エピローグ
「墨炎……!」
「こりゃすげぇや!」
水道施設から抜け出した氷霧とクインは、研究棟の窓から水道施設の様子を見ていた。灰色の円柱が、深紅の炎に包まれる。
「熱地のしつこい奴らも、自爆技にはセーフティーシャッターでもない限り勝てないってか!」
「ハイリスク」
クインの言葉通り、すぐに青白く発光するウインドウが現れ、勝利を告げた。
『勝者、墨炎、氷霧、クイン』
「やった!」
「でも、気掛かりがある」
氷霧は喜ぶクインと対照的に、何かを心配していた。墨炎が自爆する直前、消えかけていたことだ。そして、彼女が言った言葉。
『いや、あまり時間はないようだ』
「戻ろう」
「そうだな」
嫌な予感がして、氷霧は即座にログアウトする。クインもそれに続いた。
夢から覚めるように二人は現実へ戻った。二人で同じベッドに寝ている。ここは、ログイン前に訪れた長篠高校の保健室だ。
「墨炎!」
「ゲームで自爆したからって、死んだりはしないよ」
隣のベッドでまだ起きない墨炎、遊人に氷霧とクインは駆け寄る。
「墨炎?」
遊人はいつまで経っても起きる気配がない。氷霧は試しに、遊人のウェーブリーダーを外す。こうすれば、強制的にログアウトするはずだ。
だが、遊人は起きない。まるで反応がないのだ。
その時、二人は扉の開く音を聞いた。二人が振り返ると、そこには夏恋がいた。
「遊人!」
この戦いはネットで中継されていた。墨炎の異変を見て、夏恋は駆け付けたのだろう。そして、夏恋は起きない遊人を見て愕然とした。
「遊……人……?」
「墨炎、起きない」
「寝てるだけだろ? そうだ、疲れたんだよ」
クインは何とか前向きに考えているが、夏恋と氷霧は遊人の身に起きたことを理解していた。直江遊人は、死んだのだ。
だが夏恋はすぐ、行動に移した。死んだなら、生き返らせればいいと言わんばかりに。
「……?」
「な……!」
氷霧とクインを押しのけ、夏恋はいきなり心臓マッサージを行った。心臓が停止してない人間に行うのは大変危険だが、夏恋は触れた瞬間に心臓が動いてないことを確認した。
30回心臓マッサージを行った夏恋は、遊人の頭を掴んで人口呼吸を行った。これも呼吸が止まってない人間に行うのは大変危険だ。だが、夏恋がこれをしたということは、遊人の呼吸は止まっていたのだ。
息が吹き込まれるが、遊人に反応はない。
「はあっ、遊人……!」
「兄さんは、もうダメだろう」
人口呼吸を終えた夏恋の横に、順がいた。実の弟にしては諦めが早い順の言葉に、夏恋は苛立ち混じりで返す。
「まだよ! 昨日まで遊人、普通に話してたじゃん! いきなり死んだりしない!」
「兄さんはいつ死んでもおかしくない状況だった。だけど、僕への憎しみ、それが晴れてからはエディへの思い。エディが死んでからは熱地への復讐。無理矢理生きる意味を見つけて騙し騙し生きてきた。生きる意味を達成した兄さんは……死ぬくらいしかもうやることがない」
順の言葉を聞き、夏恋はうなだれた。昨日、順から遊人の余命が短いことを聞いた時は、夏恋はそれほど深刻に考えてなかった。
テレビなどでよく見る余命が短い人間は、いきなり死んだりしない。いろいろな症状が出て、死が近いことを実感して死ぬのだ。
だから、今ピンピンしてる遊人はすぐに死んだりしないと考えていた。だが、遊人は死んだ。
順は懐中電灯を取り出し、閉じられた遊人の目を開けて光を当てた。瞳孔が開きっぱなしなのを確認して、順は兄の死を確信した。
「兄さんは充分生きたよ。あとは、休ませてあげよう」
順はそう言うと、保健室を後にする。保健室には氷霧、クイン、夏恋が残された。
「遊……人……」
消え入る様な声で、名前を呟きながら夏恋は涙を流した。だが、氷霧とクインは遊人の死を信じていないのか、泣いていない。
年下の二人に涙を悟られるのは恥ずかしかったので、夏恋はこっそり保健室を出た。そして、学校の外へ歩き出す。
俯き加減に歩くため、今自分が何処にいるのかもわからない。とにかく、何処かへ行きたかった。
いくら歩いただろうか。気付けば、夏恋はいつも通る矢作川の堤防にいた。
ここは、遊人にウェーブリーダーを渡した場所だ。時間帯は違うがその光景を思い出し、夏恋の目からまた涙が溢れた。
「遊人……、遊人ぉ……!」
普段、毒舌ばかり言って感情を表さない夏恋だが、今日だけは、感情を表に出して泣きじゃくった。
