28.雅の秘策
アイドル名鑑
泉屋宮
総選挙中間11位のサイバーガールズメンバー。茶道や華道に精通しており、そのキャラクターが人気。
長篠高校ではある生徒に似てると噂に。
宵越テレビ本社 ロビー
広いロビーにその人物はいた。三好雅。長篠高校の生徒で、その女性的外見を度々ネタにされる人物だ。普段はかわいいと言われる彼だが、夕日に当たると美しく見えた。
今は夕暮れ。応援団の東京ツアー二日目の今日も、犠牲者が出てしまったのだ。
雅はロビーの真ん中に立って考えていた。何せ、第二の犠牲者、秋庭椛は彼の目の前で死んだのだ。それも、落馬で。
雅は乗馬の技術を持ち、デイアフタートゥモローという愛馬もいる。そんな彼だから、今回の辞退が腑に落ちない。
「馬があんなに驚くような物、なかったよな……。大きな音もしてないし」
雅は現場の状況を思い出して呟いた。本社敷地内にあるコンクリートの地面で乗馬など馬に負担のかかる真似をする、配慮の足りないところは宵越らしく、使用された馬はサラブレッドで乗る位置が高い。柔道の受け身を知らないアイドルが落ちたら危険だ。
雅は柔道は受け身だけ練習した過去がある。落馬によるダメージを防ぐ意味もあったが、武道の技では一番実用的だからだ。
実際、彼の友人である千歳(男子)が柔道部員なのだが、彼は受け身のお陰で転んでもかすり傷一つ追わなかったという武勇伝を持つ。
「雅さん。貴方を呼んでる人がいますよ」
「悪い、後にしてくれ。やることがある」
そこへ仮面の執事バトラーが近寄る。雅に用事があるようだ。だが、雅は用事を聞く前に断った。あることをしようとしていたのだ。
「ちょうど、貴方の会いたい人ですよ。貴方、泉屋宮と入れ代わって囮になろうとしてますね?」
「よくわかったな。さすがお前だよ」
バトラーは雅がやろうとしてることを読んだ。雅は泉屋と入れ代わり、犯人をおびき出して捕まえようとしてるのだ。
「ま、雅さんなら本人よりかわいくなり過ぎて、犯人より先に他の変質者をおびき出しそうですが……」
「失礼だなこの野郎」
バトラーはサラッと酷いことを言う。そんなやり取りを終えて、二人は歩き始めた。バトラーの先導で泉屋のいる場所へ向かうのだ。
「あの椛さんの事故以来、雅さんが何か考えてるので内容を観察により予測し、それを泉屋さんにお伝えしました。泉屋さんはハイテンションで了解して下さいましたよ」
「なんかハイテンションの部分が気になるな……。てか、お前よくそんな遊人みたいな真似を……」
泉屋には既にバトラーが話をつけてあった。しかし観察で予測とは、予測が外れたらどうする気だったのかバトラーに聞きたくなる雅であった。
しばらく歩いていると、前から藍蘭と真夏が歩いてきた。バトラーは真夏を藍蘭に預けてきたのだ。
「なーによ、仮面執事。あんたお嬢様預けてナンパ?」
「僕は男だって最初に言ったよな?」
藍蘭はいきなりバトラーに言った。雅は藍蘭に未だ女の子だと思われていたのだ。一応新幹線で説明したはずだが、恐るべき男の娘である。本人は喜ばしく思ってるわけもなく、頭を抱えていた。
「人の話をすぐ忘れるとはナンセンスですね藍蘭さん。貴女はニワトリですか?」
「お嬢様、この執事は酷く口が悪いので解雇した方がいいですよ」
バトラーと藍蘭が妙な対決モードに入る。当のお嬢様、真夏は沈黙を守り続けていた。
一方で雅は、バトラーとある人物を重ねる。そして、スーツの袖や衿元から古傷が見えた時、雅は確信した。
「ナンセンスといい白髪といい、古傷といいお前はn……」
「雅さんは最近、『男子』中学生に告白されたらしいですよ」
雅の言葉を遮る様にバトラーが雅の個人情報を漏らした。雅は慌て始めた。バトラーの作戦は成功だった。
「な、クラスでしか話してないことをなんでお前が! てか、男子を強調するなよ、男子を!」
「情報は常に漏れているのです! 個人情報保護法? 個人情報関連5法? なにそれおいしいの?」
バトラーが仮面の下でドヤ顔をしながら雅に言った。雅はそのドヤ顔を見た瞬間に、重ねた人物の影を取り消した。
「あいつと似てるって思っただけの話さ。だが、あいつはドヤ顔なんかしたことなかった。」
《あいつ、とは誰ですか?》
真夏がホワイトボードに文字を書いて、雅に伝える。雅はそれに答えた。
「直江遊人、僕のクラスメイトだ」
「氷霧先輩から聞いた、墨炎のリアルね……」
藍蘭は苦虫を噛み潰した様に呟く。まさかあんなかわいい女の子の中身が、思春期真っ只中の男だとは思わなかったのだ。知らぬが仏である。
というか、中身が遊人みたいなドライかつウブで一途な人間でよかったと藍蘭は思うべきである。これが一般的な男子高校生なら、墨炎の見た目を生かしてやりたい放題だっただろう。
墨炎のリアルについては藍蘭から氷霧に聞いたので、薮蛇でもある。
《その人がバトラーに似てるんですか?》
「共通点はあるが、遊人はあんなに表情豊かではないからね。それに……いや、なんでもない」
雅としても、まだバトラー遊人説は捨て切れない。だが、雅はある事情により捨てざるを得なかった。
せめて遊人の古傷の位置だけでも記憶してれば、完全な否定材料になったかもしれない。
「たしか、佐原会長が熱地学院大学から遊人に関する資料を貰ってきてたな。もしそこに遊人の傷が記録されてれば、君の記憶と照らし合わせれば……」
《私、佐原さんのところへ行ってきます》
