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最も哀れな――

作者: 小雨川蛙

 

 私の知る限り、魔王討伐さえ果たした勇者アレフは最も哀れな英雄である。


 アレフは魔王に支配された時代に生まれた。

 あの時代は誰であっても心が貧しかったし、窃盗も暴力も……時には殺人も日常的に見られる光景だった。


 事実、アレフの幼馴染である私も幼い頃に暴力の捌け口であったし、大切にしていたものを奪われたことや、戯れにゴミ箱に捨てられたこともある。

 それだけでなく、私は女として最も大切な尊厳を無情に奪われたことも。


 しかし、私はそれを哀しみ、恨み、憎んだことこそあれど全てを諦め受け入れていた。

 ――そういう時代だったのだから。


 私はいつだってアレフと共に居た。

 彼がそうあることを望み、私自身それを拒めなかったからだ。

 強いものは好きなものを手に入れることが出来る。

 これも当時の常識だった。


 全てが変わったのはアレフが女神の天啓と祝福を受けた時からだ。

 夢で見た女神の姿と祝福をアレフは私にしか語らなかった。

 アレフ自身もただの夢としか思っていなかったから。


 しかし、その日からアレフの身体には今までにはない力と魔力が宿り、襲い来る暴漢はもちろん複数の兵士でどうにか相手出来る魔物相手でも戦うことが出来るようになった。


「なぁ、俺はどうすればいい?」


 強いアレフの問いに私は答えた。


「好きにすればいいじゃないですか。いつも私にしているように」


 アレフの心を顧みない言葉。

 だけど、他に何と言えば良かったのだろう。


「一緒に来てほしい」

「断れないじゃないですか。私には」


 私の言葉で傷つくアレフの顔を見ると――少しだけ心が安らいだ。



 ***



 アレフは見事、魔王を討ち滅ぼした。

『勇者』はそれほどまでに強かったのだ。

 何の役にも立たない『おもちゃ』を引き連れても勝利してしまえるのだから。


「勇者様!」

「ありがとうございます!」

「あなたのおかげです!」


 凱旋。

 人々が星の数ほど集まり、注ぐ光のように絶え間なく叫ぶ。

 アレフへの感謝を。

 それをアレフはすっかりと作るのが上手くなった笑顔で応え、さらには穏やかに手を振る。


「勇者様の隣を歩く女性は誰?」

「知らないの? 勇者様の幼馴染なんだよ」

「昔、乞食のように暮らしていた頃からの大切な人なんだって!」

「そして今では最も大切な――!」


 言葉が最後まで聞こえない。

 アレフの笑顔が固くなる。

 気づけば私は誰よりも彼の事を理解するようになってしまった。

 幼い頃から私へ戯れに暴力を振るい、大切なものを奪い、分かりやすい『おもちゃ』として虐げてきた存在を。


 人々に祝福されるアレフを見つめながら私は過去を回顧する。

 勇者、アレフとの幼い日々を。


 殴られた。

 蹴られた。

 うめき、泣いた私を嘲笑した。


 必死に抵抗をした。

 それでも無情に奪われた。

 そんな私の様さえも彼にとって興奮の材料にしかならなかった。


 虚ろに歩く私を顧みることはなかった。

 アレフにとって、いつでも殴り、いつでも抱ける相手であれば誰でも良かったのだから。


「偉大なる勇者を称えよう」


 私の視線の先に勇者アレフが居た。

 穏やかな表情を貼り付けて。

 全ての人にこの世の誰よりも優しく、誠実であると主張するように。

 ――私に訴えるように。



 ***



 魔王討伐から少しして勇者アレフは私へプロポーズをした。


「受け取ってくれるか」


 おずおずと差し出された指輪。

 それを私は奪い取るとそのまま彼方へと放り投げた。


 アレフの表情は変わらない。

 その顔を思い切り叩く。


「罪滅ぼしのつもり? 勇者様」


 アレフは答えない。

 代わりに私は泣いていた。

 何の涙かも分からない。


 アレフが勇者として目覚めてから、私は何度も彼が泣いている姿を見ていた。


『何故、今更。何で、今更こんなことを……』


 子供のように泣き続けていた。

 アレフはもう自分を許す事が出来ないほどに罪を負い過ぎていた。

 私が許しても、もう――。


「……ごめん」

「謝って何になるの」


 私は吐き捨てる。

 勇者アレフが求めている言葉を。

 何があっても彼は自分を許せない。


 女神は残酷だ。

 何故、アレフが穢れきる前に天啓と祝福を与えなかったのだろうか。

 まるで、魔王討伐の後にアレフの心が砕けることを期待しているかのような仕打ちを――何故、勇者に。


 再び、アレフの顔を叩く。

 泣きながら、何度も。

 何度も。



 ***



 故郷への戻り方も分からない。

 そんな場所で私は夫と二人で暮らしていた。


 夫は私の知る限り最も哀れな人間だ。

 私がずっと前に許したことにいつまでも囚われている。

 今でも夢にうなされて、時に涙を流しながら何度も何度も私に謝る。


「安心して」


 過去の傷は疼く。

 身体のものも、心のものも。


「私、許すつもりはないから」


 だけど、それはそれ。

 これはこれ。


 結局、一緒に生きることを選んだのは私だ。


「それよりさ。たまには気分転換に外でご飯を食べようよ。私、お弁当作るから」


 夫は言葉に詰まり、また謝罪をした。


「……ごめん」

「ごめんはもういいって。それで、行くの? 行かないの?」

「行きたい」

「そ。それじゃ、アレフも用意して」


 勇者アレフがもたらした時代は本当に穏やかだ。

 ――こうして、誰もが気ままで幸せに暮らせるほどに。

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