動物を飼っている人は読まないほうがいい、ただ悲しいペットロスの話
自分の気持ちの整理のため、冷静に努めるために書いているので、感想欄やレビューは閉じています。
先日、飼い猫を亡くしました。
昨今使われている表現なら、虹の橋を渡った、というのでしょう。
彼は16年の時を生きました。
赤ん坊が高校に上がるほどの年月です。
なかなかに面白おかしく、好き放題にできた一生だったのではないでしょうか。
祖母が使うかも、と買ってきた座椅子を気に入り、その日のうちに我が物顔で私物化。
茶の間における定位置となりました。
夕飯に刺身を買ってくれば、抜け目なく食卓にピッタリと身を寄せ、暗にマグロの赤身を要求。
爪とぎマットがあるのに、スリッパでいたずらに爪をとぎ、バリバリにしておもちゃ扱い。
ふすまも、それは見事にバリバリ。
縁側のカーテンや台所の勝手口付近、その他のデッドスペースなど、身を隠せる場所がお気に入り。
狭いスペースを好むのが猫の習性。
ベランダで洗濯物を干していると、階段を素早く駆け上がってきて日当たりのいい場所をキープ。
そのまま夕方まで日向ぼっこ。
でもおやつの時間にはとんで戻ってくる。
そんな機敏で、すばしっこい姿も加齢とともに減っていき、やがては階段をのぼることさえできなくなった。
これまで大病はしていないものの食が細くなり、毛並みや顔つきも一目で年齢を重ねたと分かるものに。
そして。
去年の秋ごろから食べても吐くことが多くなり、かかりつけの病院で診察。
やはり体に衰えがきていると。
いくつか病気の可能性はあるものの、高齢のため薬で症状だけ和らげていく方向で。
少し前には、あくまで遠回しにだが、平均寿命の話に触れられていた。
飼い主として覚悟を、という意味だったのだろう。
1度持ち直すも、年明けから体調の悪さが顕著に。
通院して薬を使っても効果が上がらず、もう食べ物も受け付けない。
痩せて骨が浮いてしまっているのに、目を細めて静かにすわっているだけ。
もう「そのとき」が迫っているのだと悟った。
うちは、最期まで家で面倒を見ることに決めた。
入院して延命措置をすれば、いくらか命を長らえることが可能かもしれない。
しかし、この決断には理由があった。
それは以前飼っていたシニアの犬が、病気で入院したものの回復しきれず、生きて家に帰ってこれなかったこと。
その後悔から、ならば、住み慣れた家で過ごさせてあげようと。
そう決めてから4日ほどで、彼は虹の橋を渡った。
息を引き取った日は苦しむ様子も見られ、病院で安楽死の処置を考える飼い主がいるのも大いに理解できた。
というわけで、ペットロスの只中にある。
過去に犬猫を飼っていたためペットロスは初めてではないものの、家族もメンタルをやられている。
まあ、そうだろう。
当たり前に猫がいる生活。
16年続いたスタイルが1日にして喪失したのだから。
理性では分かっていても、心が喪失感を拒絶する。
エアコンの風に揺れるカーテン。
光の加減で、すりガラスの向こうにできた物影。
風が立てる、かすかな物音。
カーテンをめくれば、そこにいるのではと。
ドアを開ければ、こたつをのぞけば、ひょっこり顔を出すのではないかと。
ついそんなことを考えてしまう。
きっと、まだ実感がわかないからだ。
それを心の底から自覚したとき、本当のペットロスが始まるのかもしれない。
虹の橋を渡る。
渡った先に、なにがあるのかは知らない。
苦しみのないペットたちの天国か、楽園か。
彼はもうあちらに行ってしまった。
もうこちらにはいない。
この世にはいないのだ。
できることは向こうでの幸せを願うだけ。
先に行っている、仲の良かった犬猫たちと仲良くやってほしい。
さようなら
ありがとう
さようなら、さようなら




