笑わなかった魔王
これはこの物語の最新エピソードです。皆さんに楽しんでいただければ幸いです。
ミカミは、最近とても穏やかだった。
チエミがいる。
一緒に原稿を描き、笑い合い、未来の話をする。
人生が、きちんと前に進んでいる感覚。
だからこそ、ふと思った。
「……余裕があるなら、誰かを助けられるかもしれない。」
彼が目を向けたのは、数学教師――
飛組 飛宏。
生徒たちは、ただ「トビ」と呼んでいる。
トビは離婚していた。
いつも教壇に立ち、淡々と数式を書く。
間違いなく優秀だ。
声も安定している。
だが。
その目には、何もない。
泣きそうでもない。
怒ってもいない。
苦しんでいるというより――
“もうどうでもいい。願いがない”という静かな無関心。
ミカミは一ヶ月間、彼に付き添った。
昼食に誘う。
冗談を言う。
チエミの漫画を見せる。
散歩に誘う。
どれも、表面上は受け入れる。
だが、トビの目は変わらない。
「……別に、悪くないよ。」
その一言だけ。
ある日、ミカミは思いつく。
「プロジェクト・クロウアイなら……」
夜。
端末を起動する。
「検索条件:飛組飛宏。
幸福度、最大値。」
演算が走る。
無数の宇宙が映し出される。
だが。
「……ゼロ?」
もう一度検索。
条件を緩める。
「最低限、笑顔が確認できる宇宙。」
結果――ゼロ。
ミカミの指が止まる。
「そんなはずないだろ……」
さらに深く検索する。
幸福ではなく、“安定”。
“満足”。
“希望”。
すべて、ゼロ。
代わりに映し出されたのは――
灰色の街。
人々が歩いている。
だが誰も話さない。
誰も目を合わせない。
誰も何かを欲しない。
誰も笑っていない
ただ、生きているだけ。
画面の端に表示されるデータ。
原因:飛組飛宏。
別の宇宙。
教室。
生徒たちはノートを開いている。
だが目は空虚。
黒板を見ていない。
トビが静かに立っている。
その周囲から、淡い波のようなものが広がる。
感染率:上昇中。
「……感染?」
さらに別の宇宙。
都市全体が静まり返っている。
店は開いているが、客はいない。
公園には人が座っているが、誰も動かない。
データ表示:
“トビウイルス”
症状:欲望の消失。
笑顔の消失。
未来予測能力の停止。
ミカミの背筋が凍る。
そして――
別の画面。
そこにいたのは、チエミ。
だが、違う。
笑っていない。
ペンを持っていない。
目が、空っぽだ。
呼びかける声にも反応しない。
まるで、幽霊。
「……やめろ。」
次の宇宙。
またチエミ。
また空虚。
次。
次。
次。
何千という宇宙で、
チエミは“夢を失っている”。
トビの鬱病のウイルスは、多くの世界で鬱病パンデミックへと広がっていました。
ミカミは一晩中検索を続けた。
指が震える。
目が充血する。
「どこだ……
どこかに一つくらい……」
だが。
幸福なトビは存在しない。
夜明け。
ミカミは椅子にもたれかかる。
理解する。
これは、個人の問題ではない。
これは、災害だ。
翌日。
職員室。
トビは静かに資料を整理している。
「トビ。」
ミカミの声は、低い。
「……どうした。」
「一ヶ月、あんたを助けようとした。」
トビは無表情。
「でもな。
もうわかった。」
ミカミの目は、決意に満ちている。
「助けるのは、不可能だ。」
空気が止まる。
「今日から俺は、あんたの敵だ。」
トビの眉がわずかに動く。
「……敵?」
「この世界を、あんたという脅威から守る。」
静かな宣言。
「覚悟しろ、トビ。
俺は休まない。」
トビは、しばらく黙る。
「……好きにすればいい。」
その声には、怒りも恐怖もない。
ただ、無関心。
その無関心こそが、
ミカミにとって、何より恐ろしかった。
このエピソードを楽しんでいただければ幸いです。次のエピソードはすぐにアップロードします。




