ひらひら、と
「せんぱーいっ!」
手を振りながら現れた美咲を見て、思わず感嘆の溜息をもらしてしまった。
夏祭りだからといってわざわざ着飾る必要もないか、と思って、いつも通りの服で来てしまったことを後悔してしまうほど、彼女の浴衣姿は似合っていた。
普段は下ろしている長い髪を結い上げて、いつもは隠れて見えない白い首筋が丸見えだ。何かこう、いけないものを見てしまったかのような罪悪感に襲われて、思わず視線を逸らす。
白地に淡い蝶柄の浴衣は、夜でも感じる夏の熱気を吹き飛ばしてしまうような清涼感を感じさせてくれる。
「えへへ、おかあさんに頼んで着付けてもらいました。その……似合いますか?」
「あ、ああ、びっくりしたよ。すげー似合ってる。あー……」
綺麗だ、と思わず口にしかけてから、慌てて言葉を飲み込んだ。かぁっ、と顔が熱くなったのを気取られないよう、やや顔を俯けるので精いっぱいだった。
「そろそろいくか。あんまりのんびりしてると混んできちゃうしさ」
「そうですね!」
ごまかすように言った言葉に乗ってくれた美咲に感謝しながら、俺たちは並んで川べりを歩く。
八月も末になって、たぶんこれがこの夏最後の祭りになるから、と美咲に誘われたのは正直、僥倖だった。
あまりにも恥ずかしいから思い出したくないが、俺から告白して未だデートというやつにも行けていなかったから、彼女から提案してくれたことは助かった。
が、初デートに夏祭りっていうのは、なかなかハードルが高くないだろうか?
周りを見ればカップルばかり。これが初デートの俺たちはさぞ浮いていることだろう。
どこのカップルも手をつないで非常に仲が良さそうだ。俺たちにはちょっと、いや、俺にはハードルが高い行為だ。
美咲には非常に申し訳ないんだけど、小心者の俺は遠慮しておきたい。何せほら、そういうのは段階を踏んでから――みたいな。
屋台を見て回りながら人の流れに任せるまま、俺たちはゆっくりと歩いていく。
油のはじける音、焼けたソースの食欲をそそる匂い。夕飯を抜いてきた俺には腹が鳴るものばかりだが、いまは不思議と何も食べる気が起きない。
バクバクと激しく脈動する心臓の音がひどく耳障りで、隣の美咲に聞こえていないか心配になるくらいだ。
喉が詰まるような緊張は告白したとき以来だ。学校で会ってもこんなことにはならなかったのに。
ただ単純に、綺麗に着飾ってきた彼女が隣にいるだけでこんなにも違うものだとはまったく知らなかった。
落ち着け、といくら念じても、腹の底が締まるような緊張は全然ほぐれてくれない。
「せんぱい、どうしたんですか?」
「いや、なんでもない……はずなんだけど」
不思議そうな表情を浮かべる美咲に、ひときわ心臓が高鳴った。
毎日のように見ているはずなのに、ダメだ。今日は全然違う。
俺がおかしいのか、それとも美咲のせいなのか、どちらでも構わない。
せめて、情けない姿だけは見せないように。
「今日はすっごく楽しかったです」
「そりゃよかった。俺も楽しかった」
目玉の花火も見終わって、見物客もまばらになり始めたころ、空いたベンチで一休みすることにした。
なんとか喉を通ったラムネを飲み干すと、美咲がふと、立ち上がった。
「せんぱいはこの浴衣、どう思いますか?」
「え? 似合ってると思うけど……」
「えへへ、ありがとうございます。でもそういうことじゃなくて、この蝶柄、どんな意味があると思いますか?」
「意味? 柄に意味なんてあったのか?」
それは初耳だ。てっきり、目を楽しませるためだけのものだと思ってた。
「わたしもおかあさんに教えてもらったんですけど……」
牡丹と芍薬は幸福。
撫子は笑顔。
桜は始まり。
「へえ、いろいろあるんだな」
個人的に好きなのは菖蒲だ。しょうぶ、とも読むことから勝負強さもあらわすらしい。
「じゃあ、その蝶柄は?」
「なんだと思いますか?」
うーん、なんだ?
蝶から連想できるのは、やっぱり美しさ、とかになるんだけど……。
「正解は長寿だそうです」
「全然わかんないって」
「わたしもわからなかったんですけど、ちょうって、長とも読めるじゃないですか。だから長寿、なんですって」
「へえ、そういわれてみると納得できるね」
「ただ、違う面での意味もあって」
「それは?」
「長寿ってことは、ずっと続く、っていうことにもなりますよね?」
「そうだな」
「だから、その……わたしたちの仲がずっと続きますようにって――」
言葉を失った。
今、俺はたぶん、顔が真っ赤だ。
手にしていたラムネの瓶を思わず握り締めてしまう。
横目で美咲の様子を窺うと、彼女も頬を赤くしている。
「あ、あとあとっ」
「な、なんかあるのか?」
「反対に蝶ってひらひら飛ぶので、移り気を意味するので! その……ちゃんと捕まえててください、ね?」
ラムネの瓶の代わりに、急いで美咲の手を掴んだ。