そして動き出した
「これがその触媒を作る生産施設なのかね?」
新工場の奧に設置された機械群を前にして、興奮を隠しきれない男達がいた。
聞いて来たのは、韓国系企業のトップといわれる人物である。
「ははは、もちろんこれが我が社自慢の設備ですよ」
クーデターによって社長に納まった仙道良三が、機嫌良くそれに答える。
「見せて貰うのは可能かね」
「もちろん遠慮なさらず。我々の良好な関係に隠し事は必要ありませんから」
今回のクーデターの黒幕は韓国系企業だった。役員の買収資金や女を使った接待など、いわばお家芸と呼ばれる手段を駆使したのもこのためである。
世界を支配出来るかも知れない新技術を手に入れるために、国をあげて工作したのだ。
「では、ご覧下さい。新世紀の希望を! がははは!」
良三の声と共に低く唸りだす。次々と表れてくる触媒と呼ばれる物は、核に包まれて流れて来た。
わずかに五センチ四方のこれが、塩水と反応すると電気を生み出す金の卵となるのだ。
アキトを追放したことで、製品の三%ほど使用量を払わなければならないが微々たる物だ。
出来れば買い取りをしたかったのだが応じては貰えなかった。
五年は独占出来る上に、二年ごとの自動更新を盛り込んであったために問題は無い。
良三たちが、まだ手にしてはいない利益を頭の中で想像していると工場長が現れた。
「しゃ、社長!」
何時になく興奮した様子の工場長を、嬉しさからだろうと勝手に判断して、良三は労いの言葉を掛けることにした。
「おお! ご苦労だな。順調じゃないか、良くできている」
出来るだけ尊大に威厳を見せるように、小さな小太りの身体をそらす。
「そっ、それが……」
言いにくそうな工場長の顔色が悪い。
「ん? 何かトラブルか? 見ている限りでは順調そうだが」
先日アキトと一緒に試験生産したときと比べても変わったところは見当たらなかった。
出てくる核も同じである。
「ははは、反応が……ありません!」
工場長の言っている意味が良く分からなかった良三は、水を差された気分で不機嫌になったが隣の見学者の前だと思い直した。
「良く意味がわからないんだが説明しろ」
要領の得ない工場長にいらつきながら説明を求める。
「はっ、はいっ! 触媒が反応しません!」
もう駄目だと開き直ったのか、大声で叫んだ。
「なっ! どういう事だ説明しろ」
「すっ、すみません! 分からないんです。手順も材料も問題無く、機械のトラブルもありません! で、でも……」
すでに涙目である。
「これ以上は私では分かりません! あとは開発したアキト様に聞くしかありません!」
「そ……そんな事が出来るわけがあるかー!!」
目の前が暗くなった。ここまで順調に来たのだ。すでに役員からアキトを追い出して会社の実権を手にもしたのだ。
追い出した張本人から聞くなど、どの面を下げて頼めば良いのだ。
「……どういう事だ……なぜ! こうなった」
バラ色の未来が閉ざされた瞬間であった。
※
「それで今後どうされるのですか?」
手持ちぶさたな美枝が暇そうに聞いて来た。一応パソコンは置いてあるが、やる仕事は何も無いのだから暇である。
「うーん……そうだな」
腕を組んで考え込むアキトは、自然に眉間にしわを寄せて唸っていた。
それをめざとく見つけた美枝は口元をだらしなく開いていたのだが、幸いアキトは気がつかない。
だがさりげなく着ている服は、スカートのスリットを広めに開けてある。中には何時見せても良いように毎日勝負下着だった。
彼女もアキトを守る会の会員なのだから。
「まず会社を設立しよう。銀行と証券会社の方は、大江商事に関係のないところを選んで」
美枝がすばやくメモする。夏希は証券会社を検索していた。
「先月廃止された工場ってどうなっているかな?」
アキトが沙月に聞いたのは、先月赤字のために売却が決まった工場だった。
「ん、工場? えーと……残務の整理でまだ誰か残っていたと思うけど」