雅から不確実ではあるが、情報を聞いた真夏はホワイトボードにメッセージを書き、佐原の下へ向かった。バトラーは別に止めようとはしなかった。
凍空プリンスホテル リディアの部屋
仕事を終えた弐刈が部屋に戻ると、リディアはベッドですやすや寝息を建てて眠っていた。弐刈はそんな彼女の様子を見にベッドまで近寄る。
リディアは仰向けで寝ていた。眼鏡を外し、髪も解いた姿は普段と違ってあまりに無防備だ。
着ているルームワンピースは本来ゆとりがあって然るべき衣服だが、サイズが合ってないのかボディラインがしっかりと見てとれた。弐刈はリディアの身体をまじまじと見つめる。
素足を絡め、ワンピースの短い裾からはスパッツが覗いている。腰つきが衣服の形からハッキリわかる。ラインは引き締まっているが、出るところは出ている。一般的に理想の体型であった。
弐刈は視線を胸元へ移した。閉じていたはずの胸元は、寝てる間に開けたのだろうか、白い肌を覗かせていた。胸の形も、ワンピースのシワとして現れていた。程よい膨らみが、寝息と共に上下する。ついついベッドに上がり、じっと見てしまう弐刈であった。
それにしばらく見とれていた弐刈だが、視線は寝息を立てるリディアの唇に移った。目移りの激しい男である。
唇は薄い桃色で、濡れて艶やかだった。その柔らかさは、遠巻きに見つめるだけでも伝わる。
弐刈は散らされた金髪にも触れる。サラサラした金髪からはシャンプーの香りがして、弐刈の中にある一種の興奮を煽った。
弐刈は興奮にすぐさま負け、リディアの身体に触れる。触れたのはか細い肩。ワンピース越しにリディアの高い体温が伝わる。だが弐刈はリディアの色香に浮されて気づかなかった。リディアの身体は細くてか弱く見えるが、実は相当鍛え込まれているということに。
というか、大型バイクを運転出来るという時点で彼女の筋力について気づくべきであった。
だが間抜けも大間抜け、触れてもリディアが起きないことに気をよくした弐刈は手を動かしていく。ワンピースの上からリディアの腹や腰に触れ、遂に露出した太股に触れた。
リディアの柔らかく暖かい肌に触れ、弐刈はますます歯止めが効かなくなった。こういう男をチョロイと形容するのだろうか。いや、チョロイという形容詞はこの男のためにある様なものだ。
「ん……むにゃ……」
しかし、肌に触れたことでリディアは起きてしまった。しばらく寝ぼけ眼を可愛らしく擦った後、リディアは少し驚いた表情をした。
だが、すぐにリディアは起き上がり、弐刈の右手を両手で掴んで言った。彼女の両手の指は綺麗で、暖かく弐刈の右手を包みこんでいた。
「もう……触りたければ権力でもなんでも行使して構わないんですよ?」
そして、掴んだ弐刈の右手を自らの胸へ押し当てる。弐刈はリディアの心臓の鼓動、身体の柔らかさを右手に感じた。そして、リディアは弐刈をベッドに押し倒して上に乗る。
「社長の命令を聞くのが、秘書なんですから」
リディアは弐刈に顔を近づけ、唇と唇を合わせる。弐刈はリディアをしっかりと抱いた。
(計画通り!)
リディアは弐刈に抱かれながら、心の中で言う。実は彼女、弐刈が部屋に入った時点で起きていたのだ。要はタヌキ寝入りだ。
(さて、とりあえずの仕込みはこれでよし。後は向こうから来るのを待って裏切るか)
リディアは心の中で着々と、弐刈を絶望に突き落とす策略を練っていた。
宵越テレビ本社 4階 Bスタジオ控室
真夏と別れた藍蘭、バトラー、雅は泉屋宮のいる控室に足を運んだ。
「おいバトラー。お前本当にいいのかよ。お嬢様がお前の正体に辿り着くぞ」
「問題ありません」
雅はバトラーに言った。別にバトラーは正体を真夏に隠そうとしてるわけでは無いようだ。
「では、本題に入りますよ」
バトラーは控室をノックして開ける。控室の扉には、『444』と不吉な数字が書かれていた。部屋番号にしては酷い。本来、日本では車のナンバーや部屋番号に4や9を用いない。
控室の畳の上には、雅にそっくりな少女が青い浴衣姿で正座していた。
「ようこそいらっしゃいました。私が泉屋宮です」
「そりゃ丁寧にどうも」
挨拶には藍蘭が答えた。藍蘭は雅と泉屋を交互に見る。声までそっくりだ。泉屋は前情報にあった、雅との外見面では唯一の相違点である綺麗な長い髪を短く切っていた。おかげで、二人は双子かドッペルゲンガーの様にそっくりだ。
「髪は? 前は長かったよね?」
「切らせていただきました。周りの人には言い触らしてあります」
藍蘭は髪について言及する。泉屋は既に作戦の下準備をしてあったのだ。泉屋は綺麗な自慢の髪を切ってまで、雅に協力する気らしい。
「貴女は本気なんですね。髪は女性の命というから……。本当に、入れ代わり作戦を?」
「髪を長くすることだけが、髪大事にするということでは無いのです。それに、今は髪どころではありません」
雅は泉屋に言った。泉屋は本気で、髪を切ってまで作戦に協力したのだ。
「私は縁さん、ひいては椛さんを殺した犯人を許せません。バトラーさんが言うには、縁さんはただの窒息、椛さんはただの落馬ではないのでしょう?」
「ええ。直江刑事と癒野さんの判断です。あの人達が犯人の予測を誤るところを、私は見たことありません」
バトラーは雅に資料を渡す。それは、縁の司法解剖の結果だった。
「首を絞めた跡が? それも人の手だ」
