潜伏一日目
これは私、リディア・ソルヘイズが残す日記である。今回は宵越テレビ社長、宵越弐刈に取り入った様子を記録した。
7月25日、サイバーガールズ総選挙まで一週間。晴天。今日の服装、白基調のワンピースにオレンジの上着、レギンス。靴はグラディエーターのサンダル。
宵越テレビ本社 控室前
「開いた!」
スタッフの一人が歓喜の声を上げる。それを私、リディア・ソルヘイズは黙って見ていた。ここはサイバーガールズメンバー、紫野縁のいた控室だ。
縁はこの控室に閉じ込められていた。スタッフは工具も使わずレスキューも呼ばず、ここを右往左往していただけだった。
大抵の巨大組織は上が無能、下が優秀という図式が常だが、これは珍しい。上も下も無能だ。下だけ優秀の法則は、犯罪組織以外で外れたことはないのに、世界は広い。
「うわあああ!」
「ひいいいい!」
扉の中を見た瞬間、スタッフは全員腰を抜かして逃げ出した。よほど恐ろしい物でも見たのか、私も普通の女の子らしく驚く準備をしておこう。
私はバラバラ死体とか普通に見たことあるし、ちょっとやそっとじゃ驚かない。
私が控室の中を覗くと、紫の服を着た女の子が畳に倒れているだけだった。それだけで腰を抜かして逃げるとは、無能もここに極まれり。
宵越のスタッフは大半、番組制作の根幹に関わらない部分の者は、株主やスポンサー関係者の縁故で就職してるという噂は聞いていたが、まさかこんな無能と腰抜け揃いとは思わなかった。
別にほかっておいてもよかったが、あまり死人が出る騒ぎになると私も居づらいな。
私は落ち着いて携帯を取り出し、救急車を呼ぶ。本来人命救助を行う際は、周りの人に救急車を呼ぶのとAEDを取ってきてもらうのを頼むのがベストだが、あいつらでは頼りない。
「すいません、救急車お願いします。場所は宵越テレビ本社、5階控室」
電話を終えると、私は倒れてる人の様子を確認する。頭を打ってるならあまり動かさない方がいい。
この紫の服を着て俯せで倒れているのは、紫野縁だろうか。顔は見覚えある。髪が紫なとこを見ると、間違いない。私は彼女を仰向けにして、脈と呼吸を確認する。
口元に耳を当て、手首に触れた。両方とも無いことがわかる。
「仕方ない! 坂田、あんた、AEDを! 速く!」
私はスタッフのうち一人を指差して名指しすると、AEDを頼んだ。心肺停止時は初期の救命活動が助かるか助からないかを分ける。
私は心臓マッサージと人口呼吸を繰り返す。これは縁の意識が戻るか救急車が来るかしないと中断は出来ない。
「はあっ……はあっ……」
万が一の逃走を考えると、あまり体力があるという印象は周りの人間に付けたくない。ここは火事場の馬鹿力が出たことにして、ひたすら救命活動を続ける。
都心だけあり、すぐに救急車は来た。縁が救急車に運ばれてから後はあまり覚えてない。私も救急隊員に連れられ、一緒に近くの大学病院に行ったのだ。
私の記憶が再び正常に戻ったのは、病院の待合室だった。椅子に身体を預け、深く腰掛けていた。
「あれ……?」
自分でもなんで、こんな無我夢中になっていたのかわからなくなる。気付いたら病院の広い待合室にいたのだ。
初めは『騒ぎは困る』という打算で動いていたはずが、いつの間にか本気で助けようとしていた。数多くの男を嵌めて破滅させた私にも、人の心は残っていたのだろうか。
「今更……ね」
私がしたことで、戦争が起きたこともある。つまり、私は何人もの罪無き命を奪うきっかけを作った元凶でもある。そんな奴が今更、目の前の人間を助けたいなどとはおこがましい。自分でもそう、わかっている。
おまけに行動理念は『自分の存在を広めたい』。ようするに目立ちたいだけだった。これは救えない悪人だ。自分が目立ちたいだけで何人の人を巻き込んだか。
「翠、来て! 縁が、縁が……!」
携帯で電話をしながら待合室を走る女の子がいた。彼女はサイバーガールズのメンバーだ。たしか……稲積あかりだったか……。
「あかりさん。病院で携帯は……」
「わかってる!」
もっともなことを言いながら、あかりの後を追う仮面の執事がいた。そんなものが見えてしまうとは、私も相当おかしくなってるみたいだ。
私は少し疲れていたので、目を閉じた。
@
「んっ……」
私は目を開けた。基本的に眠りが浅いので、少し騒がしいだけで私は目が覚めてしまう。あれ? 私は寝てたのか?
