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日本語の発祥と漢字廃止論について   漢字の廃止は文化の廃止だ  増補改訂  再録版

作者: 舜風人



☆あくまでも個人的見解であり科学的な、あるいは、歴史学的な信憑性は保証できません。












序説








そもそも、、、、、、、、、




漢字を廃止しようという議論はおそらく漢字到来のその時からあるようだ。


なぜなら漢字は日本の言葉(大和言葉)ではなく「外国語」だからだ。


漢字が到来した時すでに古代日本には「大和言葉」という日本語がすでに存在していたのである。


それによって古代日本人は意思疎通しあるいは


万葉集のような素晴らしい「詩歌」さえ歌っていたのである。


タダ、、、それを書き表すための「もじ」がなかったのである。


(神代文字という文字が存在したという説もあるが、、、)




そこへ漢字がやってきた、




、、で、、その外国語を利用して古代日本人は大和言葉を写し取ろうとした。


つまり漢字という外国語で、書き言葉 (ラング)を作ったのだ。


それが「万葉仮名」である。


、、と同時に漢字という外国語をそのままで利用しておのれの思いをつづることもした


それが「漢文」である。




このように古代では


文明国中国からやってきた漢字なるものを使って




日本固有のことば(大和言葉)を漢字で万葉かなとして利用する方法。


漢字そのままで漢文として使う方法




この二つの方法で使い分けたのである。






さて


では


そもそも日本語は古代にどのように発生したのであろうか?














1、日本語の発生






それまで古代日本に「言葉」がなかったわけではない。


やまと言葉というものがあったのだ。


縄文人や弥生人もそれを使って意思疎通していた。


ただし、、、




それを書き表す「文字」が無かったのである。


ことばというのはまずどこの民族においても


パロール(話し言葉)として出現する。


民族が共同体として形成されれば


仲間同士の意思疎通が必須であるから


身振り手振りや。顔の表情だけではまとまらない。


動物のような簡単なアーとかウーとかの


「鳴き声」だけでも役に立たない。


そこで次第に音声の仕分けで様々な話し言葉パロールが出来上がるのである。


これらは次第に日本人の情感をたたえて


やがてはあの「万葉集」のような高雅な詩歌にまで高められていった。


そこへ、、




当時の文明国中国から漢字なるものが到来したのである。




それは文字を持たなかった古代日本人にはショックだったに違いない。


日本人は漢字を受け入れて冒頭に述べたような「利用法」を編み出したのである。




やがて中央官庁などでは


公文書は漢字(漢文)一辺倒となり


公文書で


万葉仮名を使うということもなかった。。


ただし彼らも日常生活では大和言葉を使っていた。


和歌はこの大和言葉で詠んでいた。漢文はあくまでも公文書である。


使い分けていたのである。




このころ(奈良時代?)になると


漢字仏典を解読するための補助手段として「カタカナ」が発明されたようだ。


これは僧侶の間に広まった。




そしてもちろん一般大衆は相変わらず「大和言葉」を使って意思疎通していたのである。


彼らは漢文など知る由もなかったから。








さて平安時代になると「ひらがな」が発明された


宮中の女性が発明したといわれて次第に和歌表現や物語文学の筆記文字として広まった


次第に男性貴族にもこれが浸透していって


いわゆる『漢字かな交じり文」が日本語表現として定着していったのである。


外国語である漢字と日本語のかなを使うと言う


まあ「二刀流」ですかね?




古来からの大和言葉は日本人の機微な情感を著わすには良いのですが




高度な思想をあらわすには漢字でないとムリ?だったのですね


もちろん当時の哲学思想の最高であった仏典も漢字である。




が、、相変わらず男性貴族などでは「漢文」も盛んで


「和漢朗詠集」などのような


日本人による「漢詩」も行われていた。




まあ簡単に言うと現代日本の「英語俳句」?みたいなものか?




さてこのように今に通じる日本語の原典


漢字かな交じり文


というものがこのころ出来たのである。


と同時に漢文表現もずっとこの後も続く


外国語である漢文でおのれの思いを表現する


これは江戸期から明治まで続くことになる。




今でいうなら英語で日記を書く?というようなモノでしょうか?


ハイブローですよね?


