第四話
出陣を控えた天羽家本陣。
空気は張り詰め、兵たちの息遣いさえ重く感じられた。
経丸は片倉のそばに立ち、ふと問いかけた。
「片倉さんって、戦の時……緊張したりするんですか?」
片倉は少し考え、右手を差し出した。
「若、握手してもらえますか?」
「え? 握手ですか?」
経丸がその手を握ると、片倉の手が小刻みに震えているのが伝わった。
「えっ……片倉さんでも緊張するんですね」
片倉は優しく微笑んだ。
「緊張って、本気になってる証拠なんですよ」
その言葉に、経丸の胸に温かいものが広がった。
「片倉さん……」
そこへ便所から戻ってきた士郎が駆け寄る。
「経丸さん、片倉さん……」
そして二人の手を見て、目を丸くした。
「二人は何で手を繋いでるの?」
片倉が
「お互い緊張してるか、確認してたんだ」
士郎は少し感情的に
「それがしも緊張してるんですが‼」
片倉は士郎をからかうように言った。
「でも士郎君、手洗ってないでしょ」
「洗ってるわ‼」
士郎のツッコミに、経丸は思わず笑った。
そして二人の手を握り、力強く言った。
「皆さん、本気になってるんです‼ 本気の私達なら、絶対に勝てます‼」
片倉も声を張る。
「そうです‼ 絶対に勝てますよ‼」
士郎は拳を握りしめ、叫んだ。
「おっしゃ‼ それがしの本気を見せつけてやるぜ‼」
◆出陣
天羽家の兵五百。
そして士郎の炊き出しで集まった三百。
合わせて八百の兵が整列し、経丸の前に立つ。
経丸は大きく息を吸い、声を張り上げた。
「今から私達は、この安房の国を守るため―― 悪党、都賀勝敏を討ち果たす‼ 皆の者、出陣じゃあー‼」
「オー‼‼」
兵たちの雄叫びが空を震わせる。
その中で士郎だけは――
「気持ちー‼ 気持ちー‼」
と叫んでいた。
◆戦場――川を挟んだ対峙
天羽軍は戦場に到着した。
川を挟んだ向こう側には、都賀軍の巨大な陣が広がっている。
経丸はその軍勢を見つめ、呟いた。
「片倉さん……いよいよですね」
「そうですね。私が奴らを一人残らず殲滅しますよ‼」
士郎は震える身体を押さえながら言った。
「それがし……どんなことをしてでも経丸様をお守りしますから……」
経丸は優しく微笑んだ。
「士郎さん、ありがとうございます」
◆都賀本陣――油断
都賀勝敏は偉そうな口調で側近の荒井に尋ねた。
「敵の数は?」
「千にも満たないです」
勝敏は鼻で笑った。
「こちらの五分の一にも満たないのか。 この戦、楽勝だな」
荒井も手を叩きながら
「はい、楽勝ですね」
◆天羽軍、突撃
経丸は天羽軍に向き直り、声を張り上げた。
「敵の兵の数はこちらの五倍以上います‼ ですが、私達なら絶対に勝てます‼ 私が先陣を切ります! 皆さん、必死について来てください‼」
そう言うと、経丸は風を切るように駆け出した。
迷いのない足取りで、敵陣へと突き進む。
「行くぞ‼」
刀が閃き、戦が始まった。
◆経丸と片倉――嵐のような武
最前線で経丸は次々と敵兵を斬り伏せていく。
斬りつけ、かわし、踏み込み、一閃。
その動きはまるで舞のようで、敵の悲鳴が風に消えていく。
片倉はその横で、重く鋭く長槍を振るっていた。敵兵の鎧ごと叩き割り、敵兵を吹き飛ばす。
「斬れ‼ 止まるな‼」
片倉の声が戦場に響く。
二人の武は嵐のように敵陣を蹂躙し、都賀軍の士気を削っていった。
◆士郎――泣きながら戦う男
その横で士郎は――
「やめてぇー‼ 来ないで‼ 近づかないで‼ 触らないでぇー‼」
と大泣きしながら槍を振り回していた。
敵兵が士郎に迫ると、経丸が一瞬で蹴散らす。
「士郎さん、大丈夫ですか? 下がりますか?」
「顔が恐い‼ おっかない‼ それがしの事殺す気です‼」
「戦ですから‼ 無理なら下がってください‼」
「無理じゃない‼ うわぁぁぁ‼ 気持ちー‼ 気持ちー‼」
士郎は涙と鼻水を垂らしながら、無我夢中で槍を振り回した。
敵の刃がかすれば――
「血だ‼ 血だ‼ 血だ‼ 痛い‼ 痛い‼ 痛い‼ 死ぬぅー‼ 死ぬぅー‼」
と叫びながらも、必死に戦い続けた。
その姿を見た高じぃが叫ぶ。
「あの弱虫しろちゃんも必死に戦ってる‼ 儂らも遅れを取るな‼」
「おう‼」
◆激戦
天羽軍は数で劣っていた。
兵力は三分の一――それでも退かない。
都賀軍の重厚な布陣に対し、天羽軍は機動力と士気で応戦した。
