第七話
夜中の安房の国。
静まり返った館山城の敷地内を、何者かが松明を手に歩いていた。
その足取りは軽く、まるで散歩でもしているかのよう。 やがて松明の火が、倉庫の壁に近づき――
ボッ……!
火の粉が舞い、乾いた木材が一気に燃え上がった。
◆士郎の朝は早い
明け方。
館山城内に大きな火の手が上がった。
その頃、士郎はいつものように朝四時に起き、眠い目をこすりながら布団と格闘していた。
「やい、布団! 今日もそれがしの勝ちだな」
布団を適当に畳み、顔を洗いに向かう途中――
「……なんか焦げ臭いな」
臭いの元へ向かうと、倉庫が炎に包まれていた。
「あっ! ああああ! 倉庫が燃えてる! 大変だ‼」
士郎は一気に目が覚め、稽古場へ走った。
「経丸さん‼ 片倉さん‼ 倉庫が燃えてます‼」
経丸は真剣な表情で立ち上がる。
「えっ! 都賀家の者が攻め込んできましたか‼」
片倉が冷静に指示を出す。
「若、私は何人かを連れて消火に当たります。若は戦の支度を」
「はい!」
経丸は城へ戻り、士郎は片倉と共に消火活動へ向かった。
◆鎮火後――怪しい手袋
消火が終わった頃、甲冑姿の経丸が駆けつけた。
「経丸さん、もう火は鎮火しました」
「ありがとうございます。皆さん、お怪我はありませんか?」
「大丈夫です」
「皆さんの迅速な対応のおかげで、被害が最小限で済みました。 本当にありがとうございました」
士郎は怒りを爆発させた。
「都賀の残党、クソみたいな嫌がらせして来るな‼」
片倉がなだめる。
「まぁまぁ士郎君。まだ都賀の残党がやったって決めつけるのは早いよ」
経丸が地面に落ちていた手袋を拾い上げた。
「あっ、この手袋……名前が書いてあります」
士郎は興奮する。
「名前⁉ 犯人の落とし物かもしれない‼」
片倉が冷静に読み上げる。
「……河野って書いてあります」
「河野‼ そいつが犯人だ‼」
片倉は呆れた。
「バカな犯人だなぁ……」
経丸がさらに言う。
「あっ、この手袋……村の名前も書いてありますよ」
士郎と片倉は同時にコケた。
◆謎の男、現る
その時、一人の男が横を通り過ぎた。
「あっ、たくさんのカブトムシがいる。 やっぱり昨日の夜、蜜を塗って良かった」
士郎は眉をひそめた。
「経丸さん、あれ誰ですか? それがし見たことないんだけど」
「私も見たことないです」
「もしかして……あいつが河野かもしれないですよ」
経丸も頷く。
「確かに、犯人は現場に戻るって言いますからね」
片倉は呆れた。
「これで本当に犯人だったらバカすぎるな」
◆士郎と片倉、河野に接触
「経丸さんは危ないからここにいてください」
「えっ?」
「それがしと片倉さんで、あいつを捕まえてきます」
士郎は震えながらも、片倉と共に男へ向かった。
「気持ちー‼ 気持ちー‼」
士郎の叫びに男が振り返る。
「急にどうしたんですか⁉ 大声出さないでください! カブトムシが逃げちゃうじゃないですか‼」
士郎は低姿勢で謝った。
「あっ、すみません。すみません」
男は優しい声で言った。
「いいですよ」
「ところで、あなた河野さんですか?」
「そうですよ。何で名前知ってるんですか?」
士郎は手袋を見せた。
「これが落ちてたから」
「あっー‼ それ僕の手袋‼」
河野の大声に士郎は腰を抜かした。
「今の大声で、カブトムシ全部飛んでいきましたけど」
「あ! あああああああああああ‼」
河野は叫んだが、すぐにケロッとした。
「まぁいいか。また明日捕まえに来ればいいか」
片倉が呟く。
「立ち直りが早い」
◆河野、まさかの自白
士郎は恐る恐る尋ねた。
「ところで河野さん……なんでここでカブトムシを?」
「ここ、いっぱいカブトムシ取れるんです」
(こんな純粋な子が放火なんて……いや、まさか……)