だって漢字ってあくまでも「外国語」ですからね




今じゃすっかり違和感もなく使っていますがそもそもが


日本のものじゃないんですよ。




今でいえば、きざな奴がひけらかして


ことさら外国語単語をちりばめて表現を連発するようなものですから。


アウフヘーベン  とか ドイツ語


メルクマール   とかね。  






ラング


言語(音声・語彙・文法)


使用する人 社会






パロール 発話


使用する人 個人














さてここからは漢字廃止論についてです
















2、漢字廃止論






明治になると西洋文明がどっと押し寄せてきます。


英語などの外国語も入ってきます。


アルファベット24文字で全てが著わせるのです。


しかも文明先進国です


こんな便利なものはありませんよね


高度な思想も外国語です。




すると当時の学者や文豪などの間で




「漢字って古臭くない?」


「漢字って時代遅れだろ?」




という議論が出てくるのです。


ひらがなで統一しようとか


いやローマ字でよかろう


そんな議論が沸騰します。


しかし大方は漢字廃止には傾かずに




当時の文化人は


むしろヨーロッパの先進思想を


漢字を使って「新造語」したのですね。




いっぱいありますが






文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、階級、警察、分配、宗教、哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、化学、分子、原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、電話、美術、喜劇、悲劇、社会主義、共産主義




などがありますね。




かくして、、漢字がしぶとく?生き残ったのです。








その次の漢字廃止の危機が


あの戦争の敗北です


大敗北を喫した日本は




この時もローマ字にしようとか


いや思い切って日本語やめて「英語」を国語にしようとか


そんな過激な主張もあったようです。




これは結局、、漢字の「簡素化」?で対応ということで落ち着きました。


繁体字を簡略化する




學 →  学


、、というようにね。




これは中国でもやってますが日本とは違ってもっと簡略化してますね。




それと「当用漢字」といって、簡単で日用づかいの漢字を1850語、選定したのですね。




まあ漢字の総数はあの名著、諸橋徹司博士の「大漢和辞典」全15巻によれば5万単語くらいはあるそうですが、


パラパラめくると、、すごい珍しい見たこともないような珍奇な?漢字がいっぱい出てきますが、、、、




まあ日常使いには1000語もあれば十分ですからね。いいえ、500語でもよいでしょう


たった500語の漢字を覚えれば事足りるなら何もイキガッテ漢字廃止しなくってもいいわけですからね。




つまり日常では1000語もあればもう十分、OKですし


もっと深めたいならなんと5万字の奥行きを持っている


これが漢字文化の「ものすごさ」なのです。


5万字ですよ


これがいざというときには、使おうと思えば、、あなたにも使えるんですよ。


5万字あれば、、、おそらくどんな微妙な、、難解な、、絶妙な、、表現でも5万字もあれば可能でしょうね。


これってすごくないですか。これって最強でしょ。


まさに言葉の密林


言葉の原生林でしょう。


だからこそ、、あの明治期に西洋から入ってきた西洋由来の新語も


この漢字の深みからあっさりと「造語」できちゃったんですよ。↑


漢字の造語力はすごいです。何しろ5万字あるんですよ。


極端に言っちゃえば漢字表現で宇宙のすべてを著わすことさえ可能だと思いますよ、


たとえば、、宇宙最高の悟りを「非想非非想天究竟涅槃界」(アビダルマ倶舎論)というようにね。

あるいは、、最上の悟りを「観不思議境円頓止観」(摩訶止観)と表現するようにね。


これはひらがなでは言えませんよね。






こんな奥行きがある漢字文化をあっさり捨てていいんですか?


私はもったいないと思いますけどね。





かくして、、またも、、しぶとく漢字は生き残りました。








その次の漢字の危機が


ワープロ


パソコンの出現でした。




漢字なんて初期の電子機器では表せなかったからです。


ABCなら著わせますが


小難しい漢字はムリでした。




、、で、


漢字


廃止論です。




この時は「かな漢字変換法」という発明でクリアできました。




このように日本では


かくして漢字は今もしぶとく?生き残っています。




でも


漢字文化圏のベトナム。朝鮮ではすでに漢字はとっくに廃止されていますね。


この両国、ついこの間?まで漢字使用国だったのです。


ベトナムは「越南」といったのですね、


しかしフランスの植民地で一挙に漢字廃止に、


今では独特なベトナム文字が使われています。




そして朝鮮では1970年代までは漢字が使われていましたが


ハングル法?ができて、漢字使用が禁止になりました。


その意趣とは


漢字が外国語だからです。


朝鮮の民族意識が何も外国語(漢字)で母国の言葉を表すなんてありえない


と言う愛国心が?そうさせたのです。あるいは日帝がハングルを奪って漢字を強要した?という恨み??


