2-9.『最恐』からの訓示
このままじゃ……殺される!?
本能がそう訴えているのは分かってる。
けど、身体が反応を起こさない。
これは、『恐怖』だ。
「みんな〜、そのまま動かないと〜死んじゃうぞ〜?」
「「「っ!?」」」
俺の横には、同じ恐怖の感情に捕らわれたシロ、リリーナ、ティア。
これはいつもの訓練だ。……けど、一つ……たった一つ違うものがある。
目の前の……エルシエル=フリソス。
俺達の師匠が……殺気を俺達に向けて出している。
「昨日〜、アスミが来た時に〜皆、動けなかったでしょ〜?」
いつもと同じ口調で話しているのに、身体が竦んで全く動けない!?まるで魔法でも掛けられたかの様に手も足も動いてくれない!?
「確かに貴方達は強くなったわ〜。あのニーズヘッグにも~臆することなく立ち向かって〜、ハイジの助けがあったとは言え~勝利した~。まぁ私が鍛えたんだから当然ね〜!」
今、俺は仮面を着けている。
傍目には、俺の恐怖は見えていない筈……。問題は、今、棒立ちになって死の瞬間をただ待つだけになってしまっていると言う事。恐怖が外に漏れていようがいなかろうが、この後に待つのは『死』だけだ。
「身体が強くなった〜、魔物・化物・怪物に立ち向かえる勇気もある〜。それは良いの、素晴らしいの〜!でも、貴方達に足りないものがあるのよね〜。まぁ、私もこれは教えてなかったな~ってちょっと反省しているんだけど……これからはちゃんと教えて行くからね〜」
動け、動けっ、動け!!
きっとエルさんは俺達の事を殺したりなんてしない。そんな事は分かってる……んだけど!?
今感じているのは、エルさんを怒らせた時の怒気とは全く別種。
これは、昨日亜澄さんに初めて会った時に向けていた……殺気だ!?
「意思を持った人を相手にする恐怖を~ちゃんと覚えなさい〜?」
『神器』を装備していなければ、構えてる訳でもない。
ただそこに立っているだけなんだエルさんは。
なのに……それなのに!?
「ティアちゃん~?料理のお勉強出来なくなっちゃうわよ~?」
「ひっ!?」
「もう美味しい物食べられなくなっちゃうわよ~?シロちゃん~」
「……ぐぎぎ!?」
「せっかくの居場所を~リリーナちゃんは手放しちゃう気~?」
「あ……あぁ!?」
これは訓練……【最恐】であるエルさんの殺気に中てられても動ける様にするものだ。
三人それぞれに言葉を変えて鼓舞していく。
俺達全員、それは分かっては居るのに……動けない!?
「クロちゃん~」
先程の様な言葉を俺にもエルさんが囁き掛けて━━
「貴方の家族〜、皆死んじゃうわよ?」
━━これは、挑発だ。
だって、俺が家族として認識している範囲に、エルさんも入っているんだから。
分かってる……分かってはいるんだよ。
ただ……さっきとは逆の事が俺の中で起きていた。
頭が動かず……身体が動いていた。
俺の家族を、生活を、存在を壊す敵に向かって拳を……エルシエル=フリソスに向けて放っていた。
「「「えっ!?」」」
さっきより遠くで聞こえた三人の驚きの声。それと同時に……
「うん、合格〜」
「え?」
エルさんの言葉と、自らが出した戸惑いが被る。
気が付いた時には、俺達を圧し潰そうとしていた殺気は霧散し、俺の拳はエルさんが居た空間に置き去られ、当人は正面から俺の身体を抱き締めていた。そう頭が認識した時、柔らかな胸の感触が、加熱した頭を冷却……なんてする訳ないーーー!?!?!?
「やっぱり思ったとおり〜!クロちゃんは優しい子ね〜。自分の事じゃなく、家族の事になると恐怖を超えて立ち向かう。うん!とっても良い子に育ってくれて嬉しいわ〜!」
感激してくれてるのは分かる!分かったから解放して!?息が、動悸が、熱が!?熱って俺の頭から発せられる熱であって決してエルさんの身体から感じる熱じゃないからって誰に向かって言い訳してんだ俺はぁぁぁぁぁぁぁあああ!?!?!?
「でもね〜。クロちゃん自身に向けられた害意にも~反応出来る心を取り戻しなさい〜。家族に向けられたものだけじゃなく……貴方自身を守る為にも~」
俺に向けられる……害意。
思い起こすのは、まだ幼かった俺を只の玩具として傷付けていた領主の娘。そして、俺をそいつに与えた領主。
魔物から放たれる殺気ではなく、明確に俺を殺そうとする人間の殺意に俺は鈍感なのだとエルさんは言う。
けど、俺を殺した所で何の得をする?俺はそんじょそこらの人間より遥かに価値の低い人間だ。
人が人を傷付ける……殺すには理由がいる……なんて、じいちゃんが言っていたのを思い出す。
理由、か。
「クロちゃんが、クロちゃん自身を守る事が〜、結果として家族を守る事にもなるのよ〜?だって、クロちゃんが居なくなったら……私達、皆泣いちゃうから〜」
──今は……居るかも分からない人間の事を考えたって仕方ないか。
出て来た時、俺がそいつに対処出来る様に鍛えなきゃ。
もうじいちゃんは居ない。
俺の大切なものは俺自身が守らなきゃいけないんだ。
敵が、例えなんでも。
「はい」
「うん〜。じゃあここからは〜、こうして捕まっちゃったらどうなるのかの実践ね〜」
……は?
「相手がどれだけ強大でも〜、冷静に考えて対処しなきゃ駄目よ〜?捕まっちゃったらさあ大変〜!」
豊満なエルさんの身体に顔がドンドン埋まってくって言うか背中に掛かる力が徐々に強くなっている!?ちょっと師匠!?声を出したくても……エルさんの身体に遮られて出せない!?
「自分の大事なものは自分で守る~。もうこんな風に掴まっちゃダメよ〜?戒めも兼ねて〜、……えーい!」
がぁ!ギリギリと圧が強まって行く!背骨が!?呼吸が!?!?
分かりました!?すいませんでした!?次からはもっと頑張りますからもう離してぇぇぇーーーー!?!?!?
「ちょ……ちょっと……ママ」
「ん〜?」
「い、いい加減……く、クロから、はーっはーっ離れなさい……よ」
「もう、これ位で情けないわね〜。ティアちゃん達はもっとこの訓練しなきゃ駄目ね〜」
「な、なんで……こんなに、しょ消耗してるんで、しょうか」
「ううう……うごけない」
「まぁ〜、初めてやったんだからこれ位なのかしらね〜?」
もう限界!?教育方針は後で考えて今は解放をー!?!?!?
…………あ、もうだめだ。
視界も思考も、ありとあらゆるものが黒く染まり、意識が真っ白な世界へと塗り替わった。
俺の記憶は……そこで途絶えた。