河野は続けた。
「皆さん、この辺り蜂がいるので気をつけてください。僕、木に仕掛けをしに来た時、蜂に会っちゃって…… 驚いて松明投げて逃げちゃったんですよ」
士郎と片倉は叫んだ。
「松明を投げた‼」
「松明を投げたのが……なんかあったんですか?」
(こいつ……今までに体験したことのない恐さがあるぞ)
「本当に松明を投げたんですか?」
「はい。投げました」
「あなたが投げた松明が……多分、倉庫を燃やしました」
河野はアホ面で言った。
「あちゃ〜」
士郎の怒りが爆発した。
「あちゃ〜じゃねぇよ‼ お前わざとやったんか⁉」
「わざとじゃないですよ! 凄い燃えたんですね」
「凄い燃えたんですね、じゃねぇよ‼ とりあえず謝罪しろ‼」
「仕方ないでしょ! いきなり蜂が現れたんですよ! 驚いて松明投げちゃうじゃないですか‼」
逆ギレされ、士郎はビビって片倉の後ろに隠れた。
◆河野の天然攻撃
「松明を投げるのは仕方なかったんですよ‼」
「何が仕方ないだ‼」
「蜂は人を刺す。だから恐い。恐いから松明投げて逃げる。 これ仕方ない」
「ちょっと待て! 何言ってんだかわからないんだが?」
片倉がなだめる。
「まぁまぁ士郎君。河野君はわざとじゃないって言ってるんだから」
「いやいや‼ わざとじゃなくても倉庫燃やしてるんですよ! 普通謝るでしょ‼」
「あっ、ごめんなさい」
「軽い謝罪が‼」
◆弁償問題
「ところで納屋には何が入ってたんですか?」
「あんたが燃やしたんだから、もうなんも入ってないわ‼」
「そうなんですね」
(何か……こいつ恐いよ)
「もう虫取ったら出てけよ。 二度とこの城に入って来るな」
「えっー‼ それは困ります。 ここは立派なカブトムシが取れるから」
「本来はね、天羽家の家臣以外は無断で入っちゃいけない場所なの‼」
「えっ! じゃあ僕、今まで無断で入ってたんですか?」
「まぁ、そういう事になるね」
「無断で入るのは悪い事ですね。 すみませんでした」
(放火よりそっちの方がすぐ謝るんかい‼)
「今後はカブトムシ諦めます」
「そうしろ」
河野は頭を下げた。
「皆さん、ご迷惑おかけしました。僕はこれで失礼します」
「待て‼」
「ホ?ホケキョ?」
「お前は倉庫を放火し、天羽家の武器を壊した。 弁償しろ‼」
「何円、弁償すればいいんですか?」
「二百五十両(約一億二千万円)」
「二百五十両‼」
片倉まで驚いた。
「無理ですよ! そんな大金持ってないです‼」
経丸が止めに入る。
「士郎さん、流石に無茶苦茶ですよ。 わざとじゃないんですから」
「わざとじゃなくても壊した物は弁償だ‼」
片倉が尋ねる。
「どうやって二百五十両を回収するつもりなの?」
「体で返してもらいましょう」
河野は震えた。
「嫌です‼ 僕にとっては目も口も鼻も手も足も大事なんだ‼ 渡すわけにはいかない‼」
「そりゃ誰だって大事だわ‼ そういう意味じゃねぇ‼」
「天羽家に仕えて、雑用して、人生かけて返済しろって言ってるんだ‼」
経丸が笑った。
「士郎さん、言い方が完全に誤解を生むんですよ」
片倉も頷く。
「そうだね。士郎君の言い方が悪いね」
「だそうですよ、士郎さん」
「だそうですよ、じゃねぇよ‼ 生意気だな、河野‼」
「ホ? ホケキョ?」
「ぶっ飛ばすぞ‼」
「経丸さん、こいつ斬っていいですか?」
経丸はとぼけた顔で言った。
「ホ? ホケキョ?」
「経丸さんまで‼」
経丸・片倉・河野の三人は笑い合う。
士郎は睨んだが、すぐに笑ってしまった。
「なんだこの流れ‼ 本来こっちが三対一なのに、なんでそっちが三対一なんだよ‼」
河野が言う。
「なんか、僕たち仲良くなりましたね」
「なんで仲良くなってんだよ‼ こいつ放火してんだぞ‼」
三人は揃ってとぼけた顔で言った。
