王子は氷姫と語らう《リベルト》
初めて見た。僕と同じ魔力。だけど違う魔力。
お姉様は僕を見ても何も言わなかった。僕に誰よりも近くて、遠いお姉様は僕が弟だと言っても何も言わなかった。
ただ、自分を眠りに追いやったタディオンを見て。
ただ、自分を置いてくタディオンを見て。
悲しそうに泣くんだ。
お兄さんとタディオンがいなくなってから部屋の扉をゆっくりと開けて中に入れば、やっぱりお姉様は悲しそうに泣いていた。
「お姉様」
「っ」
「お姉様は、そんなにタディオンが好き?」
お父様はお姉様を裏切ったのがタディオンだと言っていた。お姉様はタディオンが好きで、タディオンもお姉様の想いに答えたんだって…でもタディオンは皇太子妃様にずっと想いを寄せてたんだって。
結婚の知らせをしに行った宮殿でお姉さまはその事実が受け入れられなかったんだって。
でも、貴族なら、そういうこともあるって僕が読んだ本には書いてあった。政略結婚っていうらしい、それは家と家とをつなぐ大事な結婚。
お姉様とタディオンは恋愛婚を望んでいたんだって、好きな人といることを望んだんだって。
タディオンは変だよね。好きな人が皇太子妃様ならお姉様と結婚するのって結局政略結婚と変わんないのに。
「リベ…ルト…、?」
「裏切られたんだって思ったんでしょ?」
お姉様も変だよね。
僕が子供だからわからないのかな。それとも“お姉さまとも違う”から分からないのかな?
「ええ…」
「愛して欲しくて愛してくれるんだって思って、愛したんでしょ」
「そう…よ」
「でもお姉様が望む愛はくれなかったんだよね? どうしてそんなタディオンが好きなの?」
捨てちゃえばきっともっと幸せになれるのに…って、そう言えばお姉様は顔を真っ青にして僕の顔を見てきた。
本当にお姉様は綺麗だ。顔を真っ青にさせるとよりガラス細工のようで、氷細工のようで、脆くて透明で。
「だって…」
「だって?」
「タディオン様だけが…タディオン様だけが言ってくれたのよ…そばにいて言ってくれたの…」
お姉様は真っ青な顔で悲しそうに、でも嬉しそうに微笑んで僕の頬を優しく撫でてくる。
「“リナリアの魔力は優しくて心地いいな”って」
“リベルトに会ってから初めてその意味も知れたけれど”とお姉様は僕を抱きしめてくれる。
お姉様は氷細工のように脆くて綺麗で。でも、でも、その腕の中は焼けるほど熱くて。
氷の向こうで眠るお姉様を思い出して、不思議と涙が出てくる。
お姉様の気持ちが少しも分からない訳では無いんだ。
だって、僕も同じだから。
違うんだって分かってても同じだから。
お姉様を起こすためにタディオンのところに向かう途中。ずっと、ずっと怖がられてた。落し物を拾っても、挨拶をしようとしても、世間話をしようとしても。
みんながみんな僕から距離をとるんだ。悲鳴をあげて、化け物を見るみたいに、僕を見るんだ。
お姉様もきっと、そうだったんだと思うんだ。カルラが僕にはいたけど、お姉様はカルラもダメだったと聞いてるから。
もっと、もっと一人だったんだと思う。
それって、とっても怖くて。悲しくて、寂しくて、周りが憎くなると思う。
なんで化け物みたいに見るんだって。何もしないのにって。話をするぐらいいいじゃないかって。
でもそんな中に唯一そばにいてくれて“魔力”を受け入れてくれる存在がいたならば。
きっと僕もお姉様のようになってしまうんだろうと思う。その存在が愛しくて、手放したくなくて、共に居たくて。
裏切られても仕方ないからって。せめて自分を見てくれるようにあがいて…そうやって…きっと。
きっと、全てを許してでも欲するんだと思うから。
「お姉様…」
「なぁに…?」
「お姉様は、ずっと一人だったの?」
「そうね、お母様とお父様はそばにいてくれたわ。いてくれようと頑張ってくれる人もいた…でも、他家で大丈夫だったのはタディオン様だけだったの。だからかもしれないわ…傷つけられたっていいから、私を見てほしい、そばにいて欲しいって思っちゃうのよ」
