日本の英文論文誌を流行らせるには
その国に名声の高い論文誌があるということは即ちその国は強いということだ、二十世紀の初頭に所謂量子力学が発展し始めたときそれに関する多くの論文はZeitschrift für Physikに載っていたが、美大落ちの台頭そして敗戦と共に物理学の中心は次第とPhysical Reviewへと移っていった。現在、Zeitschrift für Physikはいくつかの欧州の論文誌と合併しEuropean Physical Journalとなり、なんというか査読とかは甘い印象がある。
自分は自由を謳歌できる日本に住んでいることが好きなので日本の論文誌が流行ってほしいと思っている、だが研究者の人々はあまり日本の英文誌を高く評価していないだろう、投稿する人は自分の所属する学会の発展に寄与するためという理由だけだろう(海外から粗製濫造論文が飛んでくることはあるらしいのだが)。個人的にはなんか海外の論文誌で毛色が合うところがなさそうだなって感じのものを受け入れてくれる、そんな懐の広い路線に進めば次第に賑わって行くのではないかと思っている。昨今、論文誌では盛んにNoveltyと宣うところが多い。しかしながら文科省の求めるキラキラした研究者サマには見向きもされない古めかしい内容でも検証も理論化も姑息なままというものは多い。新規性は乏しいが非常にまじめに手間のかかる検証を行った、或いは広く習慣的におおよそこれくらいでよいだろうと思われているものを突きともすれば藪蛇と言われてしまう、そんな内容を受け入れるのも良いと思う。
ただそうなるには障壁があるように感じる。日本の論文誌はSpringer-Natureとかに移管しているところもあるが多くはJ-Stageだろう、ろくに電子化すらされてないところもある。大手の出版社が管理していると投稿規定は緩くまぁ適当に書いても向こうがしっかり組版してくれる、資本の力を感じる。しかしJ-Stageの論文は往々にして投稿規定がめんどくさい、電子化して紙媒体消したのに紙媒体の時のことを引き摺っていて謎のルールが多い、やけに統一的でない引用周り、面倒で良くわからない煮詰めた芥のようなテンプレートに書かないといけなかったりすることもある(解説記事を依頼されたとき意味不明なMicrosoft Wordのテンプレートであったため画像の埋め込みを編集委員にお願いしたことがあった、日本語記事だと使える漢字や句読点などで言いたいことはもっとあるが)。この辺りの自由度が増せば受け皿として一定の地位を確立し、やがては良い論文誌としての評価が得られるようになるのではないだろうか。




