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明日のガルディアン  作者: 埴輪
第1話「太陽という名の少女」
3/18

「仕事」

「腹は膨れたかい?」


 前を歩くキュイに、シエルは「お陰様で」と応じる。キュイはペイの代わりとして、ガルディアンの中枢までの道案内を買って出たのだ。ペイは寝たきりで、滅多に部屋を出ることはない。……出ることができない、と言った方が正しく、移動には車椅子が欠かせなかった。ペイの妻は二十年前に亡くなっており、それ以来、キュイがペイの身の回りの世話をしているという。


「腐れ縁って奴だね。ただ、下の世話まですることになるとは思わなかったよ」


 そう言って、キュイは豪快に笑った。キュイはあれやこれやと包み隠さず、開けっ広げに喋り続ける。料理のこと、掃除のこと、住人のこと……一方的な、世間話。


 シエルは相槌を打ちつつ、周囲に目を向けた。町を取り囲む外壁の向こうが一面の荒野であることが信じられないほど、緑豊かである。このような人間にとって心地よい環境を整えることも、ガルディアンの役目だった。


 豊富な水は、ダムから引いているものだろう。その水を気象制御によって確保するのもガルディアンだ。ガルディアンなくして、この星の「部外者」である人類には、生きる術がない。それでも、呼吸可能な大気があり、適度な重力があり、命の源である海もあるこの星は、宇宙と比べると「楽園」なのかもしれなかった。


 木漏れ日の中、ベンチで横になっている老人がいる。その枕元に置かれている紙は、新聞だろうか? 麦わら帽子を被り、橋の上で小川に釣り糸を垂らしている老人がいる。この川ではどんな魚が釣れるのだろうか? 杖を突き、川縁を歩く老婆がいる。その後ろに続く黒猫は、ペットなのだろうか?


「爺さん、婆さんばっかりで驚いただろう?」


 キュイに促されるまま、シエルは頷く。多くの町を旅してきたが、これほど老人しか見かけない町は初めてだった。住人の数も、驚くほど少ない。


「みんな百歳は越えているからね。平均年齢なんて、恐ろしくて出せやしない」

「それじゃ、皆さんは……アヴニールから?」

「そうだよ。ペイはもちろん、私やガラもそうだね。他にも何人か、後はその息子か娘かってところだね。まぁ、年寄りであることに変わりはないがね」


 シエルはなるほど……と頷きかけたが、ふと、金髪の少女のことを思い出した。


「あの、女の子が――」

「ソレイユだね。あの子が人見知りだったなんて、ずっと忘れていたよ」


 そう言って、キュイは不意に立ち止まった。


「……ほら、右手の茂みをご覧よ。頭を動かさずにさ」


 キュイが声を潜める。シエルが視線を向けると……鮮やかな金髪が見えた。


「頭隠して髪隠さず……あれで隠れているつもりかねぇ」

「どうして、隠れているんでしょうか?」

「本気で言っているのかい?」


 キュイがシエルを振り帰った途端、茂み……金髪が動いた。シエルは首を傾げつつ、金髪からキュイに向き直ると、キュイは大げさな溜息をついて見せる。


「やれやれ、乙女心が分かってないねぇ。図体はでかくなっても、心は子供だね」


 きょとんとするシエルを余所に、キュイは前を向いて歩き出した。シエルは茂みを一瞥し、金髪の健在を確認すると、キュイの背中を追い掛ける。


 やがてキュイが足を止めたのは、地下へと続く螺旋らせん階段の前だった。地下深くにガルディアンの工房と中枢があるという構造は、町によって違いはない。


「案内はここまでで大丈夫かい?」

「ええ。ありがとうございました」

「さすがにこの歳になると、階段の上り下りはキツくてねぇ。膝にくるんだよ、膝にさ。まったく、エレベーターの一つでもつけといてもらうんだったよ。まぁ、この町ができた時は、みんなまだ若かったからねぇ。もちろん、この私もね」


 シエルが返答に迷っていると、キュイはシエルの背中をバシッと叩き、元来た道を引き返していった。それを見送り、シエルは螺旋階段に足を載せる。


 ……そこでシエルが首を巡らせると、近くの茂みから金髪が覗いてた。とっさに隠れたせいか、風もないのに茂みが小さく揺れている。 


 シエルは肩をすくめると、螺旋階段を一歩ずつ下りていった。


※※※


 ――カン、カン、カン。響く靴音。螺旋階段を下りるにつれ、シエルの周囲が薄暗くなっていく……と同時に、電灯が明るさを増して、行く先を照らしていた。


 どこか遠くの方から、低く、小さく、伸びやかな機械の唸りが響いている。工房の音だ。資源さえあれば、ガルディアンは工房で何でも作り出すことができる。オートマタから酵母肉まで……「作れないのは水と人間だけ」と言われるほどに。


 シエルは工房の旋律に安らぎを覚えた。葉擦れやせせらぎも嫌いではない。だが、機械が空気を震わせる場所こそが、シエルの居場所だった。……自分は技師であるという自覚。それが例え、名ばかりのものだとしても。


