20. 闖入者が告げる『予感』
「せんしゅ……こうたい……よーせー」
……コイツは俺が戻って早々に何を言ってるんだ?
奇跡的な速さで戻りフリソス家の扉を開けた俺の元へ、疲れた様相のシロが第一声でそう言って来た。
全く訳が分からない。事情を聞こうとリビングに顔を出したそこには……
顔を覆い、泣き崩れているリリーナ。
魂がどこかに遊びに行っているティア。
何があったんだ。
「えっと、二人はその……料理が出来ないみたいだね」
ガドガさんが苦笑いを浮かべながら、戻って来た俺にそう耳打ちする。
━━その時。ヒュッと風切り音を響かせて俺に飛来する包丁。包丁!?的確に俺の心臓に向かって来るそれを呆気に取られながら掴み取り、その出所からの声を聞いた。
「ふふふ~、ちょっと二人には~お料理は早いみたいだから、クロちゃん手伝ってくれる~?」
あぁ、何となく分かった。
リリーナにも、そしてティアにも……料理のセンスがなかったんだな。
しかもエルさんの顔を見るに……じいちゃんにどれだけ丁寧に教えても全く上達が見られなかった時と酷似しているという事は……その料理センスは壊滅的。
教わる側も、教える側も落ち込むって一体……。
と、とにかく。
「分かりました。シロ、二人は頼んだぞ」
「しろ……そろそろ……げんかい」
シロのお腹が可愛く、しかし確かな大きさで「くぅ~」っと主張をしてくる。
……エルさんの様子を見るに相当早いから、お前ももう少し頑張れ。
俺には励ますなんて技能はないし、シロにもあるとは思えないが……ガドガさんも居る事だし何とか、して貰おう。
「これ、転送魔術の掛かった便箋です」
「あぁ、ありがとう」
倉庫から引っ張り出して来た道具をガドガさんに渡し、帯袋を外して上着を脱ぐ。肌長衣の袖を捲り、エルさんに投げら……渡された包丁を手に台所へ。
「クロちゃんとお料理なんて~どれ位振りかしら~?」
「……まだじいちゃんが居た時くらいですかね」
さっきまでの悲壮な顔はどこへやら……隣に立った俺に静かにエルさんが微笑む。
俺がエルさんに料理を教わり、フリソス家でも包丁を握らされていたのが約二〜三年位前まで。最後にこの台所で包丁を握った時は、なんだか師匠であるエルさんに料理と言えど認められた様で嬉しかったのを、今でもはっきり覚えてる。
……何だか懐かしいな。
「楽しみだわ~」
「上達なんてしてないですからね?」
期待してる所悪いですが、家ではシロか、最近だとリリーナが食べる位ですからね?
自分、もしくはシロが満足する様な味付けであれば量があれば基本は良い。エルさんの様に、栄養・盛り付け等、バランスの取れた食事なんて指示がなければ作れたものじゃない。
「メインは私が~。クロちゃんは野菜の皮を剥いて、根菜はこっちに頂戴~。他にはサラダを~。味付けは任せるわね~?」
……って言うか、俺が家に戻っていたのは二時間強位なんだけど、下拵えも終わってないって、それまで一体何をしていたんだ?……いや、何が遭ったと言うべきだろうか。
何となくそれを聞くのは拙い気がして、掴んだ野菜の皮を静かに剥き始める。
翌朝。
ぐ、ぐぅううおおお!
身体が辛いっ!
案の定と言うか、分かっては居た事だが翌日の朝から襲って来た『種』の反動がきつい。
か、身体が痛いのは痛いが……動けないって程ではない気がするな。
正直動きたくはないけれど。
特に神経がすこぶる絶不調!……ってだけだから、起きない訳にはいかないよなぁ。
重い身体を起こし、周りを見るとそこはいつもとは違う光景。
いや、全然知らない訳ではない。フリソス家の客間だ。
ここで目覚めるのはいつ振りになるんだろうなぁ。
昨日は結局、エルさんと俺で食事の支度を終え、……俺が家から行って戻って来るより早く作れたんだけど、本当に俺がいない間に何があったんだろうか。
何とか立ち直ったティアとリリーナを交えての食事会。
エルさんにガドガさんは大勢での食事が嬉しいのか、普段は滅多に飲まない酒を飲んでいたし、シロの食事量には慣れていたがリリーナの健啖ぶりに驚き、突っ込みながら食べるティアの姿も珍しくて俺には見物だった。
二人で作った多目の料理は見事に無くなり、せめて食べたものの後片付けはとの申し出でティア、リリーナ、シロが率先してやっていた。
気を遣って貰い俺は一人で風呂に入り、夫婦二人は珍しくそのまま晩酌と洒落込んでいたな。
で、三人娘がティアの部屋で、俺は一人で客間を使わせて貰い今に至る。
部屋の窓を開け、外を見ると早朝で、……痛みで少し早めに起きてしまい今に至る。
……身体の動作確認が必要だな。
今まで『種』を同種二個以上食べた事なかったけど、起きた感じだと五~六割は動くか?
