落にならんからな」
現代の自走車はドライバーなしの全自動制御、事故率は皆無に近い。報告される事故例も、他の手動車輌に追突されたとか、自走車を手動モードに切り替えて乗客自身が運転中に自損事故を起こしたというものが大半だ。
隊長に促されるまま歩いて行くと、墓地の駐車場には高級乗用車が停まっていた。
「乗りたまえ。帰りは送っていこう。それとも、どこか寄りたい場所でもあるかね?」
まっすぐ帰りたい旨を伝えて車に近付くと、助手席のドアが開いて小さい影が飛び出してきた。
「ハルカおかえり! リュージ、びしょ濡れじゃな」
そう言うとこちらに両手を向けて目を閉じた。
「何してんだお前」
癖のない黒髪がふわりと広がり、手から光を放つ。同時に、俺の服から音を立てて水分が蒸発していく。
「あらすごいのねー、ニャルルちゃん」
おいおい、いくら非番とはいえ特別隊員に任命してからもちゃんづけかよ、隊長。
「あれ。今日の非番、俺だけのはずじゃ」
「隊長権限よ、うふっ」
知ってたよ、あんたの適当さ。
「こほん。まあ堅いことを言うな。次の能腆鬼来襲は明後日。一班の二人はまだ出撃できんが、マキからよい報告を聞いた」
「ええ、ナオヤとサツキ、致命ペナルティを安定してクリアできるようになりましたよ。それと、リナが人材をスカウトした件ですが」
「すまんな。その二人は不採用だ」
俺は食い下がらなかった。面接においてその二人、現職と大差ない給料なのに命を賭ける気にはならないと、向こうから断ってきたというのだ。
「リナが項垂れていた。貴様に謝っておいてくれと。自分で伝えるようにと言っておいたがな。そこで——」
「あちあち、あついぞクソガキ! ストップ、ストップ!」
こいつうぜぇ。なにが「てへ」だ。自分で頭を小突いて舌出してんじゃねえよ。
まてよ、もしかして。
「隊長、ロードサービス呼んだ方がいいかもしれませんぜ」
「何を言ってる?」
訝りつつ、隊長は車の周囲を一周して目視点検した。最後に運転席に座ると、低く唸った。
「ガス欠だ。私としたことが」
俺は無言でクソガキを睨み付けた。
「てへっ」
拳を握ったところで隊長が声をかけてきた。
「今ロードサービスを呼んだ。乗りたまえ。車内で待つとしよう」
言われた通りにすると、ニャルルもついてきた。
「なんで前に乗らねえんだよ」
「そうよぉ、ニャルルちゃーん」
やめろ隊長、あんたの猫撫で声はなんというか、迫力がある。
「ところでリュージ」
唐突だな隊長。
「さっきの続きだが、リナが連れてくる人材なら採用するのはやぶさかでない。だが、総攻撃まで五週間を切った。面接にこれ以上時間を割くわけにもいかん。そこで」
「軍からの人材を受け入れるわけですね」
隊長にしては珍しく、即答せずに目を閉じる。わずかな間を置き、静かな声で告げる。
「そうだ。貴様には不本意なことだと思うが、上層部からの正式決定として通達があった」
俺は努めて平静な声で答えた。
「わがままは言いませんよ」
ただ、どうしても確かめたいことがある。俺は続けて訊いた。
「親父が殉職したとき、あなたはすでに隊長でした。お門違いかもしれませんが、親父が何と戦ってたのかご存知ないでしょうか」
親父の海外派兵志願は唐突だった。少なくとも、俺はそう感じたのだ。だからこそ、軍への不信感を拭い去ることができずにいる。
隊長は目を閉じたままだ。もしかして、何か知っているのだろうか。俺は答えを催促せず、辛抱強く待つ。
規則正しい息遣い。
クソガキめ、車の燃料を消費しておいて、さっさと昼寝かよ。
睨む目を隣に向ける。
「…………」
大きな瞳とばっちり目が合う。小首を傾げやがった。あざといんだよ、クソガキ。
待てよ。この息遣い、クソガキじゃないのか。よく聞くと前から聞こえてくる。
「寝てんのかよ隊長……」
「ん。何か用か」
「もういいです。ロードサービス来たら起こしますから」
再び寝てしまう隊長を眺めつつ、本日何度目かの嘆息を漏らす。帰りの運転は代わるしかねえな、こりゃ。