それで一気にハングル専用に舵を切ったということです。




だがこのことでこの両国はそれまでの漢字文化のすべてを失ったのです。


なぜならこれらの国のそれまでの文学も歴史書も漢字で書かれていたからです。


そういうものが漢字廃止で、一般人には今では全くよめないのです。




つまり漢字廃止で文化も歴史も、一挙に失ったのです。




まあ歴史学者は漢字が読めるでしょうが


一般レベルでは今ではほとんど全く読めませんね。、


これはこれらの国の歴史と文化の正統性を一挙に喪失ですね。




「漢字を捨てたのは、文化と歴史も捨てたのと同じだったのです。」




それまでの漢字文化も崩壊です。


それまでの歴史も真っ白です。


まっさらになってしまったのです。




もう、漢字のある歴史書も


漢字のある小説も


一切読めないのです。


書道もオワリです


だって?ハングルを書道?って、、、そんなの詰まらなというか、、ムリでしょ




さて、


ハングルとはひらがなみたいなものですから


どうしても語彙が乏しくて平板になりがちです


同音異義語も区別できません。


韓国語にはもともと漢字発祥の単語がたくさんありますが


それは日帝の残滓だということで、、、、


漢字なら一語で分るところをハングルでは、くだくだしく説明しなければなりません。


漢字語のハングルへの言い換えも進めています。


ですが、


はっきり言うと言語表現力の低下をも招くのです。


同じことを表現するのに日本語の倍の文字数、ページ数を要するといわれていますね。




ハリポタの翻訳が日本語では一冊でもハングルでは分厚い2冊だそうですね。




同音異義語が多すぎて誤解を招くので、、例えば契約書などは英語で作る、、という笑い話もあるくらいです。


これではなんのためのハングル強要?でしょうか?






このことにやっと気づいた韓国はいまさらながら漢字復活を模索し始めた?という情報もありますが、、どうなんでしょうか?


日本発祥の漢字語などは絶対に使いたくないという愛国主義は消え去ることなどないのでしょうね?




それにしても、、変な?愛国心や、メンツで?漢字を廃止した付けは文化的にも歴史的にも甚大でしょうね。


何しろ5万字が一挙に消失して抜け落ちたんですからね。


そうして、、、


後に残ったのは平板で語彙の乏しいハングルの荒れ野?だけだったのですからね。


漢字の造語力に比べれば、、、


はっきり言って、、ハングルの新造語力などはゼロに等しいからです。




ところで、、、


今、、韓国が歴史を適当に自分に都合の良いように捏造しても平然としているのは


それが(漢字廃止)が原因(遠因)なのかもしれませんよね?


だって漢字が読めない韓国人には今までの漢字の歴史書がないも同然なんですからね。






というわけで日本が漢字をすてなかったのは


今にして思えば正当なことだったのかもしれませんよね?




もしも、、、漢字を廃止していたら?




源氏物語も


枕草子も


平家物語も


そして漢字で書かれた歴史書も


読みこなすことが困難だったでしょうね。


全部ローマ字の「GENIJIMONOGATARI」


あるいは全部カタカナの「ゲンジモノガタリ」だったり、、、


ひらがなだけの古事記?




これってムリでしょ?




今現在






漢字


ひらがな


カタカナ


ローマ字




いかようにも使い分けられて表現できるという


こんな武器を持った民族は世界のどこにもいませんよね。




かくして漢字を廃止しなかった日本人の選択は正しかった、と言えるのでしょうね。




あ?




それから究極の「裏ワザ」として


日本には


「フリガナ」


って


いう便利なものものもあるんだよね。


これで難読漢字も簡単に読めるのですから


何も漢字廃止する必要がないわけですね。




つまり、、、




たった1000語の漢字を覚えれば済むハナシです。


これで今までの歴史も文化も失わずに済むのです。




いいえ、ただ日用使いなら500語でも十分です。


100語でもいいかな?


だったら漢字廃止なんて騒ぐ必要もない話ですよね。




そしてもちろん研究者ならあの大漢和辞典で5万語の漢字の密林に分け入って研究してもらえばよいのです。


一般人は漢字500語で済むハナシです。


それで伝統と文化と歴史がまもられるのです。


















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― 新着の感想 ―
[良い点] 漢字の奥行! 5万字ですか、数字にするとすごいですね。 [一言] 文学部に進んだ大学生なんて、変体仮名をすらすらって読めてしまいますものね、歴史ぇ……。
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