9.Once Upon a Time
今より五百年以上も前の事、ネコット国の東隣に小さな国があった。今はもう無くなってしまったその国は、若い国王が治めていた。
国王には相愛の美しい王妃がいた。仲睦まじい二人だったが、結婚して数年が過ぎても子宝に恵まれなかった。
大臣達は側室を取るように何度も王に勧めたが、王はこれを頑なに拒否した。
その頃、困り果てた大臣の一人が城下で妙な噂を聞きつけてきた。
愛し合う二人が決められた手順に従って同時に飲めば、数ヶ月以内に必ず子宝に恵まれる魔法の薬があるという。その薬を作れる魔女の居場所も調べてきたと大臣は王に告げた。
王は世継ぎの事をとやかく言われるのに、いいかげんうんざりしていたが、側室を取らされるよりはマシだと思い、とりあえず魔女に会うだけ会ってみる事にした。
数日後、大臣の連れてきた魔女は、まだ年端もいかぬ少女のような幼い容姿をしていた。だが、王を見つめる艶っぽい瞳やしたたかな物言いから、彼女が見た目通りの年齢ではない事が容易に見て取れた。
魔法の薬は男女別々のものを調合するのだという。魔女は王の許しを得て、別室で王妃と二人で話をし、次に王と二人で話をした。
二人きりになると魔女は王に、魔法の薬など使わずとも子宝を欲するなら自分を側室に迎えてはどうかと申し出た。
王はこの申し出を丁重に断った。自分は王妃以外の女性を王宮に迎えるつもりはないと。
それを聞いて魔女は妖艶に微笑んだ。
魔女は王の王妃に対する気持ちを確かめたかったのだと言う。二人の愛が本物でなければ薬の効き目はないからと。
その数日後、魔女は魔法の薬を携えて再び王宮を訪れた。
王と王妃にそれぞれ薬を渡し、王妃の月のものが始まった日から数えて十四日後の夜に、二人同時に薬を飲むように告げて帰って行った。
それからしばらく経って、魔女に言われた通りに薬を飲み、その数ヶ月後、王妃の懐妊が確認された。更に数ヶ月後、王妃は元気な女の子を出産した。
王妃によく似た愛らしい女の子は『シルタ』と名付けられ、国中の祝福を受けた。
だが、シルタ姫の無事な誕生を心底驚き、快く思っていない者がひとりだけいた。王妃の懐妊を助ける薬を調合した張本人の魔女である。
彼女は王に一目惚れし、我が物とするため後宮に入ろうとした。ところがこれを王に拒まれ、王の寵愛を一身に受ける王妃に憎しみを抱き、魔法の薬ではなく呪いの薬を調合したのだ。
薬を飲んだ王妃が薬を飲んだ王の精を受ける事で呪いは完成する。呪いの薬で育まれた子供は、王妃の体内で魔女の呪いを濃縮させながら成長し、やがて王妃を死へと誘い、母親の死により外界へ生まれ出ることなく共に命がつきるはずだった。
二人が同時に薬を飲まなければ呪いは完成しない。ここに魔女の誤算が生じた。
実は王妃しか薬を飲んでいなかったのだ。魔女の微笑に背筋が凍るような感覚を覚えた王は、彼女の薬が薄気味悪くてどうしても飲めなかったらしい。
結果、呪いは未完成となり、王妃は命を落とすことなく、姫も元気に生まれてきた。
だが、未完成とはいえ魔女の呪いを体内にかかえて生まれてきたシルタ姫は普通の子供ではなかった。
姫に長く接していた者が次々と体調を崩していく。彼女が好意を抱いた者ほど、その影響が顕著に現れた。
最初は乳母、そして王妃に王、教育係に世話役の女官等、次々に体調を崩しては亡くなっていった。
姫の誕生から二百年が経過した頃、王の亡き後宰相として国を切り盛りしていた彼女の叔父が、身の回りに不審な死が後を絶たず、いつまで経っても少女の姿のまま年を取らないシルタ姫を気味悪がって、城の奥に閉じ込めた。
そして、シルタ姫の誕生に魔女が関わっていた事を知ると、隣国ネコット国の大賢者ルーイドに助言を求めた。
程なくルーイドは、宰相がシルタ姫を幽閉するために造らせた銀の城に招かれた。
初めて会った時、シルタ姫はルーイドを見つめて微かに寂しそうな笑顔を見せた。話しかけても無表情のまま淡々と受け答えをする。感情を押し殺しているようだった。
呪いを受けて生まれたとはいえ、シルタ姫の本質は普通の女の子だ。
自分に関わる人間が次々に亡くなっていくのを見送り続け、おまけに身内である宰相に閉じ込められ、彼女の心の中には徐々に深い闇が蓄積されていたのだろう。暗い目をした少女の心は砕け散る寸前だった。
一連の事情を宰相と王の側近だった者から聞いたルーイドは姫の事を自分に一任してもらい、銀の城から王宮関係者を遠ざけた。
魔女の呪いを解くには、張本人の魔女に解いてもらうのが手っ取り早いが、魔女は行方知れずだという。
ルーイドはまず、宰相がシルタ姫を閉じ込めるためにかけた鍵を銀の城から全て取り除いた。シルタ姫の部屋の鍵も、扉の鍵も、城そのものの鍵も。
万が一に備えて城の周りと国を取り囲むように魔法障壁のための仕掛けを施した。
