1. 置き去り
「またか…」
レノはダンジョンにまた置き去りにされていた。
眼前には、身の丈ほどの大剣を携えた人型の魔神が睨みを効かせている。このダンジョンを支配する者だ。魔神が眼力を込めると、辺りは紫煙に包まれてゆく。改めて、レノは魔神に向き直った。
「やはり、夜叉でしたか、これは厄介だ」
韻を踏みながら、レノは魔神に語りかける。夜叉は病魔の一種である。身体から発する煙を吸い込んだ者を病に至らしめ、喰らうとされる怖ろしい魔神だ。魔神が好んで魔物を統べることは少ないので、恐らく先住者を蹂躙してこのボスエリアに居座っているのだろう。だから、交渉の余地ありと踏んだ。
「夜叉さん、どうでしょう。やっぱり見逃して頂くという訳には―――」
「否、貴様はともかく、それは美味そうだ。」
「僕なら、食事に毒霧はかけませんけど…ほら、青ざめちゃってますよ、あまり美味そうには見えないなぁ。あー、大丈夫ですか?」
レノは悩みの種に視線を向けた。
ローブを纏った翠色の瞳と髪の少女が、床に伏している。
年齢はレノと同じ15歳らしいが、幼い顔つきと華奢な体躯のせいで年下に見えてしまう。少女の名はリリア…らしい。らしいというのは、彼女の特性によるものだ。そしてそれは二つ名にもなっている―『無言無欠』。無詠唱の結界魔法を得意とし、傷一つ付かない。さらには戦闘中に限らず、彼女が口を開くところを見たものはいないと言う。
そんな少女が、こうもあっさり倒れているのには理由があった。
*****
これよりわずか前のこと。
「もう最深部か、今回はレノの協力もあって、早かったな!」
ダンジョンの最深部、金髪イケメンのパーティリーダーが、レノの肩をバシバシと叩いた。
「いえ僕も、天下の『超越の翼』に臨時メンバーとして参加できたこと、こうえいのきわみです。」
「またまた、心にもないことを!」
リーダーは、少しうるさいが気さくで分け隔てない人柄から人望も厚い。
「っと、着いたな!」
最後のフロアの扉を開けると、だだっ広い空間にぽつりと大きな石像があった。
「ボスは不在か?」
「魔物の気配はありませんね、ハズレかな?」
パーティの斥候が隣に並び、石像に触れようとしたところで、最後尾のリリアが無言で入場した。と、大きな力によって入口の扉が閉ざされる。
「くっ、しまった、罠か!?」
同様するメンバーをよそに、レノが呟く。
「確かに、魔物の気配はないわけだ。」
刹那、石像が動き出し、その大剣を振るう。その風圧だけで、大規模パーティ『超越の翼』は壊滅状態に陥った。
「リリア!防御陣の展開を―――」
「もう、やってるみたいですけどね。」
返事のない少女の代わりにレノが答える。吹き飛ばされたメンバーの中には、重傷者はいるものの、皆意識ははっきりしていた。
「こんな至近距離で魔神の一振りを受けたら、普通は人間もフロアも粉々です。」
レノの分析通り、リリアは石像が動いた瞬間には最大の防御陣を仲間の前面に展開していた。それでもなお止められない威力なのだ。
「レノ、勝てるか?」
「勝率は五分五分ですが…戦ってるうちに、ダンジョンが崩壊して生き埋めになるのが先ですかね。」
「では、どうすれば…」
レノは、浅く息を吐いて告げる。
「魔神は、人が喰いたいんですよ。生贄でも捧げて許しを請うてみては?」
リーダーの顔が曇る。人情深い彼には、看過ならないことだろう。
レノの言ったことは、半分冗談で、半分本気。それ以外の方法が浮かばないのもまた事実だった。
「まあ、それは冗談としても―――」
レノが言いかけたとき、閃光が走った。
「光の呪縛!!」
「―――!?」
パーティの魔法使いの呪文が、リリアに向けて《・・・・・・・》放たれた。前方の防御結界に集中していた彼女は、あっさりと被弾し、崩れ落ちる。一時的に身体を痺れさせ、動きを封じる魔法だ。リーダーが声を上げる。
「マーリー!何をしている!?」
マーリーと呼ばれた魔法使いは、それを無視して魔神に頭を垂れる。
「ま、魔神さま!!どうか、どうか我々をお見逃しください!あの娘を魔神さまへの贄として捧げます。あの娘は、身体こそ小さいですが、魔力量は私たちの中でも随一です。きっと、魔神さまのお力になることと存じます。代わりに、どうか我々を―」
