忘れもの
朝。チャイムの音に急かされながら、階段を1段抜かしで駆け上がる。今現在、一分一秒を争う事態に陥っている私の名前は坂野花子。
なんと今日は曲がり角でイケメンとぶつかって遅刻しそうになっちゃった…という理由でもなく、ただただ寝坊しただけである。あと遅刻常習犯なのはここだけの話。
「今日こそは間に合ってみせるっ!!」
チャイムの最後の音と共に扉をガララと開け、教室に入った。
「セェーッフ!!」
ホッとする私を教室の最前にある少し高い所、通称「教壇」から見つめる者がいた。うちのクラス担任の細田である。苗字とは対照的に、ずんぐりとした体型をした男性教師だ。
「アウトアウト。今のは1限目の予鈴だ。放課後、反省文な」
「えぇー!そんなぁ!」
また連続遅刻記録を更新してしまった。
放課後。一人教室に残って反省文を書いている。遅刻常習犯といえど反省文の方は一向に慣れない。それどころか書く度に、理由やら反省の心を絞り出すのが難しくなっていく。一枚の用紙と格闘していると、教室のドアが開く音がした。
「よ、よう」
声のした方を向くとそこには同じクラスの男子、立花太郎がいた。
「どうしたの?忘れもの?」
「う、うん。まぁ、そんなとこかな。お前はまだ反省文書いてんのか。早くしねぇと学校閉まっちまうぞ」
「わ、分かってるって!」
ホントに早く書かなきゃ学校が閉まってしまう。ここで一夜明かすのは流石に無いと思うけど、早く済ませて帰らねば。
「あんたこそ早く忘れもの取って帰りなよ。遅くなるよ」
「あ、あぁ!さっさと済ませて帰る!」
そう言うなり自分の席を素通りし私の席まで向かってくる。
「どうしたん?席忘れた?」
「ちげーよ!ばか!」
顔を赤らめながら太郎は私の手からシャープペンシルと用紙を奪った。
「何すんの!?私を家に帰らせないつもり?」
「んなわけあるか!俺が代わりに書いてやるってことだよ!察しろよ!」
「察せるかい!!唐突に私のもの取るからいじめっ子かと思ったわ!」
「いいからさっさと終わらせて帰るぞ!」
「なんで助けてくれるの?」
「何でもいいだろ!」
「ハッ…私お金持ってない…」
「別に対価は求めてないって!!」
「聖人かよ…」
何なのだろうこいつは。ボーッと眺めていると真っ白だった用紙は、みるみるうちに黒くなっていった。
「ありがとう。あんたのおかげで今日は助かったよ」
「そんなのいいって」
「でもホントになんで手伝ってくれたの?私のこと好きなの?」
さっきまで話しながらも動いていた彼の手が止まった。見ると顔は真っ赤だった。
「あっ!ごめん!いきなり失礼ってか意味不明なこと言っちゃって!ホントにごめん!!泣かないで!」
「泣きそうで赤面してんじゃねぇから!!」
「え?」
彼は深呼吸するとシャープペンシルを机に置き、私の方を向いた。
「実はずっと声かけようと思ってたんだ。ただいつも頑張ってたから、手伝うなんて言いづらくて」
「じゃあ忘れものってのは…」
「うん…その反省文と…坂」
「ちょ!ちょっと!タンマ!!今恥ずかしいこと言うの禁止!!」
「えっ……」
「えっとえっと!明日!そう明日聞かせて!!また反省文手伝ってもらう時に!!じゃ、じゃーね!!!」
私はカバンを引っ掴むと大慌てで廊下に出て階段を駆け下りる。え、今のって告白ってやつ…?うそうそ…私が…?
「坂野ー!忘れもの!!!」
後ろから反省文とシャープペンシルを持った太郎が追いついてきた。あちゃあ…。
「ご、ごめんね…さっきは逃げちゃって…」
走って乱れた呼吸を整えると彼は反省文とシャープペンシルを渡してきた。
「俺もなんかごめん…」
「こここ今度はちゃんと聞くからっ…もう一回言ってくれない…かな?」
「う、うん。では改めて…」
しんと静まり返った廊下。夕日に照らされた彼は微かに震える口で言った。
「坂野のことが好きだ」
「…はい」
にやけと照れが交じった微妙な赤い顔で彼と私は笑った。