クジャクが飛ぶとき。
クジャクが飛ぶとき
私には昔から変な幻覚が見えた。それは虹色の羽を持つ孔雀だ。初めて見たのは5歳ぐらいの時で、周りはただただ小さな子供の戯言と耳を向けなかった。
次に見たのは10歳のころ。運動会の途中で徒競走中にも関わらずレーンのど真ん中を周りも気にせず歩いていた。
その時周りがそれに何も反応しない様子を見て。『これは私にしか見えないものなのだ』と考えた。
その次は11歳のころだった。気になる男の子が出来て教室からグラウンドで走り回るその子を見ていたら後ろから気配がして振り向くと目の前にいた。
こんな近くで見るのは初めてだったが此方に気にも留めずに羽の手入れをしていた。美しい毛並みに心が奪われ見つめていると小さく鳴き声を上げて消えてしまった。
14歳の時。寒い冬の中登校中。私はそのころ学校に行くのが嫌になっていた。友達の勧めで入った吹奏楽部。キラキラしていてとても楽しいものだと思っていたのに、冬でも走り込みをやらされたり、怖い先輩に気を使ったりと散々で、誘った友人は夏には辞めていた。
もう嫌だ、このまま辞めようかと考えながら歩いていると居た。綺麗な赤色の車の上に乗っており、その車と共にどこかに行ってしまった。
一瞬のことで歩きを止め車の消えた先をしばらく見ていたせいで、朝練に遅刻してしまい先輩にこっぴどく怒られてしまった。けど私はそのまま部活を続けた。
15歳。高校入学してしばらく経ち、お風呂に入ろうと脱衣所に行くと、まるで自分の姿を見ているかのようにクジャクが鏡を見ていた。幻覚で、しかもクジャクだというのになぜか意識してしまい、クジャクが消えるまで着替えずただ待っていた。消えた後なぜか
「鳥のくせに」
と、憎まれ口を叩いたのを覚えている。
同じ15歳の時。その時期両親の中がなぜか悪く母は父と別で食事をしていた。私と9歳になる妹と父の3人で食事をするとき。母は終わるまで私の部屋でじっと待つ。そんな歪な家庭環境だった。
食事をしていると父は不慣れにも会話をしようと声を掛けてくれたが、妹はちゃんと話すが『私はそんな事よりもやることがあるだろう』と無視してしまっていた。
そんな時、母が本来座る場所にクジャクがいた。なんだか腹立たしくなり、虚しくなり自分でも驚くような声で泣き出してしまった。
その声に驚いた母が出てきて私を抱きしめると「ごめんね、ごめんね」と繰り返し言い続けた。
その拍子に妹も泣き出して母に抱き着き、父も声を殺して泣きながら母と妹と私3人を大きな腕で抱きしめた。その日以降食卓には4人全員がそろうようになった。
21歳の時。これは自分でも自信がないが、たぶん見た。大学に入ってから久しぶりに地元の友人とお酒を飲んだ帰り道。話に花が咲きいつもよりお酒を飲んでしまって、タクシーで帰宅中チラッと通り過ぎざまに虹色のクジャクが見えた気がした。
しかしこれが酔ったから見たのか、そもそも見間違いかは分からない。
次の朝、酔いも冷めて顔を洗い歯を磨きながら
(久しぶりだったなぁ、クジャク。せっかくならタクシーの中に来ればよかったのに)
と、自分でもよくわからない事を考えていた。
24歳の時。仕事にも慣れもっといい所に住みたいと思い、不動産で見つけた何件かのアパートを内見しているとベランダで寝ているのを見つけた。まるでずっとここで寝ていましたと言わんばかりに、警戒心もなく気持ちよさそうだった。
クジャクが居るからとかではなくこのアパートは気に入ったので借りることにした。けどそれ以降クジャクをアパート内で見ることはなかった。
27歳、結婚して苗字が変わり新婚生活2日目。私は夫と違い休みだったので気合を入れて豪華な夕食を作っているとリビングに居た。
「あんた、来るタイミングがバラバラすぎよ」
一人だったので話しかけてみるもクジャクは反応しないでただ自分の羽の手入れに勤しむだけだった。
「私4か月後に結婚式を挙げるのだけど、あなたも来てね」
私にとって友人とは言わないが長い関係なのでせっかくなら来て欲しいと思い頼むも、変わらず自分の虹色に輝く羽の手入れに夢中だった。
「これ、せっかくだから食べてみて」
食べるとは思っていないがすでに出来ている料理の逸品を小皿に持って目の前に置いてみるも。クジャクは特に反応しないので置いたまま料理を再開した。
気が付くとクジャクは消えており料理にも手を付けていなかった。
28歳の時、夫婦生活も慣れたころにまたクジャクは現れた。夫が車の洗車をしているところ日向ぼっこでもするように庭に居た。
私はゆっくりと近づくと
「あんた、結婚式こなかったわね」
と、笑いながら憎まれ口を叩いたが。クジャクはただ変わらず気持ちよさそうに日光を浴びていた。
その後もクジャクは時折現れた1か月も待たず出てくる時も合ったら10年も姿を見せない時もあった。10年ぶりに出てきた時は
「……死んだかも思ったじゃない」
と、人が居たので小さな声を掛けた。
子育てや、親の介護。時間は直ぐに経ち、気が付けば子供も結婚し、家を持ち、孫も出来た。多くの思い出でなかで、クジャクは居る時もあるが。来る時は大体何の事もない日常で現れた。
子供の結婚。親の死。孫の誕生なんかでは出てこなかったのに。買い物メモを忘れスーパーで思い出そうとしていたら現れたり、殆ど意味のないときに現れた。
けどそれがあのクジャクなのだろう。別に私に何かしようとは無く、ただ稀に現れ消える存在それがあの虹色の羽をもつクジャク。
だからこそ、夫が亡くなった時に現れた時はとても嬉しかった。夫もいい年だし泣くようなことは無かったがそれでも、来てくれたことが嬉しかった。偶然とはいえ昔馴染みがまるで慰めるように来てくれたのだから。
だから今こうやって私が、子供や孫に囲まれながら死を迎えようとする時に現れなくても一切文句は無かった。愛すべき我が子、そして孫に囲まれて死ぬなんて、これ以上の贅沢を望む気にもなれない。
ゆっくりと呼吸が苦しくなり視界がぼやけていく、愛する子供たちが声を掛けてくれるが答える余力はない。
ふと、虹色のクジャクを思う。今まで色々な場面でクジャクを見てきたが飛んでいる場面は見ることがなかった。
あの美しい虹色の羽を大きく広げながら飛ぶ姿は見ものだろう。私は子供たちの心地よい声に耳を澄ましながら目を閉じ想像する。
あのクジャクが虹色の羽を大きく広げ。太陽の光を浴びながら美しい空を飛んでく様子を。
クジャクが飛ぶとき
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