「ですが、癒野さんは跡が浅くて死因としては不十分だと言ってます。首を絞めた跡ではありますが、この程度の力では死ぬ前に激しく抵抗されるそうです。縁さんの携帯電話には、こんなメッセージが打たれていました」
雅は資料を読み進める。そして、縁の携帯電話が写された写真を見た。携帯電話の画面には、『誰かに首を絞められている』と書かれていた。藍蘭はそのメッセージに注目した。
「誰か?」
「警察が全力でその誰かを探してますが、未だに特定できてません。手のサイズと指紋、その全てが容疑者の物と一致しないのです。ていうか、指紋はありませんでした。さらに言うと、他人の汗など人が縁さんの首に触れた痕跡が、その手の跡のみしか残されてないのです」
バトラーは藍蘭の疑問に長々と答えた。色々不自然な点があり、調べる必要がありそうだ。
椛の方も、馬に詳しい雅がただの落馬ではないと判断している。何せ、音も何もないのに馬が暴れ出したのだ。
「私も犯人を探したい。ですが、私では犯人に殺されるだけです。そこで、雅さんの作戦に乗りました。すべては、二人の仇を伐つために!」
「ハイテンション?」
泉屋は部屋の奥から何かを取り出して言った。それは、紺色の浴衣だった。雅はバトラーが言ったハイテンションの意味を理解した。泉屋はまるで秘密兵器を托す博士だ。
「もう一着あるのか……」
「はい。普段から常に二着ほどあります」
雅は浴衣をもう一着持ってたことに驚いた。和服は泉屋のトレードマーク。いくらそっくりでも、これを着てないと泉屋だと判断されないだろう重要なアイテムだ。
「では、着付けをするので待ってて下さい」
泉屋はそう言うと、藍蘭とバトラーを控室の外に待たせた。
「密室に男女二人きり……」
「気になりますね」
藍蘭とバトラーは中の様子が気になり、扉に耳を当てた。中の声が聞こえてくる。
「いや、着付けくらい自分でできるよ」
「凄いですね。もしかして、浴衣の女の子をナンパした後、事後にちゃんと着せられるように……」
「事後ってなんだ! 珍しく男扱いされたのに虚しい!」
藍蘭はそんな雅と泉屋の微笑ましい会話を聞きながら、棒読みで呟いた。
「事後ってなんの後ですかバトラーさん」
「大人がコウノトリやキャベツ畑で隠すことの、真実です」
「あー、コウノトリとキャベツのソテーか……」
「……」
バトラーはかなりぼかして伝えた。この年齢ならある程度知識があるはずとバトラーは思ってたが、涎を垂らしてる辺り、藍蘭は本気で知らないらしい。凄い歪曲して捉えられた。しかしコウノトリは美味しいのだろうか。
料理を食べるのに何故浴衣を脱がせる必要があるのか、バトラーはツッコミたくなったがやめておいた。色気より食い気の方が藍蘭らしい。知らない方がいいことはこの世に山ほどあるし、いずれ知る。
バトラーは知らないが、クラスメイトの女子の一部が化粧に興味を持つ中、藍蘭は真顔で彼女達に『口紅なんて付けたら食べにくい』と言い放ったことがある。とにかく食い気一直線なのが藍蘭だ。
「コウノトリって、肉屋にありましたっけ? 本格的に美味しそうに見えてきました」
「大人達は美味しいから、食べ盛りの子供に取られないように隠すのね、コウノトリと春キャベツのソテー」
バトラーも藍蘭に釣られてコウノトリが食べられる気がしてきた。キャベツもいつの間にか旬のものになっていた。
「今は夏ですから、残念ながら春キャベツはありません」
「コウノトリと夏野菜のカレー……」
春キャベツがバトラーの手により廃案となった瞬間、藍蘭から夏野菜という発想が出てきた。胃袋キャラは基本、野菜や魚より肉が好きという奴が多いが、藍蘭は野菜も魚も問題無く食べる。イナゴやハチノコなどもモグモグ食べるのだ。
「カレーならライスのみならず、ナンやうどん、ひいてはパスタなど派生が容易ですね。カレーパンなどどうでしょう?」
「涎出てきた……」
藍蘭はバトラーの派生アイディアに涎をジュルリと拭う。一体何処からこんなに話が飛躍したのか。というか、この場にいる誰もがコウノトリを食べるということにツッコミを入れなかった。
「コウノトリを食うな」
そんな不毛なコウノトリ料理談議に終止符を打ったのは、控室から出てきた雅だった。紺色の浴衣をしっかり着こなし、まるで大和撫子の様だ。
「あれ? 泉屋さん?」
「わざと間違えてるだろ。浴衣の色が違うだろ」
藍色は素で間違えた。声も似てるから仕方ないのだが。
「しかし、雅さんは私より着付けが上手ですね。私のおばあちゃんは、『男は誘うくせに自分じゃ着せられんから、女が着付けはできなきゃならん』って言ってましたが……」
「僕のじいちゃんは『女の子の着付けが出来て男は一人前だ』なんて言ってたよ。なんでも、昔軍隊で同僚だった新田って人がいつも言ってたらしいからな」
泉屋と雅は、それぞれ祖母と祖父に着付けを教えてもらったようだ。新田という名前にバトラーは少し考え、雅に聞いた。
「雅さん。その新田って人、下の名前が遊馬じゃありませんでした?」
「うーん……じいちゃんは『名前が桂馬だったら将棋の駒なのに』とか言ってたから……、桂か馬のどっちかが名前にあるはずだ。たしか、お前みたいな白髪だったって……」
「なるほど、わかりました」
バトラーはひとしきり、雅から新田という人物の情報を聞く。藍蘭はその名前を気にしていたようだ。
「新田に馬……? どっかで聞いたような……」
「とにかく、新田の話は後だ。泉屋さんと僕は携帯番号交換したから、何かあったら電話するよ」
