ミューズ
これはこの物語の最新エピソードです。皆さんに楽しんでいただければ幸いです。
夜。
チエミは一人、Project Croweye の前に座っていた。
青白い光が、彼女の横顔を照らす。
「……検索条件、固定」
表示されたのは――
《ミカミと交際を継続している世界》
無数のウィンドウが開く。
別世界の自分。
別世界のミカミ。
◆
ひとつ目の世界。
ミカミは漫画家志望のまま、アルバイトを続けている。
締め切りに追われる姿はない。
そもそも編集部に持ち込んでいない。
机の上にはラブコメのネーム。
しかし、どこか安全で、どこか無難。
評価は「悪くないが、突き抜けない」。
チエミは眉をひそめる。
(孤独が、彼のミューズだった……?)
◆
二つ目の世界。
チエミは小説を書いている。
だが、テーマは日常の小さな幸せ。
高度な哲学的構想も、抽象的な概念もない。
悪くはない。
だが、彼女が本来目指していた“思想の迷宮”はそこにない。
ミカミと笑い合う時間。
穏やかな生活。
それが彼女の意識を現実へと繋ぎ止めている。
(私は……地上に降りてしまった)
◆
三つ目。四つ目。五つ目。
結果は同じ。
交際が続く世界では、
ミカミは大成しない。
チエミもまた、理想の作品を書き上げない。
だが――
別れた世界ではどうか。
画面が切り替わる。
孤独に沈むミカミ。
苦しみながらも、圧倒的な熱量の原稿を描く。
編集者が震える。
「これは……新人賞を超えている」
別の世界。
チエミは徹夜で執筆する。
愛も安定もない。
その代わり、鋭い思想と緻密な構造を持つ小説が生まれる。
文学賞受賞。
壇上で一人、静かに笑う。
隣にミカミはいない。
◆
チエミはモニターを閉じた。
部屋は静かだ。
胸が重い。
(私たちは……互いの才能を、少しずつ鈍らせている?)
そこへ思い出す。
最近のすれ違い。
パリでの劣等感。
カリナとの距離。
そして、桜の言葉。
『男って、意外と分からないよ?』
違う。
問題はそこじゃない。
(私は、自分が分からなくなっている)
◆
翌日。
放課後の屋上。
風が強い。
ミカミは笑っていた。
「今日、新しいネーム描いたんだ」
チエミはその顔を見つめる。
(この笑顔が、私の選択で消えるかもしれない)
「ミカミくん」
「ん?」
言葉が喉に詰まる。
だが、彼女は逃げなかった。
「……別れよう」
時間が止まる。
「え?」
「私たち、このままだと、お互いの夢を壊してしまう」
「なに言ってるんだよ」
「Project Croweyeで見たの。どの世界でも同じだった」
ミカミの顔が曇る。
「未来なんて、変えられるだろ」
「変えられるかもしれない。でも」
目を閉じる。
「私は、自分の弱さを知ってしまった」
穏やかな日常。
それに甘えて、思考の刃が鈍る自分。
「あなたは孤独から物語を生む人。私は孤独の中で思索する人」
震える声。
「一緒にいると、幸せすぎる」
沈黙。
「幸せじゃ、だめなのか?」
その問いは、あまりにも真っ直ぐだった。
チエミの目に涙が浮かぶ。
「……だめじゃない。でも、私は夢を諦めたくない」
風が吹き抜ける。
ミカミは何も言えない。
「ありがとう。今まで」
彼女は一礼し、背を向けた。
◆
屋上に一人残されたミカミ。
ポケットの中のペンを握る。
(孤独が、ミューズ?)
空は高い。
どこか遠くで、世界がまた静かに分岐していた。
このエピソードを楽しんでいただければ幸いです。次のエピソードはすぐにアップロードします。