それが間違いだって分かっていても。そう、お姉様は続けて僕の髪を優しく撫でた。それから僕のことをベッドの上に呼んで僕に隣に座ることを許してくれた。
「リベルトは…私のことを知っていたの?」
「知ったのは二ヶ月ぐらい前だよ。魔力の勉強しててお姉様の魔力を見つけて気づいたんだ」
「あら、十歳で? すごいわね、私のがそれを覚えたのは確か十二の頃だったわよ」
くすくすとお姉様は笑って僕の話を聞いてくれる。
お姉様が眠ってた時のことを、どんな事があったのかを言っていけば楽しそうに。寂しそうに。それを少し繰り返して、ふとお姉様が思いついたように僕に聞いてきた。
「リベルトはどんな夢を持ってるの? きっと今が夢を探し始める時よね」
「僕はまだ…お姉様を起こすことを目標としてたから…お姉様は?」
「え?」
「お姉様はタディオンを諦めるの? 諦めた先でどうするの?」
お姉様はタディオンの事ばかりを考えている節がある。そして目先のことばかりでその先のことを考えていないみたい。
「…私、は」
言葉をつまらせ悲痛な顔をしてお姉様はぎゅっと、シーツを握りしめて目を閉じる。しばらくして目を開けてどこか遠くを見て
「私ね、タディオン様がいない先なんて、考えたこと無かったの」
そうしてやっと口を開いた。
「タディオン様はどんな大人になるんでしょう。タディオン様との結婚生活はどんなものでしょう。タディオン様との子供たちはどんな子なのかしら、きっと可愛くて、愛しくて、名前は…名前はどんなのがいいかしら…って」
それは今となっては悲しい“夢”となってしまったもの。
「一人で辛くなった時はタディオン様がいてくれたわ。受け入れてもらえないことに落ち込んだ私をいつも元気づけようとしてくれた。それが幸せで…ずっと続くと思っていたのよ」
「うん」
「タディオン様が皇太子妃様に思いを抱いているのはちゃんと分かっていたの。学園では皇太子殿下とタディオン様はご学友でしたから。自然と皇太子妃様とタディオン様が一緒にいることもありましたもの。それを見てたら気づきます…でも」
「でも、皇太子殿下に結婚式のご報告の際に伺った宮殿で今もその思いがあるとは思わなかった…だって、皇太子殿下と皇太子妃様は既にご結婚をされているのですもの」
お姉様はきっとそこで頭が真っ白になってしまった。タディオンと婚約を破棄して他の人を探すという考えなど無いほどに。
それほどまでにタディオンを思っていたから。
「タディオン様はどうして私を見てくれないの。このままずっとそうなの。そう考えたらね、たくさん思い描いてた未来が全部偽物のように思えてしまって…最低な選択をしてしまったの」
こうして弟が生まれる時に立ち会うことも出来なかったと。また僕の頭を優しく撫でてくれる。それでもその手は震えていて、どれだけ口を開くのが辛いのか分かる。お父様にもお母様にも言えなかった。当時を知らない僕だからこそ言える本音をお姉様は少しずつ吐き出して。
そっと息をついた。
「……夢はね……無いの」
「うん」
「どうしたいかって言われても、分からない。結婚するんだって花嫁修業は沢山してきたけれど、こんなに眠ってしまった私の婚約者を探すのなんてもう無理でしょうし。仕事だって、何も出来ないもの」
僕はお姉様の事をちゃんとお姉様として好きだ。僕が生まれてから一度も会ってなくて、存在すら知らなくて。やっと知れたのも二か月前。それでもお姉様はちゃんと僕にとってお姉様だ。
時間なんて関係ない。お姉様は僕のことを弟だと受け入れてくれて、僕もお姉様だと受け入れている。それだけあれば十分なんだ。
「お姉様は──」
だから、僕は口を開いた。
口にしない方がきっといいんだって分かってて。寂しさもあったけど。口を開いた。
だって、お姉様は僕のお姉様だから。