雅は新田の話を打ち切り、作戦に移る。携帯電話を雅は浴衣の懐に忍ばせ、控室の前を去った。
「私達も後を付けますのでご安心を」
「私も入ってない? まあ行くけど」
藍蘭は無理矢理バトラーに作戦へ参加させられたが、不満は漏らさなかった。藍蘭も事件の真相を確かめたいからだ。
藍蘭のパートナー、スカーレットは今、疲れて寝込んでいる。椛の死を聞き付け、遂に倒れたのだ。
中間発表でも下位にいた椛が狙われた。その事実は、サイバーガールズに疑心暗鬼を産んでいた。
本来なら縁の死は病死、椛の落馬は事故として片付けられるものだ。だが、泉屋も含めサイバーガールズのメンバーは死の不自然さも相まって、二人が殺されたと考えている。それはスカーレットも同じだろう。
「私達で犯人を捕まえよう」
「ええ」
藍蘭はスカーレットを安心させるため、真相究明に乗り出した。仮面の執事を伴って。
宵越テレビ本社 ロビー
『今、アジアで人気のあのアイドルが来日しました。凄い人気です。空港に人だかりが出来てます!』
「全員サクラだろう」
宵越テレビ本社のロビーには大型モニターがある。その前に佐原は立ち、流されるニュースにツッコミを入れていた。
今画面に映し出されているアイドルは男性グループで、人数は5人。個性をコピーできる佐原でも、誰がだれだかわからないくらい同じ顔をしている。
オマケに日本で麻薬やったとかで本来なら入国できないはずだが、何故か来日できてる。これが表五家の力のようだ。
「こんな安物を輸入しても人気は出ない。君もそう思うだろう?」
佐原は後ろにいる人物に話す。後ろにいたのは真夏。真夏はホワイトボードに字を書いて意思を佐原に伝える。
《それがマーケティングの結果なら仕方ありません。大衆が望んだ物なら。ですが、こうしたコンテンツの視聴率は異様に低いですね》
「そうだな。無理矢理流行らせようってのが見え見えだ。向こうのアイドルは安いから低視聴率でも得にしかならんそうだ」
佐原は真夏に向かって歩いていく。身長差があるので、佐原は屈んで目線を合わせた。
「で、君は知りたいことがあるようだが?」
《直江遊人さんのことです》
佐原は真夏の書いたメッセージを見てしばらく考えた。そして、とりあえず自分の知ってることを教えることにした。
「そいつは私の後輩だ。白髪が特徴の廃人ゲーマー。ゲームで奴に勝てる者はいなかった」
真夏は黙って佐原の話を聞いた。佐原は話を続ける。
「そしてその正体は太平洋戦争の時代に生きた軍人、新田遊馬のクローン。熱地が生み出した現代科学の悲劇だ」
「……」
真夏は元々喋れないが、沈黙した。その人物とバトラーが似ているという事実が少し余計に気になっていた。
「それで……、君はその遊人くんとバトラーの関係性を探りに来たのだろう?」
佐原の言葉に真夏は頷く。
《みやびさんは傷を見ればバトラーが遊人さんか、わかると言いました》
「なるほど」
真夏は雅の立てた『遊人=バトラー説』を立証する方法をホワイトボードに記した。難しい漢字も使える真夏だが、雅の名前はさすがに書けなかった。
「私が持ってる資料を見れば、昔遊人についていた傷がわかるよ」
佐原は資料を真夏に見せた。資料には、実験で遊人に付けた傷の位置が明白に記録されていた。
『我々はクローン実験で予想外の双子を生み出した。そこで、片方には運動神経が上がる遺伝子操作、もう片方には頭脳を高める遺伝子操作を施した』
「松永順の類い稀なる知能は、遺伝子操作によるものだ」
資料を読んで佐原が言った。運動神経を遺伝子操作されたのはもちろん遊人なのだが、彼は運動オンチで有名だ。佐原も最初、それを疑問に思った。
だが、その疑問はすぐに解決された。次の文章が答えを出していたのだ。
『頭脳の操作は上手くいった。すぐに言葉を覚えて3歳頃には3桁の掛け算割り算が出来た。だが、運動神経の操作は失敗だった。その操作は、異常な生命力として現れたのだ』
真夏は難しい漢字を物ともせずに読み進める。
『最初、我々はこの子供を廃棄、殺す予定だった。そこで青酸カリを食事に混ぜて飲ませた。致死量を越える青酸カリだ。だが、この子供は腹痛を訴えた程度で死ななかった。それから量を増やしても、青酸カリ程度ではうんともすんとも言わなくなった。他の毒物でも同じだった。耐性を作っていたのだ。ワクチン開発用の新型ウイルスを試したが、熱が上がる程度で効き目がない』
「椿くんがこの前『熱地のおじいちゃんが、遊人は三日間水に浸けても死ななかったとか言ってた』と言ってたな。それはマジのようだ」
佐原も驚いた遊人の生命力。なぜ遊人は細胞調整云々が上手くいかずに余命ギリギリなのに、吐血すらせずピンピンしてたのか。おそらく遊人自身も知らない内に、細胞調整云々で起きた身体の問題を高い生命力が乗り越えたからに違いない。下手をしたら余命が少ない原因すら自立で対処しかねない。
だが、そんな生命力もさすがに不死身とはならなかった。基本的に頭を撃ち抜かれたり、爆発で粉々になったら死ぬだろうけど。
「ま、だが本人が気付かない通り、目に見えて圧倒的な生命力とはならないようだ。例えば傷がみるみる塞がるとか」
《ウイルスや毒物に対しては強い耐性があるようですね》
真夏はホワイトボードに書きながら、バトラーがそんな脅威の生命力を持っていたか思い出す。しかし、そんな場面に真夏は出くわしたことがない。
