第三話
久留里城の槙扉は半ば開き、冷えた廊下に大福の甘い香りが漂っていた。 二十を過ぎたばかりの若き城主・都賀勝敏は、畳の上に胡坐をかき、片手に大福を握りしめている。
白餅を頬張るたび、餡が口元からこぼれ落ち、彼はそれを舌でぬぐった。
その下品な仕草に、側近の荒井は眉をひそめる。
「経丸は我らに戦を仕掛けて来るか。 やはり、おなごはバカじゃのう。感情的になって俺の挑発に乗るとは」
荒井は薄く笑った。
「バカですよね。こちらは天羽家の領土が欲しいから戦に持ち込みたかった。 それに長経不在の状態で戦をするとは……好都合です」
勝敏は大福を握りつぶし、嫌悪を含んだ声で言い放つ。
「経丸の首を取り、安房の国を我らの物にしようぞ‼」
「はい」
久留里城には、甘い香りとは裏腹に、血の匂いが漂っていた。
◆士郎の部屋――葛藤
その頃、士郎は実家の自室の真ん中で正座し、目を閉じていた。 畳の上には何も敷かれていない。
ただ静かに、自分と向き合っていた。
(それがしに出来ることは何だ…… どうやって経丸さんに貢献すればいい……)
(それがしは武術に優れているわけでもない。 一人味方になったところで、戦に大きな影響はない……)
そこで士郎はハッと目を開いた。
(一人味方?……待てよ。 味方を増やせばいいんだ‼ 一人でも多くの味方を増やせば、その分勝ちに近づく‼)
士郎は押し入れから箱を取り出した。
「今まで三年間で貯めた五十貫…… (現代の価値で約六百万円) これを使って、人をかき集められるだけ集めよう」
士郎は徹夜で本を読み漁った。
•人々を奮い立たせる演説集
•偉人たちの名言集
•心に響く言葉の本
そして、何度も何度も演説の練習を繰り返した。
◆翌朝――経丸の部屋へ
士郎は館山城へ駆け込み、経丸の部屋の前で大声を上げた。
「経丸さん‼」
経丸は驚いて襖を開ける。
「士郎さん、大声でどうしたんですか? 相談なら中に――」
「それがし‼ 経丸さんの力に全力でなります‼」
「士郎さん……」
「それがし‼ それがしに出来る事、やるべき事を全力で致します‼」
「士郎さん……」
士郎は目を輝かせて叫ぶ。
「はい‼」
経丸は困惑した表情で言った。
「すみません……ありがたいんですが…… 朝早くからそのテンションに付いていけません」
士郎は恥かしさで顔を真っ赤にしながら謝った。
◆炊き出し――安房の民を集める
士郎、経丸、片倉、そしてばぁやんは安房の民を集め、炊き出しを振る舞った。 ばぁやんが大鍋で作った汁物を、三人が一人ひとりに丁寧に渡していく。
やがて皆で円になって座り、和気あいあいと食事を楽しんだ。
士郎の隣に座った少年が笑顔で言う。
「士郎、ばぁやんのご飯はうまいね」
「そうだろ。日ノ本中で一番うまいからな」
士郎は頃合いを見て立ち上がった。
「皆さんに、大事なお話があります」
七十代の高じぃが声を上げる。
「何だしろちゃん、真剣な話か?」
「そうです」
高じぃは周囲に向かって叫んだ。
「皆、静かにしてくれ! しろちゃんが真剣な話があるってよ!」
場が静まり返る。
(よし……昨日練習した名言をここで……)
「えっ〜と……」
(あぁ〜忘れた‼ あんだけ練習したのに‼)
沈黙が続く。
高じぃが助け舟を出した。
「おいどうした? しろちゃん、難しい事考えないで自分の言葉で話しな」
士郎は滝のような汗をかきながら叫んだ。
「気持ちー‼ 気持ちー‼」
そして震えながらも声を張り上げた。
「皆さん‼ これから天羽家は、天羽経丸さんを大将として、隣国の強敵・都賀勝敏と戦います‼」
「都賀勝敏は卑怯な奴です‼ 長経様不在を狙って安房の領民を殺し、戦を仕掛けてきた悪党です‼」
「そんな悪党を、天羽経丸さん自ら討ち果たそうとしております‼」
士郎は両膝を地面につけ、深く頭を下げた。
「そこで皆さんにお願いです…… 共に戦ってください‼」
経丸は驚き、声を上げた。
「士郎さん‼」
すると高じぃが立ち上がり、叫んだ。
「俺達年寄りは、若い者を守るためなら最前線で戦ってくたばっても構わない‼」
「高じぃ‼」
「何、一人でカッコつけてるんだ! 高さん、俺達だって戦うぜ‼」
「熊じぃ‼」
年寄りたちが次々に声を上げる。
「そうだ!そうだ‼」
その勢いに若者たちも立ち上がった。
「ヨボヨボの年寄りが戦って、若い俺らが引っ込んでられるか‼ 俺らも戦うぜ‼」
「そうだ‼ 爺さん達には負けねぇ‼」
士郎は涙を流しながら叫んだ。
「皆……ありがとうございます‼」
その大泣き姿に、皆は思わず笑った。
高じぃは胸を張って言う。
「それに我々は日頃、経丸さんにお世話になっておる。 ここで戦わなければ人ではない‼」
熊じぃも続く。
「そうだ! 今こそ恩義を果たす時‼ 皆、共に戦おうではないか‼」
「おう‼」
経丸は涙を一筋流し、両膝をついた。
「皆さん……ありがとうございます……」
額を地面につけようとすると、民たちは慌てて止めた。
「経丸さん、我らにそんな頭を下げないでください‼」
「そうです‼ 経丸さんは頭を下げないでください‼」
経丸は涙をこぼしながら言った。
「皆さんのお気持ちが……本当に嬉しいんです……‼」
「経丸様の為に働くのは当たり前ですよ‼」
「そうです。いつもの恩返しさせてくださいよ」
経丸は泣きながら、何度も何度も礼を言った。 その横で片倉とばぁやんも深く頭を下げていた。
◆士郎と高じぃ
士郎は高じぃに駆け寄った。
「本当にありがとうございました! 高じぃのお陰で皆が共に戦ってくれます‼」
高じぃは笑った。
「打ち合わせ通りに行ったな」
「本来は名言をぶちかます予定だったんですがね……」
「しろちゃん、誰かの言葉より、自分の言葉の方が人の心は掴まれるよ」
「そうですか?」
「自分の言葉じゃないから覚えられないんだよ」
「あっ……なるほど。勉強になります」
高じぃは笑いながら士郎の頭を抱え込んだ。
「俺、いい事言ったでしょ?」
「はい、珍しく(笑)」
「この〜(笑)」
二人は笑い合った。
◆士郎の決意
戦場へ向かう前、士郎は便所に籠もり、震える身体を必死に奮い立たせていた。
「経丸さんを守るためなら外岡士郎は出来る‼ 経丸さんを守るためなら外岡士郎は出来る‼ 気持ちー‼ 気持ちー‼」
恐怖に打ち勝つため、士郎は何度も何度も叫び続けた。