成すべき事はわかっている。魔女に呪いを解いてもらえない以上、呪いそのものを消さなければならない。
全身に呪いを帯びて生まれてきたシルタ姫。その姫から呪いを消すという事は――。
ルーイドはシルタ姫の部屋の中に目に見えない魔法陣をひとつ描いた。準備は全て整っている。あとは魔法陣の中でシルタ姫に呪文を唱えればよい。だが、ルーイドはそれをためらっていた。
その時が来るのを先延ばしにするように、ルーイドは毎日シルタ姫に話しかけた。シルタ姫が嫌がるので一定の距離以上は近づけないが、その内シルタ姫もルーイドに心を開いていった。ルーイドの勧めで時々は城を出て前庭を散歩するようにもなった。
人に関わる事はできないが、できればこのまま静かに余生を送ってもらいたいとルーイドは思った。
ある日、前庭を散歩するシルタ姫の前に近所の少年が迷い込んできた。森の奥に新しく建てられた城が珍しくて覗きに来たのだ。
シルタ姫の外見より少し年下に見える少年は、『セルダ』と名乗り、人なつこく笑いながらシルタ姫に話しかけた。
セルダはその後も度々訪れては、シルタ姫が拒むのもお構いなしに彼女にまとわりついた。
ルーイドもシルタ姫に触らないように注意したが、意味のわからないセルダには効果がなかった。
シルタ姫は、いくら拒んでもためらいもなくまとわりつくセルダをかわいく思い始めていた。
少しして、足繁く通っていたセルダがパッタリと姿を見せなくなった。シルタ姫の表情が曇る。自分に接していたため、体調を崩した事は明白だからだ。
ふさぎ込むシルタ姫の元に久しぶりにセルダが姿を現した。立っているのもままならぬ様子でシルタ姫に歩み寄る途中膝を折った。
ルーイドが駆け寄って助け起こすと、セルダは姫を見つめて力なく微笑みながら謝った。
体調を崩して寝込むようになった時、セルダがシルタ姫に会いに行っていた事を両親に知られてしまったらしい。シルタ姫は人の命を食らう化け物だと城下で噂になっていた。
両親はシルタ姫に会いに行く事を禁じたがすでに遅かった。セルダは日に日に衰弱していく。
そして、シルタ姫があれほど触れる事を拒んでいた理由を理解したのだ。
セルダは、シルタ姫やルーイドの言う事を聞かなかった事を謝った。自分が死んでしまったら、城下の人々が益々シルタ姫の事を化け物扱いするだろう事を謝った。
それからルーイドの手をほどいて、よろよろと立ち上がると倒れ込むようにしてシルタ姫にしがみつき、もう一度謝った。
やがて、しがみついたセルダの腕から力が抜け、その身体はシルタ姫の足元に滑り落ちた。シルタ姫はその場に座り込むとセルダを抱き寄せた。
そして、腕の中でどんどん冷たくなっていくセルダに頬を寄せると涙を流した。
声も出さずに静かに泣き続けるシルタ姫の髪がフワリと浮き上がった。同時に彼女の身体から徐々に闇の力があふれ出す。
危険を察知したルーイドは咄嗟に呪文を唱えて自らを結界で覆うと、城の周りに施した障壁の発動を開始した。
広範囲に渡る大規模な魔法は完全な発動までに時間がかかる。城の周りを魔法障壁が徐々に覆い始めたその時、シルタ姫が天を仰いで悲鳴を上げた。
それを合図に爆発的な勢いであふれ出した闇の力は、完成間近なルーイドの障壁を押し広げ、奔流となって城の外へと流れ出した。
ルーイドは舌打ちと共に、国を覆う障壁の発動を開始した。闇の力の暴走は瞬く間に王国全土に広がり、国中を死の呪いで覆い尽くした。
幸いにも間一髪のところでルーイドの障壁が先に完成したため、国外に被害が及ぶ事はなかった。
やがて闇の暴走が収束すると、放心状態のシルタ姫が、歩み寄ってきたルーイドを、うつろな目で見上げて懇願した。自分を殺してくれと。
ルーイドは黙ってシルタ姫を抱きしめると呪文の歌を歌い始めた。
自分がシルタ姫に同情し、ためらっていたばかりに、国ひとつ滅ぼすほどの取り返しのつかない悲劇を招いてしまった。
ルーイドは己の心の弱さを呪ったが、それでもシルタ姫に死を与える事はできなかった。
ルーイドが歌い終わると、シルタ姫は深い眠りに落ちた。彼女が眠りにつくと、国中に広がった闇は徐々に薄らいでいった。
ルーイドはシルタ姫を城の中に移すと銀の城に鍵をかけた。
一日にして滅んでしまった国の噂は、しばらくの間近隣の国々を賑わしたが、すぐに人々の記憶から消え去ってしまった。噂が落ち着くと、ルーイドは銀の城を丸ごと人目につかない闇の森の奥深くに移動させた。
いずれ誰かがシルタ姫を起こすだろう。それはおそらく、先日自分の元を出て行った弟子の一人であろう事はわかっていた。
闇に転向したという、彼の者なら或いは――。
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