状況が状況だから自分の身体の様子を知っておいて損をする事は無い。
最低限、『ウーンド・ポーション』と念の為、痛み止めは持って行こう。
痛み止めがあれば緊急時には全快の体調で動ける。次の日にはこの痛みが倍になってやって来るが……命あっての物種と割り切るしかない。魔法が使えない、効かない体質って本当に不便を感じるなぁ。
誰がこの時間から動いてるとも知れないから仮面は着けて、未だ寝静まるフリソス家を出て、起きる気配のない村にホッとしながら森の中へ。
身体は痛いが半分実力を出せるなら、魔物が出てきてもこの辺りの奴なら対処は出来る。
まぁ、戦闘は極力避けたい所なので、軽く動いて戻る事にしよう。
『ヘルバ』がこの辺りの魔物に襲われない理由は、フリソス家とじいちゃんの賜物だ。
大抵の魔物、人間でもそうなんだけど本能と言うものがある。
それがヘルバに居る師匠……エルシエル=フリソスの存在を感知し、この村に入れば死あるのみと理解させてしまうのだ。
なんとも恐ろしい話である。
それを抜きにしても、この村が最初にあり、じいちゃんが森を後から創った。
なのでじいちゃんはこの『ヘルバ』の安全を最優先にする為、村の周りに無数の罠を張ったと言うのだ。
フリソス家が来て定住してからその罠は滅多な事では発動もしないが、それは今でも生きていて、並みの魔物なら一瞬で駆除してしまう代物だろう。
それ以外にも、この辺りに来る敵意を持った人間用の罠だったり、致死性はないが動きを止める目的がある。
魔物の界隈がどんなものかは俺には想像も着かないが多分「あの村はヤバい」なんて噂がされているのか、今では寄り付かなくなっているから村から離れなければ危険も少ない。
例外があるとすれば━━
「BURURUU!」
こんな風に、傷付き腹が減り、本能なんて言ってられない位自分の状態が低下している魔物位だろうか。
って……『朱兎馬』?
朱兎馬と呼ばれるこの魔物の生息地はこの辺りではなく、もっと王都よりだった筈だ。
耳が普通の馬より長く、朱色の鬣が美しい。が、俺が知ってる体長よりも少し小さいから……子供の朱兎馬か?
「HIHNNNN!」
甲高い威嚇の声と共に此方に向かって来た。
が、動きが大分遅い。
確かこの朱兎馬は知能が高く、人間を滅多に襲わない筈。
争いを好まず、力が弱い代わりに速度が他のモンスターと比べて段違いに速い。だから戦わずして逃げると本で読んだ。
臆病とも言えるかもしれないが、俺は何となく、この魔物は優しいのではないかと思ったものだ。それが……。
朱兎馬の突進に合わせ、難なくそれを回避する擦れ違い様に見た。
魔物の身体のあちこちに切り傷や刺し傷、火傷……無数の傷が付いているのを。
……人間に、しかも朱兎馬がこんなに傷を負ったと言う事は、大勢に囲まれて攻撃を受けたんだろうか。
俺が身を翻した先で、朱兎馬はそれが最後の力であったかの様に膝を折った。
命を失うかもしれない恐怖、人間がただ襲って来る絶望、何故こんな所で死ななければいけないのか分からない、そんな……喪失感。
結果として……この朱兎馬を巻き込んでしまったのかもしれない。
本来なら魔物が村の近くに出たら安全の為に倒さなければいけないが、朱兎馬なら大丈夫だろうし何より……こんな様子を見た後では戦う気なんて起らない。
ゆっくりと……此方に敵意がない事を知らしめる様に朱兎馬に近付く。既に意識が朦朧としているのか抵抗の気力もないのか、半目で此方を見詰めるだけ。
体力を回復させる前に傷の手当だな。
その朱兎馬の負っている傷口に持ってきていた『ウーンド・ポーション・ジェル』を塗る。
刺さりっ放しの矢を抜いたら、通常なら暴れるだろうが、今はその体力もないらしく、瞬間的に身動ぎするだけだ。粗方の傷は塞いだから後は身体の内側……か。『ウーンド・ポーション・リキッド』を自分の手に開けて朱兎馬の前に差し出す。この馬、プライド高そうだから何か言葉を掛けた方が飲むのかな?んー……
「生きたければ、飲め」
上から目線な言葉だった気もするが、要は此方の意思が伝われば良い。
俺の言葉を、いや意思を感じ取ったのか、長い耳をピクリと揺らし、目の前に差し出された俺の手からポーションを飲んだ。
朱兎馬の半目だった瞳が見開き、自分の身体の回復を驚いてる様だ。
よし、これで完全に大丈夫だな。
「迷惑を掛けてすまなかった」
立ち上がり、俺を見下ろす朱兎馬の首を一撫でする。
この森なら朱兎馬の新しい住処に成り得るだろうし、害を出さないなら討伐も必要ない。何よりこの魔物の住処を襲った奴らは……多分この村に来る。謂わばこの朱兎馬は被害者だ。その責任は……果たそう。
「森の奥ならお前が脅かされる事もない。食べ物も飲み水もある。暫く療養してくれ」
俺が指差した方角を見詰め、俺に視線を戻す朱兎馬。
俺の頬を一舐めし、次の瞬間には目の前から消えていた。
……万全の状態ならシロと同じ位速いな、多分。
「優しい子に育ってくれて嬉しいわ~」
背筋が凍った。
気配も感じさせず、至近距離から聞こえて来た声に━━殺意が爆発的に大きくなった。
神経は半減以下、速度も出ない。受け止めるしかない!
