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1.不思議の国



 汚れて傾いた「売り地」の看板がかかった空き地があった。整地された後、随分と長い間買い手がつかないまま荒れるに任せて雑草に覆われたこの空き地のジャングルの中が彼の昼寝場所になっている。

 彼は耳としっぽ、四つの足先と顔の真ん中にチョコレート色のポイントのあるシャムネコのオスだ。

 人に飼われ、人に付けられた名前は「トム」という。トムはやっと大人になろうかという若いネコで、まだまだ子ネコのように頭の中は好奇心でいっぱいだった。


 トムは草の上の日だまりで、お日様にお腹を向けて思い切りのびをする。その途端、トムの周りは眩しい光に包まれた。

 少しして、トムが昼寝をしていた空き地の草むらにチョコレート色の髪の十歳くらいの少年が項垂れて座り込んでいた。少年は項垂れたまま、自分の両手を見つめてため息をつく。


「……また人間になっちゃった……」


 少年は顔を上げて辺りを見回した。


「今回は時代も場所も飛んでないみたいだ」


 そして、眩しそうに空を見上げた。

 空を映したような青い瞳は光が差し込むと瞳孔が糸のように細くなる。そう、彼は先ほどまでここで昼寝をしていたネコのトムなのだ。

 トムが何故、突然人間になってしまうのかはまた別の機会に。

 トムは立ち上がってお尻をはたいた。


「もうちょっと昼寝したかったなー。ま、人間になった時裸じゃないのはありがたいけど」


 人間になるのが初めてじゃないトムは人間が裸でうろつくのは変な事だとちゃんと知っている。

 何をすればいいのか見当もつかないけれど、とりあえず空き地で昼寝をしていても埒があかないので外に出てみる事にした。

 傾いた看板の下をくぐって空き地の外へ出ると、トムは人の多く行き交う通りへ向かう。

 ふと、目を向けた路地の突き当たりに「不思議の国」と書かれたプレートを掲げる喫茶店が目に止まった。

 トムはにっこり笑って、その店に向かって駆け出す。ネコの時、時々食べ物をもらっていた店なのだ。

 勢いよく戸を開けて店に入ると、店の奥で店主の青年が振り返った。


「すみません。今日はもう閉店なんですよ。……って、あれ?」


 二人は少しの間黙って互いを不思議そうに見つめ合う。

 少しして青年がひざに手をついて腰を屈め、トムに問いかけた。


「ぼうや、一人? 大人の人は?」


 青年はトムを迷子だとでも思ったらしい。

 トムは眉をひそめて青年の格好を頭のてっぺんから足の先まで舐めるように眺めた。

 いつもトムが食べ物をもらいに来た時の彼とは違っている上に、トムが知っている現代男性の服装とは明らかに違っているのだ。


 彼は普段、トレーナー、ジーンズ、スニーカーの上にエプロンという、いたってシンプルで普通の服装をしている。

 ところが今目の前にいる彼はタートルネックの長袖Tシャツの上に半袖の膝下丈ワンピースを着て腰を太めの紐で縛っている。ワンピースの下はダボダボのタイツ(ももひき?)のようなものを履いて踵のないショートブーツを履いていた。どちらかといえば女の子の服装のようである。


 トムがあまりに怪訝な表情をしていたのか、青年は身体を伸ばすと腕を組んで不愉快そうにトムを見下ろした。


「何? その異星人を見るような目は」

「だって、桜井さん変なんだもの。それ、何のコスプレ? イベントでもあるの?」


 トムの問いかけに青年は服の胸元をつまんで意味不明な返答をする。


「これでもあっちじゃ普通のカッコなんだよ。こっちの服を着て帰ったら姫に怒られるんだ」


 トムは益々怪訝な表情で引きつり笑いをしながら青年を見上げた。


「あっちとかこっちとかって何? ぼく、イヤな予感がするんだけど」

「こら、自分ばかり質問するなよ。おまえ、なんでぼくの名前知ってんの?」


 不思議そうに問いかける青年をトムはいたずらっぽく笑って見上げる。


「常連さんがそう呼んでたから」

「常連さん? おまえ、うちに来た事あるの? 見覚えないけどなぁ」


 青年は再び身を屈めてトムの顔を覗き込んだ。

 トムは青年の目をまっすぐに見つめ返す。


「ぼく、時々桜井さんにごはんをもらってたんだよ」

「ごはんなんてネコにしかあげた事ないぞ?」


 青年が首を傾げるとトムはにっこり笑って自分を指差した。


「それがぼく」

「はぁ?!」


 青年は更に顔を近づけてトムを凝視した。青年の黒い瞳がトムの青い瞳を見つめる。

 薄暗い店内で瞳孔の開いたトムの瞳は光の加減で中心が赤く見えた。瞬きをするたびに文字通りネコの目のように忙しく瞳孔が収縮する。


「なるほど、ネコの目だ。おまえがあのシャムとはね」


 青年は身体を起こしてトムの頭をクシャクシャと撫でた。


「シャムじゃなくて、トムだよ。でも驚かないの?」


 トムが意外そうに尋ねると、青年はニヤリと笑った。


「ぼくも同じくらい”ありえねーヤツ”だからね。なんで人間になったの?」


 青年の素朴な疑問はもっともだが、それについてはトムもよくわからない。


「わかんない。何か解決すればネコに戻ると思う」

「解決ねぇ」


 そう言いながら青年は入口に向かって歩いて行く。そして、トムを店の中に入れたまま入口の「営業中」の札を裏返し、内鍵を掛けた。

 そのまま黙ってトムの前を素通りすると、店の奥にある大きな鏡の前で立ち止まった。


 青年は鏡の四隅に貼られたシールの上に人差し指と中指を乗せて口の中で何かをつぶやいては一つずつはがしていく。

 トムはその様子を黙って不思議そうに見つめていた。

 やがて青年が四つ目のシールをはがし終えると、鏡に映った彼の姿や店内の様子が消え、鏡面が水面のように波打った。

 青年は振り返りトムに問いかける。


「あっちの国、ネコット国に解決すべき問題があるんだけど、おまえも来る?」


 青年の瞳はトムが断るはずはないという確信に満ちていた。

 指差した青年の手が鏡の中にめり込んで手首から先が見えなくなる。その周りの鏡面にゆっくりと波紋が広がった。

 トムは好奇心に目を輝かせて青年に駆け寄る。


「行く! 桜井さんってその国の人なの?」

「あぁ。おまえを手招いてるような名前の国だろ?」


 青年はにっこり笑ってトムの手を取った。


「それと、桜井ってこっちの名前だから。あっちの名前はトゥーシャ」


 トゥーシャはトムの手を引いて鏡の中へ足を踏み入れる。続いてトムが楽しそうに駆け込み二人の姿は鏡の中へ消えた。


 少しして波打つ鏡面が静けさを取り戻すと、鏡は元通り誰もいなくなった店内の姿を映し出した。




Copyright (c) 2008 - CurrentYear Kiyomi Yamaoka All rights reserved.


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