「ホ? ホケキョ?」
「鶯までムカついてきたわ‼ とりあえず河野はぶっ飛ばす‼」
河野は片倉の背中に隠れた。
「恐いです、この人」
片倉も震えたふりをする。
「恐いよなぁ……ぶっ飛ばすなんて。 俺もめちゃくちゃ恐いもん」
「何でだよ‼ 恐くないだろ‼ ねぇ、経丸さん」
経丸は直立不動で頭を下げた。
「はい、すみませんでした」
皆が爆笑した。
「おい、それはダメだよ経丸さん。 それがしめちゃ悪者じゃん」
経丸は敬礼しながら言った。
「いえ、そんな事はありません‼ 士郎さんこそ正義の味方です‼」
片倉と河野も続く。
「士郎さんこそ正義の味方です」
「なんで団体芸が完成してんだよ‼」
三人は息ぴったりで言った。
「ホ?ホケキョ?」
「ズルいわ‼ それがしも『ホ?ホケキョ?』やりたいわ‼」
皆は大笑いした。
◆河野、天羽家へ
河野は真面目な顔で言った。
「僕、天羽家にご迷惑をおかけしたので…… もし皆さんが良ければ、天羽家で働いて一生かけて弁償します」
士郎は意地悪く言った。
「あぁ、そうしろ。散々こき使ってやるわ‼」
経丸は優しく微笑む。
「河野さん、いいんですか? 天羽家で働いてくださって」
「経丸さん、気を使う必要ない。 こいつは働いて当然の奴だから」
片倉が言う。
「雑用辛かったら、士郎君に押し付けていいからね」
「何でだよ‼ あなた方、こいつが放火したって事実忘れてんのか‼」
片倉は笑った。
「河野君、士郎君必死にツッコんでくれるだろ」
「はい、頑張ってますね」
「頑張ってるって何だよ‼」
河野は士郎の目を見て言った。
「必死ですね」
経丸と片倉が笑い出し、士郎も思わず笑った。
士郎は腕を組み、少し偉そうに言った。
「まぁ、お前を天羽家の家臣として雇うにあたって聞く事がある。 お前は何ができるんだ?」
河野は反応しない。
士郎は河野の顔の前で手を振った。
「お〜い」
「あっ、僕に聞いてるんですか?」
「お前しかいないだろ」
「そうですか。僕に出来ることってなんですかねぇ?」
「いや、それがしが聞いてるんだが」
経丸が優しく尋ねる。
「武術は得意ですか?」
「すみません、武術って何ですか?」
全員がコケた。
「刀や弓矢を使うのは得意ですか?」
「あっーなるほど。弓矢は得意です。 よく蜂に向かって撃つので」
「だったら松明投げずに弓矢で撃てばよかっただろ‼」
「いや、松明持ってて片手空いてないので弓矢使えないじゃないですか?」
「何でこういうところは冷静に的確なツッコミできるんだよ‼」
経丸と片倉は笑いをこらえきれなかった。
経丸が指さす。
「では、あの的を射抜いてくれませんか?」
「射抜く?」
片倉が説明する。
「矢を的に突き刺すって事」
河野は真顔で片倉に言った。
「あ〜なるほど。ところであなたは射抜くの意味知ってましたか?」
「知ってるから今説明したんだよ」
「あーそうですね」
河野は矢を持ち、五十メートル先の的へ走っていった。
そして―― 矢を手で思いっきり刺した。
「おい‼ 何してんの⁉」
士郎が叫ぶ。
河野は遠くから大声で言った。
「片倉さんが“突き刺す”って言ったから突き刺しました!」
「一旦戻って来い‼」
河野は走って戻ってきた。
「バカ‼ 違うのよ! 片倉さんは“矢を放って”的を射抜けって言ったのよ‼」
河野はキョトンとした顔で片倉を見る。
「えっ? 矢を放つとは言ってなかったですよね?」
片倉は苦笑した。
「言ってなかった。ごめんね、俺の説明が足らなかったよね」
「大丈夫です。今のでわかりました」
「いや? 河野、お前が悪いんだぞ‼」
「えっ‼ 僕が悪いんですか‼」
その表情に、経丸と片倉はまた笑い出した。
士郎は深いため息をついた。
「はぁ〜……」