鉄がぶつかる音。矢が飛ぶ風切り音。怒号と悲鳴が入り混じる戦場。
押されては押し返し、崩されては立て直す。
まさに一進一退の激戦だった。
「数だけで勝てると思うなよ……!」
泥と血にまみれた兵が吠える。
その声に応えるように、仲間たちも刀を振るい、都賀兵に斬りかかった。
圧倒的な兵力差―― だが天羽軍の誰ひとりとして、その現実に屈する者はいなかった。
濛々と舞う土煙の向こうから、戦の喧騒が絶え間なく響いてくる。
「何やってんだッ‼ さっさと蹴散らせよ‼」
都賀勝敏の怒声が、陣幕を突き破る勢いで響き渡った。
次の瞬間、勝敏の足が側近・荒井の腹を蹴り飛ばす。
「ぐっ……!」
荒井は地面に転がり、苦悶の表情で土を掴んだ。
「……はい、すぐに」
荒井は立ち上がると、血走った目で伝令たちに怒鳴る。
「全軍、前進‼ 一歩も下がるな‼ 蹴散らせ、奴らを潰せ‼」
しかし――戦況は冷酷だった。
天羽軍は本来なら圧倒されるはずの兵力差を跳ね返し、むしろじりじりと押し返してきていた。
前線から届く報告は、どれも芳しくない。
都賀軍は優位に立てず、各隊がわずかに押し込まれ始めている。
勝敏は拳を握り締め、唇を噛みしめた。
「この俺が……この俺が、こんな雑兵どもに……!」
本陣の空気は、張り詰めたまま凍りついていた。
◆前線――天羽軍の猛攻
経丸は士郎の背中を叩き、声を張り上げた。
「士郎さん、私達押してますよ‼ もう少しの辛抱です‼」
しかし士郎は無我夢中で、何も聞こえていなかった。
経丸と片倉を先頭に、天羽軍は猛然と敵陣を突き崩していく。
その鋭い突撃を真正面から受けていたのが、都賀軍・山岡隊だった。
圧倒的な気迫に押され、山岡隊は隊列を整えるために一時後退――。
だが、その動きが最悪の結果を招く。
◆都賀本陣――誤報と混乱
荒井が慌てて戻ってきた。
「殿、山岡隊が裏切りとの情報が‼」
「なんだと‼ その情報まことか‼」
勝敏が床几から立ち上がる。
そこへ別の兵が駆け込んだ。
「殿、申し上げます! 山岡隊裏切りとの情報が各地で飛び交っております‼」
さらに別の兵が叫ぶ。
「殿‼ 山岡隊がこちらに向かって来ております‼」
勝敏は怒りに任せて床几を蹴り飛ばした。
「ふざけた野郎だ‼ いいか、お前ら‼ 山岡隊は裏切り部隊だ‼ 徹底的に潰せ‼」
「はっ‼」
◆味方同士の地獄
都賀軍の前線から、山岡隊めがけて一斉射撃が始まった。
――バーン! バーン!
轟音とともに煙が上がり、味方からの銃撃に山岡隊は騒然となる。
「な、何をしている! 我々は味方だ‼」
「撃つな‼ 馬鹿者、撃つなぁぁあッ‼」
だが叫びは届かない。
矢と弾丸が次々と飛来し、隊列は瞬く間に崩壊した。
状況が飲み込めぬまま、山岡隊は地獄のような混乱に陥っていく。
◆経丸、総攻撃を命じる
その機を、経丸と片倉が見逃すはずがなかった。
「皆さん‼ 総攻撃でーすー‼」
経丸の甲高くよく通る声が、戦場に響き渡る。
「総攻撃だァァァッ‼」
天羽軍の兵達は一斉に雄叫びを上げ、混乱に沈む都賀軍へと怒涛の突撃を仕掛けた。
片倉の長槍が閃き、経丸の声が士気を鼓舞する。
完全に混乱した都賀軍は、まるで木の葉のように押し流されていく。
――敵陣、総崩れ。
味方同士の誤射で混乱していた都賀軍に、天羽軍の突撃が重なったことで、戦場は地獄の様相を呈していた。
怒号、悲鳴、土煙、血飛沫―― 前線は制御不能なまでに瓦解しつつあった。
◆都賀勝敏、逃亡
本陣にいた都賀勝敏も、その惨状を目の当たりにしていた。
「荒井、俺は一旦戦場を離脱する。 お前に殿を任せた」
「……えっ⁉ お、俺ですか⁉」
荒井が目を剥く。
勝敏は振り返りもせず、冷たく言い捨てた。
「あぁ、そうだ。しっかりやれよ‼」
「いやいや‼ こんな危険な戦のしんがりなんて、やりたくありません‼」
「うるせぇ‼ やれっつってんだよ‼」
勝敏は荒井の尻を思いきり蹴り飛ばした。
「使えねぇんだからよ‼ こんな時くらい役に立てや‼」
その言葉を吐き捨てると、都賀勝敏は顔を真っ赤にしながら本陣を飛び出し、逃げ去っていった。
残された荒井は、蹴られた尻を押さえながら膝を震わせる。
「……マジかよ……冗談だろ……?」
だが、冗談では済まされない地獄が、すでにすぐそこまで迫っていた。




