商品化
「本当にこれで出来るの?」
沙月の疑問は当然だろう。以前に目にした工場の機械に比べて、あまりにもチープな箱と言っても良い。
「もちろん、十分だよ」
アキトの軽い返事を聞いても、まだ不審そうな顔をする。
わずか二メートル程の長方形の箱にしか見えない。
披露しているのは、会社の命綱と言っても良い触媒の製造機である。
「なんと言うか……あはは」
夏希もあきれ顔だ。
「これ一台で日産五百は出来るよ」
出て来た五センチ程の核は塩水に漬けると発電する。繋げることで発電量を増大する事も可能な上、二酸化炭素なども出さない。
効果は試験の結果から最大に発電するのは、三ヶ月でそこから徐々に下がって行き六ヶ月で二十%に落ちる。
そうなる様に作ったのはアキトだった。
核の中には触媒と名付けた物が入っていた。ありふれた合金を使っているが、これは秘密がある。
まず形は魔方陣を幾何学的に模してあった。
形自体が呪文の様な物で魔力はあらかじめ入れてある。
発動のキーは設定された物で、この場合は塩水であった。浸かると発電を行い取り出すと止まる。もちろん変更も自由に出来た。
魔術回路で効果を限定するなど仕掛けは様々だったが、ありふれた魔法具の一種と言える。
※
生産を始めてから三ヶ月。
広告も打たずに始めた事業にしては順調である。
アキトは国内で主に漁船を作っていた会社の提携から始めた。
沿岸で漁にいそしむ小型の漁船を選んだのだ。
これが大当たりしたから笑いが止まらない。
「にいちゃん! 凄いぜ!」
漁師の親父がわざわざ会社まで魚を持って訪ねて来た。
「正直言うと、もう年だし漁を諦めようかと思ってた」
涙まじりでしわくちゃの顔は、真っ黒に焼けていた。
アキトの手を握り締めて感謝を表していたのだ。
「これ! 喰ってくれ」
アキトは財産を得た。燃料費の高騰で苦しむ漁師を救った事で信用を得たのだ。
もっとも当の本人は、ただ美味しい魚を食べたい一心だったのだが……。
※
「アキトくん、自動車会社から注文が入ってる」
自動車大手のトミタからの注文である。提携ではなく、いきなりの発注とは恐れ入った。
断られる事など無いとばかりに、値段まで記入された発注書だった。もちろんトミタ自動車の書式である。
「ふーん……」
アキトは眺めると丸めて捨てた。
「ちょっ! ちょー! 捨てるの? トミタだよ!」
沙月が驚くのは無理もない。
経団連の会長も務めた人物のいる会社である。
日本の一流と言っても良い企業だ。
「あー……沙月ちゃん、あそこは駄目なの」
若干あきれ顔で夏希が説明する。
「前にね、経団連のパーティーで色々とあったから」
そう、大江商事をアキトが継いだまもなくの時期であった。
経団連主催の会場で挨拶に行ったアキトに対して、当時の会長であったトミタの社長が言ったセリフ。
※
「ん? 誰だねこんな子供を連れて来たのは? 大江商事? ああ、あの成り上がりの会社か」
確かにバブル期で業務を拡大したのは事実である。
しかし……大人の対応とは思えなかった。
名のある企業のトップとしても失格であろう。
「まあ……せいぜい頑張りなさい。もっとも会社としては諦めたのかもしれんが」
当時はこれくらいの認識であった。米国で評判の科学者であっても、今ではつぶれかけの企業を継いだ若造。
触媒理論も話題ではあるが商品化の先行きは不透明で、アキトの日本での評価は低かった。
※
「て、事があったわけ」
苦笑いの夏希である。
「ひっどーい! 最低ね!」
この件は結局黙殺する事にした。天下のトミタ自動車からの注文を、返事も無しで無視したのだ。
「もともと日本では、これ以上売る気はありませんから」とのアキトの一言で、最初の売り込み先に選んだのは英国に決定する。
市場を考えると米国が一番見込めるのだが、アキトには考えがあったからである。
「何とかしてくれそうな人もいますから」
企業の経営で考えるといろいろ間違っていそうだが、これがアキトであった。
※
「それで相手の反応はどうなっている?」
ここは霞ヶ関の経済産業省の会議室である。
「芳しくありません」
そうそうたる局長課長級が集まって議題にしているのは、アキトが開発した触媒の扱いである。
経済大国日本の、唯一と言っても良い弱点は資源の少なさである。それが一気に世界最大の資源国に変わるチャンスなのである。
官僚たちは、これを民間に預けるべきでは無いと考えていた。
「これほどの技術は国が管理するべきだ」
次官が神経質そうな顔で発言すると、他の出席者も一応にうなずく。
「何か規制を掛けるべきでしょうな」
課長の声でさらにうなずく。
会議は盛り上がっていった。しかし……。
当事者であるアキトの事など、誰も眼中に無いのだろうか?