第57話:第14層の熱風、賢明なる開拓者
第13層の主を討ち、三月はその先の階段を下りた。
第14層。そこは先ほどまでの氷雪の世界とは隔絶された、不毛な焦土だった。
硫黄の混じった熱風が吹き荒れ、どんよりとした赤紫色の雲が空を覆っている。ここは身体を凍らせる階層ではなく、精神と魔力を同時に焼き尽くさんとする灼熱の地獄だ。
三月は『精密魔力循環』を微調整し、防壁を張る。
氷結の魔力で自身の体温を一定に保つ「冷却炉」としての運用は、この環境下でも有効だ。だが、彼女は決して無茶はしない。魔力回路が過熱の兆候を見せれば、すぐに歩を止め、呼吸を整え、己の限界を冷静に見極める。
(焦ることはない。私は強くなるために迷宮にいるけれど、バケモノになるためにいるわけじゃないわ)
荒野の地面がゴゴゴと音を立てて隆起し、灼熱を纏った『マグマ・ストライダー』が群れをなして現れた。
奴らは三月を見るや否や、一斉に突撃してくる。
三月は『魔鉄の塊剣』を構えた。
冷却された筋肉は淀みなく動き、敵の攻撃を最小限の予備動作で回避する。
氷結の刃が溶岩の体を切り裂き、その熱を奪い取っていく。
戦いは短時間で終わった。魔獣たちが霧散し、そこに魂の粒子が漂う。
三月はそれをじっと見つめた。
強大な熱意と、大地を砕く荒々しい飢餓感が伝わってくる。今の彼女なら、この魂を取り込み、『爆熱の魔力回路』を「微」から「中」へと引き上げることもできるかもしれない。
(……でも、今はやめておこう)
三月は掌をかざす直前で、ふっと手を下ろした。
今の自身の魔力制御は、第13層の主を喰らった直後で、精神がまだ完全な平穏を取り戻していない。この状態でさらに未知の熱の魂を強引に流し込めば、自我が溶け出すリスクがある。
彼女は迷宮の深淵を焦ることなく、その場に腰を下ろして瞑想を始めた。
魂を喰らうのは、己の制御能力がそれを完全に受け止められると確信できた時だけでいい。彼女にとっての探索とは、強欲にすべてを飲み込むことではなく、己という人間の器を、どこまで大きく、そして精緻に保てるかという挑戦なのだ。
(お母さんがパートを辞めて、今はゆっくりと家で過ごしている……。その時間を壊すようなことは、絶対にしたくない)
脳裏に浮かぶのは、キッチンで料理をする母の穏やかな姿。
その温かな記憶こそが、彼女を人間として繋ぎ止める最高の防波堤だ。
一時間ほど経ち、魔力回路の鼓動が安定したことを確認してから、三月は立ち上がった。
彼女は丁寧に、慎重に、しかし力強く荒野を歩き出す。
強くなること。
それは彼女にとって、家族との食卓を守り抜くための義務だ。
だからこそ、彼女は誰よりも賢明でなければならない。
三月は塊剣を背負い直すと、第14層の奥、赤く染まった彼方を見据えた。
この先に待つ試練も、一つずつ丁寧に攻略していけばいい。彼女は、人間であることを捨てずに、どこまでも深く、この迷宮の底へと進んでいく。
その足取りは、誰の助けも必要としないほどに、力強く、そして確かな理性を宿していた。
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