「おや、噂をすればなんとやらだ」
佐原が遠くを見ると、ロビーを歩くバトラーの姿があった。真夏はバトラーと合流することにした。バトラーのスーツの裾を掴み、真夏はバトラーに合流したことを伝える。声が出ないと何かと不便だ。
「お嬢様。私の正体はわかりましたか?」
真夏は首を横にふるふると振る。そして、風呂敷を泥棒の如く頭に巻いた藍蘭を見つける。藍蘭の目線の先には、浴衣姿の雅がいた。
「泉屋宮。今までは目立たなかったものの、総選挙のアピール映像でその和風趣味とおしとやかさが話題に。それに伴い、長篠高校でも雅さんが似てるとネタになりました」
「雅姉さんが泉屋さんの存在に気付いたのは、つい最近なのね」
藍蘭はバトラーの情報に、悪意がある呼び方で雅を呼びながら付け加えた。
《つまり、急激に勢力を伸ばした泉屋さんは、恰好の標的》
「狙う敵がいるならそうでしょう。ただ、サイバーガールズ内で疑心暗鬼が広がりまして……」
真夏が書いた言葉にバトラーが言う。本来、縁と椛、二人の死は犯人がいるようなものではない。だが、少し不自然な点があったというだけで犯人がいる事件の様に捉えられてしまった。
「秋庭椛さんは、サイバーガールズの中でも影が薄いですが、黄原彩菜さんと仲がいいみたいです。藍蘭さん、その後の黄原さんの様子は?」
「何事もなく仕事をしてるよ? 辛いこと押し殺して笑顔作れるって、さすがアイドルって感じ……」
バトラーが椛の情報を羅列した。藍蘭は彩菜の近況を、悲しげに遠くを見つめながら報告した。
宵越テレビ本社 お土産売り場
「毒電波……」
「どっちかっていうと毒電磁波よね。こんなもん売られたら氷霧はたまんないでしょ」
氷霧とクインは熱地学院大学から戻ると、宵越テレビ2階のお土産売り場にいた。数あるお土産の中で、氷霧があるものを見つけてしまった。
電磁波を発する謎のストラップだ。一見すると、ただの黄色い天然石のストラップなのだが、氷霧にとってはこれが厄介だ。
氷霧は松永順がソルヘイズ博士のレポートを元に作り上げたヘッドフォンをしてる限り、インフィニティ能力によって電波を傍受せずに済む。だが、未だ電磁波は感じてしまう。
そんなところに電磁波を発する謎の天然石ストラップ。裁判所に訴えて販売差し止めにしてもらおうとクインは本気で考えた。
「妙なもんばっか売ってんな、ここ」
「宵越しくんぬいぐるみ」
氷霧は一日水に浸けて、すっかりふやけた豆腐のキャラクターのぬいぐるみを手にした。ゆるキャラのつもりだろうが、イマイチかわいくない上に、奈良のせんとくんほどネタ性も無い。非常に残念な豆腐だ。豆腐に紐みたいな手足が付いてるだけのデザインでは当たり前だ。
クインはそんな豆腐を見て、似ても似つかぬある豆腐を思い出す。
「豆腐っていやぁ、バイオハザード2の豆腐……」
「墨炎、速かった」
「豆腐は足が速いって言うが、ああいうことなのかね」
ゲーム『バイオハザード2』の隠しミニゲームに豆腐が主人公のゲームがあるのだが、墨炎はそれをクリアするのが無茶苦茶に早かったのだ。
かつて墨炎のリアル、直江遊人と会った際、二人は遊人のゲームテクを見せてもらったことがある。
DPOの中にゲームを持ち込み、バイオハザードを1から5まで一日でクリアする偉業を遊人は成し遂げたのだ。遊人がタイムアタック用にルートを作ったりテクを磨いたというのもあるが、DPOの特殊システム『時間を現実の5倍に引き延ばすやつ』のおかげでもある。
このシステムは、現実世界での1分をDPOでは5分に感じるという謎の多いシステム。つまり、待ち合わせしようとして5分行動でログインしたら、DPO内で25分待つことになる。3分ログインが遅れようものなら、相手はDPO内で15分待たされる。
待ち合わせの面倒なシステムだが、睡眠時間が取れないビジネスマンや漫画家などには人気だ。DPOで睡眠を取れば、例え3時間しかない睡眠時間も15時間取れるからだ。
とにかく、氷霧とクインはこのシステムのおかげで、墨炎のパリダカにも等しい困難である『バイオハザードシリーズぶっ通しタイムアタック』に付き合っても、翌日睡眠不足に悩まされなかったのだ。現実ではほんの8時間かそこいらしか時間はないが、DPOなら40時間取れたので、偉業達成を見守っても十分睡眠が取れる。
氷霧はそれでも所々寝てたので、『バイオハザード2』にて巨大なワニをガスボンベで倒すシーンや、『バイオハザード コードベロニカ』で強敵を貨物コンテナごと輸送機から放り出すシーンを見逃した。
そのせいで、熱地南晴朗との戦いにおいて一人だけ墨炎とクインの立てた作戦の元ネタが解らず、首を傾げたのだ。
「あれが実況者、ナイチンゲールさんの遺作なのでしたとさ……」
「藍蘭の夢壊したらアレだから新幹線じゃ言わなかったけど、墨炎がナイチンゲールさんだったのよね」
氷霧とクインは墨炎が某動画サイトでしてた活動の現在を踏まえ、しんみりと言った。藍蘭が新幹線でバトラーに似てると指摘したナイチンゲールという実況者は、直江遊人だった。
二人は熱地との戦いを終えるとすぐに帰宅した。だから、彼の葬儀には出てないし、そもそも日取りすら知らない。
仮に遊人が壮大なパイプオルガンの音と共に、教会への寄付と引き換えに生き返ったとしても、二人はそれを知らないのだ。