「マーリー!どういうつもりだ!?」
「………レノの言う通りよ、とても勝てない。だったら、少ない犠牲で多くの命を救うべきでしょ?」
「仲間を売るつもりか?僕にそんなことは――」
「所詮は臨時メンバーでしょ!?私たちは、何年もあなたと一緒に苦難を乗り越えたの!…リーダー、冷静な判断を。彼女を裏切らなければ、私たちの信頼を裏切ることになるわ。」
「しかし…!」
「そうするといい。」
レノが、冷めた目でリーダーを見据える。
「この人の言っていることは、まっとうだ。まっとうで、社会的で、正義だ。これは正義の選別だ。僕は、その選別を何度も受けてきた。だからわかる。正義は、守られなければならない。例え、罪のないものが選別を受けたとしても。そしてあなたは良いリーダーだ。短い付き合いでしたが、それはわかります。良いリーダーは、正義を、選ばなければならない。皆のために。」
「冗長、何故、我がその請い、受けねばならぬ。」
魔神が口を開く。
「愚鈍、貴様らの請い、受けずとも、力を持ってねじ伏せ、皆食えば良いこと。」
メンバーに緊張が走る。ふいに、レノが床に額を付けるように伏せた。それは、先のマーリーよりもさらに深く、惨めな有様だ。
「魔神に希う。有り余る力の『魔』、限り無き愛の『神』の名を負う貴方に、改めて願います。この矮小なる人間の願いに、慈悲をおかけくださることを。」
魔神はわずかに動きを止め逡巡したあと、告げた。
「是、人の願いに寄り添うこともまた、魔神の神たる力の拠り所よ。貴様らの敬虔に応えよう。」
すると、固く閉ざされた扉が開く。
「おおぉ…」
「開いたぞ!」
「助かるのか?」
負傷したメンバー達の目に光が戻る。しかし、リーダーはまだ、決断が下せない。マーリーが彼の腕を取る。
「ほら!行くわよ!もう、後には退けないの!!」
「だが………」
「レノも、ほら、いつまでそうしてるの、早く!」
マーリーが跪くレノの肩に手をかけようとしたところで、レノがそれを払った。
「僕は、残りますよ。臨時メンバーですし。」
「何を言っている!?君まで犠牲になる必要は―――」
思わずリーダーが口を挟む。レノは、それを聞き逃さない。
「君まで」
「い、いや、今のは、」
「勇敢なご決断ですよ、リーダー。あとはそれを、皆さんに指示するだけだ。」
「………」
「これは、パーティの敗北ではありません。パーティの戦略的な撤退です。あなたにも皆にも傷はつかない。あなたの指示さえあれば。彼女の言う通り、後ろに道などないのですから。」
「………全員…撤退。『超越の翼』、撤退せよ!!!!」
そう宣言すると、唇を噛み、リーダーは負傷者を抱えて扉の外へ出た。再び扉が閉まろうとしたとき、リーダーが声を上げる。
「レノ!僕たちは必ず戻って君たちを――」
そこで、重い扉が閉ざされた。
*****
本来ならば、自身の優秀な結界魔法によって毒霧を防げていたはずのリリアは、仲間の不意打ちによって思うように身体が動かず、その毒素を吸い込み続けていた。
「…あの……僕は大丈夫なので、ご自身を守った方が…」
「………」
少女はやはり、話さない。ただ、片手を空に突っ張って、結界の維持を続けるだけだった。レノが嘆息する。
「そう、殊勝なことをされてしまうと、ですね。僕も幾分心が痛むというか…」
そう言いつつ、レノは光の宿らない目でリリアを見下ろす。
「はぁ。良いですか…今からすることは、あくまで、緊急避難であって、特別な感情もなければ、意味もありません。ですからですね、あなたにとって、ノーカンと考えてください。あくまでも、あなたと、僕の生命維持のためのものであって、そうですね―――」
レノは感情を込めずに無暗な弁解を重ねる。そして、
「―――人工呼吸、とお考えください。」
俯くリリアの顎を片手で持ち上げ、レノが彼女に口づけた。
現代スクールorオフィス恋愛「社畜を辞めたらバイトの先輩が教え子でした」と並行して連載を開始しました。
どちらも定期的に更新していきますが、こちらはじっくり文章量多め更新で考えています。
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