 螺旋階段を下り切ると、大きな鉄の扉が待っていた。ノブを握って回し、扉を開く。シエルはそこがガルディアンの中枢で、見慣れた機械やケーブルが所狭しと並んでいる……と思っていたのだが、眼前に広がる光景に目を見張った。


 ――薄暗い部屋の中で一人、ソファーの上で膝を抱えて横になっている少女。


 シエルは息を吐き、カンテラの明かりで照らされた、薄暗い部屋をぐるりと見渡した。物置部屋……とでも呼ぶべきか、様々な物で溢れ返っている。机、椅子、時計、望遠鏡、地球儀、オルガン、画架がか、石膏像、人体模型……壁には地図が飾られ、大きな棚に並んでいるのは……紙の本だろうか。顕微鏡、ビーカー、アルコールランプ、試験管、絵の具、パレット、絵筆、コンパス、分度器、傘、杖、素焼きの壺、猫のぬいぐるみ、木彫りの熊……などなど。


 シエルは部屋の奥にも扉があることに気付き、歩き始めた。毛足の短い絨毯を踏み締め、天井からぶら下がった模型飛行機をかがんでかわし、ソファーの横を横切ろうとした瞬間、不意に左手が掴まれた。――冷やっとした、柔らかな感触。


「眠っている美少女を差し置いて、何処どこへ行くつもりだ?」


 視線を向けると、深紅の瞳がシエルを見上げていた。オレンジ色の光に照らされてなお白い肌。桃色の唇。そして、腰まで伸びた銀色の髪。


「……起きているじゃないか」

「細かい事はどうでもよろしい。私はね、君が私を無視した事に怒っているのだ」


 言葉とは裏腹に、少女の表情は冷静そのもの。


「用があるのはガルディアンの中枢……中央端末だ。この奥にあるんだろう?」

「他に、言うべき事があるだろう?」

「他に?」


 少女は答えず、シエルを見つめ続ける。シエルは観念したように口を開いた。


「……久しぶり、だな」

「それだけか? 全く、変わってしまったな、シエルは」

「八年も経てば変わるさ。お前は……」


 何も変わっていない、という言葉を、シエルは飲み込んだ。記憶にある姿、そのまま。八年という時の流れを、忘れてしまいそうなほどに。


「お前、か。名前では呼んでくれないのか? それとも、忘れてしまったのか?」


 シエルはその問いには答えず、自由な右手で不自由な左手を指さした。


「……そろそろ、離してくれないか?」

「嫌だ」

「テール!」

「何だ、覚えているじゃないか」


 テールはシエルから手を離す。シエルがその手を目で追っていると、テールは肩紐を下ろし、ワンピースを脱いだ。シエルが止める間もなく、下着姿になる。


「なんで脱ぐんだよ!」

「確認したいのだろう?」


 その一言で、シエルはテールの意図が分かった。だが、それにしても……。


「人型モジュールでやらなくても……」

「中枢まではまだ遠いぞ。君は、急いでいるのだろう?」


 テールはソファーの上にうつ伏せで寝そべった。シエルは溜め息をつくと、テールの側で片膝を突く。鞄からメドサンを取り出し、テーブルの上に置く……準備を淡々と進めながら、シエルは脱ぎ捨てられたワンピースに目をやった。


「……やっぱり、服を脱ぐ必要はなかったと思うんだが」

「気にするな。ちょっとしたサービスだ」


 シエルは何も言うまいと、メドサンのモニターに目を向ける。その瞬間、バタンと物音がし、シエルが扉を振り返ると、肩を怒らせた金髪の少女がシエルを見下ろし、睨みつけていた。紺碧の瞳。シエルが言葉を発する間もなく少女は駆け出し、文字通り、シエルに飛びかかった――ドシン! 戸棚がカタカタと震える。