ただ、墨炎の姿を熱地との戦い以後に見かけないので、二人の間で墨炎、直江遊人は完全に死んだものとして扱われていた。
「あ、あれは?」
「木島ユナ」
そして、お土産屋で携帯をいじりながら宵越しくんストラップを見る木島ユナを見つけた。
ユナはツイッターなどでファンとの距離を縮め、総選挙では第二位に位置する。
「あ、冬香の後輩じゃん」
ユナも二人に気付いた。制服で冬香の後輩と気付いた。茶髪にファッション雑誌のお手本みたいな服装、それがユナの特徴だった。
「この『リラックストーンストラップ』が気になる感じ? 電磁波でリラックスするんだって」
ユナは先程の黄色い天然石ストラップを見た。氷霧には、これがリラックスするアイテムとは思えなかった。電磁波で逆にストレスが溜まりそうだ。
「サイバーガールズに愛用してるって奴はあんま聞かないけどねー。こんな事件でみんなストレス溜まってるから、買う人もいるんじゃない?」
ユナの口ぶりからは、事件のことをなんとも思ってないように感じる。それを気にしたクインは、それとなくユナに聞いてみた。
「ユナさん。あの事件、犯人は誰だー、とか、気にならない?」
「私、頭悪いから考えても無駄ね。縁や椛が死んで悲しいのはみんな一緒だし、私はアイドルだからみんなの前じゃ笑顔でいないとね」
ユナはさすがアイドル、とクインを唸らせる解答をした。確かにユナは頭良く見えないが、アイドルとしては優秀だ。総選挙第二位も頷ける。
だが、言葉の裏には悲しみが感じ取れた。
「それに、私はフォロワーさんとかDPOのプレイヤー仲間に元気付けられたし」
ユナなツイッターをしており、多数のフォロワーを持つ。その呟きセンスから、サイバーガールズのファン以外もフォローしているのだという。
また、ユナはDPOプレイヤーでもある。サイバーガールズのメンバーはゲーマーというキャラ付けで、全員がDPOプレイヤーなのだ。
「ネットの力って凄いな……」
「でも宵越テレビは何かにつけてネットを酷く言うのよねー。私はほら、ネット使う立場だからそういう番組には出られないけど。なんか宵越テレビの先代社長がネットを規制する法案を渦海党に打診したとか……」
クインが感嘆してる傍から、やたらペラペラと宵越テレビがやろうとしてることを話すユナ。実は頭いいんじゃないか、と氷霧は思った。
それもそのはず、これだけ積極的に馬鹿発見機と名高いツイッターを利用して、失言しないのだ。ネットのルールや呟きが世界に広まってるツイッターの現状を理解できる様な頭がいい人間でなければ、こうはいかない。最近では有名大学の生徒がツイッターで問題発言して話題になることすらあるのだ。
ユナの頭悪い発言は、完全に謙遜だった。
「あ、もうすぐ収録だから、じゃあねー!」
ユナは携帯の時計を見ると、すぐにお土産屋を後にした。二人もお土産屋を出る。すると、すぐに別のサイバーガールズメンバーに出会った。
「黄原さん!」
「あ、藍蘭の先輩ね。ユナがお土産屋から出て来たけど、ユナと話してたの?」
クインが声をかけ、彩菜が気付いた。だが、氷霧は何かを感じたのか顔をしかめていた。
「あれ? ヘッドフォン壊れた?」
「これは電磁波」
氷霧の言葉を聞いて、クインはまさかと思った。お土産屋のリラックストーンストラップからは距離がある。こんな場所まで届く電磁波なら、お土産屋に行く途中に氷霧が気付いている。だが、氷霧がストラップの電磁波に気付いたのはストラップが目に見える距離まで来た時だ。
順が作ったヘッドフォンの故障でもない。氷霧は電磁波をピンポイントで、彩菜から感じている。
「ユナと同じ収録なの、だから急ぐね」
彩菜はそそくさとその場を離れた。ユナと同じ収録らしい。アイドルは大変である。言葉の裏からは悲しみ一つ感じさせない。
「あ、あの時の中学生? 彩菜と話したみたいね」
入れ代わりに二人の前に現れたのは、河岸瑠璃だった。これまた氷霧が顔をしかめる。
「話なら後でね。彩菜と同じ収録だから、急がないと」
瑠璃はさっさと何も語らずにいなくなった。三人のアイドルと短時間に話した氷霧とクインは、それぞれの感想を呟く。
「三人中二人から電磁波」
「ユナさんは結構精神的に参ってるのを隠してるみたいだけど、他の二人は平然としてたな」
そこで二人は藍蘭から聞いた話しを思い出す。先日死んだ縁のアバターを、DPOで起きてる異変の主犯が使用していること。その主犯は朱色と同じ権限を持つ人間だから、それが可能だった。
そして縁の語った、サイバーガールズの中に『この事態』の主犯がいるという事実。
縁が死ぬ前には、当然椛は生きていた。つまり、縁が言う『この事態』とはDPOの異変を指すのだろう。さらに、朱色と同等かそれ以上の権限を持つのは社長である大川緋色が投獄された今、朱色の妹のみらしい。
宵越テレビにサーバーごと売られた朱色の妹だが、DPOのゲームマスターは続けている。とは言え、かなり大事な決定にしか関わらず、普段は本来の機能である対人カウンセリングをしてるのだとか。
朱色の妹は元々、メンタルケア用のカウンセラープログラムとして開発された。だが、ゲームマスターの権限を一人が持つのは危険とした朱色自身の判断で、権限を与えたのだ。その権限は、まだ与えたままだと朱色は言う。
「朱色がこのテレビ局にも、朱色の様なデータ体が現実に出るための電磁波発生装置があるって言ってたね」
「つまり、サイバーガールズの中に朱色の妹、DPOの異変の主犯が……」