半ば咄嗟に顔の前に出した手に高速で飛来する物を受け止める。
バン!と軽快な音を立てて華奢な拳が俺の掌に収まっ痛っっってーーー!?
「筋力はそんなに落ちてはいないのね~?」
「問題はそこではないんですが……と言うか起きてたんですね、エルさん」
背後から拳を繰り出して来たのは師匠……エルシエル様。
シロを筆頭に、何で俺の周りには気配を殺して背後に迫る女性ばかりが集まるのだろうか。
「躱せなかったり~、当たる気配がしたら止めようとは思ったんだけどね~?ふふ、ちゃんと鍛えてるみたいで安心したわ~」
今のはエルさんが相当手加減してたから防げただけですよ?!
こんな状態で、《英雄》の一角の本気を受けていたら死を覚悟して然るべきだ。
「こんな朝早くに出て行くクロちゃんが見えて~、こっそり後を付けてみたら良い場面を見ちゃったわ~!」
「あれだけの『種』を服用したのも初めてでしたから、動作確認で」
「あら〜?その程度なら付き合うわよ~?」
「……いえ、エルさんのお蔭でその必要もなくなりましたから」
「そう~?」
残念そうな顔をしないで!どうせ、「じゃあ軽く組手でもしましょうか~」と言う流れから、徐々に力が入り、結果俺がしごかれている光景しか目に浮かびませんから!
お蔭で身体がどの程度動くのか……エルさんのさっきの一撃で把握は出来ましたからご心配には及びません!「百の練習より一の実戦」と、教えを説かれていた時から口にしていた言葉を久々に思い出した瞬間でしたから!?
それより……
「……朱兎馬が普段住んでいる場所って」
「ここからなら~、王都に向かう方向の〜確か湖のほとり……かしらね~」
朱兎馬が去って行った方向を見やりながら、ぽつぽつと問う。
「あの魔物ってかなり珍しい部類ですよね?」
「そうね~。警戒心が強いから滅多に人前に姿を現さないし~」
「幾ら戦闘しないとは言え、あの速い朱兎馬をあそこまで傷付ける方法なんてあります?」
「強い人が居れば出来るわ~。でも今の王都にそこまで強い人が居るとは思えない。考えられるのは……大勢で囲んで逃げられない様にして袋叩き、かしら~」
「……最後に一つ。朱兎馬が生息地としてる所から此処まで、人の足でどの位掛かります?」
「一日以上、二日未満って所ね~」
……来る。
これまで戦った『オーガ』も『クロコダイル・ソルジャー』も遭遇率は低い。つまり敵が蒐集家なら『朱兎馬』を偶然見つけ、その魔物を確保しようとしても何の違和感もない。捕まっていたら間違いなく核を取り出され、使役される謂わば『黒兎馬』にされていたに違いない。
結果、あの『朱兎馬』を巻き込んでしまったが、その『朱兎馬』が俺達に知らせてくれたとなると、傷の手当だけでは釣り合いが取れない位の借りが出来たかも知れないな。
次に遇う事があったら大量に餌でも用意してやろう。
「来ますね」
「えぇ、来ると思うわ~」
「俺が何とかしますから、エルさん達はリリーナをお願い━━」
「こら~」
仮面と素顔の隙間から両頬を摘まれ痛たたたたた!?
「こんな面白……ん!……大事な事を一人で抱え込もうとしないの~」
今面白いって言おうとしましたよね!?くぅ、そうだ。どれだけ今は聡明で強い麗人然としていても……あの『五百神灰慈』とパーティーを組んでいたんだこの人は。
しかも、最前衛を務めていたのは誰でもない、此処に居る【最恐】エルシエル=フリソス。
「うふふふふ~、何だか……久々に燃えてきちゃったわ~」
知らない人間が見たら間違いなく見惚れる程の笑顔。
だが……知ってる人間は、目の色が変わり、口型が普段よりも深く裂けている事に気付いてる。シロが見たら間違いなく逃げ出している嗤顔に……俺の背筋もお凍り付く。
た、頼もしい。敵には絶っっっ対に回したくないが味方になるとこうも頼もしく感じ痛たたたたたたた!
「……ほろほろはなひてふらはい」
もげる!頬がもげる!戦う前に大怪我に発展するぅぅぅ!!