「取材はNGだよ! 帰りやがれこの腐れ聞屋が!」
何やらテレビカメラやマイクを素手で粉砕しながら報道陣を待合室から追い払う、ポニーテールでスーツを着た女がいた。スーツは動き易そうなパンツスーツだ。
私は腕時計で時間を確認する。寝てしまう前は昼過ぎだったのに、もう夕方だ。
それだけ寝たのに、そんなおかしな光景を見るとは、私はまだ疲れているのか? テレビカメラを素手で粉砕する女がこの世にいるものか。世界中旅した私が言うんだ、間違いない。
「直江刑事のお手を煩わせるわけにはいかない。身内の馬鹿は身内でカタをつけさせて下さい」
「さ、真田さん?」
その女刑事と知り合いらしきスーツの男が現れ、女刑事以上のハイペースでマスコミを物理的に排除し始めた。排除されたマスコミの中にはボブ・サップとか朝青龍も顔負けなガタイのいい奴もいた。それらがゴミクズ同然に病院の外へと叩き出されていた。
こんな奇妙な光景を見るなんて、私はもうすぐ死ぬのか? クローンは寿命が短いしな。
「ったく! アイドルの死がそんな珍しいか! 人の不幸に蝿の如くたかりやがって!」
「『マスコミがスキャンダルを流した時は政治の動きに気をつけろ』と言います。恐らく、現在進行形でマスコミが芸能スキャンダルの裏に隠したい事態が、政治で動いてるかもしれません」
アイドルの死? あの刑事、アイドルが死んだって言わなかった? 男の言葉は長くて、今の私には無意味なのでスルー。
縁は死んだのか。テレビでしか知らない人といえ、自分が救おうとした人が救えなかった。何故か、悲しい気持ちになる。
「姉ちゃん、マスコミ追い払った?」
「まあね。しかしお前……真田さん来てるなら言えよ……。あー、スカートでくればよかった……」
「姉ちゃんがハイヒールで歩けるか怪しいな、おーナンセンスナンセンス」
「なんか言ったか……?」
「持ち場に帰りまーす」
私が悲しくて目を閉じてると、女刑事の弟でも来たのか、微笑ましい会話が聞こえた。
「あ、緑屋翠さん。こっちですよ」
さっきあかりを追い掛けていた仮面の執事が、今度はサイバーガールズの緑屋翠を案内していた。あかりが電話で呼んだところは見たが、翠は病院に来たのね。
人の出入りが多い待合室だ。アイドルが死んだんだ、当然か。先程から目を閉じているから、声しか聞こえないが。会話がクリアに聞こえるということは、一般の人はもういないのかな?
「バトラーさん、仮面は?」
「おっと失礼」
「お前、仮面無しで口調変えると違和感あるな」
翠はバトラーが仮面を付けてないことを言及する。女刑事も違和感を指摘した。
私はこれからどうしよう。とりあえず、明日から秘書として宵越で働くのは決定だ。まず、あの弐刈とかいう社長に取り入って、機密情報を得よう。
私はこれからの行動予定を立てつつ、椅子から立ち上がって病院を後にした。出る途中で気付いたが、この病院は熱地学院大学の経営する大学病院らしい。私が生み出された場所だ。
私は図らずも生まれ故郷に帰ってきたのか。だが、望郷の念は微塵もない。
そういえば、明日熱地学院大学では資料の整理が行われているらしい。そこには新田遊馬のクローン、松永順も来るのだろうか。
弐刈の明日の予定リストはもう貰ってる。熱地学院大学に行く予定があるそうだ。少し、順に興味があるな。同じクローンとして。
サイバーガールズメンバーリスト
河岸瑠璃 生存(第5位)
稲積あかり 生存(第6位)
木島ユナ 生存(第2位)
黄原彩菜 生存(第3位)
緑屋翠 生存(第7位)
赤野鞠子 生存(第1位)
紫野縁 死亡:溺死
上杉冬香 生存(第8位)
泉屋宮 生存(第11位)