総務課にいた沙月は記憶を確かめながら答える。
創業から続くちっぽけな工場だった。
「買収は可能かな?」
「金額にもよりますけど可能です。名義自体はすでに変わっていますから」
会社のお金に絡むことで、美枝に勝てる人材はいない。出入りの不動産屋だが、押しつけた様な物件で買い手は中々いないだろう。
「そうか、じゃ買収して。出来れば僕の名前はまだ出さないで」
あっさりと決めると、後は任せたとばかりにアキトは再びパソコンに向かう。
「わかりました」
突然の指示にも動揺することなく、美枝は与えられた仕事をこなしていく。
アキトの指示に動き出す三人の美女たち。
※
明石早苗は突然の呼び出しに怒っていた。
「まったく会社も勝手だよ!」
それも無理は無い。勤続三十年のベテラン工員であった彼女は、中学を卒業以来、結婚もせずに仕事に打ち込んできたのだ。それが先月工場の廃止と共にリストラされたのだから。
彼女も四十六とはいえ、子供を産んでいない身体は崩れてはおらず。ストレスをエステで発散させているための副産物ではあったが、見た目は三十代で十分通る美女だった。
「あら? アカネさんたちも来てたの」
閉鎖されたはずの工場の食堂に集められた集団は、一緒に解雇された仲間達だった。
ざっと見て三十人ほどいた。
「お久しぶり! 早苗姉さん」
あちこちから挨拶の声が掛かる。
「いったいどういう集まりなんだい?」
どうやら集まっているのは女性だけの様だ。
普段偉そうにしていた、課長などの男性陣の姿も見えなかった。
「さあ、私たちも知らないの」
アカネが答えたときにざわざわとした。
「えーと聞いて貰えますか」
いきなり一人の少年が立ち上がり声を掛けだしたのだ。
「誰なの、あの子は?」
早苗が回りに聞くが誰も知らないようだ。
この工場は子会社の一つで、末端の社員がアキトの顔を知らないのは無理もない事である。
「ちょっと可愛いわね」
早苗は線の細い少年を見つめて溜息をついた。工場に働きに来る男たちと違って、どこか繊細で神経質そうなアキトは好みのタイプである。
「うん、可愛い弟って感じ。ふふふっ、姉さんの好きそうな子ですね」
それを知っているアカネが笑う。
もっとも息子と言っても不思議では無い年齢の、アキトを見ての評価としては決しておかしくは無いだろう。
少年は、食堂に集まったみんなの顔を確認するように眺めると一つ息を入れる。
「僕は先日まで大江商事の社長をしていた、焔アキトと言います」
騒がしくなったのは突然で無理もない。誰もが生活があるから仕事をしていたのだ。それを勝手な会社の理屈で失った。
その当事者の社長の登場だ。たちまち不満の声が響き渡る。
口々に非難の声が飛び交う中、アキトは収まるのを待って話し始めた。
「すみません、みなさんに負担を押しつけたのは申し訳無いと思っています」
アキトは真摯に話しかける心を込めて。罵声を浴びても丁寧に、現在の自分の状況を根気よく話しかけた。
「勝手ですが、それでもみなさんの力が必要なんです」
何時しか静まりかえった中で、アキトの声だけが聞こえていた。
怒りに燃えていた人も、真剣な表情でアキトの話を聞いている。
引き込まれていた。アキトの話す一言一言に反応し、涙ぐむ人までいる。
会場は妙な熱気に包まれながら静まりかえった。
「……良いわ、協力してあげる」
早苗の声が聞こえたときにそれは熱となった。
感極まって泣き出す人がいる。大声で隣に話しかける女性の姿が見えた。伝わったのだろう。アキトの熱意は共感に変わった。
もっともこの場に男性がいればどうなっていたかは分からない。
「ありがとう」
上目遣いで礼の言葉を伝えるアキトを見て早苗は誓った。
(この子は私がいないと駄目なのよ!)
だがそれはこの場にいた全員が思った事でもあったが……。
その日からアキトたちは動き出した。
株式会社HOMURAの誕生でもあった。