夏の風が、彼女の涙を乾かすまで。
@
「どいてどいて!」
「急患だよー!」
一方、長篠高校正門近くでは校舎から運ばれる人間がいた。熱地南晴朗と熱地南十郎だ。改造ウェーブリーダーの副作用で、幻覚を見ているのだ。
「うわぁー! 来るなあああああ!」
「きょえええ! なんぞこれはああ!」
二人は担架に括り付けられ、救急隊員に運ばれていた。救急隊員も暴れる二人に手を焼いていた。
改造ウェーブリーダーの強みは、通常のウェーブリーダーより脳波のやり取りの量を増加させることにある。こうすることで、より多くの情報を脳で処理できる。
しかし、脳波のやり取りを増加させるには、ペインアブゾーバーの排除が必要である。さらに、脳波のやり取りが増大すると、相手の脳波と混線する危険もある。現に、遊人がリベレイション=ハーツという形で放った脳波が混線し、二人は幻覚を見ている。脳に遊人の脳波が焼き付いてしまったのだ。
そんな父と息子を見て、瞬殺されたおかげで副作用を受けてない南太郎はオロオロするばかりだ。あまりに瞬殺過ぎて、戦況を理解できていないのだ。
「どういうことだこれは! 副作用はハッタリじゃないのか?」
勝手に副作用をハッタリと思い込み、混乱状態に陥る南太郎。そんな彼に、近寄る人影がいた。南太郎が気付く頃には、人影の拳が脂肪を蓄えた顔面に減り込んでいた。
「ぶひょふぇれはぁふ!」
「これはエディの分……」
前歯を全てへし折られた南太郎は、自分を殴った相手を見る。そこにいたのは、門田だった。
だが、南太郎は門田のことなど苗字すら知らない。ましてや、自身が起こした事故の生き残り、そのクラスメイトなんてことも。
「なんだうぇきびあ! わあいをたれあおおもっえ!」
何だ君は、私を誰だと思って。そう言おうとした南太郎だが、前歯が折られ、顎も外れた状態では上手く喋れない。
そこへ、ボーリングの玉が飛んできた。南太郎はハッキリと、18ポンドという数字を目にした。が、そんなものが見えた時にはボーリングの玉が顔面に直撃していた。身体なら脂肪でダメージを抑えられたが、先程から顔面ばかり狙われる。
「ぐばあああああっ!」
「これは遊人の分。安全靴なら、ボーリングの玉も意外と蹴れるな」
南太郎は知らないことだが、ボーリングの玉を飛ばしたのは煉那。というか、18ポンドもある玉を軽々蹴飛ばしたというのか。煉那がいるのも、相当遠くだ。
「さて、本当は責められる方が好きなんですが……」
顔面が腫れ、もはや誰かの区別もつかなくなった南太郎に近付く女子生徒がいた。女子生徒はスタンガンや蝋燭、鞭など色々な意味で危ない物を持っている。
「今回は責めにまわりますね」
「お前は……!」
南太郎は女子生徒に見覚えがあった。かつて渦海党のエースとして活躍し、野党へ引き抜かれた現在の少子化担当大臣、藤井佐上の娘、佐奈。
なぜ大臣の娘ともあろう者が、こんな辺鄙な私立高校にいるのか、南太郎はわからなかった。だが、南太郎はいつか佐上に言ってやろうと思っていた文句を今、佐奈にぶつけることにした。
「佐上の娘か! 女なんぞに引っ掛かって、渦海党を裏切った色ボケのふごっ!」
佐奈は無言で鞭を振るう。鞭は痛みが強いものの、傷が残らないように改良されたものだ。佐奈の使い方も上手く、痛みは倍増の一方。南太郎に脂肪がなければ、痛みに転げ回るところだ。
「お父さんは自分で自分を色ボケって言ってるけど、私は貴方にだけは言われたくない」
「ぎゃあああ! やめ、ちょっ、おまっ、ぐぎゃああっ!」
佐奈は鞭を振るい続けた。鞭の使い方は、佐上から習った。自分が色ボケ呼ばわりした人間の技術で苦しめられているのだ、南太郎は。
「えー、これってもしかして苦しい? お父さんは気持ちいいやり方って言ってたのに……」
「佐上くんと奈々くんの性癖は特殊だからね。あまり彼らの価値観を他人に流用しない方がいい」
鞭で南太郎を打ち続ける佐奈に、突然現れた佐原が言った。佐原は佐奈の両親、藤井佐上、奈々夫妻と面識があるのだろうか。佐原はテレビでも報じられない部分も知っていた。
「さて、これで遊人くんは死して後も熱地の南晴朗くん、南十郎くんを苦しめ続けるわけだ。」
佐原は順から聞いた、二人の発狂した理由を含めて呟いた。二人は遊人の脳波と混線して幻覚を見ていた。混線を起こしたのは改造ウェーブリーダーを使用した二人だけ。通常のウェーブリーダーを使った遊人は混線を起こさなかった。
