ThanatosとEros
別にSigmund Freudに傾倒しているわけではないのだが芸術品に必要なものはThanatosとErosだと考えている、諷刺などの類が入ると世俗の臭いで噎せ見れたものでなくなる、汚物と言ってもいい。まぁ笑いものにできる感じならばそれはそれで良いのだが……。それに対してやはり性と死はいい。世の中の読み物の多くに死と悲劇が含まれる、人は自身の代わりに誰かが死ぬことに快楽を見出しているのだ、死と悲劇は私達の心を震わせる。そして性、自分は無性愛者ではないので性交が好きだ。生みだすこと、そして壊すことという明暗が像を浮かび上がらせる。宿命なきものの九十六話に当たる名誉なんて最高だ、自画自賛したい(https://novel18.syosetu.com/n4763hi/96/)。姫百合しふぉんの作品の性交では何も生まれない?お、そうだな
そういえば、最近amazonがマネモブ化したのか猿先生のエイハブを常におすすめしてくるので買った。エイハブはHerman Melville著のThe Whaleを原案とした作品である。巨大な白鯨に足を食いちぎられた船長の復讐劇と、それに巻き込まれる人々の悲哀を描いたこの小説は人を選ぶところはあるがおすすめできる、遅々として話が進まないところに趣があり蘊蓄で話が逸れるあたりが知識欲を刺激してくるのが良いと思う、しかしながらChristianityが色濃く私たちには受け容れがたい描写が結構ある。日本でもかなり読まれているのか、エイハブ船長のオマージュキャラクターがゲームによく出てきている、U-シャークに足を食いちぎられたメタルマックス2のビイハブ船長、四魔貴族フォルネウスに足を食いちぎられたロマンシングサガ3の海賊ブラックなど、ブラックの方も偽名をハーマンとしていてオマージュ元を隠していない。さて、私は猿先生の味付けのほうが好きだ。原作ではOld Testamentでいうところの預言者Elijahと敵対した"暴君"Ahabは神使である白鯨の前に何もできなかった。しかしながら猿先生のエイハブはノルウェイから輸入した最新鋭の"兵器"捕鯨砲で戦いを挑み、船員を地獄に巻き込み、最期はメカ・フットを用いて白鯨に一矢報いてから討ち死にする。"神"との和解無き闘いを挑んだ蛮勇の末路、それは哀れとも言えるし、美しいとも言える。私は諸葛尚の討ち死にを思い出した、諸葛亮の孫である彼は迫る鄧艾の軍を前にして「父子共に國に重恩がある、しかし黄皓を早々に斬らず國を傾けてしまった、私は何の為に生きているのだろうか」と親子共々玉砕した(華陽国志)、滅びの美学とでもいうのだろうか(父である諸葛瞻が黄皓とつるんでたことや、父と黄崇の間の諍いという汚点はあるのだが、黄崇は「黄権が背いたのではなく孤が権を裏切ってしまったのだ」と先主は言ってはいるものの色々言われていたであろうし……、諸葛瞻は鄧艾からの降伏勧告を毅然と断った高潔さはあるのだが……)。




