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 あの日から、私はパーカーをかぶるようになった。

 誰にも見られたくなかった。この顔を、隠したかった。


 家でもパーカーを被っていると流石にお母さんに怒られたので、家では脱いでいる。

 けど、落ち着かない。

 怖くて、苦しくて、不安で、お母さんとお父さんの視線でさえ痛く感じる。


 いつしか私は、パーカーに依存するようになっていた。




「たまには、散歩でも行ってみたらどうだ?」


 お父さんが思いつきを口にしたような軽い調子で私に言う。

 いつもの私なら絶対に行かないけれど、何だかその日は行ってみる気になった。



 日が暮れて、空が夕焼け色に染まり始めた頃、パーカーを被って外に出る。

 久しぶりの外出に不安で一瞬止めようかなと思ったけれど、完全に染まった金色の稲穂が見たくて私は一歩踏み出した。


 しばらく道路沿いを歩く。

 私の家の周りには割と住宅が建ち並んでいて、そのどれもが農家の家だ。

 懐かしい風景に久しぶりに心が落ち着く。


 住宅の前に道路を挟んで並ぶ稲穂の群れを眺める。


 辺り一面に広がる稲穂は、夕焼けに照らされて光る金塊のようだった。



「…綺麗」


 ぽつりと呟く。

 涼しい秋風が私の頬を撫でて、優しくパーカーを払おうとするのを手で抑える。


 今の瞬間だけは、自分のことを忘れて自然の中に溶け込んだような気分だった。




 完全に日が暮れた頃、私は帰路についた。

 来た道をなぞるように戻る。その途中。



「依さんのところの娘さん、今こっちに帰ってきてるんだって」


 自然と、足が止まる。


「あっ、私も吉野さんから聞いたわよ! キミちゃんよね? もう26歳なんだって? 結婚はしてないのかしら?」

「さあ? 流石にしてるんじゃない? だってもう26歳でしょ、その歳にはみんな結婚してるわよ〜」


 (あざけ)るような笑い声。


「あ、でももしかしたらできないんじゃない? …だって、依さんのところの娘さん、顔が傷だらけなんでしょ?」



 心臓が、一際大きく脈打つ。



「そうらしいわね。しかもかなり痩せてたみたいよ。…聞いた話によると、鬱なんだって」

「まあ」


 耳を塞ぎたいのに、体は縛られたように動かない。


「だからここで就職させた方がいいって言ったのに、依さん、娘の好きなようにさせたいのでって掛け合わないんだもん」

「それで26歳で鬱でしょ? 依さんも大変ね〜」

「自業自得でしょ。…これだから都会の嫁は困るのよ」


 吐き出される毒が、私の体を蝕むように侵蝕する。


「はっはっはっは、」



 息がうまく吸えない。

 苦しい、苦しい苦しい苦しい。



「あら? あそこにいるの…」

「っ」


 私は弾かれたように駆け出した。

 家に着くと私は逃げるように自室に駆け込む。


 布団に顔を埋めると、私は目一杯叫んだ。

 喉が裂けるくらい叫んだ。

 涙と一緒に私の声は布団に吸収される。



 田舎ではよくあることだ。悪い噂ほど、回るのは早い。

 好き勝手に言って、好き勝手に笑う。

 どこに行ったって当たり前にあることだ。


 それでも、あの人たちはお母さんのことまで悪く言っていた。

 それが許せなかった。



 お母さんが悪くいわれるのは、全部私のせいだ。

 私が鬱だって診断されるから。私が家を出たから。

 みんなみんな、私のせいだ。

 好き勝手言っていたあの人たちも許せない。

 お母さんがここの出身じゃないことがどうしても気に食わないらしい。

 だからって、私のことをお母さんのせいにするのはどうしたっておかしい。

 お母さんは何も悪くないのに。全部私がこんなだから…!


 …でも、一番許せないのはあの人たちに一言も言い返せずに逃げて泣いているだけの自分。

 どうしようもなく惨めで、弱くて、逃げてばかりで。

 許せない、大嫌いだ、自分が憎い。

 心の底から嫌いだ。



 そんな気持ちに、心臓はぎりりと痛む。

 それが余計に辛くて、私はご飯も忘れて夜通し泣き続けた。

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