異世界のお料理
お断り
前作に登場したテンプレ夫君は、家庭科の実習くらいでしか料理したことのない、ひとり暮しもしていない“ごく普通の”元高校生です。
したがって、異世界で日本食を自作したりできるわけがありません。
異世界ものテンプレのひとつ、料理チート。主人公がジャパニーズフードを恋しく思うためか、異世界ものにおいて料理や食事のシーンはけっこう頻繁に登場します。
苦労して食材を探し、スパイスを手に入れ、各種ソース、調味料を再現し、和食を洋食をお菓子を作る――。
お米・味噌・醤油の探求と唐揚げ・マヨネーズ・プリン・カレーの普及は外せませんね。
それにしても、転生主人公さんたち、料理上手です。というより、よくレシピを細かい分量や加熱時間まで覚えてますね。筆者には真似できません。
異世界の食材――主に野菜など植物に関して、地球のものと同じ見た目、味、名称なのか、それらのうちどれかあるいはすべてが違っているか、人によってわかれるところです。
筆者は、料理がメインの作品ならともかく、作中にそう何度も登場しないだろう野菜の名前をオリジナルにする必要はないんじゃね?と考えています。
だって絶対に右から左に抜けていきますもの。
ただ、「見た目ドラえもん色の大根で味はさつまいも」みたいに、異世界っぽさを強調するのに効果的だとは認めます。名前はすぐに忘れるけど。
とある作品では、オリジナルの名称を、既存の名称を軽くいじる程度にとどめ、またそうでない食材も、料理法や出来上がったものから容易に推測がつくように描かれていました。
素晴らしいバランス感覚だと感じたものです。
さて守備よく食材を手に入れたら、次はお料理パート。どこまで詳しく描写するか、難しいところですね。
筆者がこよなく愛するジャンル、時代小説を例にとってみましょう。
高田郁の『みをつくし料理帖』は、作中で料理の手順が丁寧に語られます。なんたって“料理帖”ですからね、主人公がしっかり料理しないと話にならないのです。
また、作中料理を再現してみたい人気No.1をジブリと争う池波正太郎。ここでは『鬼平犯科帳』にしましょうか、料理は適度に描写され、登場人物たちが食べるシーンが美味しそうなことに定評があります。
最後に佐伯泰英の『居眠り磐音江戸双紙』。これは料理するところはほとんど描かれず、主人公が実に美味そうに食事する様子が 売りの作品です。
筆者個人は、あまりにも料理シーンに文量を割くとストーリーの流れが悪くなるように感じる派です。
『鬼平犯科帳』は気にならないけれど、『みをつくし料理帖』になるとちょっと料理描写がくどいような気がする。こんな感じ。
テンプレ異世界ものに限らずライトノベルやノベル形式のゲームなどもそうなのですが、リアリティを出すためなのか、生活力のある主人公やヒロインが料理する様子をやたら詳しく描写する作品ってけっこうあります。
ですが、いき過ぎたそれはリアリティではなくただの知識自慢です。
レシピの紹介がしたいなら、『みをつくし料理帖』のように巻末にでも別枠で設ければいいのです。
あと、普段やたら砕けてライトな文章のくせに、料理パートだけ妙に淡々としているというか堅苦しい語り口になっていて、その差に違和感を覚えるということもしばしばです。
しょせんはチートでハーレムな俺TUEEEEなお話のくせに、そこまで料理に情熱を注がなくてもいいのよ!と言いたい。
とはいえ、材料が揃った。できた。さあ食べようでは、あまりお料理している感が出ません。
邪魔にならない程度に料理手順に触れるくらいはしたほうが、「主人公が本当にその料理を作れるらしい」という説得力が感じられるのではないでしょうか。
また、食事シーンを美味しそうに描けると、主人公の料理上手が証明できるでしょう。
ただ、あまり食事シーンに力を入れ過ぎると、もはやその作品はファンタジーではなくグルメものになってしまいますが。
口から虹色の光が発射されたり幻覚を見たり、下手したらタイムスリップまでしてしまいそうです。
先に述べた時代小説3作品を、料理と食事どちらに主眼が置かれているかを簡単な表であらわすと、こんな感じでしょうか。
料理寄り 『みをつくし料理帖』
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『鬼平犯科張』
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食事寄り 『居眠り磐音江戸双紙』
バランス的には『鬼平犯科張』くらいが、多くの人にとって、ストレスがなく読めるラインかもしれませんね。
これはあくまでも、筆者個人の好みがなので、もっと料理寄りがいい、食事寄りがいいなどそれぞれだとは思います。
ちなみに、お料理が得意な主人公の作品で、その料理を作る際のちょっとしたコツや目新しいアレンジなんかに出会えたりもするので、そういう作品はどんどん歓迎していきたいと思います。
異世界のあれこれ、またなにか思うことができたら続くかもしれません。
でも、1度完結させたのに付け加えるのもどうよと思ったので、短編あるいは連載をシリーズでまとめるという形になるでしょう。