DPOの異変は朱色の妹もしくは、その権限を何らかの形で利用する人間の仕業と見て間違いない。朱色の妹が自身のサーバーを人質に従わされている可能性もあるからだ。
だが、縁と椛の死については、犯人がいるかどうかすら不明。とりあえずそれは保留とした。
二人は事件の真相を確かめるため、サイバーガールズメンバーとなるべく話をしてみることにした。
宵越テレビ本社 カフェテリア
「とりあえず一服」
「お腹へった」
カフェテリアの丸い机に雅と藍蘭は座っていた。雅は抹茶アイス、藍蘭はイチゴのかき氷を食べていた。バトラーと真夏は帰宅した。今頃夕食の買い物だろう。
「で、椛さんの落馬にも不自然な点無し。ただ気になるのは縁さんの死だ、と直江刑事が言った」
「直江って……墨炎のお姉さんね」
二人は結局、犯人らしき人物の影すら掴めず、無駄に足を棒にしただけだった。
「あれだけ不自然な点があるんだ。犯人説が出てもおかしくない」
「本当なら犯人のいるような死に方じゃないんだけど……、縁さんの場合は手の跡が首にあるってことが効いてるね……」
雅と藍蘭は、とりあえず得た情報だけまとめる。縁と椛、その死がサイバーガールズの中に疑心暗鬼を生み出していることは間違いない。
「あ、藍蘭」
「泉屋宮? スカーレットに彩菜さんと、あんたサイバーガールズの人と仲いいんだね」
そこへ、氷霧とクインが合流した。二人はサイバーガールズのメンバーと話をして、情報を集めていた。
クインは雅を泉屋だと思っていたが、これは作戦通りなので雅は修正しなかった。
「何かわかった?」
「一応、朱色の妹探し。氷霧が電磁波感じたのは彩菜さんと瑠璃さんだけだったよ」
藍蘭はクインに調査の現状を聞いてみた。氷霧のインフィニティ能力を利用して、二人は朱色の妹を探していた。縁がDPOで証言したこともあり、朱色の妹がいるのは確実だ。
「これからどうしようか……」
「朱色の妹は彩菜か瑠璃に、電磁波使って成り済ましてるね。こうなると本物の安否が気になるけど」
合流したわけだが、雅の作戦はあまり上手くいってない。クインは朱色の妹を彩菜と瑠璃の二人に絞り込んでいた。
「まだ囮は続けるけど、あまり食いついて来ないな」
アイスとかき氷を食べた雅と藍蘭は、器を返却口に置いて氷霧、クインとカフェテリアを出る。
「……!」
「どしたの氷霧?」
出た瞬間、氷霧の表情が険しくなる。彩菜や瑠璃の前、そしてリラックストーンストラップの前で見せた表情だ。クインも氷霧の異変に気付いた。
「見て……!」
「なんだありゃ?」
氷霧が指差す先、ロビーへ繋がる道の先に、それはいた。雅もそれに気付いた。
「なんだ?」
「何かいるんですか?」
クインと藍蘭は見えない様だが、氷霧が指を差す先にはありえない人物がいた。綺麗な黒髪を腰の下まで伸ばし、紅い瞳を光らせる幼さを残した少女。
ブーツを鳴らし、太股にベルトで固定した鞘に手をかけ、紺色のワンピースと革のベストを纏った、墨色の炎。
氷霧はもちろんのこと、DPOプレイヤーではない雅の彼女を知っていた。場の緊張感を揺れるアホ毛が打ち破るということはない。
「「墨炎!」」
氷霧と雅は同時に叫ぶ。直江遊人のアバター。掟破りの性別逆転、二刀流の剣士アバター。本来現実にいないはずの墨炎が、いた。
「墨炎?」
「いませんよね?」
クインと藍色には相変わらず姿が見えていない。雅と氷霧にしか見えていないようだ。
『私の夢に邪魔だ、斬る!』
墨炎はそれに構わず、台詞に似合わない可愛らしい声で呟く。剣を抜き、ボイスエフェクトで技を出す。
『【フルフレイム】』
両手の剣に炎が燈る。墨炎を代表する技だ。雅と氷霧に緊張が走る。
『【ライジングスラッシュ】!』
墨炎は雅に走り寄り、剣を振る。雅は墨炎の攻撃を屈んで回避した。熱風が雅の肌を炙る。氷霧も攻撃を避けるために後方へ飛びのいていた。
「みんな大丈夫か?」
「何があったの?」
「誰もいませんよね?」
雅が思いっきり攻撃を受けたはずのクインと藍蘭に声をかける。だが、クインと藍蘭は状況を飲み込めてない。雅と氷霧には、この二人が墨炎に斬られた様にしか見えなかった。
『やはり、そこのインフィニティは電磁波に敏感だな。朱色お姉ちゃんのデータ通りだ。それが解れば避けて通れる。目標を始末しよう』
墨炎はそれだけ言うと、黒髪を翻して走り去った。雅は即座に墨炎を追った。
「目標ってことは……泉屋が危ない!」
「急ぐ……!」
氷霧も後を追い、クインと藍蘭も追う。氷霧は先程の言葉から、怪しい点を洗い出した。
「あれは墨炎じゃない。墨炎はフルフレイムを使用したあと、技名にバーニングとか付ける。」
「『朱色お姉ちゃんのデータ通り』か、朱色のサーバーから氷霧のインフィニティ能力に関する情報を得たのか?」
雅も気になる点をあげた。この墨炎は明らかに朱色お姉ちゃんと言った。これは絶対にバレないという自信故の油断から出た言葉か、それとも罠か。
クインはようやく状況を理解し、それを藍蘭に伝えた。かなり慌てた様子だ。
「雅さんをターゲットに朱色の妹が攻撃してきた! 氷霧はインフィニティ能力でそれを感じることができたの。新幹線の時みたいにね」
氷霧は新幹線の時、朱色が委員長だけに向けた声を聞き取れた。電磁波は委員長にしか向けられてなかったが、氷霧はインフィニティ能力で電磁波を感じたのだ。今回も、雅にだけ向けられた電磁波を氷霧は傍受できたのだ。とは言え、委員長は紅憐だった、という重大な情報はかなりギリギリで氷霧に聞こえなかったが。