遊人の脳波が、幻覚を引き起こしたのだ。実際、見ている幻覚は炎にまつわるものだそうで、墨炎の技も炎が使われていた。
「それと、君は何の用かな?」
佐原は後ろに立つ者に話かけた。門田、煉那、佐奈はその姿を見て驚愕する。
長い金髪をサイドテールで結い、眼鏡をかけている。着ているのは長篠高校の制服ではなく、パーカー付きの上着にハーフパンツ。非常にラフな服装だが、その姿はまるで……、
「「「エディ?」」」
三人同時に驚いた。死んだはずのエディが目の前にいるのだ。だが、佐原は冷静だ。
「君は、エディくんではないね。眼鏡のフレームと度が違う。それに、私の能力で君の個性をコピーしたら明白だ。エディくんと呼吸のリズムが違う」
目の前の少女はエディでないと、佐原はハッキリ言った。フレームは黒淵で、度も殆ど無い眼鏡をかけているが、髪を下ろせば姿は限りなくエディに近い。
「君はエディくんのご姉妹かい?」
「私はさ、クローンに用があったの。新田遊馬のクローンに、さ。私の上司が、見つけてこいって。遊馬って軍人でしょ? だから、クローンから戦争中の行為について賠償金取ろうって連中がいるのよ」
静かに、少女は佐原に言った。だが、佐原は目的すら言った少女に、こう返した。
「仕事内容をバラすとは、もう仕事出来ないと踏んでのことか? 君はそれ以外に、遊人くんに接触したい理由があるはずだ」
「私もクローンなの。あの科学者、ラディリス・ソルヘイズの、ね。だから、同じクローンとして興味があるだけよ」
佐原の問いに、少女は答えた。二人の間に緊迫が走る。それを門田達も感じていた。
「名乗ってなかったね。私はリディア・ソルヘイズ。二度と会うことはないでしょうね」
少女はリディアと名乗り、その場を去った。二度と会うことはない、とリディアは言ったが、佐原はもう一度会う様な気がしていた。
というか、リディアの登場で忘れられた南太郎は死にそうだった。ボーリングの玉を顔面に喰らえば、それは当たり前だが。
東京都 宵越テレビ 社長室
「それで、今後の対応はどーすんのー?」
『熱地の事件は伏せておけ。ネットでデマが多いという番組でもすればよい。無論、映像の面でもな』
「了解しますたー!」
宵越テレビの新社長、宵越弐刈の初仕事は熱地の事件隠蔽だった。スーツを着ていてもチャラい弐刈は、渦海からの電話を切る。携帯で電話を受けていた。携帯は最近流行りのスマフォだ。
「さーて、いきなり仕事が隠蔽とか下げぽよなんですけど!」
なかなかに高いテンションでガッカリする弐刈だが、部屋を見ると満足げにため息をつく。ある程度厳かだった社長室は、ミラーボールが取り付けられ、カラオケの機械があったりコンポがあったり、バブル時代のディスコみたいな雰囲気に改造された。
社長の机にはDJが操るレコードの機械があるが、弐刈はDJの世界で有名な人間だ。盛り上げるのが上手い。無能なのに人の上に君臨する父親、先代社長の宵越道夫に反抗して、自分の能力を高めた結果だ。
道夫はデステアの事故を隠蔽した件で海外メディアに責められ、辞職した。日本では引退と報じられている。
「でも、もうすぐサイバーガールズの総選挙だし、上げぽよ~! 誰に入れようかな? 『恋の廃人ロード』でセンターしてたユナ? 『感染ラブウイルス』で意外な面を見せた赤野も捨て難いね!」
弐刈は悩みながらサイバーガールズのCDを見る。CDには総選挙の投票権がついているのだ。
次の戦いの火種は、すでにばらまかれた。物語の舞台は首都、東京へ移る。そして、戦いに巻き込まれるのは……。
DPO アトランティックオーシャン 海底校舎
「誰か噂をしてるわね……」
海底校舎の教室、そこでくしゃみをした藍蘭が呟く。大人びた表情に、制服という少女の様な服装、子供っぽい性格が見事にマッチしたアイドルプレイヤーだ。
彼女は武器の刀を、教室で椅子に座って手入れしていたのだ。『絶爪』スキルのために、三本装備している。
「これでよし」
机に置いた刀をスカートのベルトに差した鞘に戻す。そして、教室を立ち去る。教室の電気が消され、真っ暗になる。海の底にある海底校舎では、地上の光が届かないのだ。
藍蘭はこれから自分が辿る過酷な運命など、知るよしもなかった。
次回! いよいよ第二部!