64話 無意識領域
僕の意識はどこまでも深く深く沈み込んでいく。
気がつくと僕は知らない木製の橋の上に倒れていた。夜空に数多の星が瞬いている。起き上がって左右を見ると、どこまでも橋は続いているようだ。
一体どれ程の長さなのか?
僕は欄干から下を覗き見た。
驚くべきことに下も暗黒に包まれていた。
それも見た事がない程の深い闇だ。
その闇を見ていると、吸い込まれそうになる……
「橋の下を見続けるのはオススメしないな」
突然背後から声をかけられて僕は飛び上がらんばかりに驚いた。
「あ、悪りぃ。そんな驚かすつもりはなかったんだ」
振り返ると、そこに1人の男が立っていた。
背が高く、ガッチリした体格をしており、年齢は僕よりも少し歳上に見える。
「あなたは?」
僕の問いかけに男は少し考え込み、
「うーん、そうだな。君のいる世界でアルゴン・クリプトンと名乗っていた男、と言えばわかるかな?」
僕はマジマジとその男を眺めた。
「あなたがあのアルゴン・クリプトン!?」
「そう、あのアルゴンだぜ。あぁ、写真撮影なら事務所の許可を取ってくれよ。でもサインなら今ここで……」
何を言っているんだ、この人?
「あー、すまん。ちょっと悪い癖がでた。気にしないでくれ」
僕の微妙な反応にアルゴンは気まずくなったらしい。改めて居住まいを正している。意味深に出てきたわりに、何だかしまらない人だなと思う。
「本題に入ろう。俺は君に会いに来たんだ」
アルゴンは僕を指差す。
「君があの世界を救う為に何をしたのかは知っているよ。本当にありがとう。そして、尻拭いをさせてしまって申し訳ない」
アルゴン・クリプトンは僕の前で頭を下げた。
「正直に言うよ。あの時は力も知識も不足していた。世界が異なるとこうも勝手が違うんだなって思い知らされたよ」
僕は少し意地悪な質問をすることにした。
「それで千年もかかったんですか?」
するとアルゴンはバツが悪そうに頭を掻いている。
「すまん、そこも想定外だわ。世界によって時間の流れが違うことは知っていたけど、千年も経っているとは思わなかった。俺の体感では1年くらいだったんよ」
とても信じられないような話だが、つらそうに話している彼を見ると、それが真実なのだと思えた。
だから僕は別の話をすることにした。
「ここはどこなんですか? 僕は封印されたはずなんですけど」
「ん? あぁ、ここは世界と無意識領域の狭間だよ」
「無意識領域?」
聞き慣れない言葉を鸚鵡返しする。
「世界の外側、あるいは心の深淵にそこは無限の如く広がっている」
アルゴンは暗唱するようにその言葉を発した。
「え?」
と、僕が首を傾げると、彼はだよね、と頷いている。
「世界は数多に存在していることはヴァーレから聞いたろ?」
今度は知らない名前が出てきた。
「ヴァーレって?」
「黒猫のこと。アイツの名前、ヴァーレって言うんだ」
ヴァーレ。
そう言えば、誰も彼の名前なんか気にしてなかったな。黒猫か、猫としか呼んでなかった。
「あの黒猫は何者なんですか?」
「あいつは元は人間の魔術師だったんだよ。色々あって猫になったらしいけど」
アルゴンはあらぬ方を向く。
「まぁ、それはまた別の物語だな」
誰に向かって言っているんだろう?
何だか落ち着きがない人だなと思う。
「あー、猫ちゃんの話は置いといて、話を戻すな。要は世界や生命体の意識の奥底ですべてを繋げている空間があんのよ。それがこの橋の下の無意識領域だ」
アルゴンは橋の下の暗黒を指差した。
「で、今の君は意識だけがここまで沈んできてしまったのさ。肉体は封印されたままなんだよ」
僕は自分に触れてみた。普通に触れるし、肉体が存在している感覚なんだけどな。
「無意識領域に落ちてしまったらどうなるんですか?」
僕はアルゴンが最初に言った言葉を思い返しながら言った。
「あの下にはとんでもない怪物たちが蠢いている。落っこちたら意識を食い尽くされちまうだろうな」
アルゴンは身震いしながら言った。
「前の、いや、前の前の魔神王には酷いことをしちまったと思うよ。きっとヤツも俺に封印された後、意識だけがここに来た。そして無意識領域に落ちてしまったんだろう。意識を喰われるのは死ぬよりも苦痛らしいからな」
アルゴンは欄干に寄りかかりながら言った。
「お前ももう戻った方がいい。ここに長居して良いことはないからな」
「でもどうやって戻ればいいんですか?」
それがわかれば、言われなくてもこんなところには居たくない。
「ちょっと待ってな」
アルゴンは僕の額に手を触れた。
すると、橋のある地点にぼんやりと光が見えた。
「なぁ、アイトくん。ナナという女はこのまま君が封印されたままで納得すると思うかい?」
突然、彼はナナさんの話を始めた。
「……いや、しないと思います」
僕は自然と笑みが浮かんでしまっていた。
「だろうな。きっと彼女は君を助け出すまで諦めないさ。あの光は彼女の想いだぜ。触れてみな」
手で触れると、そこに確かにナナさんを感じた。
彼女が体験したことが僕の中に流れ込んでくる。
彼女がまだ天使だった頃、彼女は閉じられた天使の国にウンザリしていた。
そしてある日、彼女は魔神に覚醒した。自由が手に入ると思っていたが、実際は監禁生活だった。
彼女はチャンスを得て地上へと降り立った。しかし、地上は彼女が夢見た程素晴らしい世界ではなかった。
千年王に封印された彼女は、再び呪縛されることになる。時折解放者が現れるが、自分の欲望を押し付けようとする奴ばかり。彼女はその度に解放者をボコボコにし、さっさと封印されていた。
そして、その日。
彼女はその青年と出会った。
自分と同じような境遇の、素朴そうな青年。不思議と彼と一緒いるのは嫌じゃなかった。
彼に興味を持った彼女は、その望みを叶えることにした。
最初のうちはからかうつもりで誘惑してみたりした。しかし、その冗談半分だった気持ちは、いつの間にか本物に変わっていっていた。
彼女は彼のことが……
僕はいつの間にか涙を流していた。
「意識だけでも泣けるんですね」
「その涙は何よりも尊いモンだ。大事にしな」
アルゴンは光を指差す。
「彼女の気持ちに触れてどう思った?」
「また彼女に会いたくなりました。でもそれはできない……」
するとアルゴンはポンと僕の頭を叩いた。
「世界がどうとかは、もう君が考える必要はないんじゃないか? 大事なのは、君がどうしたいかだぜ」
僕が、どうしたいか?
「僕は……彼女と一緒にいたい」
「うん、素直でよろしい。ほら、帰り道が現れたぜ」
アルゴン示す所には、橋とは別の第三の光の道が現れていた。
「この道を進めば彼女のところに戻れるんだ」
僕は光の道の下の暗闇に目をやった。あの下には意識を喰らう怪物たちがいる……
「あぁ、他のヤツのことは気にすんな。邪魔するヤツがいれば俺がぶっ飛ばしてやるから。君は彼女のことだけを考えろ」
そうして背中を押された僕は光の道に踏み出した。
歩み出そうとして、僕はアルゴンの方を振り返る。
「あなたの本当の名前、アルゴンじゃないんですよね?」
そう問いかけると彼は頷いた。
「おう、俺の名前はアルティメット。アーティとでも呼んでくれ」
次が最終話です。




