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第四話

閼伽(あか)は桜の化生(けしょう)だ。千年を生きる藤の化生ほどとまではいかずとも、森羅万象を操るのはこの化生にとって造作もないことであった。


彼は仔猫のそばに寄ると、ふうっと息を吹きかけた。すると仔猫を覆っていた汚れや胎盤が消えた。


閼伽は真白(ましろ)を振り返る。


「流石に餌付けまではしてやれないから、あとはお前がなんとかするんだな」


彼女は大きく頷く。


「ありがとう、恩に着る」


真白は母猫たちを閼伽に任せ、ぐったりと弱りきった仔猫を抱きかかえると家路を急いだ。


藤樹(とうじゅ)もその後を追いかけようとしたが、不意に閼伽に呼び止められる。


「お前、まだはぐらかしてんのか?」


「今そんな話は――」


男の言葉を手で遮ると、閼伽は彼に詰め寄った。


「あいつはもう心を決めている。お前にもそれ相応の覚悟が必要だぜ。それがないならさっさとあいつから離れな」


「お前に指図される(いわ)れはない」


藤樹は怒りを(あらわ)に閼伽を睨みつける。それに小馬鹿にしたような笑みで返した化生は、不意に表情を消すと彼に顔を近づけて囁いた。


「そうやっていつまで真白を待たせる? お前は妹同然の人間にそういう感情を向ける罪悪感から逃げてるようだが、それがどれだけあいつを傷つけてるかわかっててやってるんだよな?」


閼伽の言葉に、藤樹は、ぐっ、と喉を鳴らした。それを化生は嘲笑う。


「ま、お前みたいな奴、あいつには勿体ないよな。とっくに覚悟を決めてる女を待たせるような腰抜け、誰が選ぶかってな――」


「黙れ」


藤樹は閼伽の胸ぐらをつかんだ。その端正な相貌(そうぼう)は怒りに醜く歪んでいる。


「お前のような化け物にわかってたまるか。俺がどれだけ真白を想ってきたか――」


十三の頃、真白が実妹ではなく従妹(いとこ)だと聞かされたとき、藤樹にとってこれほど歓喜した瞬間は他になかった。


妹に邪な感情を抱く自分をずっと責めてきた。そういう視線を向けないよう、兄として正しく振る舞えるよう、自分を律してきた。


それでも幼いながらも彼女を一人の女として愛する気持ちは抑えがたいものであった。


だからこそ、真白が実妹ではないという事実は藤樹の心を甘く震わせた。


だが結局は、それは両親、そして何より真白自身との関係を壊す悪しき感情としてずっと心の奥底に押し込めてきたのだった。


そんな最中(さなか)、あろうことか真白の方から自分への想いを告げてきた。


藤樹は苦しんだ。


子どもの時分のそれは幼い少女の戯れに過ぎなかった。だがその戯れはいつの間にか真実となって男の前に立ち現れた。


真白の想いが、真に藤樹を一人の男として慕う気持ちであることは明白であった。


そしてその真っ直ぐで純粋な想いは、自分が罪悪として殺し続けてきた感情を、その醜さをまざまざと見せつけてくる。


その手をとることがどれほど甘美な誘惑であることかわからない。けれどその選択は、間違いなく今まで培ってきた真白との大切な何かを壊す。そう思えてならなかった。


藤樹は恐れていた。実妹だと思っていた頃から真白に性愛を向けていたとを知られることを。穢らわしい己の真実の姿を悟られることを。


「お前にはわかるまい。化生であるお前に、穢れを知らないお前に、俺の恐れはわかるまい」


藤樹は声を震わせた。だが閼伽はやはり嘲笑を浮かべて彼の手を振り払った。


「何が穢れだ。お前は結局、自分の醜さを真白に知られて幻滅されるのが怖いだけだろ」


閼伽は藤樹の心理を看破していた。二人を近くで見ていればわかることだった。だからこそ、この男の余計な――閼伽にはそう思える――罪悪感が苛立たしい。


「お前に用意されてる選択肢は二つしかない。自分の罪を受け入れるか、何もかもから逃げるか、だ」


藤樹は閼伽の言葉に、はっ、と瞠目すると唇を噛み締めて(うつむ)いた。化生はそんな男を冷たく見下ろしながらさらに続ける。


「てめえが可愛いのは勝手だが、少なくとも真白を想ってるとか宣うなら、それ相応の覚悟をお前も見せるべきなんじゃないのか」


閼伽は男を小突くと、わかったらとっとと行け、と促した。藤樹は彼を()めつけると無言で走り去っていく。


ふう、と一つため息をつくと、急いで駆けていく男の背中に化生は小さく呟いた。


「うまくやれよ」


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