暗雲
株式会社HOMURAは、従業員数四十人足らずの零細と言っても良い企業である。
社員がすべて女性なのも、謀ったわけでは無いとアキトは思いたかった。
「工場はどうするんですか?」
総務担当の沙月は戦う気がまんまんだ!
「なに、生産は順調だ。一人や二人抜けても問題無い」
それを受けて立つ早苗の鼻息は荒い。
築四十年を誇る自社ビルの三階。会議室は熱気に包まれていた。
それと言うのもアキトの海外出張に、工場からも同行させろと早苗がねじ込んで来たからだ。
「えーと……」アキトが口を挟もうとするが、すかさず二人から「「アキトくんは黙って!」」と声が飛ぶ。
「はいっ! すみません」
これでは黙るしかない。
普段であれば真っ先に参戦しそうな夏希はといえば……余裕だ。社内でフランス語が出来るのは夏希だけなために、同行が決まっていたからである。
アキトとしては誰でも構わないというか、このさい社員全部連れて慰安旅行でも良いぐらいに思っていた。
経営者としてはダメダメなのだが……。
(早く決まって下さい! 出来れば自分に被害が出ないように)
アキトは祈るだけである。
何処まで続くか? 不毛なキャットファイトは置いておき、話を進めることにする。
※
江田島習作は悩んでいた。
習作は新潟で小さな造船所を営んでいる。沿岸で漁をする漁船は、近年韓国などの安価なメーカーに押されて売り上げが減少する。
進む一方の円高は競争力を無くし従業員の高齢化と共に、一時は廃業も考えるほど追い込まれていた。
民政党が政権を取って以来、日本という国は蝕まれていたのだ。
だが先日アキトの会社と提携した事によって、業務は好調で近年にない忙しさに変わる。
触媒を使った動力を使う事で、初期投資はかさむが燃料費は必要無い。三ヶ月(最大発電出来る期間)ごとの交換を強いられるが長い間ドックに入れられる事も無く、港に係留したままでの作業で時間も短かった。
現在は核の生産数が需要を大幅に下回っていたために、新規の注文を受け付けていない。
けれども作れば売れる状態ならではの問題が持ち上がっていた。
「これは……一度相談してみるか」
一人で悩んでいても溜息しか出ない。習作は情けないと思いながらアキトに会いに行くことにしたのだ。
※
「えーと……。貸しはがし?」
夏希は今日も、二時間かけて整えた黒髪を指先でいじりながら聞き直した。
会議室ではまだまだバトルが繰り広げられていたが、習作の訪問をこれ幸いと場所を移した所である。
「ああ、そう言う事だ。……すまねえ」
習作は肩を落としているが無理もないだろう。
先日から銀行に設備投資のための融資を頼んでいた。沿岸部だけでは無く近海の操業にも耐えられるより大型の船の建造には、設備の増大が必要だったからである。
「担当は絶対に大丈夫だと言うんで、こっちもあてにしてたんだが」
すでに工事の手配も設備の発注も済んでいた。
「どうして良いか……」
力ない声は、日に焼けた逞しい体をも小さく見せている。
無理も無い。断られると共に以前の返済まで求められたのだから。
「見たところ問題無いわね。私が審査しても融資はオーケーするわ」
美枝は手に持った返済計画を見て首をひねっていた。
決算期三期で見れば赤字と見えるが、事業計画書と受注明細を照らし合わせれば最近の業績が上向いている事がよく分かる。
過去の資金繰りに苦しんで短期の融資残高が膨らんでいても、返済計画では破綻は無い。
設備投資の見積もりも、過剰なものですら無いのだからこれで融資しないのは理解出来ないレベルと言える。
ましてや貸しはがしなど、まるで潰れろと言わんばかりの行為だった。
「東洋銀行か……」
アキトは大江商事のメインバンクである銀行を思い浮かべながら、相手の目的を考えて見る。
「やっぱり……そうだよな」
これは自分を潰すために誰かが動いているのだと……。
※
「頭取、良いのですか? 融資先としてはかなり将来性がありそうな物件なのに?」
ここは東洋銀行の本店。最上階は広くスペースが取られているが使っているのは一人。
その頭取を前にして意見を言える人物は限られている。
審査部門を統括する彼もその中の一人だ。
「将来性か……。砂上の楼閣だな、彼らは敵が多すぎる」
長年金融業界を生き抜いて来た男の言葉は、嘆いているように聞こえた。実際にそうなのだろう。
「悲しい現実だが、彼らの未来は無い。本来なら我々が力を貸して、守って行かなければならないのだろうが……その為にリスクを冒す事は許されはしない」
そう言って会話を打ち切るように手元の書類を手に取った。
「そうですか……失礼します」
この状態の頭取には、何を話しかけても無駄だと一礼して業務に戻って行く。
「ふー……上手くいかんな」溜息と共に呟く彼は、まだ将来のトップ候補の一人でしか無かった。
「何時から日本は、こんな国になっちまったんだろう?」
※
長く世界を支配していた男達が、酒杯を片手に卓を囲んでいた。
「さて、どうしたものかね?」
「もったいぶらずにハッキリ言ったらどうだ」
「そうだな、他所ではともかくこの場じゃ取り繕う事も無いだろう」
「せっかちは嫌われるぞ。大体お前等は品が無い」
酔いが回って遠慮が無くなった男達は、普段では信じられない口調で話し始める。
いつもの事で、この気楽さを捨て切れ無いから集まっていると言うのに気づいて、やれやれと呆れる。
「我々のパイを切り取ろうとしている小僧の事だ」
「それは重要だな」
「美味い物は自分らで喰うべきだ」
思うところは同じと思いながらメンバーを見渡す。
「では諸君! 世界の安定と繁栄を守るために話し合いを始めよう!」
今日の結果でまた一つ人類の財産が奪われてしまうだろう。
わずかに残った良心と言う名の罪悪感を、無理矢理手元の酒で流し込む。
「ホムラ・アキトと言う異分子の扱いを」
石油王と呼ばれた男は常に神に祈る。それは自分たちに都合の良い神かもしれない。
だが過去も現在も裏切られず結果を残す神だ。
「神に感謝して未来を作ろう」
都合の良い未来を……。