「私達に見えず、電磁波が感じれる氷霧先輩や泉屋さんと間違えられて攻撃の対象になった雅さんには見えた……。事件の犯人は朱色の妹だ!」
藍蘭も状況を飲み込んで走り出す。
「遊人から聞いた話、朱色の様なデータ体が出す物質には一応の殺傷能力があるようだな。例えば、朱色が出したナイフに触れたら怪我したとか。電磁波で神経に誤認識させて、縁の窒息や椛の落馬を作りあげた」
雅は後ろを振り返って4人に話す。事件の真相はこうだ。縁は何らかの窒息する要因、例えば水没など、を誤認させられて何もない控室で窒息させられた。
犯人である朱色の妹は事件性を高めるために犯人がいるかの様な演出をした。縁の首に残された不思議な跡やメールの文面はその結果。なぜ最初から首を絞める暴漢を誤認させなかったかというと、それだと振りほどかれたり逃げられたり、確実ではないからだ。
わかってしまえば単純なものだ。指紋や人の痕跡である汗や髪の毛が残されてなかったのも、データ体の犯行だからだ。
椛の落馬はさらに単純なもので、馬に大きな音などを朱色の妹が誤認させたからである。馬にだけ電磁波を向ければ、馬にしか聞こえない音を作る、つまり馬に大きな音が発生したと電磁波を利用して勘違いさせることができる。例えば、朱色が新幹線で委員長だけに話し掛けようとした時の様に。
雅は浴衣なのに、他の4人よりはるかに速い。だが、そんな遅れた4人を追い越す男がいた。
茶髪でピアスまでしており、シルバーアクセを指や首に大量に付けた青年だった。彼は雅に余裕で追いつくと、雅を抱えた。
「わわっ……?」
「お嬢さん、そんなに慌ててどちらへ?」
雅は青年にお姫様だっこされる形となり、かなり慌てる。だが、行き先を聞かれてると気づき、冷静に答えた。
「控室! 4階Bスタジオの控室だ!」
「了解!」
青年は先程の雅とは比べものにならない速度で走り出した。軽い方とはいえ、雅も体重が40キロほどある。そんな雅を抱えてこの速度、50メートルを7秒台で走り切るくらいの速度で青年は走っている。
青年は涼しい顔で、エレベーターを待つのがもどかしいのか非常階段まで上がっている。雅が驚いたのは、自身が全く揺れてないことだ。この青年は雅に振動を伝えずに固定し、負担を減らしてくれてるのだ。
「……! 電話!」
雅は電話の着信を感じた。マナーモードなので着信はバイブだ。雅は浴衣の胸元から携帯を取り出し、電話に出た。
『雅さん! 何か知らない人が剣を持って……』
「今行く!」
電話の主は泉屋。墨炎はもう、泉屋の場所まで移動していたのだ。
『来ないで……、いやっ……やめ、きゃああああああああっ!』
「泉屋さん!」
電話は泉屋の悲鳴で切れた。それを聞いた青年はさらに速度を上げる。あっという間に控室に辿り着いた。控室は非常階段を上がってすぐだ。
「待ってて!」
青年は雅を丁寧に降ろすと、扉の開いた控室に向かった。後を追う藍蘭達4人はまだ来てない。代わりに白衣の少年が青年を追って階段を駆け上がってきた。
「田中丸! 一体どうした!」
「順か! 残念だが遅かったようだ!」
田中丸と呼ばれた青年は、白衣の少年へ悔しそうに返した。白衣の少年は松永順。雅も顔に見覚えがあった。直江遊人の弟だ。
これは雅が預かり知らぬことだが、田中丸は順の作ったDPOの攻略チーム『円卓の騎士団』幹部であった。フルネームは山田田中丸。フェンシングで全国優勝の経験もある猛者だ。
雅は順についていき、扉の開いた控室に入る。ここは、泉屋と別れた控室だった。444の不吉な部屋番号がそれを確かなものにしていた。中を見た順が驚き混じりに呟く。
「これは……」
部屋の真ん中には、泉屋がいた。ただし、変わり果てた姿で倒れていた。
「っ……!」
「見ない方がいい」
雅に気付いた田中丸が、雅の目を覆いながら部屋から出す。だが、雅の網膜にはしっかりと泉屋の最後が焼き付いていた。
狭い控室で必死に抵抗したのか、泉屋の浴衣ははだけ、両肩が露出していた。細い足も浴衣から覗き、着付けられた浴衣は脱げかけていた。が、そんな状況でもここにいる男三人は官能的な気分になれなかった。
露出した、白く美しかったであろう肌が例外なく焼け爛れていたのだから。浅い切り傷の周りが特に酷く、傷口は中身まで焼けていた。
開いた目は光を失い、泉屋宮という少女の死を間接的に伝えた。
「泉屋……」
また一人、犠牲が出てしまった。雅の秘策の甲斐もなく。しかし、雅の策も泉屋の死も全く無意識なものではなかった。
朱色の妹が犯人なのは確実、泉屋の奇怪な死に様がそれを伝えていた。
次回予告
バトラーです。今回は田中丸さん再登場ですね。これはハルートさんとマルートさんの再登場も期待しましょうか。
ですが、それより気になる動きが一つ。委員長さんと氷霧のお兄さんが何かしようとしてますよ?
次回、ドラゴンプラネット。『伝説のプレイヤー達』。次回も、是非ご覧下さい。
サイバーガールズメンバーリスト
河岸瑠璃 生存(第5位)
稲積あかり 生存(第6位)
木島ユナ 生存(第2位)
黄原彩菜 生存(第3位)
緑屋翠 生存(第7位)
赤野鞠子 生存(第1位)
紫野縁 死亡:溺死
上杉冬香 生存(第8位)
秋庭椛 死亡:転落死
泉屋宮 死亡:焼死