2話 アイトさん、覚悟はできていますか?
「わらわと……旅?」
ナナさんは自分を指さして小首を傾げた。
「はい……」
僕は俯いて答えた。
言ったはいいが、とても恥ずかしい。
気が付いたら勝手に喋っていた。なぜあんな願いを……?
「いやぁ、そんな願いは予想外でした。顔に似合わず結構大胆なんですね、アイトさん」
そう言って僕のことをツンツン突っついてくる。
余計に恥ずかしくなるからやめて欲しい。
「あの、その願いじゃダメですか?」
するとナナさんはニッコリほほ笑んで首を振った。
「いいえ、喜んで引き受けましょう」
「ホント?」
まだ恥ずかしいけど、ナナさんは僕と一緒にいることを受け入れてくれた。それが素直に嬉しい。
「ですがアイトさん、この願いを叶える全能の力は一回限りの特別製です。あとはわらわ自身の力で手助けできますけど、ホントにその願いでいいのですね?」
僕は頷いた。
不思議と迷いはなかった。
「ではアイトさん、具体的にどのような旅にしたいのですか?」
僕は少し考え、
「目的地とか無いんだけど、この広い世界を旅しながらまったり生活したい、かな?」
「なるほどまったりとはつまりセレブ生活ですねっ!」
ナナさんは聞き慣れない言葉を使った。
セレブ生活? なんだろソレ? でも、意味は通じていると思う。それよりも確認したいことがある。
「ナナさんはどのくらいの期間まで僕と一緒にいてくれるんですか?」
これは大切なことだ。
願いの効力は一か月か、もしかすると一週間の可能性もあるじゃないか。それくらいだとやっぱりガッカリしてしまう。
しかし、ナナさんの答えは予想外のモノだった。
「期限なんてないです。アイトさんが望む限りずっとわらわはお側にいますよっ!」
「え? いいの?」
僕が望む限りずっとだなんて。
「もちろんですとも。わらわはずっとランプに閉じ込められていたからですね。この世界を見て回るのも夢だったんですよ」
「へぇ、そうなんだ」
ナナさんは両手を顔に当ててこれから始まる旅に想いを馳せているようだ。と、不意に僕の方を向く。
「あ、そうだ。アイトさん、明日ちゃんとそのギルドとやらに辞めること伝えて下さいね?」
「う、うん」
そう、旅にワクワクするのは良いが、その前にガナンたちに辞めることを伝えなければならない。絶対揉めるだろうな。
「気が乗らないようでしたら、いっそのことバックれますか?」
「いや、さすがにそれはマズいです。あ、それと今更なんですけど、僕あまりお金がないんです」
クエスト報酬なんて微々たるモノだから財産なんてほとんどなかった。
「それは心配無用です。確かにお金は必要ですけど当面の間はわらわにお任せを」
「え、さすがにそれは……」
遠慮する僕の口にナナさんは指を押し当てた。
「こういう時は素直に甘えていいんですよ?それに当面の間だけです。後々はお金を稼ぐ手段を考えねばなりません」
そうだよな。ここで見栄を張って遠慮しても仕方ない。甘えさせてもらおう。
「旅の準備もわらわにお任せを。アイトさんが準備するモノは覚悟だけです」
「覚悟……」
ナナさんの言葉を僕は反芻した。
「今のこの環境を捨て去る覚悟。これまでの自分を捨て去る覚悟。アイトさんにはありますか?」
自分を、このギルドの生活を捨て去る……
もちろんあるに決まっている。ランプを磨き続ける間、僕が考えていたことはそのことばかりだ。
「うん、覚悟はあるよ」
そう答えるとナナさんはニッコリ微笑んだ。
「その今の気持ち、お忘れなきよう」
ナナさんは僕の頬に手を触れた。
彼女の手は少しひんやりしているが、とても柔らかかった。
「あ、そうだ。アイトさん、ランプ磨きで寝不足でしょう。これをどうぞ」
ナナさんはどこから取り出したのか、手の平に入る大きさの小瓶を手渡してきた。瓶にラベルが貼ってある。
「えっと、魔神調合ドリンク【ナナビタン7】?」
「それを飲んで眠れば疲れがとれるし、怪我も治るんですよ」
なにそれすごい。
僕はその飲み物を一気に飲み干した。
「ではアイトさん、今日はもうお休みなさい」
その言葉を投げかけられると不思議と睡魔が襲ってきた。
意識が沈む中、僕はこれが夢ではないことをただひたすら祈った。
◆
翌朝。
目覚めた僕はすぐに周囲を見回した。
ナナさんは……?
だが、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
「そんな……」
腹の底から冷たいモノがこみ上げてくる。
アレは夢だったのか。手の感触だってハッキリ覚えているのに。
「あ、起きられたんですね。おはようございます、アイトさん!」
後ろを振り返ると、そこにはナナさんが立っていた。彼女は両手で盆を持っており、そこにはパンが置かれた皿と湯気が立ち上るカップが二つ載せられている。
「ちょっと朝ごはんの準備をしていました。焼きたてのパンですよ」
どこからそんなモノを調達したのか、というツッコミを忘れるくらい僕はホッとしていた。
魔神ナナは実在していた。それがとても嬉しい。
ナナさんは僕の側に盆を置いた。
きつね色のパンは外はカリカリ、中はモチモチしていた。
ナナさんも美味しそうにパンを食している。
僕にはそれが意外に思えた。
「魔神も食べたり飲んだりするんだね」
「そりゃもちろん。わらわはこれでも美食家なんですよ」
自分を示して胸を張るナナさん。
美食家の魔神か。言葉だけなら恐ろしい想像をしてしまいそうだが、実際はパンを頬張る可愛らしい女の子なのだ。
「アイトさん、これ飲んでみてくださいよ」
ナナさんはカップを手渡してきた。それは黒い色をした飲み物だった。こんな飲み物は見た事がない。少しためらっていると、ナナさんは自分の分に口を付けた。それで僕もその黒い飲み物を少し飲んでみた。
少し熱い、そして苦い。しかし、鼻腔が良い香りで包まれる。不思議な飲み物だ。
「どうです? 苦かったならミルクか砂糖を入れますか?」
「ううん、大丈夫。これ、不思議な飲み物だね。何ていうモノなの?」
「コーヒーです」
コーヒー?
聞いたことがない。
「異国の飲み物なの?」
「まぁ、そんなところですね」
世界には僕が知らない食べ物や飲み物がたくさんあるのだろう。想像するだけでもワクワクする。
早く旅に出たい。その為には。
「ナナさん、そろそろギルドハウスに行くよ」
僕は立ち上がり、小屋から出た。この苦痛の場所から決別する為に。