「な、なんだ!? ……あいたたっ!」


 シエルは金髪の少女に押し倒され、腕を取られ、組み敷かれる。


「テール! 逃げて! 私がこの変態を押さえている間に!」

「はぁ? ……うぶっ!」


 シエルの顔がぐいと押され、絨毯に押しつけられる。


「こういうの、『ペドフィリア』っていうんでしょ? 私、知っているんだから!」


 抗議をしようにも、シエルは口を開くことはおろか、息をすることすら……。


「テール! 早く――」


 少女はテールに顔を向け、目をぱちくり。テールの首筋から伸びたケーブルが、テーブルの上に置かれた機械と繋がっていた。画面には小さな文字がびっしり。


「……特殊なプレイ?」

「違うぞ。私は診て貰っている所だ。君が拘束している男……技師にな」

「ぎし? ……ってことは、えっ、じゃあ、この人!」


 少女は慌ててシエルから手を離し、飛び退いた。解放されたシエルは何度もむせながら絨毯の上に座り込み、天井を見上げて深呼吸。そしてまた一つ、咳き込んだ。


「ご、ごめんなさーいっ!」


 少女は深々と頭を下げると、一目散に逃げていった。シエルは口元を押さえながら、鉄の扉がひとりでに閉まるのを見送る。バタン。静寂が訪れる。


「……シエル、すまない。悪く思わないでくれ。私を思ってのことだ」

「こほっ……別に、どうも思わないさ。さっさと始めるぞ」


 シエルはメドサンのモニターに目をやり、キーボードを叩いた。やがて画面に映し出されたデータを見て、口をへの字に曲げる。やはり、防衛システムの制御装置が壊れている。すでに分かっていた事実とはいえ、こうしてメドサンを通して見ると、説得力が違う。これではオートマタの制御はもちろん、可動砲台といった他の兵装の制御もままならず、外敵に対しては全くの無防備の()()なのだが……。


「お前、どうやってオートマタを倒したんだ?」

「はて、何の事かな?」

「とぼけるなって。その……助けて、くれただろう?」

「私は何もしていないぞ」

「テール!」

「君を助けたのは私じゃない、ソレイユだ」

「……何だって?」


 シエルは耳を疑った。ソレイユ。それは確か……あの、金髪の少女の名前だ。


「オートマタを内部から動かせるように改造したんだ。一種のパワードスーツだな。戦い方は私が教えた。実戦は今回が初めてだったが、大したものだろう?」


 シエルは呆れて物も言えなかった。……オートマタに、人間が乗って戦う?


「どうして……そんな馬鹿げたことになったんだ?」

「もちろん、この町を守る為だ。今の私には何も出来ない。かといって、自衛の手段が何もないのは致命的だ。何時何時いつなんどき、偵察用オートマタを引き連れて、流浪の技師が訪ねて来るともしれない世の中だ」


 シエルはテールを睨みつける。テールは寝そべったまま体を捻り、頬杖を突いた。


「この町に()()()()()ガルディアン、そして人間がいることを、電子頭脳に戦う事しかないオートマタが発見したらどうなるかは、火を見るより明らかだ。その為に今、出来る事を考えた結果だ。私には、そう馬鹿げた事だとは思えないがね」

「人間に守られるガルディアンなんて、聞いたことないぞ」

「それで命を救われた人間の言葉だとは思えないな。間一髪で偵察用オートマタを撃退、気絶した君を町まで運搬……感謝こそされ、非難される謂われはない」

「お前がやったわけじゃないんだろう?」

「私は観ていただけだ。一部始終をな。全てはソレイユのお陰だ。それなのに、感謝の言葉一つないとはな。本当に、シエルは変わってしまった」

「……感謝って、さっきのどこに感謝を伝える余地があったっていうんだ?」

「それもそうだな。それで、修理はしてくれないのか?」


 シエルは口を閉ざし、キーボードを叩いた。テールは再びうつ伏せになる。


 ……やれることはただ一つ。だが、シエルはそれを躊躇ためらっていた。結果は分かっている。それでも、やらなくてはいけないことも。……だから。


 シエルはエンターキーを押した。やがてモニターに、「修理不能」の文字が――。


「どうだ?」と、テール。

「うるさい、黙ってろ」


 苛立たしげに答えてから、シエルは唇を噛み締めた。


「……すまない」

「気にする事は無い。黙っているのは得意だからな。多少、傷ついたがね。謝罪の言葉すらなければ、もっと傷ついていただろう」


 ……何が得意だ。シエルは呆れながらも、メドサンの画面をリセットし、他に不具合がないかを()()()()作業を始める。不具合が見つかったところで、自分にはどうすることもできないが、注意喚起ならできる。……とはいえ、ガルディアンなら自分の不具合は把握しているはずだ。となると、自分がやっていることは何だというのか。技師の仕事はガルディアンを修理すること……それは、万能のガルディアンも自分できないことである。だが、()()()()()()()技師なんて……ん、なんだって?


「嘘だろ……」


 シエルはモニターに顔を寄せ、赤い文字列を凝視する。


「どうした?」

「……これは、みんな、知っているのか?」

「ソレイユ以外はな。それが八年前、ヴァンがこの町に呼ばれた理由だよ」


 ――そうだったのか。その結果が()()……先生でも手に負えなかったということだ。本物の技師だった祖父でも。シエルは全身の力が抜けていくことを感じた。


「……いつ、伝えるつもりなんだ?」

「いずれ、な。もっとも、伝えた所でどうしようも無いがな」


 シエルは溜息をついた。何度も味わった、この感覚。無力感。俺はこの先、いつまでこれを味わい続けるのだろうか? 技師として……技師? 技師が聞いて呆れる。この機械を運ぶだけしか能のない人間が、技師であるはずもないのに……。


 シエルはメドサンの電源を落とすと、テールの首筋からケーブルを引き抜き、くるくると束ねる。テールは黙っていた。それを、シエルはありがたく思う。


 ――仕事は終わったのだ。ただ、これだけのことで。

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